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歴史雑誌をもういちど

彰テレミュージアム創刊号『彰往テレスコープ』をお届けした。惟宗氏は、高校生という若さにして何のために同人誌を作るのかについて特に説明をしていない。。惟宗氏は現在何を見つめ、何を試みようとしているのだろうか。

インタビュー・生素仁 文・彰往テレスコープ編集部
『彰往テレスコープ』vol.1 より。6月27日発売予定。頒布はこちらより

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1,コンセプトは博物館。

――まずは惟宗さんに、今回創刊する雑誌の概要、方針、理念など大まかなことを伺いたいです。
「平成三十年具注暦を、一昨年かな?2つ続けてやったんですが、そのあとどうしようと思ったんですよ。具注暦っていうのはぶっちゃけて言うと売れすぎちゃった。予想を超えで評判になりすぎてしまって。そんなに売れるとは僕は思ってなかったんで、「これ続けてやるの?それとも別のやつやるの?」と。売れすぎたことに引っ張られて、「売れる企画」を考えようっていうありがちな迷走路線に入ったんです。この迷走中に色々考えてはみたものの、売れそうなやつに僕が興味が無さそうだったんですよ。」

――惟宗さんの性格からしてもそうだろうと思います(笑)。
「そこから売れそうな企画を考えるのやめようと思って。じゃあどうするかって言うと、売れなさそうで人気のなさそうなテーマをいかに売れるようにするか。と考え方を変えたんです。」

――しかし具注暦に関しても、売れないはずのものが売れてしまったという意味では、結果としては今おっしゃったコンセプトに近いですよね? 
「そう!そこなんですよ。無自覚にやってたから気づかなかった(笑)。悩んでる間に具注暦みたいに同じテーマを何年も続けて出すというのは、たぶん無理だろうということが解ったので、やりたい放題できるフォーマットを作ることにしたんです。毎回毎回僕がテーマを変えても成立しうるフォーマットを作ろうと思ったんです。そして、リテラシーを共有していない人が見ても「まぁ何かよくわからんが、なんとなく面白そうだ」と思えるようなものを作りたいなと。」

――大まかには「歴史」雑誌を作るつもりとのことですが、惟宗さんとしては昨今の「歴史」をめぐる言説やコミュニティの状況について、どのような問題意識を持っているんでしょうか?
「ちょっと難しい話になってきたな(笑)。僕は一応高校生なので周囲の同世代や周りの大人たちがどの程度のリテラシーを持ってるかっていうのを割にフラットに見れるんですよね。そんな中で思ったのは新書ですらチョット難しくて読まれてないんだなぁということです。隆盛してる時代は見たことがないんですが、「教養としての歴史」的なものが衰退している感じはします。かと言って今の歴史オタクが良いとも思えないですよねぇ。」

――歴史オタクに関しては、研究者の周りにできたコミュニティがオタク的に閉じこもって外側を排撃していて、結果、歴史の物語化や通俗化のようなものを回避しすぎてしまっているのではないかと思います。では惟宗さんはそれを踏まえたうえでどういう試みをしようと?
「僕の周りに歴史オタクはいっぱい居て、彼らはいつも嘆いてるんですよ。テレビや俗流歴史書はおかしいと。あんな俗説ばっかり取り上げて、と。社会はバカだし周りの人間は基礎知識も知りやしないと。でもそう嘆いてばかりいてもしょうがないじゃないですか。でもやっぱりテレビのほうが楽しそうなんだからそれはしょうがないんですよね。彰テレミュージアムは面白い手法の実験場として作ろうと思いました。では、ユルくいろんな歴史上の物事を知らせるにはどういう媒体がいいかと考えて、僕がコンセプトとして考えたのが博物館なんです。」

――博物館?
「博物館の見学は情報の収集じゃなくて体験なんですよ。だから「こういうのを見た」という体験であって、ほとんどの人は解説に何が書いてあったかなんてそんなに気にしないじゃないですか。でもそういうところから「これ知ってる」というような知識が地盤的ににできてくるんじゃと思います。それを紙媒体としてどうやって再現しようかなっていうことを考えて作ったのがこれなんです。」

――寄稿者にも同じ意識を求めるのでしょうか?
「今回はどういうコンセプトの雑誌なのか、ということがまだ例示できなかったので雑誌全体には至っていません。が、ゆくゆくは雑誌全体でしたいと思っています。例えばぼくは美大の卒業展示が好きでよく見に行ってるんですが、歴史とか人文とかをテーマにされている方が結構いらっしゃって。ゆくゆく美大の人に頼んでみたいなって思っています。もちろん生のテキストデータで原稿を貰った場合でも、可能な限りの演出は僕がやる予定です。」

