足りない僕らが歩む道


第一章 諦め
「はぁっ……はぁっ……」
 呼吸が強くなり、舌が乾く。額へ垂れる汗を何度も拭い、足を動かすが差は縮まるどころか広がるばかり。「ちょっと待ってくれ」そう言って待ってくれるような人じゃない。それはこの短い付き合いでもなんとなく分かった。
 道を遮る草をかき分け踏んで、その後を追う。それでなぜ差が生まれるのか。
 歩きやすいコンクリートが恋しくなる。過保護すぎる現代で育られ、無事すくすくと貧弱に育った。かえって舗装された道が憎い。
あちこち出っ張って凹んで、出来の悪い道は体力を奪う。足を上げようとすると、腿の筋が引きつってちぎれそうになった。
 たまらず、すり足になって、今度は足を取られた。
「っとととブエッッ」
 赤くなった鼻をこすりながら見上げると影が落ちてきた。先ほどまで、一向にペースを落とす気配がなかったのに、いつの間にかクシュージャさんが目の前にいる。
 前へと進むことに意識をとられ、足を止めていることに気がつかなかった。
「大丈夫? ぼんたくん」
 同じ年頃の少女に心配されるのは、なんとも情けない気分になる。
「ぅん。問題ない」
 少し前から、興奮した犬並に息が荒くなっていることも、汗をかきすぎて逆に寒くなり始めたことも、もちろん、全身がもはや棒で感覚がないのことも問題ではない。
微笑みと返答を受け、リダすこし不安そうにしながらも納得した。
 今はそれよりも気になることがあったのだろう。
「クシュージャさん……?」
 体当たりを受けてもピクリともせず、それどころか返事もない。電池が切れたみたいに、予兆もなく動きを止める。電源の入らないおもちゃみたいだ。確かに気になる。
 「…………。そっちかッ」
 ピクリと顔が動いた。突然電源が入り、見開いた目は、どこか遠くを睨み付ける。
 真似をして辺りをを見渡すが、相変わらず、背の高い草ばかりが目に入った。いい加減うんざりだ。
「一体どうしたんですか」そう口にする前に、クシュージャさんが走り出した。
 腰につけたポーチから赤く光る石を取り出し、前に投げる。空になった右手には、いつの間にかナイフが収まっていた。同様にして投げる。風を切りながら進むナイフは、石を砕き、赤い粉を散らした。光が乱反射して、パチパチと破裂音が鳴った。
ごおっと熱い向かい風が生まれて、夕焼けみたいな赤に包まれる。
  クシュージャさんは、姿勢を低くして加速する。邪魔な草は燃えた。その後にリダ続いた。二人がみるみるうちに小さくなった。
「あっ! ちょっちょっと待って下さいよっっ」
 なんとか追いつこうと必死に足を振り上げるが、それでもいつもの半分も上がっていない。息が詰まる。今までどうやって息をしていたのだろうか。
 汗が頬を伝い、喉をなぞった。ひんやりと冷たい。細かく何度も吸って吐くべきか。大きく丁寧に呼吸を整えるべきなのか。疲れた頭にモヤがかかって考えがまとまらない。
 やばい。このままじゃ見失う。
「ブエッッ」
 本日二度目だ。どうやったらこんな牛蛙のような声が出るのか。お尻が痛い。
「大丈夫? ぼんたくん」
 デジャビュだ。このやり取りには覚えがある。
 同じように答えると「立って。」と言われた。
 状況を急いで確認する。腰の剣に手をかけるクシュージャさん。その正面には、森に不釣り合いなコートに、フードをかぶる男。多分若い。なんとなくだけどそんな気がする。
 ちょうど陰になって顔が見えない。ただ、いかにもだ。男の後ろには木を背にしてへたり込む少女が見えた。怯えている。これだけそろえば十分だろう。お手本のような不審者だ。
 いつの間にか息を止めていた。膠着状態。睨み合いの中で動くことができない。もどかしさだけが募る。
 フードの男からクシュージャさんへと視線を移した。どうにかしてくれ。情けないがそう考えたからだ。自分の力も分からない間抜けにはなりたくなかった。
 背筋が凍り付くような。不意に悪寒が走った。雪が降った日のような。気づかないうちに、肺から酸素が漏れた。ずいぶんと震えていた。
 それが合図となった。
 クシュージャさんが、腰にかけていた右手を柄から離し、横に大きく振る。嫌な予感が見事に的中した。手を追いかけるように数本のナイフが浮かび上がり、一転めがけて走り出した。
 映ったのは最悪の光景。フードの男が少女の首をつかみ、自分の前に掲げた。
 「っっっッ」
 叫ぼうとした。言葉が見つからなかった。樽に閉じ込められた海賊のおもちゃが、頭の中に浮かびあがってきた。
 カラフルなナイフを同時に差し込まれた海賊はたまらず飛び上がる。チープな胴体はおもちゃらしいコミカルな色。重ねるように、新しい赤の色が塗られて行く。顔だけが夢の中で剥離して、口からは絶え間なく血が流れ落ちていた。たこ焼きのようなまん丸の顔が、少女の顔に変わって、苦しそうにこちらを見た。
 目をつむりそうになった。
 ナイフが遂に少女の胸へと到達した。
 鉄を打つような高い音がした。
 ナイフが弾かれて地面へと落ちて行く。横を見るとリダが片手を突き出し、二人を睨み付けていた。鋭く冷たい色。瞳が青く光っている。
 良かった。思うのもつかの間、もう少し安心の感情に浸らせてほしい。
 そうなるのが分かっていたのか、クシュージャさんは間髪入れず、既に走りだしていた。
不意に、男が首を傾けた。剣が顔の横を通り抜けてフードの端を切った。剣の勢いは止まらず、クシュージャさんに迫った。咄嗟に首を傾げる。頬に一本の赤い線が引かれ、剣が通り過ぎていく。ちょうど、顔の横を柄が通り過ぎようとした時、そのまま剣を掴む。
「クソッ」
馬鹿な。まだ少女は盾にされたままなのに。
クシュージャさんは大ぶりでそのまま剣を振った。まるで少女がどうでもいいみたいに
 男がとっさに少女を投げ捨てた。ああ、よかった。たまには嫌な予感も役に立つ。的中しないでくれるのが一番ではあるのだけれど。
 「っっっと」
 胸にぐっと重力が掛かる。もやしのような足では耐えきれず、背中から地面に倒れ込む。肺から一ミリも残らず空気が飛び出す。グラッと空が揺れた。
 消えかけの意識の中で、胸に乗った重さが鼓動するのが分かった。抱きかかえた腕に温度が伝わった。良かった。間に合った。
 霞んだ視界のまま、辺りを見た。男は咄嗟に身をかがめ、斜めに振られた剣を躱わしていた。息をつく間もなく蹴りが放たれる。唾を吐き、木にもたれる男が見えた。クシュージャさんが剣をもった歩み寄った。男に影が落ちた。とっさに少女の目を覆った。
 その時、風が吹いた。なんてことのない、通り風。木の葉がすれて太陽の日が落ちる程度。
 フードが揺れて、口元に光が差した。ニヤリ。笑っていた。
 地面が発光した。太い線でウネウネと辺りを覆う。地面から灰色の煙ともつかない光が漏れ出ている。
 「リダッッッ」
 「でもっ!」
 「リダッ!」
 怒鳴り、青と黄色の魔石を空に放る。それを追うようにナイフを投げつけ、砕け散ると、破片が舞い落ちながら発光し、幻想的な風景を作り出す。
 たちまち、辺りに霧が立ちこめ、電流が宙を走っていた。
 瞬間、地面から陰が飛び出した。小さな体、背びれ、鋭い刃、土色の肌。ミニチュアのサメが、肉をめがけて飛びかかる。一瞬で夜へと変わる。数千、数万のそれは綺麗に空を覆い隠す。一瞬にして視界が灰色に覆われた。
 咄嗟に、少女に覆い被さる。
 ガキンッ
 金属をたたくような音が脳に響いた。
 ガラス越しに放り投げられた赤色の魔石が、砕けるのが見えた。
 太陽のような赤い光に包まれて、目が眩む。
 大きな破裂音、その後で、耳がトンネルに入った時みたいになって、音が聞こえなくなる。
 どれだけたっただろう。やがて、氷の結界が端から、光の粒子になって空へ立ち上っていく。
 地面には大量の肉片。時間がたつにつれ灰色の炭となって風に流されどこかにとけていく。
 見るに堪えない真っ赤の地面は五分とせずに元通りになった。まるで何もなかったみたいに。それが少し怖いと思った。
「生きてるっ……?」
 実感が沸かない。正に生きた心地がしなかった。
 「苦しっっ、だしてぇーっ」
 慌てて離れると、ようやく解放されて、少女は大きく息を吸った。
 「ははは。生きてるのか。生きてる……ははははは」
 乾いた笑い。腰が抜けて、気がついたら地面に座り込んでいた。そのままダランと頭をもたげて、上を向いて笑った。右手で顔を覆って、少し涙が出てきた。
「なんだ」
 向き直ることもせずに言う。リダはクシュージャさんの横に立つと、俯むいてボソボソと呟く。
「何ですか! 今の戦い方はっ!」
 今までの、穏やかな声はどこにもなかった。
 夕焼けが金の粒子を絶え間なく照らす空の下、リダの怒鳴り声だけが森を満たしていった。

 暗い夜に、白い煙が浮かんでは宙で霞む。薪が小さく弾け、オレンジの炎が優しく揺れる。
 誰も何もしゃべらない。
 静かな空間では鳥の鳴き声が聞こえては遠くえと消えて行った。
「お兄ちゃん達は何してるの?」
 沈黙を破ったのは少女だった。気を遣わせてしまっただろうか。
 「えっと、そうだね……」なんて答えるべき何だろう。上手く言えなくて、隣で首を傾げる姿に笑ってごまかす。少し不思議そうにしながらも、にへらと蕩けるような笑顔が返ってきた。
 「ララメね! 名前、ララメ・シアールって言うの。ろくさいっ!」
 ララメは、両手でパーとチョキを出して言った。合計すると七だ。日本と数の名前が同じなら六というのはパーと、あと一本。
 「ふふっ。ララメちゃんって言うんだ。かわいい名前だね。お姉ちゃんははリダ・ガーディア。よろしくね。」
 空気が途端に柔らかくなった。戦いが終わって、ずっとピリピリしていたから。緊張の糸が解けて、ようやく本当に戦闘が終わった、そんな気がした。
 「えっと、僕はボンタ・シモダイラ。平凡の凡に太いって書いて凡太なんだけど、っていっても分からないか。よろしくね」
 続いて自己紹介をすると、ララメがうずくまって震えだした。あまりに突然のことで思考が一瞬止まる。
 なぜ築かなかったのだろうか。あんなに危ない目に遭ったんだ。まだ怖いに決まっている。こんな小さな子に無理をさせて、気を遣わせて。情けない。
 「大丈夫。怖くないよ。大丈夫だからね。」出来ることは背中を撫でる程度だった。それでも安心は出来なかった。震える声で「ボンタ、ボンタ」と漏らす。答えるように大丈夫だよ、と声をかけた。
「っぷ、あははははっ。ぼんただってー!変な名前ー。」
 たまらず目が丸くなる。何が起こったのか分からなかった。突然笑い初めて、まるで今までこらえていたかのように。
 「あ。」
 なるほど。震えるわけだ。よく見ると陰でリダも震えていた。責めるように呼ぶと「やめて、耐えられない」と目を背ける。
 「まったく。ボンタはおこったぞー、うりうりー」
 いつまでもプププと、笑い声を漏らすララメをくすぐると、「やめてぼんたー!」と楽しそうに笑った。なんだかうれしくて、もう一度くすぐると「ぼんたー!」と言って笑った。ララメの楽しそうな声と、リダの堪えきれず漏れる声。混ざってもう一つ声がした。自分の笑い声だった。急に、肩が軽くなったような気がした。
「おじちゃんはー?」
 ひとしきり笑い終わった後、最後の一人に順番が回る。
「ルーフ・クシュージャ」
 一言だけだった。「それでそれで」身を乗り出してもおかわりはない。
「おじさんは恥ずかしがり屋なのですー。ほれほれー!」
 リダが、目を爛々と輝かせて待つ、ララメの頭をなで回す。
「おじさんかわいいー!」
 なんと言うか。子供は無敵だ。
 クシュージャさんは気にもせず、夕飯の準備を始めた。

