大喜利回答パターン(発展編)と愚痴

 ご好評(?)につき、以前発表した「大喜利回答パターン」(以下、基本編という。)の続編、発展編として本稿につき筆を進めたいと思います。本稿は、基本編を踏まえて、より具体的、各論的なもの、および派生的なものを扱います。それゆえ、基本編および本稿内での項目間で重複する部分があることを予めことわっておきます。内容は次に示す通りです。ただし、「5.筆者の愚痴」については、直接テクニックとは関係のない、大喜利への個人の考え方と、現状抱える不満を垂れ流しておりますので、大喜利の上達には必要があるとは限りません。また、むしろ愚痴がメインです。悪しからず。

1.定量化可能性

 お題の登場人物には様々な性質があります。その性質のなかで、汎用性が高く、また意識的にする必要があるのが、定量化が可能か否か、という性質です。可能か否か判断するには、お題の登場人物から読み取れる要素のうち「その2倍または半分が何か?」という質問に答えられるもの、とでも理解しておけば当面は問題ないでしょう。もちろん、この判別法ではとらえきれないものもありますが、定量化の視点をもち回答の経験が増えるにつれて直感的に判断できるようになります。

 定量化が可能であるならば、その量を変数として増加・減少させることができます。この量的変化は、基本編で扱いましたが、定量化可能性を意識しなければ利用可能な変数を見つけることが難しいものもあるのでご注意ください。

 本稿は発展編ですから、その具体的な使い方を検討しましょう。たとえばお題が、「ウインクよりもファンを萌えさせるアイドルの仕草を教えてください」だとしましょう。このとき、ウインクは片目を閉じるものですから、それを2倍して「両目で同時にウインクする」(それを人は瞬きというのだけれど)という回答が導けます。なお、例題では「ウインク」という名詞が出ていますが、お題が「アイドルの萌え仕草を教えてください」であっても「ウインク」はいわゆる「普通の回答」(大喜利としてではなくたとえば面接での回答という意味です。Twitter上ではこれが評価されることも多いようですが、個人的には大喜利として成立していないと思います。)として連想できるものですから、要素の定量化、量的変化というよりは、「普通の回答」の味付けとして定量化と量的変化を用いる、という操作として用いるほうが使う場面は多いでしょう。

 ところで、定量化ができない、または主題になりにくい、という場合は定量化の視点は無用なのでしょうか。答えはNOです。定量化できないならできないなりに、無理矢理定量化してしまう、ということは有効な場合があります。たとえば、新たな単位を勝手に作ってしまう、というパターンのボケは漫才で見たことのある方も多いのではないでしょうか(かゆさの単位で3ムズムズや火の勢いで8メラメラなど、悪魔の実みたいなオノマトペを使って定量化したりする。NON STYLEさんの漫才で見たことありますね。また、バカリズムさんの「で?お前は何ドーナ?」も数量ではありませんが、ある種単位としてドーナを使っても回答を導けることを示すものでしょう。)。

2.カテゴリーのミスマッチ

 カテゴリーのミスマッチとは、お題の登場人物をその性質によってカテゴライズし、互いに排反と思われる他のカテゴリーの要素を借用してくる、という手法です。いちいちお題を考えるのも面倒なので登場人物として金持ちのおじさんがいることのみ考えますと、金持ちとは正反対の貧窮問答歌のような生活をしている人は、自宅の風呂ではなくて銭湯に行くだろう、ということで、「銭湯に行く」という「普通の回答」以前の、ピントの合わない回答がでて来ますから、そこに元の金持ち要素を加えて「バスロマン方式で銭湯まで行く」「万札でサウナでの汗拭いてる」「シャンプーハット代わりにシルクハット被る」「電気風呂にロレックスで感電」なんかが考えられるのではないでしょうか(お題がないのでしっくりきませんが、回答だけでも合格点な気がします。)。あるいは、もっと貧乏を強調する要素を土台にして、たとえば「めざしが主食」から「有名シェフのめざし解体ショーを開いた」なんかが考えられるでしょう。

 要は、他のカテゴリーを主軸に考え、その後元の登場人物の要素を突然戻すので、登場人物の要素に着目した「普通の回答」からは飛躍して発想できるのがカテゴリーのミスマッチの強みです(登場人物を冷凍食品みたいに扱う)。もっとわかりやすい例でいうと、嗅覚の「匂い」がテーマになっているときに視覚的な色彩を考えて「よくわからんけどピンクな匂い」や、触覚を考えて「ヌルっとした匂い」なんかを導けるでしょう(最初からこっちにしておけばよかった)。

 カテゴリーのミスマッチは、ある名詞に対して普通使われない形容詞や形容動詞を使うという形、動作そのものを飛躍させる形、ある動詞に変わった副詞を使う形など、様々な場面で使えます。もちろん、先述した定量化可能か否かもカテゴライズの対象ですから、可能なものと不可能なものとの間でも利用できます。時間と空間、形と性質、善と悪、など、二元論的な発想をストックしておくと、より使いやすい手法です。二元論以外での二項対立の軸の作り方こそが実力・個性の出る場面ですが、それを説明するに紙面と時間が圧倒的に不足しているため割愛します。イメージとしては、「A+B=お題の要求に応える回答」となるときに、Aがゴリラならば、Bは抹茶味、というように、一見意味不明なものをうまく回答に納める、という感じです。

