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蒼い蜜柑

昔の小学校時代の思い出に元旦の朝の「新年祝賀式」ってのがあった。どんなに雪が積もろうが、行われた学校行事で、旧年から新年へ、絵で書いたように幕が変わるわかりやすい大切な行事であった。式では、僅かな日々会えないだけの友達の顔みるのさえ恥ずかしかった。校長先生の挨拶や、親会長の挨拶、知らん人の挨拶(笑)、そして教室に戻り担任恩師(紫袴の中山先生)の正月暮らしの注意。僕にとっての最大の興味関心事は、親代表の誰かのお父さんがどんな挨拶をなさるか⁉️の一点であった。僕には父はいない。お父さんと言うのはどんなことを考えているかとか、面白いことを交え上手に僕らの興味をどれほどあつめるのか、こころがうごかされるようなことを仰るか、いやなめてはいかん、ほんとうに子どもってのは既に出来上がっているのだ。普段人前が慣れてないお父さんが殆どだから、流暢にうまく話すお父さんは僕の眼中にはなかった、それはまるでつまらなくて、くじのハズレと一緒だった。慣れないネクタイのずれ方、席から壇上に上られる所作ひとつ素朴で可笑しい風情が僕の大好物で、お話になってないような(壊れたオモチャ状態、失礼)お父さんが面白くて好きだったし、そのような状態から立て直し僕らを感動させてしまった日には、誰かのお父さんはまったく僕のヒーローだった。帰り際に先生から柔らかな完熟蜜柑をひとつと、大きな紅白饅頭を頂戴する慣わしがあって、(じつは僕の爺ちゃんは和菓子匠で、折々学校発注受けてた)そんなときはお母ちゃんはおくどさまで餡の大鍋一日中木べらで焦げないよう鍋底かきまわしていたが、貧しいゆえに家のおやつの饅頭に餡は入っていなかったのだよ。黄色い柔らかい蜜柑と餡の入った饅頭であることを確実に知っている僕は、嬉しくてよろこびいさんで帰路についたものだ。そうすると親戚のお店の「市喜屋」の暮れの手伝い(かわいい木箱の正月みかんの配達)で貰った硬い蒼いみかんは炬燵の上の主役の座を追われて手を離れ、日陰の棚の隅っこで身を縮め、ああ可哀想な寂しい静物となって佇んでいる。頑固な顔で「唯々甘ければいいってもんでも無いぜ」と云ったか云わぬか、とても気になっていた僕ではあった。無論爺ちゃんのそしてお母ちゃんが練った、「市屋の饅頭」は格別美味かった。その頃から僕は、人をわかりやすい何かに例えてウォッチするようになったのかもしれないね。(そして密かにそれを愉しむ)蒼みかんにかかわる酸っぱい想いでの中に、とてもいいことまで思い出してしまったね。
#蒼い蜜柑
#岐阜県加茂郡白川町
#むらざと自然農園の野菜ボックス

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