「ごちそうさまでした」
「ごちそーさまでした!」
 夕飯はいつも通り鳥の丸焼きだった。毛を毟っただけの文字通りのやつだ。それでも案外おいしくて、食べればやっぱり元気が出る。
 ララメは響きが気に入ったのか「ごちそーさま」と笑いながら繰り返している。微笑ましい。
 「ねえララメ。何で襲われたのか分かる? お父さんとお母さんは?」
 「うん! えっとねー……あれ?」
 元気のいい返事。それに反して言葉が濁っていく。人差し指を当てて頓智を聞かせるみたいにして、考え込む。
 出るのは唸り声。リダが「忘れちゃったの。」と助け船を出すが違うと言い張る。
 違和感。忘れたのではない。知ってるはずなのに出てこないのとは違う。知っているはずなのに間違いなく知らない。 
「クシュージャさん、魔法って一人一種類じゃ……?」
「端から一人だと決まっていない。」
「じゃあ、あるんですか……?」
 答えは帰ってこなかった。代わりにリダが首を縦に振った。ララメは首をあっちこっちに振って、話を追いかけたが理解できなかったのか首を傾げた。
 六歳、そう言っていた。まだたったの六歳だ。小学一年生なのに。そんな子から記憶を奪うだなんて。
 それからいろいろ聞いた。友達のこと、故郷のこと、両親のこと。どれも知らないと言った。胸が張り裂ける思いだった。
 なんともない顔をして「わかんない」っていうララメに、ごまかすように笑顔を向けるしかなかった。
 一通り聞いて分かったのは、自分の名前と年齢、そのぐらいしか覚えていないこと。
「あのね……ララメねっ…………」
 眠くなったのか。船を漕いでいた。なんとか分かることを話そうとして、そのまま前に倒れる。
 頭から地面にぶつかる前になんとか受け止めるとテントの中で眠らせた。あんなことがあったんだ。疲れているに決まっている。
 どんなに不安だろうか。知らない男に襲われて。何も分からないまま。
 まだあんなに小さいのに。胸が締め付けられるようだ。僕に何が出来るだろうか。
「寝るぞ」
 クシュージャさんに言われて、顔を上げると炎が消えていた。日本と同じようにまん丸に光る月が眩しくて、煙が夜に消えていく。
 その夜、夢を見た。両親の夢だった。眩しくて、暖かくて。
 きっと帰ろうと思った。
 
「行くぞ」簡単な朝ご飯、テントもみんな片づけると声が掛かった。
 今までと同じように、クシュージャさんがナタで飛び出した枝や背の高い草を切り、先頭を歩く。それに続いてリダ、ララメ、僕。途中でララメが疲れて、歩けなくなっておぶった。次は僕が歩けなくなった。
 それを見たリダがララメを背負って最後尾につく。しんがりはまだ早すぎたみたいだ。情けない。
 すこし歩いているとだんだんと歩きやすくなってきた。慣れてきたのかと思ったけど違った。ようやく道に出た。草がハゲて土が見える。
 凹凸が少なくて、遮る物がほとんどない。それだけでずいぶんとありがたかった。
「どこへ行くんですか」
 僕は聞いた。今まで頑なにまともな道を行こうとしなかったのに、今さらどうしてだと疑問に思ったからだ。返答は短く「村だ」とだけ、振り返ることもなくそのまま歩き続ける。続いて「どうしてですか」と聞いた。
 実際変なことを聞いてると思う。でも今までよる素振りも見せなかったのにと、そう思ったから。返事は帰ってこなかった。ふと、ララメの身を考えてのことかと思った。そうだ。ちゃんとしたところで休んだ方がいいに決まっている。
「置いていくためだ」
 一瞬、頭が空っぽになった。「誰を」と馬鹿なことを聞いた。答えはどれだけ待っても返ってこなかった。当たり前だ。一人しかいなのだから。
 勝手にずっとついてくるものだと思っていた。そんなわけはないのに。ずっと一緒にはいれない。そもそもこんなに小さい子を旅に連れて行こうだなんて無理に決まっている。そこまで考えた、頭に嫌らしい男の笑みが横切った。
「また、襲われるんじゃ……」
聞かなければいいのに、それでも聞かずにはいられなかった。少しの間も置かず「だろうな」とクシュージャさんは言った。
「なんでっっ」
 僕はたまらずに声を荒らげていた。声が木々に反響して、森の奥に消えていった。時間が止まったみたいに音が消えて、クシュージャさんは立ち止まり、僕をじっと見据えた。
「そう思うならお前が残ればいい」
 睨み付ける僕にそれだけ言うと、彼はまたすぐに歩き出した。僕はすぐに歩き出すことが出来なかった。ただ地面を睨み付けて、すぐに目尻が垂れた。涙が出そうになった。
 追いついてきたリダとララメが心配してくれた。
「ボンタいじめられたの?」
 上手く答えられなくて、黙ってるとララメは「いいこ、いいこ」といって頭を優しく撫でてくれた。ひどく情けなかった。
「ううん、ちょっと疲れちゃっただけ。ボンタはだいじょーぶ!」
 そう言って僕は少し小走りでクシュージャさんを追った。僕が後ろに付くと「人が人を守るのは簡単じゃない」そう言った。その言葉にどんな意味が込められているのだろうか。僕には到底わかり得ない。
 歩きながらいろいろ考えた。自分がどうしたいのか分からなかった。一緒に村に残るか?僕が残ってもララメを守ることなんて出来っこない。そもそも日本に帰るって言う目的はどうするんだ。じゃあ一緒に連れて行く?自分じゃ守れやしないくせに?連れてきてもらってる僕がそんなわがままを言うのか。
 ただ、強くなりたいと思った。力があればきっとみんな守れるから。
「大丈夫?」
 考え事をしてたせいか、気づかないうちにリダ達に追いつかれていた。
「ねぇリダ。魔法って一人一個なんだよね?」
 不思議そうにしてリダは「うん」と首を振った。
「僕にも……使えるかな?」
 リダは僕の顔を見た。そうしてうれしそうに「きっとね」と笑った。
 強くなる。なってみせる。心の奥でなんどもなんども繰り返した。
 
「魔法って言うのはね、魔力っていう筋肉でいろんな現象を起こすことなんだけど」
「魔力?」
「そっか、魔力もなかったんだ。えっと、なんて言ったらいいんだろ」
「ボンタ魔法使えないの?」
 プププとララメに馬鹿にされた。
「ララメは使えるの?」
「もっちろん!」
「魔法ってのは、子供の時に遊びながら気がついたら身についてるものなの。だから説明するのが難しいって言うか」
「簡単だよっ! むむむっってやるとパーって魔法が使えるの」
 なるほど、これは難しい。話を聞いてなんとなく分かった。感覚的に使ってるんだ。僕だって、歩き方を説明しろって言われたら出来ない。 
 リダは首を傾けて目をつぶり、ンーと唸りながら少し考えた。「あ、そうだ」と何か思いついたのか、ポーチから黄色く、透明の鉱石を取り出した。「見てて」と言って、ゴツゴツとしたそれを握りしめると指と指の隙間からオレンジの暖かい光が漏れ出す。魔石というやつだろうか。クシュージャさんが使っているのを何度か目にした。
「やってみて」
 何の説明もなしに渡された。聞くよりも実践というやつか。同じように握りしめて力を込める。少し暖かい。魔石に変化はない。もっと強く握る。やっぱり変化はない。
「違うよボンタっ、もっとふわって感じ!」
 なるほど……ふわって感じか……。つまり、どういう感じだ。とりあえず力を抜いて光れと念じる。光れ、光れ光れ光れ光れっっっ
だめだこりゃあ。豆電球ほども光る気配がない。
「もっとぐぐぐっとしてぱぁっって感じだよ!」
 アドバイスが変わった。これもまた感覚的。ぐぐぐっ……ぱぁっ。だめだ。これじゃあただ握って開いてをしているだけ。ぐぐぐっってのはまだ分かる。力を込めるようなイメージだろう。ぱぁっって何だ。どういうことなんだ。
「ボンタ下手くそー」
うっ、十以上も年下の子に貶されるとは。地味に傷つく。リダもなんか楽しそうだし。
「貸して貸してー」
 おぶられているララメに魔石を渡す。さぁ、見せてもらおうか。異世界人の子供の実力とやらを……
 私、非常に傷つきました。
 そうです。私など虫けら以下の存在なのです。もう構わないででほおっておいて下さい。
「おにいちゃん下手くそねー」
「ねー」
 ぐぅの音もでない。めちゃくちゃに発光していました。くそぅ、そもそも先生が問題なんだ! グググってなんだ! パァッってなんだ! 後出しじゃんけんじゃないんだぞ!
「そもそも異世界人って魔力、あるのかなぁ……」
「んー、あるといいね」
 なるほど。魔法を使えるの少し楽しみにしていたんだけどこれは望み薄かもしれない。
 その日、ずっと魔石を握りしめながら歩いた。明るくて見えないだけで、ほんのわずかに光っているのかもしれない。そんな淡い希望も夜になれば消えた。魔石は真っ暗闇の中でも少しも光ることはなかった。
 本当に帰ることが出来るのか。そう考えると不安が募った。
 魔石からテントを出して立てた。薪を集めると、クシュージャさんは革の手袋をして、赤い魔石を握る。赤い炎が暗闇に浮かび上がって枝に移った。。元の世界では、科学で何事も済ませていた。こちらの世界では、を魔法で何事も済ませてしまう。
 魔法が使えない僕が、元の世界に帰る方法を探すというのがひどく無謀に思えた。
「クシュージャさん、僕に剣を教えてください」
せかせかと夕飯の準備を進める手を止めてこっちを見た。なにも言わなかった。立ち上がると自分の胸の前に右手を構える。キラキラと光の粒子が浮かび、集まって剣の形になる。光の粒子はどんどん増え、密集し、ふっと簡素な剣になった。
鍔から伸びる丸い刃を持って、柄を差し出す。片手で取ると、思っていたよりも重くて、落としそうになる。
今度はグッと両手で握りしめて。うん、やっぱり重い。
 クシュージャさんはポーチからいくつから魔石を取り出すとリダに渡した。
「頼めるか」
「……? ああっ、任せて下さい」
 首を傾げて不思議そうにした後、リダはすぐに納得したように返事を返した。
「行くぞ」
「えっ あっ はい」
 何のことかと疑問を抱く僕を背に、突如どこかに歩き出したクシュージャさんの後を追った。少し歩いて歩いてきた道へと出た。
「打ってこい。殺すつもりでな」
「えっと、素振りとかじゃ?」
 クシュージャさんは何も言わず、暗闇の中でじっとこちらを見ていた。
「じゃあ、行きますっ!」
 勝手が分からないまま、剣を振り上げ、打ち込んだ。クシュージャさんは即座に剣を作り握った。カッと光って、金属と金属がぶつかり合う高い音が響き、腕が軽くなった。剣を弾かれ、勢いのまま体制を崩すと腹に衝撃が走った。
 浮遊感。人は飛べるんだと知った。
「うえっっっ」
 喉が熱くなって、胃液を吐き出した。クシュージャさんは剣を拾うと僕の前まで歩いてきて柄を向ける。
「立て。」
 もうやめたいと、気持ちを抑え込みながら剣を握った。立ち上がろうとして、足が震えて顔から地面に倒れた。クシュージャさんが僕を見下ろしていた。何も言わなかった。剣を杖にして、なんとか立ち上がる。剣道だってやったことはない。ただ、見よう見まねで剣を両手で握って前に構える。剣の先を目の前の相手に向ける。
 息を吸って止めた。思い切り、剣を振った。今度は手を離さないようにグッと力を込めて、逆に吹き飛ばしてやるって。
 キンッと高い音が耳に響く。とまった剣に力を込めると震えた。クシュージャさんの剣はピクリともしなかった。
「ぐっっっ」
 背中に衝撃が走った。ハンマーを振り下ろされたみたいな、鈍く重い痛みだった。そのまま前のめりに倒れ込む。風景がグワンと落ちて行き、なんとか腕をつこうとして間に合わず突っ伏した。土の味は血の味とよく似ていた。
 砂利を口から吐き出すと、一緒に胃液が出た。喉が焼けるようだった。
「無数の魔法の中で型は意味がない。だから知らないし教えられない。俺が出来るのはお前を何度も殺してやることだ。」
 やめたい、やめたい、やめたい。
「行きますっっ」
 僕は立って剣を構えていた。頭の中で何度も浮かぶやめたいという感情とは裏腹に、不安が見えなくなるのがうれしかった。
 「後は自分で考えて、考えて、体を動かせ」
体のあちこちが痛い。腕が棒のようで感覚がない。握った手を開けなくって、上手く剣を離せなかった。
 フッと剣が溶けて、手を握りしめた。光の粒子が宙に舞って夜の星に混じって光った。
 握りしめた手に力が籠もった。
 帰りたい。
 守りたい。
 ぐちゃぐちゃの頭でいろんな感情がわき上がって、どうすればいいんだろう。どうすればいいんだろう。頭の中で反芻した。
「おかえっっ…… お疲れ、ご飯出来てるよ」
 先に戻ったクシュージャさんを追ってテントまで帰るとリダが迎えてくれた。僕の顔を見て、驚いた顔をして、優しく微笑んだ。とても暖かかった。
「ボンタどうしたの! 痛い? 大丈夫?」
「ただいま。えっとちょっと転けちゃっただけだから。大丈夫。ボンタはじょーぶなのです」
 ララメの優しさが傷にしみた。ちょっと泣きそうになる。うれしかった。だから強がった。かっこいいお兄ちゃんになりたかった。
 ララメが足に抱きついてきた「んー」と唸りながらギュッと目をつぶった。抱きしめる力がどんどん強くなって。
「いたっいたたっ! ララメいたいっ! いたいってっ! ちょっとリダ! 助けてっ!」
「ララメちゃん!? ほらっ! お兄ちゃん疲れてるみたいだからねっっ!」
「んーーーーーーー!」
「いたいいたいっ! もげっ、もげるっ! 右足がもげちゃうって! ほんとやばっ いたっいたっ……痛くない……?」
咄嗟のことで驚いて気がつかなかったけど、右足から痛みが引いていった。じんわりとした暖かさが全身に広がって行くのを感じる。両腕を見ると擦り傷が消えていて、土汚れだけが残っていた。
「ってて。あれ。タコって、こんなすぐ出来るものだっけ?」
 さっきまでなんともなかったのに急に筋肉痛に襲われた。手のひらには皮が厚くなってタコができていた。
「ふー ボンタもうだいじょーぶ?」
 ララメは一仕事終えたと、汗を拭って聞いてきた。
「うん。おかげさまで。ありがとうララメ」
 お礼を言って頭を撫でるとにへらと顔が溶けた。その後でエッヘンと胸を張って「どういたしまして」といった。
「ララメっ、回復魔法が……使えるのか?」
 焚き火の横で座って、道具の整備をしていたクシュージャさんが立ち上がった。鬼気迫る表情で聞かれ、たじろぎながらララメは「うん」と答えた。
 少し、緊張が走った。その時だった。
 グーーーー
 僕とララメのおなかが同時になった。プツンと緊張の糸が切れて、空腹感が一気に襲いかかってきた。
「おなかすいたー」
「ふふっ、ご飯にしよっか」
 ぐったりと疲れた様子でお腹を撫でるララメに、リダは優しく微笑んだ。
「あっ、おいしい。」
「当然。私が作ったんだもん」
シチューを一口飲み込むと、じんわりと体が温かくなった。ミルクと野菜の甘さが体に溶けてゆく。鶏肉の塩っ気が疲れを吹き飛ばしてくれる。
「また、来るでしょうか……」
 スプーンを持つ手を止め、リダが聞いた。風が吹いて、木の葉がこすれる音がやけに耳に付く。
「ああ。間違いなくな。」
静寂の後、クシュージャさんが答えた。ララメは落っこちないように、ほっぺを両手で押さえていた。リダはすごくつらそうだった。
「どういうこと?」
「回復魔法は……ひどく貴重なの。大体の子が攫われるか、売られちゃう」
「そんなっ!」
「だから親が必死に隠すんだがな、今じゃそれもままならない。」
  噛みしめた鶏肉から苦い苦い汁がしみ出して、喉を落ちて行く。最悪の気分だ。胃がえらく重くて、辛い。
「守ってあげなくちゃ……」
「どうやって」
「それはっ、村に残って……」
「いつまで続ける。旅はどうする」
「じゃ、じゃあ一緒に連れて行けばっ」
「お前は、帰るんだろう」
「でもっっっ!」
「分かってるだろ」
 リダのスプーンを握る手が震えていた。俯いて、陰が掛かった顔は表情が見えなかった。それなのに、ひどく辛そうだと分かった。
「お前は残れ。それが一番良い答えだ」
 リダは何も言わなかった。ララメが「お姉ちゃんだいじょーぶ」って心配そうに顔をのぞき込んだ。リダは笑って「うん、だいじょーぶ」っていって頭を撫でた。
 ただ、ただ何も出来ないことが悔しかった。
 強くなりたかった。目の前の女の子を守ってあげることが出来るぐらい。目を瞑ると瞼に両親がうつった。魔石を手に自然と力がこもった。きっときっと帰ってみせる。ゆっくりと薄れてる意識の中、僕は何度も繰り返した。
 小さな、本当に小さな光がテントに灯っていた。