――演出的な視点もあるということですね。
「調べ物が好きな人は、結局テキストファイルって書くじゃないですか。テキストファイルからそれ以上のものを作ることは面倒くさいから皆やらないし、やりたがる人いないんですよ。でも、それって結局テキストファイルを読めない人たちへの働きかけを諦めてしまっている、というのがあると思っていて。だから、こういう風にしたら面白く見せれるんじゃないですかっていう提起ができればいいかなと。勝手に...なんだけど(笑)」

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2,身近なものを意識的に見ること、見せること

――今惟宗さんがおっしゃったことは、日本の雑誌文化自体の歴史も踏まえているように思えます。
最近は雑誌も相当衰退しているはずです。今現在、残ってるのはとにかくムツカシイ雑誌ばかりになってしまっている気がします。ここからもうワンランク下げたポップなものが欲しいんですよね。例えば美容院に髪切りに行ったら出てくるような感じの雑誌...あ、これ年齢によって解釈が変わってくるかな...。まぁいいや。歴史雑誌に限定しても2000年代まではイロイロな雑誌が出ていたわけですが、2010年代以前以降に軒並み廃刊とかになってるわけですよ。歴史読本とかもなくなっちゃったし。俺の読むもの無くなっちゃったじゃん!みたいな。」

――無いなら作ろう、と?
「そう。今日もね、一例として持ってきたんだけど。面白い雑誌がかつてあって。ポーラ文化研究所っていう化粧品会社の研究所がやっていた『IS』ってのをやっていて。これが2002年の80巻を最後に廃刊になったんですけど。これがかなり面白くて、この号は日本史がメインになってしまってるんですが、これいろんな号があって、いろんなテーマを扱ってるんですよ。」

――90年代にこんな雑誌があったんですか、この号だけでも今谷明に若島正、小林康夫まで! 本当にいろんな人が書いているんですね。
「テーマは何でもありで、それをいろんな分野の人が書いているみたいな。かなり見た目もオシャレでかっこいいんですよ。」

――特集に頼らず、雑誌として読者と長期的な関係を築いていくモデルケースとしても『IS』を参考にされているんでしょうか?
「そうです。手広いテーマを扱った雑誌を追うことへのハードルは大きいけれど、『IS』の場合、特集の内容に興味がなくても読みたいと思わせてくれて。逆に色んなテーマが扱われているからこそ面白味が出てきている。それは何故かっていうと、エディターのセンスみたいなものがガッツリ入ってるからだと思います。このエディターのセンスが面白いなと思えるからこそ色んなものを読める。読みたいと思えるんです。」

――なるほど……。しかし90年代には現在と違ってこういった幅広い分野に興味を持つミーハーさこそがカッコいい、と考える読者がまだ一定数いたように思えます。エディターのセンス、というお話も分かるのですが、もっと具体的に、何をもってキャッチーさとするのでしょうか?
「あー、難しいな。つまり読者層をどこに見据えるかっていうことですね。これは僕が同人誌として出すという所以でもあるし、同人誌だからこうなる事にもなるんだけども、コミティアとかコミケの評論ブースって結構知的なものを支えてるんじゃないかなって思ってて。あれって広いモールがあって色んなことをやってる中で、そこの中で売るんですよ。そこにはある程度、今言ってもらったようなミーハーな読者層が残ってると思うんですよね。」

――なるほど、それは惟宗さんから私がよく聞く「ゆるい集団をつくりたい」という話とも関連するように思えます。それでは書き手と読み手を含めた惟宗さんの目指す集団のあり方とは、どのようなものなのでしょうか?
「それは難しいですね。ただ、書き手集団の理想像としてあるのは「MAVO」なんです。MAVOって大正時代のダダイズム集団なんですけど、絵はほとんど描かずに立体作品とか写真とかグラフィックデザインとか文学をやった人たちで。絵画が中心だった当時の美術界の中で変なことばっかりやってたんです。」

