高校4年生のための読書案内(路頭編)

こんにちは。2019年度卒の元大学生です。コロナのせいで外出しにくい今日この頃、家のなかで本でも読むのが一番です。今回は、主に大学新入生に向けて、専門的具体的な文献よりむしろ、読書に関する考え方や習慣一般を書いていきたいと思います。一部書籍を紹介しますが、「本を読もう!」と思っていただけることが目的なので、「この本を読もう!」でなくても大丈夫です。

教養について

教養って一体何なんだろうか。「みんなしてアリガタイものだと言っているけど、じゃあそれって何なのと言うとよくわからない」という感じでしょうか。実際、色々定義ができるだろうし、実際人によって多分そこに込める意味は違うでしょう。辞書をひいても知識+心の豊かさだとか、知識+行動、知識+能力の調和だとか色々書いてあって何が何だかわからなくなりますね。

しかし、ここに共通しているのは、知識+αという形をとるところです。その+αについて、かつより詳しく書いてある本として、

戸田山和久『教養の書』(筑摩書房、2020)

があります。一度読んでみましょう。これは、大学新入生を主に読者として想定していて、教養の「アリガタさ」(あることの難しさとその効能)を教えてくれる本です。(しかも、この人の文体は感染力がある、というか癖になりやすいから、若干本稿も影響を受けていることは否めない。内容も重複があるけどそれはパクったわけではない。オマージュや。)

しかし、これでは単なる読書案内になってしまいます。だから、この本とは別に、私自身の考えを述べますと、教養とは、これまで「おもしろくない」としてきたものを「おもしろい」ものとして扱うための能力です。これがファニーのおもしろみならお笑いになるし、インタレスティングのほうなら学問になるでしょう。

この見方によれば、教養があればあるほど生きていくのがおもしろくなるはずです。戸田山センセーも似たようなこと言ってたし、多分そうだと思う。

たとえば、オヤジギャグで、「電話には出んわ」というのがありますよね。日本人なら一応これがオヤジギャグという冗談であることはわかるでしょう。これを英語で"I won't answer any call."なんて書いて日本語を知らないアメリカ人に見せても「無責任(irresponsible)な奴だ」と思われる(responseしないんだから)だけで絶対に冗談だとは思わないだろう。反対に聖書に絡めた冗談をアメリカ人が言っていても聖書を知らない日本人にはそれがわからない(具体例を挙げたらスベるので挙げません。だってわからないでしょう?俺が聖書を知らんから書けないとかじゃないし。信頼の薄い者よ、なぜ疑うのか)。

このように、「あること・ものを知っていればおもしろみがわかる(裏も真)」ということがあり、知っているから「エライ」わけではないけれど、知っているほうがよりおもしろく生きることが期待できるものが教養だといえるだろう。これから学問をやっていくと、その専門分野でも「このニュースはこういう背景があってだなぁ……」「オプジーボってのは標識をだなぁ……」などとおもしろさがわかる日がくる。

するとショウオフしたくなるだろうけど、TPOを弁えないとオタクだとかスベってるだとか学問ごっこだのと揶揄されるから気をつけてね。ボディービルやってる人が筋肉見せびらかすのと同じだけど、楽しくなるような認識が必ずしも相手と共有できるわけではないから、教養を他人に強要しないように(だってその場で説明されても「知らないとおもしろくない」んだから)。

古典について

Twitterでは主に大学新入生に向けて「#新入生に勧めたい本10冊」とかなんとかが流行っていますね。なんとまあ上から目線なんでしょう。

でもしょうがない。「18歳がどれほど賢いか知らんが、俺のほうが賢いぜ!」っていう自負のある人がわざわざ善意で「お勧め」してくれているし、実際、大学で学ぶ以上は、新入生は自分のバカさを自覚しないといけません。人によって種類や程度は違うけれども、自分が何かを知らないと自覚しない限り何を学ぶべきかもわからないのです。学ぶには未熟であることの自覚が必要となる。これを誰かは「無知の知」なんて言ったらしい。カッコイイですね。

そこに挙げられるのは誰でもタイトルくらいは知ってる古典(紹介してる人も内容を理解してるかはアヤシイ)ばかり。そんなこと言われても「あー、なんか聞いたことあるわー、そのうち読もうと思ってたんだよねー」と思うだけでしょう(そして読まない)。

古典ときくと、古文漢文を思い出すかもしれませんが、それだけが古典ではありません。

何かを語ろうとするとき、折に触れて参照されるべき内容をもつものが古典だと私は考えています。この「参照」の頻度の高さゆえに、古典を知っておくとおもしろく感じるものやことが多い。だから、教養のメインストリームは古典といえるでしょう。和歌でいうところの「本歌取り」は本歌を知っていることを前提にしているのですが、この本歌となるものこそが古典なんですね。