 その日の夜、夢を見たんだ。
 それは、ひどく懐かしくて、遠い昔の話。
 僕の家は、とても貧乏だった。ぼろのアパート、六畳一間で三人暮らし。今時、テレビもなくて、あるのはちゃぶ台と冷蔵庫、布団。
「ハッピバースデーディアボンター」
 僕が十歳になる頃、父と母は二十九歳だった。僕を生んだのは十九歳、妊娠が分かったのは十八歳の頃だったそうだ。二人の結婚は両家の大反対の末に行われた。勘当するとまで言われて、それでも僕を生んだそうだ。
 あと少しで卒業だったのに、学校をやめて、僕のために働き始めたらしい。
暗い部屋でろうそくに息を吹いて、火を消した。たちまち「おめでとう」って言って、二人が手を叩く。
 たった一切れのショートケーキ。断面から見えるみずみずしいイチゴ。まとう純白なクリームが光って見えた。我が家にとって、とんでもない贅沢。
「ホントにこれ、一人で食べていいの!?」
「もちろんっ、タンと食べな」
 とっても嬉しくなった後、申し訳なくなったのを覚えている。だから、フォークで三つに切り分けて、一緒に食べよって言った。
「父ちゃん達はお腹いっぱいだから、遠慮しないで全部食え」
 思えば、気を遣わせないための嘘だったように思う。父はそう言って笑うと、わしわしと頭を撫でた。
 嬉しくって、初めて食べたケーキは、ほっぺが落ちるかと思った。それを見て、母はニコニコと笑っていた。僕にはそれが不思議だった。
 中学生の時、母が病気になった。過労がたたったと医師は言っていた。ベッドの上で、母は申し訳なさそうに「ごめんね」と言った。
「あいつんち、すっげービンボーでさ、可愛そーだよなー。子供は親を選べないからな」
 修学旅行の前日、僕が行けないことを知った同級生がそう言った。悪気はなかったように思う。彼にとって、何気ない一言だった。
 僕は、初めてその日、人を殴った。
「お前に何が分かるんだよっ! お前なんかに、父さんと母さんの何が分かるって言うんだよっ!」
 先生に止められるまで何度も、何度も。呼び出された父は、何も悪くないのに深く頭を下げていた。
 帰り道、怒られると思った。それなのに、父は何も言わずに、頭をわしわしと撫でて、一緒に家まで歩いてくれた。
 僕はそれが嬉しくって、悔しくって、夕日が涙で滲んで見えた。
 やがて、母の病気がよくなった頃、修学旅行に行けなかった代わりにと、三人でバスに乗って、小旅行に行くことになった。
 中学生にもなって、家族みんなでお出かけだなんて小っ恥ずかしかったけど、本当はとっても嬉しかった。
 途中、喉が渇いてバッグから水筒を出そうとした時、足下に落っことした。ちょうど、信号でバスが止まって、水筒を拾おうと立ち上がった。
 後ろに座っていた男性の足下にまで転がっていて、謝罪して取ろうとした時、首をぐいっと引っ張られた。
「て、てめぇらっ! 全員、動くんじゃねぇっ!」
 頬に冷たい感触がして、ツーと痛みが走った。乗客が騒ぎ出す。
 その中で、立ち上がる一人の男がいた。その男は、両手を挙げて無抵抗を示しながら「落ち着いて話し合いましょう」とゆっくりと歩いて近づいてきた。
「く、クソッ! これ以上来るんじゃねぇっ!こいつがどうなっても良いのかっ!」
 不審者は動揺して、歩み寄る男にナイフを向け、威嚇する。その時だった。
 男は、走り出して一気に間を詰めると、不審者から僕を引き剥がした。揺れる車内で身体を打ち付けられる。その後、僕に誰かが覆い被さってきた。
 怖くて、怖くて。目を閉じて、耳を塞いで、丸くなって、全てが終わってくれるのを必死に願った。
 少しして、警察がバスの中に突入してきた。
 不審者は指名手配犯で、気づいたバスの運転手があらかじめ通報していたらしい。警察の声を聞いてホッとした僕は、覆い被さっていた女の人から抜け出した。
 地面に、父と母が転がっていた。
 父の首から、絶え間なく血が零れ続けていた。母の背には幾つもの刺された傷口が広がっていた。
 警察の事情聴取が終わって、家に帰った。
 玄関を開けると、いつものように明るい声が聞こえてきて、全部夢である事を願った。
 あんなに狭かった部屋が嫌に広くて、寂しくて、声を押し殺して泣いた。
 体がデカくて、手がゴツゴツで、いつも笑っていた父はもう帰ってこない。少しがさつで、それでも優しくて、暖かかった母はもう帰ってこない。
 棺桶で眠る父と母を見て、僕は考えていた。きっと母さんだって、可愛い服を着たり、友達とお洒落なカフェでお喋りしたりしたかったはずだ。父さんだって、ゲーセンに行ったり、腹一杯肉を食べたりしたかったはずだ。
 全部全部、僕のために捨てた。最後の最後まで、僕なんかのために生きた。
 それから僕は、母の両親に引き取られることになった。
 ずいぶんと、不自由のない暮らしをさせてもらった。誕生日には、ケーキがホールで振る舞われた。服だって新品だ。ケータイだって買ってもらった。
 それなのに、満たされない。おじいちゃんもおばあちゃんもいい人だ。新しくできた友達だってみんなやさしい。でも、二人だけが足りない。
 ほんの偶然だった。SNSで話題になっている動画を友達が僕に見せてくれた。それは、バスジャックから人質を、身を挺して救う二人の動画。
 現場にいた誰かが携帯で撮っていたのだろう。その投稿には幾つもの、コメントがついていた。二人をヒーローだというもの。自分もこんな風になりたいというもの。
 多くが肯定的なものだった。その中で、やけに目についた。
「こいつらが出しゃばったせいで、他の乗客まで危険になった。警察が有能で良かった」
 その投稿はひとたび話題になって、すぐに消された。
 それなのに、どれだけ時間がたってもそのコメントが忘れられなかった。
 なぜ、そんなことを言えるんだ。二人はいつも優しくて、強くて。何もしちゃいないお前なんかがどうしてそんなことを言えるんだ。
 僕は、気づいてしまった。どこか冷めてしまった自分がいることを。この世界に過度な期待はしないで、一歩後ろで「まぁ、こんなものか」と諦めてしまう。
 二人のがいなくなって、ガラスの靴が脱げたように夢から覚めてしまった。何にも期待せず、ただ人並みに過ごせればそれでいい。
 ああ、そうだよ。僕は、結局そんな人間なんだ。
 思い出せ、僕に何が出来た。守られてばっかだったじゃないか。今だってそうだ。
 だから……僕は元の世界に帰る。それだけを考えれば良いんだ。
 