3.テクノロジー

 テクノロジーとは、その時々の新しいテクノロジーや誰しもが触れたことのあるIT技術を回答に組み込む手法です。いわば時事ネタともいえるでしょう。たとえば、「この転校生、何か違う!さて、何があった?」というお題ならば、時代の寵児、Amazonの機能から「自己紹介で欲しいものリスト渡してきた」なんかが考えられます。もっとテクノロジーテクノロジーさせると、「pepperくんやんけ!」や、そこから派生して「休み時間のことを充電時間っていう」だとか、ほかには「電気消して!って言うと遠隔で電気消してくれる」とかですかね。「あるある」路線だと常に使える手法ですし、第一、万人が知ってる一方でテクノロジーを意識しないで生きているので、「あるある」なのに新しさがあるように感じられるのです。

4.あるある補足

 当項目は、基本編で扱った「あるある」の、とくに変化球パターンについての補足となります。カテゴリーのミスマッチのなかでも、「あるある」の変化球パターンで使いやすいのは歴史上の事件や人物、名言、歌詞、CMのキャッチコピーです。わざわざ詳細には論じませんが、これらは誰しも元ネタを知っている一方で、お題になっている人物が一見無関係なことが多いくせに結構当てはめができる便利なカテゴリーなのです。

5.筆者の愚痴

 そもそも、大喜利とは何か。定義としては、たとえば、一問一答形式でお題に対して面白おかしい回答をすることといえるでしょう。あくまでも個人的な定義ですが、基本編ではそれを前提にパターンを論じました。その背景には、大喜利には一定の作法がある、という考えがあります。その作法とは、「面白さをしっかりと表現すること」です。その表現の仕方につき、回答のパターンに着目することで、一人ひとり尺度は異なるものの、回答者の思う面白さを共有しやすくなるのでは、と考えました。ある面白さがどのようなカテゴリーに属するのか、あるいは、発想としてどのようなプロセスを経たものなのかを意識することで、より効果的にその面白さを伝達しやすくなると考えたからです。

 もちろん、「大喜利回答パターン」と言うタイトルとは裏腹に、実は発想法を扱っていたことは認めます。しかし、それは、自分の発想法を「正解」として提示したくなかったからです(もちろんハードルが上がって「つまらない」と言われるのを避けたかったのもあったけれど)。「回答パターン」は帰納的に認識されるのに対し、「発想法」は演繹的に回答を拘束する。そのドグマティックな語感を避けたかった。むしろ、パターンに合致するものだけでなく、パターンの例外の発想の余地があることを暗に示そうと考えたのです。

 さて、では現在巷でよく見る回答のパターンのうち、敢えて独立して扱わなかったものを取り上げてみましょう。一つは、本稿でも触れた、「普通の回答」です。就職活動の面接や知能テストでもやっているのか、というような、お題の示す、ありえない、突飛な状況を合理的に説明することで突飛ではなかった、普通の状況だったことにするものを僕は「普通の回答」と呼びます。そこに人を笑わせようという気持ちはありません。

 「普通の回答」の多くは笑えるレベルにありません。未知・他者・理解不能の余白を合理性で塗りつぶして回答者が安心するだけの独善的な回答だからでしょう。むしろ、お題のもつ未知を残しつつ、回答が別の未知を付加する、または別の種類の未知に変更するのが笑える回答なのです。

 次に「キャラ大喜利」もしばしば見かけます。キャラ大喜利とは、特定の人物に特定の役割を付与し、それを登場させて回答終了、とするものです。強い=吉田沙保里、黒い=松崎しげるといった、思考停止が見受けられます。もちろん、効果的な場面は存在し、一定以上必然性のある場合は何ら問題ないと思います。しかし、そのような必然性の考慮すらないように思われるものが多すぎます。また、お題の要請より優先してお題を出した人のことを言及するのもこの亜流でしょう。おべっかの相手として登場させたり、その人のほかのお題にかぶせたり。

 ぱっと思い付くのはこの程度ですが、これらの共通点は、「誰でも発想できること」である点です。その早さを競っているだけのスピード競技が大喜利だとは思いません。

 しかし、その「誰でも発想できること」から出発し、視点を変え、発想を練り、表現を整える、という操作があれば、十分な大喜利だと思います。まず、笑えるからです。また、芸人さんもそうしている方もいらっしゃいますし、そこには個性というものがあり、他人と被ることは圧倒的に少ないでしょう。たしかに「上手い」回答は被りも多いでしょうが、そこには思考があります。

 何が言いたいか。私は、有力な回答パターンをいくつか紹介することで、そのパターンに属する発想が、あるいはその表現が、より洗練されるようになることを期待していました。しかし、それ以前の問題で、発想・思考をまともにしていないのだから洗練なんてされるわけがありません。調理法をいくら知っていても材料がなければ新メニューは完成しません。

 「一億総大喜利」の時代に、発想は一億通りあってよい。しかし、素人に限定すれば実際は5000あれば上等でしょう。本稿が、読者諸君が5001個目の発想を産み出すきっかけになれば、これに勝る幸せはありません。

省三

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