また、実際的な話をすると、学問をするときに、あなたが思いつくことはきっともっと前に誰かが思いついているし、さらに深く考えていることがほとんどだから、そこから先に進むためには、これを土台にしないとまた一から考えることになります。これは大変なことです。遠くを見渡すときには高いところに行きますよね。その階段(長いけど)、さらに展望台まで古典は用意してくれている。エレベーター(王道)は残念ながらないので、必死で上るしかない。あるいは巨人の肩に乗る、といってもよいでしょう。巨人を駆逐するにしても肩まで上ってからです(うなじに至るための立体機動装置を我々は持っていませんし)。肩に乗ってる人の肩に乗ると転落するかもしれないので自分で巨人に上ろう。

新書について

新書というのは、主な読者を非専門家、いわゆる一般の人々に向けた本ですが、専門家の手によるものは平易かつ専門の入門的な知識に触れるにはもってこいです。本論を理解するための基礎的な知識について、必要最小限の説明がなされるため、体系的ではないのが普通ですが、特定のトピックを理解する際には有効です。だから、タイトルや目次を見て、できるだけ論点の絞られた本なら読んでみる価値はあります。

ただし、新書にはいわゆる旬な人(非専門家)の本もあります。何が書いてあるか、よりも誰が書いているかを重視する人を読者に想定し、内容も杜撰(そりゃあ専門家ではないから洗練されていることは珍しいですよね。歴史本とか笑わせてくれますよ)なことがほとんどです。端的に言ってカスなので買う必要はありません(少し前にTwitterで見たライフハック?で、「著者の顔写真付きの本は買わない」というのがありましたが、この文脈で同意します)。マトモな本ばかり出していても儲からないから出版社が金儲けのためだけに出してる、文字の書かれたゴミです。それならマトモな本を買って応援しましょう。これはWin-Winです。まあ、読んでみて「時間(買ったならお金も)無駄にしたぁ~!!!」という経験は、その後の本選びに活きることがあるので、一概に「買うな!」とはいいませんし、その儲けでマトモな本が出版されるから、完全に無駄にはなりません。

なお、「マトモ」って何だ?というのは、確定するのが難しいですし、結局は読んでみないとわからないものなのですが、「概念や論理をそれなりに適切に運用し、その過程を追体験できる」ことをマトモの必要条件として挙げておきます(つまり、数ある解釈や論理の筋道を固定化し、唯一解とするような「決めつけ」を前提としない(結論はそりゃあ本のなかにはあるかもしれませんが、論理の運用においてはフェアでなければなりません)ことでしょうか。もちろん、唯一解があるものについては───そんなものがあれば───例外ですが)。

文庫について

学術文庫は、高価で手に入らなかった専門書が文庫化されていることがあり、これはお財布に優しいし、さらに古典(に近い)と判断されたものが文庫になりますから、是非読んでみることをおすすめします。ただし、専門外のことについて書くのが本稿の目的ですから、以下割愛します。

小説について

小説にも古典的名著は存在します。わざわざ小説として括るなら、その特長は、学術書よりも生活に広く「重なる」部分が多様に期待できることでしょう。

物語として楽しみつつ、小学生の頃読んでいては気がつかなかったであろう「裏テーマ」のようなものを探してみましょう。こちらの世界(もしかすると我々からは「あちら」かもしれませんが)の住民である作者が豊かな想像力をもって描いた「もうひとつの世界」には、我々読者の世界と関連する部分が必ずあります(作者とは独立しているからこそ我々は連関を見いだせるのでしょうが。気になった人はテクスト論なんかでググってみるとよいでしょう。気になったらバルトとか読んでみよう。古典やけど)。

小説の登場人物に付託されたのは何か、この共通点は一体何を意味している(どんな意味付与が整合的である)のかなどを探りながら物語を追うことで、愉しく、そして情感をもって作者の知性に触れることができるはずです。映画でもよいのですが、小説は「行きつ戻りつ」物語を追えるので、より深く考察しやすいでしょう。ここらへんも戸田山センセーの本にありましたが、

内田樹センセーのブログ

(今読むと結構私は内田樹センセーの影響受けてますね)を見てみるとその具体的な分析の例にアクセスできます。他作品との比較は最初はできないと思いますが、単独作品として完結して考察することはできると思います。自由VS秩序だとか、自然VS人為だとか、最初は陳腐な対立構造でも構いませんから、現代文で手にいれた諸概念を整合的に登場人物に適用してみましょう。マンガでもよい。たのしいよ。こうして発見した新たな知見を教訓(lesson)という。日常生活でも、誰も意図なんてしてない出来事の意味を発見(発明)できることもあります。素通りしてきたものに着目し、観察し、解釈する、その訓練に小説はもってこいなのです。