「光ってる……やったね! ボンタ君!」
「ほんとだー! ボンタすごい!」
 目が覚めて、朝の支度を済ませて、村へ向けて歩き出す。その道中、魔力を使う練習で、また魔石を握って何度も光れと唱えていた。
 やっぱりだめか、そう落胆しかけて気づいた。魔石の奥の奥で光が見える。気のせいだと思ってしまいそうなほど小さな光。あまりに早く消えてしまい、確かめるように何度も握り、魔力を流した。そのたびに光は大きくなった。
 体中を巡っている血液のような、ふわふわとしたぬくもり。それを手に収まる魔石に伝わるように、流し込むように。
 オレンジの暖かい光が指の隙間からあふれ出た。もう目の錯覚だなんて言えないぐらい、確かに光っていた。
「ララメのおかげ。ありがとね。」
 昨日、傷を治してくれたとき、何かが流れてくるような感覚があった。今こうしてそれが魔力だったんだと分かる。僕はララメのおかげで、魔力を実感してうごかせるようになった。ララメは何のことだろうとちょっと考えて「どういたしまして~」と満足げな顔をした。たぶん何のことか分かっていない。
「ボンタ君……もう一人、お礼を言うべき人がいるんじゃないかな?」
 そんなララメの頭をわしわしと撫でた。それを見た、リダが催促気味に聞いてきた。
「他に誰かいたっけなー」
 とぼけてみせると、ひどく衝撃を受けた顔をしていた。「なんですと」と聞こえてきそうだった。その顔も十分衝撃的だ。
「あははっ ありがとう。リダ」
 お礼を言うと「ムフー」として満足げにしている。それでいいのか、十七歳児。本当に僕と同じ年齢だよな。
「これで魔法も使えるようになるんだよね?」
「もっちろん!」
 任せておきなさいと言った表情でリダは言った。
「で、どうやって使うの?」
「え?」
「ご教授のほどをお願いいたしまする、リダ先生!」
「つ、使えないの?」
「うん。だから使い方を教えてほしいなあって」
 リダの顔に、汗が滝のように垂れ始めた。嫌な予感がする。この先は聞きたくない。なんとなく想像出来る。最悪の答えが。でも、聞かなくちゃいけない。
「使い方を、ご存じでない?」
バッと目をそらしてリダは何も言わなかった。歩幅が広くなって、歩く速度が増していく。
「あの、リダ先生。もしかしてもしかして、ご存じでない?」
 さらにスピードが増した。というかもはや小走りである。なんてことだ。これはまずい。魔力が使えると思ったらまた問題か。思わぬところで魔法使用計画が頓挫した。
「えっとね、前も言った通り魔法って遊びながら気づいたら身についててね」
「うん」
 ようやく観念したリダが、歩くスピードを落とすと、魔法のことを教えてくれた。
「だからね、なんとなくどんな魔法が使えるんだって身についててね」
「つまり?」
「つまり……」
唾を飲み込むと喉が鳴った。現場に緊張が走る。
「魔力が使えるなら魔法も雰囲気で使えるかなと……」
 思わずため息がこぼれそうになった。リダの説明がごもっともだったから。筋肉が使えるようになったので、歩き方を教えて下さい。そんなことを聞くやつが一体どこにいる。いないだろう。僕以外。
 生まれて、育つ過程で自然と身につくもの。僕にはその過程がない。育ち終わった後に、過程をすっ飛ばして今ここにいる。
「それにね、魔法ってほら、個人個人で違うからみんな感覚が違うくって……」
 問題がより深刻な方向に傾いて行く。追い打ち。というか死体蹴り。諦めかけているところにとどめを刺しに来るとは。なかなかえげつない女め。心の中で、リダのことをユダと呼ぼうと密かに決意した。
「じゃあ、リダはどんな感じで魔法使ってるの?」
「私はピッキーンって感じで」
 なるほど。
「じゃ、じゃあララメは?」
「ララメはね、なおれなおれーって思うの!」
なるほどなるほど。これは……
「無理かもしれない……」
「あ、アハハ。ほら、えっと、小さい子とかなら、寝てる時とか、無意識のうちに発動させることとかもよくあるし……諦めるのは早いぞっ!」
 無意識のうちじゃ意味がないんだけど……。
「クシュージャさんはどn」
「頭の中で目的、それに伴う剣の形状、魔法を発動させたことによって起こる結果、それらを明確にイメージする」
「そっか……イメージ……」
「戦闘であれば、相手を殺すという目的、それをなしえる鋭い刃、そして分かれた頭と胴体。それをより明確に、瞬時にイメージして魔力を発散する」
 思っていた以上に事細かに教えてくれた。少し怖い人だけど、やっぱり親切な人だ。剣の訓練も何も言わずに引き受けてくれた。少しやり方が乱暴だったけど。
「ありがとうございます! やってみます。」
 強く感謝の言葉を言うとクシュージャさんの顔が少し緩んで優しくなったような気がした。気のせいかもしれないけど、そうあってくれたならうれしいと思った。
 村を目指して、ひたすら魔法を思い描いた。なんどもなんども、目に映る光景に、氷が、剣が浮かぶのを、傷が治るのを。そのどれもがやっぱり上手くいかなかった。
 思いつく限りの魔法を試した。漫画や小説で出てくるような、水を操って、炎を生み出して、雷を走らせ、風を吹かせる。何も起こらない。
「そんなに気落ちしなくても、きっとすぐに見つかるよ。自分の魔法。ね、ララメちゃんもそう思うでしょ?」
「うん、頑張れボンタ!」
「そうかなぁ……うん、そうだよね」
 落ち込んでいても仕方がない。きっと上手くいく。自分に言い聞かせる。それに、小さな子に励まされて落ち込んだままはかっこ悪い。
「あとほら、わかりにくい魔法とかもあるからさ。運が良くなる魔法とか、頭が良くなる魔法とか、あとは……そうだ、感覚を共有出来る魔法とか」
「感覚を共有出来るか……いいね、なんかそれ。人の気持ちが分かるって」
「そうかなぁ。感覚の共有ってことはさ、自分の感情とかも伝わっちゃうわけでしょ? なんかいやだなぁ。全部見られちゃってるみたいで怖いや」
「そういもんかなぁ」
「そういうものだよ。ねっ、ララメちゃん」
「ボンタは女心が分かってないな-」
 ララメはそう言って、やれやれと首を振った。まさか六歳の女児にあきれられるとは思ってもいなかった。なるほど。モテないわけだ。納得しかけて、いやいや、ただの冗談だと必死に否定した。納得してたまるか。
 そんな風に馬鹿な話をして、思いつく魔法を試して、太陽がちょうど真上に登った頃、森を抜け、道の先に建物が見えてきた。近づくにつれて建ち並ぶ家が見えて。僕たちはようやく村へたどり着いた。
「誰もいない……?」
 家はある。荒れている様子もなく人がいないというわけでもなさそう。それなのに外を歩いている人が一人もいなかった。
 進もうとするとクシュージャさんが腕で塞いだ。目の前を火の玉が通過した。
「何をしに来たんだっおまえらっっっっ!」
 横から怒鳴り声がして、次の火の玉を構える男が立っていた。
「旅の途中、村が見えたから寄らせてもらった。食料と、一晩寝るところを貸してもらえると助かる。」
「嘘をつけっ! お前達も村を襲いに来たんだろうっ!」
 とても話の出来る状態じゃない。男はひどく興奮している様子だった。がなり立てたあと、クシュージャさんの腰に差した剣を見て、小さな悲鳴を上げてまた、炎を投げつけた。炎はまっすぐとクシュージャさんの顔へ向かった。首を横に倒して交わすと、髪の毛をかすめ、灰が地面に散った。
「落ち着いて下さい。私たちは本当に何もするつもりはっ」
「くるなっ! やめろっ! 次は当てるぞっ!」
 ララメを降ろすと両手を挙げ、無害を示しながらリダが男の方へ歩いた。それが余計に刺激したのか男は後ずさりながらまた火の玉を作った。
「やめな、アンタっ」
「止めるなっ! こいつらは襲撃者なんだぞっ!」
「バカッ! 子供を連れて村を襲う馬鹿がどこにいるってぇんだい!」
乾いた破裂音が響いて、男の頬が赤くなる。それを見てクシュージャさんは柄から手を離した。
突然現れた恰幅の良い女性は「ごめんね、うちの馬鹿が」と謝りながら近づいて、ララメの頭を撫で「怖い思いさせちまったね」と言った。
「ううん、だいじょーぶ。おねーちゃんもおじちゃんもいたから! それにボンタにも私が付いていたからっ!」
 そういってにっと笑う。強い子だ。ただ、僕が庇護対象に入っているのが納得出来ないけど。そんなに頼りないかな、僕。
「ほんっとうにごめんねぇ、この馬鹿が」
「何すんだってめぇっ! 俺は何も待ちがったことしてねぇぞっ!」
 女の人が男の頭を強引に押して、謝らせようとしていた。
「いえ、もうすんだことですから」
 そう言うと「あらそう、悪いねぇ」と言った。
「私の名前はヤント、こっちでふてくされてんのはアンク」
「ララメはねっララメ! ろくさいっ!」
 ララメがそう自己紹介すると「あらあら」といって、ヤントさんは頭を撫でた。僕たちはララメに続いて自己紹介をして、事情を説明した。
「そうかい……。あんた達、あの町から来たのかい。事情はなんとなくだけど知ってるよ。酷かったんだってねぇ」
リダは俯いて、何も言わなかった。思い出していたんだろ。ララメは何のことだか分からない。そんな様子だった。
「最近はここらも物騒でねぇ、ここ一ヶ月もしないうち、四件も不審者が現れてねぇ」
「不審者?」
「なんて言ったら良いんだろうねぇ、もっと言うなら襲撃者かね。村に来て、有無を言わさず村人を襲うのさ」
「それって、フードを被ってましたか?」
「いんや、何か心当たりでもあんのかい?」
「やっぱりだっ! こいつらもあんの馬鹿どもの仲間だ!」
「いえ、違うんです。この子、一回襲われてて」
ララメの頭を撫でてそう言うと、ヤントさんは口をグッと結んで辛そうな顔をした。
「悪かったな……俺も気が立ってたんだ」
「仕方ないです」
 リダがそう言って笑って見せた。
「よしっ、決めた! あんたら、家に泊っていきなっ」
「おまっ、勝手に決めてっ!」
「なんか文句あんのかい」
「かぁーっ、仕方がねぇなぁ。変なことしたらすぐ追い出すからなっ」
 ヤントさんに睨み付けられて、アンクさんは頭を掻きながらそういった。僕らは目を見合わせて「ありがとうございます」とお礼を言った。
「小麦とあれば野菜、なんでもいい。あと干し肉がほしい」
 夕食の時間まで、アンクさんが村を案内してくれた。「なんで俺が」と抵抗むなしく「さっさと連れていきな。出ないと晩飯抜きだよ」と言うヤンクさんに、やはり勝てなかったようだ。
「はいよ。あんたら、村にいる間は面倒起こさないでね。」
クシュージャさんは食料を受け取って金を渡すと短く「ああ」と返して店をあとにした。アンクさんと一緒にいるのを見て安心したのか、村の人たちが家の外にちらほらと出始めている。子供はどうしてあんなに仲良くなるのが早いんだろう。ララメは既に友達を作り、走って遊びに行ってしまった。
「どこか、住める場所がないか教えてほしい。リダとララメを置いていく」
「置いてくっておめぇ……」
「俺たちは旅を続けなくちゃいけないんだ」
 リダは後ろで何も言わず、辛そうな顔をしていた。僕にはどうすることも出来なかった。
「なんか事情があんのは分かったけどよぉ……空き家が一軒ある。死んでから多分損ままだ。急だったからな。明日、村長とこまで案内してやっから。俺に出来るのはそこまでだ」
「恩に着る」
「へへ、むずがいいな。髪の毛、燃やしちまったのこれで勘弁してくれよ」
 アンクさんは鼻の下をこすってそう言った。日が落ち始めて、空が赤く染まり始めていた。
「また明日も遊ぼーなー!」
 ララメを迎えに行くと、泥だらけになって見分けの付かなくなって子供が4人できあがっていた。三人が手を振りながら家へ帰って行く。残り一人も「ばいばーい」と大きく手を振った。なるほど。これがララメか。
 アンクさんの家へ戻り、玄関を開けるとおいしい匂いに体が包まれた。旅の道中は簡単なものばっかりだったから、涙が出そうなぐらいおいしかった。
 あんまりがっついて食べるものだから喉に詰まって、ヤントさんに笑われた。ララメとリダも一緒に笑っていた。
 お礼を言って、寝る部屋を用意してもらった。息子さんの部屋だという。「息子さんは今どこに?」聞いたことを後悔した。ヤントさんは静かに首を横に振った。空き家も、この部屋の主も、襲撃者に殺されたんだろう。
 ただただ、胸が痛くなった。
 深夜だった。リダに起こされて目を開けると、やけに外がうるさかった。びっくりするほどまだ眠いのに外から明かりが入り込んでいた。
「んんっ……どうしたの」
 未だ寝ぼけながら、目をこすり聞くと「何か様子がおかしいの」とリダが言った。
 ようやく起き上がると既にみんな起きて、クシュージャさんは剣を持っていた。
 ようやく、異常さが掴めた。外が騒がしすぎる。暗い夜に不自然に揺れる赤い光。心の中で違ってくれと懇願していた。
「行くぞ」
 ゆっくりと、大きな唾を飲み込んだ。どこかで、分かっていたんだと思う。
 外に出ると、家が燃えていた。不意に、足下にスイカのようなものが転がってきた。人の頭だった。
「うっっっ」
 舌を出して、苦しそうで、憎しみの籠もった顔を見て夕食が喉まで上ってきた。それをなんとかこらえる。駄目だ。僕が弱いところを見せちゃ駄目なんだ。
「ボンタ……」
ララメの、右足を掴む手が小刻みに震えていた。
「大丈夫。大丈夫だよ」
 僕の声は震えていないだろうか。ちゃんと、頼りになるお兄ちゃんでいられているだろうか。
「クシュージャさん……剣を」
「戦おうと考えるな。生き抜くことだけ考えろ」
 そう言って剣を渡された。両手で握る剣はこの前よりも少し軽く感じた。それなのに、どうやっても振れる気がしなくて、前よりずっと怖かった。
「目を瞑ってて。怖い夢はすぐ覚めるから。大丈夫だから」
 リダが抱きかかえながら優しくそう言って背中を撫でた。それでもララメは震えていた。守らなきゃ。そう思った。
「じねええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇ」
 ガラガラの、酷く汚い叫び声が耳に付いた。手にしていたのは簡素な包丁。体中が血まみれで、顔がぐちゃぐちゃに歪んでいた。
 男はクシュージャさんに包丁を振り下ろそうとして、胴体と別れることになった。離れた頭はそれでもまだ動いて、最後に睨み付けるとようやく動かなくなった。
 地面に横たわる胴体。まっすぐな断面の首からは絶えず血があふれて土を染める。
 「じねっじねっじねっ!!!」
 ララメと一緒に遊んでいた子がいた。
 すでにいくつもの穴が開いているのに、それでも納得いかないのか、馬乗りになって、女はナタを何度も振り下ろしていた。
 あちこちで村人が殺し合っている。
 叫び声、悲鳴、笑い声。
 血と炎の赤の色。酷く、酷く既視感がする。
 ああ、すべて知っている。覚えている。
 僕が初めてこの世界で見た光景。クシュージャさんとリダの故郷。あの町と全く同じだ。
 憎しみと怒りの感情で満たされ、暴力がそれを増幅する。
 頭の中にいっぱいの感情が流れ込んできた。汚い泥水のようなそれは僕の頭の中で広がって、汚していく。怒り、憎しみ、殺意。頭をかきむしりたくなる嫌な感情が沸々とわき上がる。自分と感情が剥離して行く。
 頭の中がぐっちゃぐちゃの落としたスイカみたいになって、強い強い感情が脳を塗りつぶす。
 殺したくない。殺したくない。殺したくない。殺したくない。
 ごおっと熱風で髪が揺れた。当たってもいないのに、火傷しそうなほど肌が熱を持つ。
「殺してやるよおっおめぇら全員殺してやっよぉ」
 その男は酷く汚い顔で笑いながらもう一度火の玉を放った。あまりに大きく、早く、交わすことが出来なかった。
 目の前に氷の膜が出来た。じゅうっと音がして炎が消えて地面が濡れる。
「何で死んでねぇんだっっっ! もっがいごろじでやっがらなあっっ!」
憎い。許せない。許せない。殺したい。殺してやりたい。殺したくない。忘れたくない。
「うるさいっうるさいっ! 頭ん中に入ってくんなぁっ!」
 自分の頭を殴りつけても声はやまない。脳の中で嫌な虫が這いずり回っているみたいで、耳の中でハエが絶えず飛び続けているみたいで。
 目の前の男はそれでもお構いなしに走りながら、サッカーボールのような何かを放り投げた。えらく時間がゆっくりと動いた。ボールは当たることなく、僕の横を通り過ぎていく。ゆっくり、ゆっくりと。サッカーボールと目が合った。
 人の顔だった。歪んだヤントさんの顔だった。前に向き直るとアンクさんもう目の前まで走ってきていた。右手に握られた酒瓶がゆっくりと弧を描いて落ちてくる。
 だいじょーぶ。やれる。僕が持っているのは剣だ。圧倒的に僕の方が有利だ。この剣は練習の時みたいに刃が丸いわけじゃない。簡単に肉だって切れる。
「ひっっ」
 頭に衝撃が走った。体が引っ張られる。じんわりと頭が熱くなって、口の端が痛くて、拭うと手に血が付いた。切ったみたいだ。
 いつの間に切ったんだろう。なんで僕は倒れ伏しているんだろう。
 ぐらぐらと揺れる視界で、なんとか立ち上がって、目の前にはアンクさんがいた。
 「じねぇっじねぇっじねぇっっっ!!!」
 腕も、足も凍り付いていて、動けそうにはない。それでも、立ち上がった僕の顔に唾を吐きかける。
 なんなんだ。なんなんだよ。さっきまで、ほんのついさっきまでは普通だったじゃないか。ちょっと偏屈で、それでもやっぱり優しくて。
 クシュージャさんがアンクさんの前に立ち、構えた。
「だめっっっ!」
 赤色を反射するその刃がどこまでも鋭く、美しく。
 アンクさんの首を覆うように厚い氷が生まれた。ただすっと、それが当然であるように剣はまっすぐ振り下ろされた。
 すこしして、頭がずれた。それはやっぱり僕らを睨み付けた。
 未だ憎しみの叫び声はやまず、炎を絶え間なく木を燃やし続けている。
首から吹き出した赤い汁が目の前を覆って、僕はそのまま意識を手放した。