――ビジュアル重視というのは、もちろん惟宗さんの個人的な好みもあるのでしょうが、それは同時にテクストの外部に出るということでもありますから、より公共的な問題にも繋がりそうですね。
「僕や僕の仲間たちが書く、マイナーなテーマを継続的にどう読ませるかなぁって事を考えて作っていて、この問題をある程度フラットにするために導入したのがビジュアル重視の姿勢ってとこはあるんですよ。彰テレの編集スタイルのイメージをある程度つくってしまったら「このテーマには興味がないけど彰テレの企画展なら買ってみるか」とか「彰テレがこんな原稿載せてるのか!」というふうに思ってくれる人が出てくるのかなって期待しています。」

――なるほど
「これは別に僕の独創ではなくて、さっき言ったような日本の雑誌文化が最初からずっとやってきたことですよね。」

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――今回は事前に惟宗さんの担当箇所を読ませていただいたのですが、神社建築という近現代史のなかでもかなりマイナーなところを扱っていますよね。いわゆる「歴史クラスタ」の外に興味を持ってもらうのはなかなか大変な気がしますが…。
「100%内容の価値を解ってもらおうとは思っていません。だって基本的にリテラシーの高い人って今も昔も大多数ではない。昔は良かったなんてことは絶対にありえない。なのでテキストを読ませようとはあんまり思っていないんです。テキストは基本読まれないものだとして考えよう、というのは今回の雑誌での考え方ですね。彰テレミュージアムはカタログ的なものだと思っています。今ってインターネットが発達して情報が氾濫しているから、検索するキーワードを持ち合わせていないと自分の関心があるかもしれない情報に辿り着くことは出来ないわけです。だから、彰テレミュージアムはキーワードみたいなものを提供するカタログみたいなものだといいなと。ちなみに今回はこれだけの分量がありますけども、僕の伝えたいこととしては「近代神社建築」っていうキーワードだけですからね。」

――ちなみに今回の読者数としてはどのくらいの数を目指されているんでしょう?
「部数的に言うと今号は100部ぐらいを目指しています。でも100売れて完全に理解できるのは5人だと思っていて。」

――100部売って5人分かったらまずまずいい方にも思えます。
「良いと思います。そうそう、だからこの話もしようと思ったんですけど、前に具注暦を作ったときに、売れないだろうなと思ってたんですよ。何故かというと、ここに書いてあるテキストを読める人なんていないだろうと。読もうという人もいないだろうと。でも案外売れて(笑)。ここで考えるわけですよ。何で売れるんだろうと(笑)」

――「分からないけど買った」ということですね。
「そう、それなんですよ。この前に聞いた話なんですけど、あれなんか平安装束マニアたちの中で小道具として使う人がいるらしいんですよね。」

――なるほど?
「これは良い意味で裏切られたなと思いました。僕はこれ読ませようとして作ったけど、読まなくても使えることってあるんだなって。本をモノとして扱うのは良くないってことを言う人はいるけれども、僕は悪くないと思っています。」

――本も結局は物質ですからね。
「うん。だから置いとくだけで、例えば本棚に入って背表紙が見えてるだけの状態でも「こういうテーマがある」ってことは分かるじゃないですか。それだけでいいんですよ。」

――ところで惟宗さんはツイッターで自分の趣味や好きなことについて語るとき、「エモさ」を強調されてますよね。今回も「エモさ」を感じさせる物語として書かれている、と感じました。惟宗さんはいわゆる「歴史と物語」の関係についてはどうお考えですか?
「身近なものを意識的に見ること、見せることですね。企画展のイントロは明治神宮の設計の話から始まっています。明治神宮には東京都民がみんな初詣に押しかけるのに、誰が設計したかなんて誰も気にしやしない。そうした身近なものを意識的にみることから、歴史の層を考えていく。こういうスタイルで僕は調べ物をしていますし、作る時もこれを意識的に構成しています。こういうスタイルは物語性を帯びたものとして言えるのかなと。今回の企画展のイントロだって扉のネジから話が始まりますからね。そして、企画展の最後の「解説」には年表を併記しています。これは個人の年表と同時代の社会的な出来事を並べたものです。ここで「僕は個人のことを書くけれども、個人は社会的な背景と無関係ではいられない」ということを強調しています。これは歴史上の物語であると同時に現代に続く問題すらも内包したものなんだ、ということを伝えたいんですよね。」

――「エモさ」で引っ掛ける身近で「小さな物語」を提示して、それを同時により大きな社会性に繋げる、要約しすぎかもしれませんが、それが惟宗さんの考える彰テレミュージアムの理念なのですね。

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彰テレミュージアム創刊号『彰往テレスコープ』は6月27日発売予定。頒布はこちらより

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