ただし、「意味」というのはヤッカイで、意味に捕らわれすぎて何もできなくなったり、あるいは、無意味(本来は意味なんてものは存在せず、付与しているにすぎないという事実)の前に呆然としてしまい、生きるのが本来無意味だと気がついてしまうことがあります。

(無意味は反価値ではないけれど。なお、反価値とは、ある価値に関して否定的にはたらくことをいう。たとえば刑法では、行為無価値と結果無価値という概念がある。この「無価値」は「反価値」と訳すべきところを間違えたと考えられるから「反価値」と読み替えてほしい。刑法という約束の違反行為だからダメだとするのが行為無価値、刑法が守ろうとする権利や自由を奪うという結果を実際に引き起こしたからダメだとするのが結果無価値ってところだろうか。興味があれば刑法の基本書をどうぞ。おすすめは高橋則夫『刑法総論』[第4版](成文堂、2018)です。まあ、目的も価値も評価という解釈のひとつだから意味は避けられないわけですが。)

そんな意味に溺れて死にかけているあなたへのおすすめは

これまた戸田山センセーで

戸田山和久『哲学入門』(筑摩書房、2014)

千葉雅也『意味がない無意味』(河出書房新社、2018)

です。頭からっぽのほうが夢詰め込めるというお話。シニカルな笑いで人生を肯定しよう。なお、前述の教養を見せびらかすとキモいみたいな話は、これまた千葉センセーですが

同上『勉強の哲学 来るべきバカのために』(文藝春秋、2017)

という本で「そもそも勉強とはキモくなることだ!」的なことを言ってるから、どんどんキモくなってもよいのかもしれない。来るべきバカというのは、キモくなったあとで、自分の状況等を相対化したうえで元の生活をノリよく生きるという感じです。「キモい」は通過点だ!気にすんな!という本です。知らんけど。

本屋は本の街コン会場

大学生になるみなさんは、きっと教科書等のために大学生協の本屋さんに行くことになるでしょうが、大きめな本屋さんでもかまいません。暇なとき(突然休講になって暇になったとか、次の講義まで時間があるとか。講義が終わってこれからゆっくりバイト先に行くとか)には本屋に行きましょう。図書館もよいですが、本屋には最新の本があります。新書だけでなく、専門性の高い新刊等も並ぶので、どんな本があるのかうろつくだけでも興味の幅が広がります。できるだけ幅広く本屋をうろちょろしましょう。お金に余裕があれば何冊か「おもしろそう!」と思うものを買っちゃいましょう。ラブストーリーは突然に、です。タイトルと目次、著者の情報に目を通して買えば大外れはないはずです。ただし、外れたら次に活かしましょう。

読書術

読書術に関する本はたくさんありますが、自分自身の読み方は自分自身でデザインするほうが実行可能性が高いです。

三色ペンでどうたらこうたら、7回読めばどうたらこうたら、速読がどうたらこうたら、乱読のセレンディピティがどうたらこうたら、対話がどうたらこうたら、読書百遍意自ずから通ず……これらの読書術は大変参考になりますが、アレンジするなり組み合わせるなり、読書の目的に応じて変えるなりする必要がありますから、どのように読むかはおまかせします。

ただし、文章の構造に着目して本を読むことは文章を書く際にも有効です。レポートや論文など、書くことが増える大学生のために次の三冊を紹介しておきます(もちろんレポートの書き方などは別の、それを目的とする本を読むか人に聞くかしましょう)。

石黒圭『文章は接続詞で決まる』(光文社、2008)

野矢茂樹『大人のための国語ゼミ』(山川出版、2017)

Anthony Weston(2018). A Rule Book for Arguments (5th edition). Hackett Publishing Company, Inc.(アンソニーウェストン 古草秀子(訳) (2019) 論証のルールブック ちくま学芸文庫)

その他論理学分野の本はおすすめですが、品質に問題がある場合があるのでご注意ください。「読み方」に関しては以上の文献で十分だと思います。これらの考え方を身に付けたうえで、様々な文章で「この文とこの文の関係は……」「この段落の役割は……」など意識して読んでみましょう。

なお、小説については、

石原千秋ほか『読むための理論─文学・思想・批評』(世織書房、1991)

が挙げられます。文学については疎いので、他に良書があるのかもしれませんが、私はこちらにお世話になりました。

おわりに

以上、専門分野以外でおすすめの本(と読み方)を紹介してきました。別にここで紹介した本を読まなくてもかまいません。しかし、自分の興味のある分野を探し、見つけ、それらの本は積極的に読みましょう!その背中を押せたならこれに勝る幸せはありません。個人的におもしろい本というのはたくさんありすぎて紹介できなかったので、分野別でご要望等あれば、門外漢なりに知っている限りで、お答えさせていただきます。

諸君のところに咲いたサクラが夜来風雨に遭わないことを祈って

省三

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