 それは暗い森の中だった。遠くで鳥の鳴き声が聞こえる。
「上手くいったか」
僕の口からはするりと言葉が出た。何のことだ。いつの間にか目の前に、フードを被った男が立っていた。血と灰の酷い匂いがしてたまらず顔をしかめる。
「ああ、滞りなくな。これであの村も町と同じ結末をたどる。あのガキも多分死ぬだろう」
 僕はの男に強い苛立ちを覚えた。多分だと。ふざけやがって。自分で直接殺していないのか。
「また失敗したら、じゃあもう一回とは行かないからな」
「おおこわ、せいぜい首を飛ばされないよう頑張りますよ」
男はおちゃらけて見せた。力はあるがいまいち雑だ。扱いづらい。
 ただ、今のところ順調だ。今度はきっと上手くいく。十分すぎるほど素材はある。あとは丁寧に下ごしらえをしてやるだけだ。
 そこまで考えて、何か、何か違和感を感じた。
 奥歯にカスが挟まってとれない、そんな違和感。
 ああ、そうか。
 その正体に気がついて、僕はまた、強い苛立ちを覚えた。
 仕事がまた一つ増えた。

「ぼくはっ……」
 目を開けると、ララメが飛びついてきた。
「よかったー! ボンタ死んでなかったっっっー!」
 寝起きざまに大きな声は頭に響いた。胸が冷たくなって、ララメは泣いていた。本当に心配していてくれたみたいだ。
 そんな要素をホッとした顔でリダが見ていた。どうやら心配をさせたみたいだ。
「ここは?」
 クシュージャさんが指を指す方を見た。まるで村そのものが燃えてるみたいで、赤い炎がゆらゆらと立ち上り、陰が不気味に揺れていた
「夢を、夢を見ました。」
思い出そうとすると、鋭い痛みが走った。
「僕の魔法は感覚の共有だった」
思い出すな、思い出すんじゃない。
「フードの男が見えた」
 ああ、本当に、本当に
「あの村を……クシュージャさんとリダの故郷をを燃やしたのは、アイツらだ」
 最悪の気分だ。

