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那閉神社(なへじんじゃ)の思い出

焼津港の東、迫り出した虚空蔵山の切り、浜当目というところに那閉神社(なへじんじゃ)がある。この神社に僕はご縁がある、と言ってもきっかけはあまり有り難くないご縁と言えよう。技術革新(今で云えばIT化か、当時はアナログであった製版図案業が一気にアップルコンピュータの嵐の到来によりデジタル化し)僕は50歳にして捗々しく無くなった自営業をたたみ関係会社の勧めで営業職の新米社員となった。丁度子供たちも自立した時期であり早めの第二の人生のような気分で、顧客との会話から仕事を起こす事が刺激的で、全く五十の手習を地でいく毎日が楽しくもあった。社用車で、西は名古屋から東は御殿場、伊豆の韮山辺りまで走り回る日々で当然悲惨な交通事故もよく目の当たりにした訳だが爽やかで陽光眩しい春のさなかにその日は、やってきた。運転席のサンバイザーを下ろし交差点に侵入したところ運転席ドアに、ドンと、鈍い衝撃を受け急停止した。恐る恐る降りると、大破したスクータと蹲る青年、交差点のまん真ん中である。青年に声をかけると「すみません」と謝ったので、意識が有る事にまず安堵したが、そこへ駆け寄って来た野次馬の二人組のベテランが、普通の人ではなかった。「おい、大丈夫か」と青年に声を掛け矢継ぎ早に「よし、俺に任せろ全部やってやる。」「車の信号無視だ」僕にはなにも言わない。これが後になって僕の心情を乱した。青年もきょとんとして僕に謝っているのに。それにしてもよく無傷であった。変な話し、何という幸運だろう。やがてパトカーが来て事情を聞かれるうち「あいつらは気にしなくていいよ、いつも来るから」と本官。事故の多い交差点で、どうやら暇を持て余し、いつもお出ましになるプロの仲裁人みたいな輩か、大破したスクータや、社用車のドア部、両車のブレーキ痕など確認しながら、青年の無事も確認して、事情聴取が始まった。「運転手さん、信号は青で入ったの?どのくらい速度出してた?」「はい、青で発信したとオモイマス」そして言わなくてよい余計な決定的発言「眩シクテサンバイザー下ロシテマシタカラ確信ハアリマセンガ…2〜30キロデスカネ」山奥育ちの馬鹿正直と、輩にインプットされてしまった加害者感。「青年も相当のスピードで突っ込んでるよね、よく怪我しなかったな、この二輪はもうダメだな」そして「運転手さん、信号無視認めるよね、交差点事故は乗用車責任重いからね、あとは保険会社でやってもらうにしても免停はくるよ、仕方ないけどね、怪我させなくて良かったじゃん」「は…はぁ」そして互いの連絡先と住所氏名交換。「後日、現場検証立ち合い願いますよぉ〜」大破したスクータ交差点脇に二人で片付け、この失態に呆然自失であったが、責任上「一応、病院行こうよ、君の知ってる所でいいから」「はい、すみません」感じの良い真面目な青年アルバイト中で有るという。本官に嗜められた輩はもうそこにはいなかった。そして僕は在来線に大きなカートンサンプル抱え通勤、業務の日々を何週も経験した。山育ちだから恥ずかしくはなかったがね。以上が事故の顛末だが、ここからが不思議な出会い。


              青年のお見舞いとその後の経過を聞きたく、住所を訪ねていくと、何と立派な神社に行き着いた。何度廻りを歩いてもここでしかない。どういう事だろう、境内をウロウロしているうちに、白袴の神主が現れた。「どうなされました?」品の良い隙のない所作で、眼孔鋭いが優しさを感じる。「お尋ねしますが、この住所の方を訪ねてまいりました、実は私、静岡市内の交差点で交通事故を起こしましてね」「ああ、それは私の息子ですよ、ご面倒かけましたね。今日はアルバイト先に出てますよ」「そうですか、これは失礼いたしました。この度は…」「ああ、わざわざおいでくださったのね、こちらへいらっしゃいよ」と、にこやかに社殿の参道の鳥居を外れたそれでも境内の端に歩を進めると、立派なお宅に案内された。深くお辞儀をし「この度は…」「よしましょう…」また、ご挨拶きちんとできないが、ずいぶん気が軽くなったわ、いやありがたい事だ。抱えてきた負い目と後悔の念が、すう〜っと躰から離れてゆくのが解った。茶をよばれ持参の菓子折りをお渡しすると、「息子はもう大丈夫ですよ、バイクだけは保険会社で弁償していただければ。息子もまだやりたいことがあるしね、一応神官の手伝いはしてくれますがね、忙しい時期以外まだ自由にしているんですよ、まだまだ修行が足りないですよ」             
                                        

 そしてこの那閉神社(なへじんじゃ)の歴史、合祀の神殿、青木神社の由来は戦国時代の武田徳川の激戦に遡り、さらに古代はこの辺り一帯が、青木の森と云い近年になってビール会社の開発により、出雲神を祀る那閉神社に後年移築された事、焼津の港の話、魚の話、そしてゆかり深い小泉八雲の話。お見舞いご挨拶の重荷を解かれた上に、興味深い面白いお話を聴き、ありがたいこと、このうえない気持ちで胸が熱くなった。          

那閉神社お暇する際は、正式に拝殿で恐み恐みも御礼申し上げると、なるほど焼津の浜を愛した小泉八雲の世界彷彿とし、爽やかな霊気につつまれ、よろこびが込み上げてきたのであった。以来、定年を迎えるまで、数年間、月一で、車通勤の余白を作り参詣したのだ。まさしくご縁にあずかった、あの神主の親父殿はどうしておられるだろう。青年はもはや、立派な神官をお努めであろうか。大切なご縁である。元気あるうちに忘れぬよう参詣したいと心に刻む。
#那閉神社
#大場章三
#青木神社

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