第二章 戦う理由
「いったい、いったい何を見た。話せ。全てを」
逃げるようにして入り込んだ森の中、ようやく訪れた夜の暗闇に安心した。焚き火をつける気にはならなかった。灰色の雲が覆う空で、隙間から細く月が見える。どこか寂しげな光が、静かに僕たちを照らした。
「ただ、ただ気がついたら僕はフードの男で……全て、全て知っていた」
 未だ震えるララメの背中を優しく撫でながら、それでもリダは目をそらさなかった。クシュージャさんは静かに僕の目をのぞき込んでいた。赤く光る瞳が暗闇の中で、全てを見通すように突き刺さる。
「記憶の改竄能力、それを使っていろんな人に憎しみを植え付けていました。大切な人が奪われ、汚され、殺された。そうやって丁寧に復讐者を生み出した。本当に大切な人は目の前にいるのに、嘘の記憶に踊らされて、自分の手を汚してしまう」
 話すほどに吐き気がこみ上がってくる。血と臓物の匂いはこびりついて離れない。あの憎しみの顔が焼き付いて離れない。死に際の狂気に満ちた声が頭に響いて離れない。もう赤い光が見えない、森の奥まで入ってきたのに、肌を舐める、ねっとりとした生暖かい空気が離れない。
 堪えきれずに吐き出した吐瀉物はぐちゃぐちゃで、子供に引っかき回された蛙の死骸のようだった。
「ゆっくりで良い」
 胃の中のものを全て吐き出して、口を拭うとクシュージャさんはそう言った。静かで平坦な声だった。木にもたれて座る彼の目は未だ爛々と燃えている。
「たった二人、たった二人殺せばあとは簡単でした。一人、殺人鬼を作りました。もう一人に殺人鬼を殺させました。これだけで人は混乱と恐怖に耐えられなくなった。もろい心はほんの少しのきっかけだけで良かった。次第にみんな逃げ出して、すれ違う人にもっと些細なきっかけを与えました。ただそれだけで町は壊れてしまった。」
「なんでっ、なんでそんなっ」
「僕を……僕を召喚するため」
 クシュージャさんは目を閉じて、もう何も言わなかった。リダは、ようやく寝たララメを起こさないように、口を塞いで、大粒の涙を流していた。
フードの男から、ララメを救ったとき、サメを召喚するために代償を払った。命を使われた大樹は腐り、葉は全て枯れ落ちた。
「悲劇はまだ終わりじゃない。今度は王都だ。あの町の比にならないぐらい人が死ぬ。たった一人、勇者を呼び出すために、また多くが犠牲になる」
 朝がやってきた。あんなことがあっても、いやあんなことがあったからこそ、お腹がすいた。みんな酷く疲れていた。口には出さなかったけれど、体も、心もボロボロだった。
 朝ご飯はオートミール。麦の粥だった。胃が優しく温かくなって、少しホッとした。顔に汚れが付いてると言われて拭うと手が黒くなった。炭がかえって広がった。それを見たリダとララメに笑われた。
「俺は、フードの男を殺しに行く」
 ただそれだけ言ってまた粥を啜った。
「私も」
リダも続いた。僕はどうするべきなんだろう。言葉が出てこなかった。
 怖かった。戦いたくなんてない。殺されたくなんてない。そんな風に考えてしまう自分が嫌だった。そんな自分が酷く醜くて卑怯に思えた。
「お前は途中で抜けろ。ララメとどこか安全なところへ逃げろ」
 ああ、そうだ。僕はどこかでこの言葉を待っていた。力のない僕がするべきことじゃないんだ。僕じゃなくて良いんだ。
 その言葉が嫌に頭に残った。逃げ出すと言う言葉が張り付く。二人なら、どうしたんだろうか。そんな考えが今さらに横切った。
 結局僕は何も言えなかった。ただ先延ばしにしてまた歩き出した。
 ああ、これじゃあ全く同じじゃないか。僕が嫌悪したあいつらと変わらない。
 帰らなくちゃいけない。せめてララメを守らなくちゃいけない。僕は必死に言い訳をして心を守った。
 クシュージャさんが先頭を行き、僕が真ん中、ララメを背負ったリダが最後尾について歩いた。また道には出ず、森の中を歩いて行く。
 下手に見つかって、村で死んでないことをバレるのを嫌ってだ。
「ねぇ、どうして。リダはどうして戦うの」
 何度頭から追い出してもやまない。変なことばかり考えてしまって。リダは「みんなを守りたいから」そう言って笑った。どうすれば彼女みたいに強くなれるんだろう。クシュージャさんもそうだ。戦うことに迷いがなくて、剣のようにまっすぐだ。
 どうしてだろう。どうしてそんな風になれるんだろう。怖くて、怖くて。どうしたって震えが止まらない。
「ボンタだいじょーぶ?」
 その声を聞いてはっとした。僕は、どうしていつもこうなんだろう。
「うん。大丈夫。心配してくれてありがと、ララメ」
 大きく息を吐いて、ようやく答えた。上手く笑えていたと思う。頭をわしわしと撫でると「やーめーてー」とララメは笑った。
 せめて、せめて。この優しい子を僕にも守らせてほしい。意地の悪い世界でもそれぐらいは見逃してほしい。今はまだ、本当にそれだけで良いんだ。
 ぐにゅあと視界が歪んだ。
 誰かが何か叫んでいる。なんだろう。上手く聞き取れない。
 いろんな色をごちゃ混ぜにしたパレットみたいだ。分からない。ここは、ここはどこだ。
「………っっ。だか……………いっ……ろ。」
 ああ、まさか本当に生きているとは。どいつもこいつも役に立たない。
 ぐちゃぐちゃだった色が分かれて広がって行く。なんだった。さっきの感覚は。いつもと変わらないじゃないか。
 ああ、めんどくさい。わざわざ、俺が手を出してやらなきゃいけないだなんて。今、殺しに行ってやるからな。覗き野郎。
「ボンタくんっっっ! ボンタ君ってばっっっっ!」
 頭が酷い痛みに支配される。嵐の日にヘッドバンキングを三時間続けたってここまで痛くはならない。
 ズキズキと痛む。なんだ。僕は今、何を見ていた。思い出さなくちゃ。思い出せ。思い出せ。思い出せっ。
「っっっ! クシュージャさんっっ! 剣を僕にっ!」
 手を伸ばすと、既に手のひらに剣が収まっていた。即座に、クシュージャさんも剣を構えた。
「なにっ!? どうしたのっ! また何か見えたのっ!」
 問いただすリダを横目になんとか体を持ち上げる。左腕で二人を強引に後ろに回し、右手だけで剣を持って目の前で横に構える。
 息をつく暇さえなかった。
 突然目の前が暗くなって、右手にすさまじい力が掛かった。咄嗟に左手も柄まで運んで、押し返そうと強く力を込めた。金属がこすれ、高い音が鳴る。覆い被さって、剣を噛んでいたのは巨大なオオカミだった。むき出しになった歯茎。口から漏れる白い息が恐怖を煽った。上手く腕に力が入らない。震える。怖い。
 ガキンッと突然、剣に掛かっていた力が小さくなった。そのすきに剣で思い切り狼を押し返す。引っ付いたみたいに狼は剣から離れず、そのまま地面に倒れ込む。体の周りが厚い氷で固められていた。
「し、死んだの?」
「ううん、動きを止めただけ」
 狼の目がギョロリと動き、恨めしそうに僕を睨み付けた。小さくうずくまって怯えるララメを左手で抱きしめ、リダは右手を狼にかざしていた。
 剣は一緒に凍り付いて離れない。
「クシュージャさん!」
 目の前に光の粒子が集まって行く。僕はその下の細くなった部分を握った。鞘から取り出すように、握った部分から形になり、光が剣へと変化していく。
「ぐっっっ」
 頭に鋭い痛みが走った。浮かび上がったのは僕の首に食らいつき、肉を引きちぎる光景。目の前の狼の明確な殺意だった。
 草むらから飛び出したもう一匹の狼。すさまじい早さで駆け、地面を蹴って飛びかかってくる。
 考える余裕もない。思い切り剣を振り下ろす。高い音が響き、派手受け止められたのが分かった。喉元を噛み千切られることはなかった。それでも、巨大な体に乗った勢いと重さまで打ち消すことは出来ない。僕はそのまま押し倒され、無我夢中で腕に力を込めた。顔に掛かる鼻息が熱い。剣をかみ砕き、そのまま首の骨を折って寄ろうとでも言うような恐ろしい表情。
 覆い被さる狼の腹を思い切り蹴り飛ばした。うつ伏せの状態ではたいした威力は出なかった。それでも引き剥がすことは出来て、狼は少し放れたとこで着地して、また僕を睨み付ける。
 吟味するように、ゆっくりと周りを歩き、睨み合う。冷や汗が垂れ、一瞬たりとも気を抜けない。緊張で呼吸が速くなり、鼓動が痛い。喉が渇いて、やけに脳が活発で、恐怖の感情がぐるぐる踊る。
 いつ来る。一体、いつまた向かってくる。クシュージャさんの方は大丈夫なのか。すぐに終わって助けに来てくれよ。ララメは大丈夫か。他に狼はもういないのか。次来たらどうする。さっきみたいにただ振るうだけじゃ意味がない。どうする。どうする。
 ジリジリと前に出る。ララメがすぐ後ろにいるここじゃ駄目だ。足が震える。もし、この足が上手く動かず、転けてしまったらどうなるだろうか。脳内に死のイメージがこびりつく。息が小刻みに漏れていく。怖い。怖い。
「来いッッッ」
 また、頭に鋭い痛みが走った。狼は弧を描いて今度は横から僕の首を噛み千切ろうと飛びかかってくる。頭に、骨がむき出しになった僕の死体が浮かび上がった。咄嗟に身をかがめた。剣を空に向けてまっすぐと立てた。狼が地面を蹴っていた。僕はそのまま剣を前に小さく振った。すごく強い力が掛かって、そのまま後ろへ倒れ込んだ。小さくなった僕の上に思い何かがのしかかった。手をまっすぐ上に伸ばした状態じゃ上手く力が伝わらなくて、結局押しまけた。死を覚悟した。
 それでも。いつまでたっても僕の体に、太い刃が食い込むことはなかった。
 重いそれを押しのけて立ち上がると、狼の頭に半分くらい剣が食い込んでいた。飛びかかった勢いで、そのまま止まれずに死んでしまったのだろう。
 汗を拭うと赤く濡れた。狼の血でベチョベチョだった。辺りを見渡すと、クシュージャさんの周りに五つの頭と、胴体が転がっていた。
 離れたところにいくつも凍った狼が倒れていた。そのどれもが生きていて、目が不気味に動いていた。
「お、終わったの」
 ララメが聞いた。気づいたら僕は座り込んでいた。腰が抜けるって言うのはきっとこういうことを言うんだと思う。大きな息が漏れた。怖かった。安心した。両方の手のひらを見ると震えていた。血で真っ赤に染まっていた。
 顔を上げると、黒い粒子が空へ立ち上って行くのが見えた。狼達の体から蒸発するように黒い煙があふれている。端から体が溶けて跡形もなく消えて行く。それに混じって、光の粒子が浮かび上がっていた。氷も剣もいつの間にか消えていた。
 そこには、まるで何事もなかったかのように、何一つ残らなかった。僕の体に、擦り傷だけがポツンと不自然に浮かんでいた。
「大丈夫? 立てる?」
リダがのぞき込んできて、心配そうに聞いてくれた。
「うん……いや、ちょっとまだ駄目みたいだ」
 強がって、立ち上がろうとして、上手く足に力が入らなかった。だから、差し出されたリダの手を取った。暖かかった。それがすごく落ち着いた。
「ボンタなさけなーい!」
 横から声がして、ララメが一人で立っていた。すごいなと思った。ララメは両手を後ろに回して隠していた。僕は震える手でそんなララメの頭を撫でた。
「お疲れ様。ふふっ、かっこよかったよ」
 少し顔が熱くなって、照れくさくて、俯いて顔を隠した。
「っっつ」
 緊張の糸が切れたせいか、急に体中が痛くなった。のしかかられた感触がまだ残っていた。上手く言えないけど、それがえらく怖かった。
 ようやく、僕が殺したんだと実感が沸いた。
 生き物を殺すなんて残酷だ。そんな綺麗事をぬかす気はさらさらない。僕たちは他の何かの命に生かされている。それでも、ようやく何かの命を奪うという実感が沸いた。恐ろしくて、あの憎悪の籠もった目が怖くて。
「あれは……召喚獣だから」
 リダが言った。
「うん、大丈夫」
 そう答えた。それでもやっぱり上手く実感が拭えなかった。だって、知っていたから。召喚獣も生き物だってことを。僕自身がそうだから。それでも、殺らなければきっと僕が殺られていた。死んだ彼らはどこへ消えていったんだろう。元の場所に帰れたんだろうか。僕も、死んだら元の世界に帰れるんだろうか。
 手を合わせて目を閉じた。いろんなことを考えた。
 「行くぞ」と声が掛かり、すぐに後を追いかける。振り返ることはしない。僕たちは歩き続けなければいけない。
 小さく火が弾ける音がする。火の粉が飛んで、近くの草に燃え移った。チリチリと焼けて白くなって小さな火はそのまま消えた。
「また襲ってきたり、するんじゃないでしょうか……」
「今日はもうないだろうな。明日になればおそらくまた来るだろう」
 暗い夜の中で、上手く不安が拭えない。いつまた来るか分からない恐怖がじわじわと心を蝕んで行く。
 ララメは何度も頭を揺らして、もう眠いみたいだ。
「あれだけ召喚したらきっと魔力ももうないだろうから。それに媒体も用意しなくちゃだろうし」
 リダがそう言った。どうやら、召喚術には魔力と媒体としての生け贄が必要らしい。それでも不安感を拭いきることは出来ない。もやもやと嫌な、気持ち悪い感覚が肌に残ったまま。
「また……剣を教えて下さい」
 リダがララメをテントへ運んで寝かしていた。クシュージャさんは何も言わずに立ち上がって歩き出す。僕もそれについて行った。
 また、刃のない剣を渡され、向き合った。
「いつでも良い」
 そう言われ、剣を振り下ろす。やっぱり受け止められ、切り替えされ、蹴り飛ばされ、何度も何度も殺された。
 その度に立ち上がった。
「行きますっ!」
 今度は横薙ぎで思いっきり剣を振るう。金属と金属が強くぶつかると高い音が鳴った。頭に、鋭い痛みが走った。
 後頭部に剣を深々と差し込む明確なイメージ。
 瞬時に頭を傾かせて避けた。そのまま剣が、クシュージャさんに迫った。ぶつかり、押し合う剣を瞬時に弾くと、瞬時に屈み、クシュージャさんはそのまま足を払う。
 そのまま思い切り転けて、結局後頭部を思い切り地面に打ち付けた。
「終わりだ。あまりソレに頼りすぎるなよ」
 クシュージャさんはそう言ってテントへ戻っていった。見上げると澄んだ空で星がどこまでも広がっていた。

「おねぇちゃーん! いっしょにあそぼーっ!」
「こらっ! ちゃんと掃除しないと駄目でしょっ」
 あちこちが切れ、薄汚れて茶色の服。ボサボサの髪の毛、痩せた体。ここのみんなのおんなじ特徴。
 ラザを叱りつけると「だってぇー」と不満げな表情を浮かべる。それでもなんだかかんだ掃除に戻って、またぞうきんをかけ始める。
 お姉ちゃんだから、しっかりしなくちゃ。だからお手本になるように丁寧に床を掃いてゴミを集める。文句を言うことはあるけど、みんなしっかり自分の仕事をしている。
 本当に何にもなくて、町の人は可愛そうって言う。それでもみんながいる。だからうんと楽しくて、とっても幸せ。
「おかえりーおじーちゃん!」
 誰かが大きな声でそう言って、みんなが仕事を辞めて玄関に走った。おじーちゃんは今日のご飯を持っていた。
「今日のごはんなにー?」
「みんなの大好物、今日はシチューだよ」
 その声を聞いてとってもうれしくなった。暖かくて、とってもおいしくて。だからもっと頑張って掃除しよって思った。
「おじいさん……お金、大丈夫なんですか……」
 なんでかお姉ちゃんがうれしそうじゃなくて、申し訳なさそうにしていた。そんな姿を見て「大丈夫、心配しないで良いよ」っておじいちゃんは頭を撫でてあげていた。
 お姉ちゃんはいつもの優しい笑顔に戻って、とってもうれしそうだった。
 そんなお姉ちゃんを見てなんだかとってもうれしくなった。
「今日も、うんと綺麗にするからねっ!」
 そう言うと、おじいちゃんは「いつもありがとう」って言って頭を撫でてくれた。ガサガサで、とっても大きくて、とっても暖かい。みんなが大好きなおじいちゃんの手。
 とっても、とっても幸せだ。

「ボンタ君、そろそろ起きて」
「ボンタ起きろーっ!」
ぼやけた視界にぼやけた意識。声がして、なんとか瞼を持ち上げようとする。
「ぐっええっ」
 お腹に衝撃が走って内臓が全部飛び出そうになる。朝のうつろな意識が瞬時に覚醒して、状況を理解しようと脳が回る。なるほど、口から胃が飛び出ないで良かった。
「つ、次からはもうちょっと優しく起こしてくれるとうれしいかなっ……」
 にししと笑うララメを持ち上げて体を起こす。子供パワー、恐るべし。
 テントを出ると、ねっとりとした空気が絡みついた。蒸し暑くて、空は紫色の雲に覆われている。朝だというのに嫌に暗くて。先行きの見えない僕らの未来を暗示しているようだった。
幸い雨は降っていなかった。それでもべっとりと汗に濡れた髪が張り付いて、気持ちが悪かった。
 いつものようにクシュージャさんの後を追いかけるように歩いた。噴き出る汗を何度も拭う。閃光とともに大きな音が鳴って、空に光の線が何度も走っていた。
 一際大きな光に、たまらず目を閉じた。
 瞼を開けると、目の前の木にカラスが止まっていた。一般のカラスとは一線を画す大きな体。ぎょろぎょろと忙しなく動く五つの目。
 クシュージャさんが剣を構えた。僕は、目の前に集まっていく光の粒子を握った。
「カわりハ見つカッタ。モウそのムスメニヨうはなイ。イマヒき返せバ見逃しテヤル。」
ガチガチとカラスの口が動いた。つなぎ合わせたような切れ切れの声は、口の動きと一切会うことがなく、酷く不気味だった。
「断ると言ったら」
 クシュージャさんが言うと、カラスが枝から落ちた。動くことなく地面に叩き付けられ、激しく血を吐き出していた。痙攣する体にギョロギョロと動く目。
 カラスは動かなくなり、黒い煙となって霧散した。
 口を押さえ、吐き気を必死に堪えた。胸がムカムカして、頭の中で絶えず目が動き続けていた。
 ポツリと滴が落ちた。合図にして少しずつ雨が降り注ぐ。それなのに気温は上がる一方で、蒸し暑さが感情を逆なでした。
 その日は、大して進むことが出来なかった。夜になると、リダが氷で屋根をはって、焚き火を焚いた。鍋を囲って、簡素なスープを啜る。誰も、何もしゃべらなかった。食べ終わるといつもみたいに船を漕ぐララメをテントで寝かせる。
 雨音がするたび、カラスの言葉が何度も繰り返し耳に付いた。きっとみんな同じなんだと思う。ああ、嫌だ。少しでも忘れたくて、また、剣の稽古をつけてもらおうとしたその時だった。
 僕が頼むより早く、クシュージャさんが口を開く。
「お前と、ララメは引き返せ」
 ガンと頭を殴られた気分だった。
「最初から、そのつもりだった」
 その言葉は、何度も自分の中で隠してきた事を全て剥き出しにした。もう考えるのが嫌で、先延ばしにしてきた。答えを見るのが嫌で、分からないふりをしていた。
 とっくのとうに決まっていたのに。
 フードの男に襲われる心配がない以上、僕とララメは逃げ出すのがきっと正解だ。僕の目的は元々、帰ることだった。ただ、頼る相手がいなくて、付いてきていただけだ。必要とされて、同行していたわけじゃない。必要だったから付いてきたわけじゃない。
 ただ、こうするしかなかったから。
 ララメだって本当はこんな危険なところにいるべきじゃない。そのはずなんだ。
「……分かりました」
 僕が答えて、クシュージャさんもリダも何も言わなかった。みんなソレが最善だって分かっていた。僕はただ俯いて、何も考えるなと自分に言い聞かせた。
 一緒に旅を続けて、見ず知らずの大勢を助ける。そのために命をかける。そんなのは力のある人の仕事だ。僕の仕事じゃない。弱い僕じゃ出来っこない。だから……。
 そして、朝になった。今日は珍しく起こされる前に目が覚めた。ララメはつまらなそうにしていた。
 たわいない会話をした。しょうのない笑い話。小さく笑って、朝ご飯を食べた。いつもと変わらない朝だった。でも。
 今日はクシュージャさんは行くぞとは言ってくれない。最後にただ「じゃあな」とそう言った。僕はララメの手を取って二人に背を向けた。
「ばいばい、元気でね。ボンタ君」
「うん。ばいばいリダ」
 リダも元気でね、そう言おうとして言葉が出なかった。戦いから逃げる僕がそんなこと言えるわけも、資格も、あるわけがない。
 俯く僕に、リダは困ったように笑った。
「ボンタお兄ちゃんは弱っちいから、面倒見てあげてね」
「うんっ! でも……お姉ちゃん達は一緒に行かないの?」
リダがララメの頭を撫でて言った。ララメは元気に答えて、首を傾げた。
「お姉達はちょっと別の用事があるの。きっと、すぐ追いつくから、先に行ってて」
 屈んで、お願いするみたいに言った。ララメはそんなリダに抱きついて、顔を埋めた。またリダは困ったみたいに笑って、それなのにどこかうれしそうだった。
 少しして、リダから離れると、ララメは敬礼して「任せて下さいっ」って元気よく言った。
 そうして僕らは別れた。
 背中に乗る重さは暖かかった。とてもとても重かった。僕に背負いきれるだろうか。きっと守ってみせる。いや守り抜かなくちゃいけないんだ。
 やっぱり空は紫色で、嫌な空気が僕たちを覆った。不安に胸がざわついて、それでも一歩一歩確かに僕は進んでいった。
 暗さが変わらないながらも、なんとなくお腹がすいてきたこと、雨が降り出した。ポツポツとした雨はやがて強くなって、僕たちは大きな木を見つけて、雨宿りをした。
 二人で座って、雨がやむのを待った。雷が怖かったのか、ララメが僕の手を握ってきた。とってもとっても小さくて、それなのに暖かくて。
「お姉ちゃん達、大丈夫かな」
「きっと、二人も僕たちみたいに大きな木を見つけて、雨宿りしてるよ」
「ううん、ちがうの」
 ララメがそう言って首を振った。握った手が、小さく震えていた。
「襲われて、痛い思いしてないかな。怖い思いしてないかな」
「きっと、大丈夫だよ。二人とも、とっても強いから」
「ホント?」
僕は、僕は。何も言えなくなった。不安がるララメを安心させようと嘘をついた。僕はもうなんて答えて良いか分からなかった。
「ララメね、ララメ分かってるの。みんながとっても優しくてね、ララメを守るぞーって頑張ってくれてるの」
 ララメはそうポツリポツリと思いを話し始めた。わかりやすいよう、丁寧に、丁寧に、ララメは僕に教えてくれた。
「だからね、ララメは弱いから。ララメがいなくなったらみんな痛くなくなるのかなって。ララメね、上手く言えないんだけど、みんなが痛くなくて、笑っててほしいの。だから転んじゃってもね、すぐに立ち上がって、傷が塞がったら良いなって」
 ギュッと僕の手を握る小さな手に力がこもった。とっても優しくて、僕なんかよりよっぽど強い。僕はただ、ララメを言い訳にしてここまで逃げてきた。僕が守らなくちゃって、だから仕方がないんだって。
 弱っちい僕の心を守っていてくれたのはララメじゃないか。こんなに小さいのにしっかりと立って前を見てる。誰よりも力強く歩いている。
「ボンタ泣いてるの? どこか痛いの? だいじょうぶ? だいじょうぶ?」
 ララメは僕を抱きしめて、傷を治そうとしてくれた。ただただ自分が情けなくて、悔しくて、涙が出た。
 一瞬目のに映る物がすべて真っ白に消し飛んで、音が消えた。少ししてようやく雨音がぼんやりと聞こえてきて、大きな雷だったんだと気がついた
 頭を鈍器で殴られるような衝撃が襲った。慣れてしまった同じ感覚。
「この雨で長時間戦えばすぐに体力が尽きる。ようやくこれで終わりだな」
 ノイズ混じりに声が、嫌らしい笑みが浮かんだ。最悪の気分だった。
「二人が……二人が危ないかもしれない……」
 雨は止むどころかさらに強くなって行く。立ち上がった僕の服を掴んで、ララメが見上げていた。その目は、助けを求めるようで、とても優しくて。
「戻ろう」
 そう言うと「うんっ」とララメはうれしそうに言った。
 雨の中、何度も転けそうになりながら走った。体勢を崩して、膝をついて、それでもただ進み続ける。
 僕は弱くて何にも出来ない。今、何をすべきなのか。本当は何がしたいのかソレさえも分からない。だけど、ただこの小さな戦士を守りたいと思った。必死に立ち上がって、前へ前へと進もうとするララメの、せめて足でありたいと思った。
 何も迷う必要なんてない。ただそれだけで良い。
 僕はララメを守りたい。二人を守りたい。ただそれだけで。
「クシュージャさんっっ!!!!」
 ようやく影が見えて、叫んだ。少し先で光の粒子が集まって行く。
 辺りには動物の死体が転がっていて、ソレを超え、走り、光を掴む。手に取るとそれは剣になる。
 クシュージャさんとリダが背中合わせになって、それぞれ大きな熊の爪を不正でなんとか抑えていた。
「リダッ!」
 既に死んで倒れた熊を足場にして、名前を叫ぶとさらに氷の足場が生まれる。ソレを踏み台にして飛び上がった。
「ボンタっ! やっちゃえ!」
 後ろから力強い声がした。無我夢中で剣を振り上げて、そのまま巨大な熊の脳天にぶち込んだ。
 二人分の体重も掛かっているのにしぶとくて、堅い頭蓋骨にぶつかって剣が止まる。それでも熊の体がグラリと揺れて、腕を押さえていたクシュージャさんの剣が自由になる。クシュージャさんはそのまま屈んで両足を一閃。思い切り熊が後ろへ倒れて行き、地面にぶつかるのを待たずクシュージャさんは熊を登り喉に剣を差し込んだ。
 ソレと同時にもう一匹、リダが氷の壁でなんとか攻撃を防いでいる熊の背中に、剣を召喚し、そのまま突き刺す。
 低く、憎しみの籠もった鳴き声が響く。
 それでも動きが鈍くなって、リダは氷の壁をといた。ソレを見て熊は思い切り前足を振り上げる。ガラスの割れるような高い音がして、雲の関節と首に頑強な氷が張り付いた。何度ももがき、砕こうとするが、その度に氷は厚くなって行く。
 熊はすぐに動けなくなると、そのまま地面へと倒れ伏す。
 敵は全ていなくなって、いつの間にか雨が止んでいた。
 紫色の雲が避けて、光が差し込み、照らし出す。
「僕達も、連れて行って下さい。」
 動物の死骸達が煙にとけ空に消えていく。のこった窪みに水たまりが出来て、葉からこぼれた滴が落ちて弾けた。
 迷子だった僕は、ララメを守り抜いてみせる。そう誓った。

「どうしっ……どうして戻ってきたのっっっ!」
 すっかり雲が晴れて澄んだ空には無数の星が浮かんでいた。静かな夜の木々にリダの声が響く。立ち上がって、声を荒らげて、奥歯を噛み、ギュッと口を閉じる。
 とても辛そうな顔をしていた。
 いつも、僕たちは夜になると、焚き火の前で話をした。ただ、今日はララメがいた。ララメはリダの足下で「リダお姉ちゃん、ごめんなさい」と自分のお腹の辺りの服を、ギュッと掴んで俯いた。リダはそんなララメから目をそらして、拳が振るわせた。
「もう、逃げたくないんだ」
「ボンタ君は何にも分かってないっっっ!」
 今にも、泣き出してしまいそうな。悲鳴のような声だった。いつも笑顔のリダにそんな顔をさせてしまっているのが辛かった。それでも、もう引き返せない。知ってしまった以上、もう見て見ぬふりは出来ないから。
「リダお姉ちゃん、違うのっ。あのねっ、ララメがねっララメがみんなを助けたいって。みんながいたいのが嫌だって。だから直してあげたいって」
 上手く言えなくって、頑張って伝えたくてララメは必死に思いを告げた。
「分かってる……分かってるよぉ……」
 リダはそう言って、堪えられなくなって。焚き火の横で、大きな水が土に染みを作って、溶けて消えて行く。「泣かないで、泣かないで」って言ってララメがリダに抱きついて、二人で一緒に泣いた。
「俺は、フードの男を殺すために城下街を目指す」
 クシュージャさんは冷え冷えとした声で、そう言った。
「俺が旅を始めた理由は、復讐するべき相手を探すためだった。ソレがようやく見つかった。」
 焚き火がパチリと弾けて、小さな枝がクシュージャさんの左目の下を掠める。それでも彼は瞬きもせず、赤く光る瞳で何かをじっと見つめていた。
「端から正義なんてどうでも良い。他人の事なおさらだ。俺はお前らの生き死になんてどうでも良いんだ。ただ奴を殺す。邪魔が入ればそいつも殺す。ソレがお前らであってもだ」
 起伏のない声で言った。呟いたという方が正しいかもしれない。感情のこもらないその言葉は、脅しなんかじゃなく、確かに真実であると言うことを示していた。
「わたしはっ 殺したくないっ…… どんな人だって守りたい。どんなにっ 憎い相手だってっ 守ってみせる。それが、私に残ったっ 最後の大事な事だからっ」
 リダは、涙を拭って、切れ切れになりながらそう言った。クシュージャさんはそれに対して何も言わなかった。
「だからっ 逃げてほしかった」
 リダは僕を見てそう続けた。
「戦い方を、教えて下さい」
 クシュージャさんは何も言わずに背中を向けた。
「もう、守られてるだけは嫌なんだ。見てるだけは嫌なんだ。これ以上自分を嫌いになりたくないんだ」
 僕はそう言ってクシュージャさんの後を追った。
 その日、クシュージャさんは僕に真剣を渡した。震える手をクシュージャさんに剣を向けた。剣は弾かれて、ガラ空きになった胸に、剣の先が通っていく。のけぞって、深く切れることはなかった。じんわりと服に血が滲んだ。
 暗闇に赤い瞳が二つ浮かんだ。ソレは僕を見下ろして、殺そうとしていた。
 立ち上がって、剣を拾い、構えた。足がガタガタ震えて、動かなかった。赤い瞳がゆったりと近づいてきて、足の震えが収まっていた。いつの間にか体勢を崩して、僕の横に足があった。
 両足が切断されていた。叫び声を上げた。手が熱くなった。踏みつけられて、ぐりぐりと押しつぶされ、いつの間にか僕は剣を手放していた。剣が蹴飛ばされ、遠くで光る。
 銀色の鏡面に綺麗な三日月が映った。剣を取らなくちゃ。剣を取らなくちゃ。脳に死がこびりついて、必死に這いずって剣の元を目指す。
 この異常な状況で、頭は驚くほど冴えていた。何倍も早く回る思考の中で何度も死のイメージがメリーゴーランドを回す。トリップして、痛みが消えている。
 すり切れた手で土を掻いて、這いずって、這いずって。
両手のひらが、二本の剣で地面に打ち付けられた。消えかかっていた痛みがまた走る。前進に電気が走るようで、痛くて、動けなくなりそうで。
手を裂いて、剣を引き剥がした。また、這いずった。剣までたどり着けば、きっとなんとかなる。死ぬわけがない。こんなところで死ぬわけがない。
下半身が血と尿でベチョベチョだった。腕に枝と土が食い込んで、血で滑って。それでも前へ前へ。
 腕が、両腕が肩から切り落とされた。
目がグリンと上を向いて、瞼から剥がれようとしない。
後ろ髪を引っ張られて、顔が強引に持ち上げられた。暗闇の中で、やっぱり二つの赤い瞳だけが浮き出ていて、にやぁと獣が笑っていた。
僕の意識は、そこで途絶えた。

「なぁボンタ、ボンタはどんな大人になりたい?」
優しい声がした。頭をわしわしと撫でる温かい手が大好きでとても幸せだった。
「うーんとね、僕は正義の味方になりたいっ!」
「正義の味方?」
「うんっ!みんなを助けるかっこいいヒーロー!」
僕がそう言うと、脇に手を通して、抱きかかえてくれて。
「そうか、ボンタは優しいな。きっと慣れるぞ、かっこいいヒーロー」
コツンとおでこを当ててそう言ってくれた。
 あれ、そうだ。この時、ホントはもう一つ言いたいことがあった気がする。恥ずかしくて、結局言えなくて。
 あれは……なんだったんだろう。

「ボンタっ ボンタっ 起きてよっっっ ボンタっ!」
 暖かくて、ちょっと重くて、でもソレが幸せで、滲んだ視界に優しい色が映り込む。ほっぺが冷たくて、水の粒が落ちてきてるのが分かって、ララメが泣いていた。
「もうっ、重いよララメ。だいじょうぶだから」
 重い腕を持ち上げて、ララメの下瞼を、人差し指をでなぞって涙を拭う。
「あれ、うでっ…… 足はっ!? あるっっ!」
 足をばたつかせて、ようやく状況を思い出す。そうか、僕は殺されかけた。確かに死にかけたんだ。
「心配かけてごめんねっ」
 体を起こして、腿にララメを乗せたままわしわしと頭を撫でる。そうしたら思いっきり抱きついてきて、胸の辺りを涙と鼻水でぐちゃぐちゃにする。それがうれしくて、なんだかぽうっと暖まっていく。まだ、人の温度を感じられることがうれしい。
 乾いた音が響いた。
 クシャージュさんの頬が赤くなって、綺麗な紅葉が浮かぶ。
「いくら何でもやり過ぎですっ!!!」
 リダは涙を浮かべて怒鳴った。
「考えて、考えて、動きつづけろ」
 クシュージャさんは僕を見てそう言うと、背を向けてテントへと戻っていった。
 ようやく落ち着いて、辺りを見渡すとまだ、森の中だった。叫び声を聞いて、駆けつけてくれたみたいだった。
 リダは「馬鹿」といって振り返らず、クシュージャさんの後に続いた。見上げるとどこまでも澄んだ空に、浮かぶ星がやっぱり綺麗で、ララメと一緒にテントまでかえって、死んだように眠った。
 そして、僕は「戦いを教えて下さい」とそういったことを後悔することになる。
 もし、これから強くなりたいと思う人がいるなら、僕に一つだけアドバイス出来ることがある。何度も死にかけるのは、脳内麻薬でトリップして馬鹿になるからやめといた方が良い。
 その日、案の定また召喚獣が襲いかかってきた。
イタチのような見た目で尖った牙。素早く飛びかかって噛みついてくる。
「クシュージャさんっ!」
 いつもの掛け声、集まる光の粒子。でもそれはクシュージャさんの手元にだけだった。
「クシュージャさんっ! 剣をっ! お願いしますっ!」
 なんだ呼びかけても答えは変わらない。迫る敵、無防備な僕、飛び散る血しぶき、飛びかけた意識。
 腕に飛びかかったイタチは、そのまま肉を引きちぎってまた距離を取る。赤々とした肉にプツプツと血の塊が浮かんでくる。
 グラッと頭が揺れた。息が荒くなって、鼓動が早く早く、うるさくなっていく。痛みが次第に引いていき、意識がゆっくりになる。それでも、血の赤が正常な思考を邪魔して、飛びかかってくるイタチに、思いっきり殴りかかる。
 自分の顔よりも大きく開いた顎。拳がおにぎりみたいに丸々とくわえ込まれ、勢いのまま噛み千切り、引きちぎれた皮と骨だけが残った。
 さらに息が細く、早くなって行く。イタチの血走った目に恐怖を覚える。対抗する術を持たないという事実が重く胸にのしかかり、思考が死の一点にのみ集約されていく。
 「ボンタっっ」
 無意識のうちに、後ずさっていたことに気がついた。抱きしめられ、守られていたララメの背中に僕の足が当たった。
 怖いはずなのに、ララメは確かに僕を見た。目を背けることはなかった。
 僕は、守らなくちゃいけないんだと思った。
 僕がやらなくちゃいけない。僕はもう守られてちゃいけないんだ。
 もう一匹、イタチが飛びかかってきた。ゆっくり、ゆっくりと時間が流れ。
 鼓動が最高速を迎え全身に血が巡る。右腕からピッと血が吹き出る。
 首元を目指してゆっくり、ゆっくりとイタチが飛びかかってくる。
 動け、動け、動け、動け。
 あまりに遅い自分の動きにただただ苛立ちが募る。気がつけば、恐怖はどこかへ消えていた。
「うごけっっっ!」
 時間が途端に加速した。
 スローモーションだった動きが途端に速くなる。首をえぐろうとあまりに鋭利な歯がまっすぐと向かってくる。
 ガッ
 左腕に、ジタバタともがくイタチの振動が伝わってきた。首を捕まれたイタチは、首元まで届かず、前足で手の甲をひっかき、ガチガチと鋭い刃を合わせて威嚇した。
「やったっ……やったっっ! やれたっっっ!」
 ようやく実感がわき上がって、えも言えぬ快感が僕の体を巡った。他者を蹂躙すること、そしてその快感。それが少し怖くもあった。
 杞憂だった。単に脳内麻薬の分泌量が限界点を迎えただけだった。
 ピュッと最後に血が噴き出して、目の前がぐるぐると回り、体が浮遊感に襲われる。
「ハレッ?」
血を流しすぎて、訳が分からなくなって、緊張の糸が切れて、全身に激痛が走って、また僕は意識を手放した。
 それから幾日が過ぎ去った。生きることにただ必死だった。我武者羅に生にしがみついて、何でもした。大きな石で狐の頭をなぐって、イノシシに目潰しをして、鹿に木の枝で叩いて、モグラをハンマーで殴った。
 夜になるとようやく剣を手にして、その手を切り落とされた。喉に剣を突き刺されたことだってある。漏れ出した空気が、笛みたいに音を鳴らして、すぐに意識を手放した。
 それでもやるしかなかった。もうそれぐらいしか残ってなかったから。
 ただ出来ることを必死にやった。
 うれしかったのは、少しずつ出来ることが増えて言ってるのが、実感としてあったこと。体が動くようになった。傷ついて、直してもらって、すぐ傷ついて。
 ちょう効率的な筋トレでもしてるかのような気分だった。
 死にかけて、生き延びて、死にかけて、走馬灯を見て、どうすれば生きられるのか。僕の思考は止まらなくなっていた。今はもう、決して考えるのを止めない。
「ねぇ……ボンタはさ、どうしてそんなに頑張れるの?」
 ちぎれた足をララメに治してもらってて、そんな様子を見ながらリダが不意に聞いてきた。
 上手く、言葉が出てこなかった。それでも、なんとか伝えようと、必死に思いを零して、繋げた。
「ただ、僕にはもうこれしか道がなかったんだと思う。逃げたくなくて、言葉ばっかの弱っちい僕は死に物狂いで何か一つでも物にしないと駄目なんだって、きっと自分で分かってるんだ。」
 リダはそんな僕に「強いね」とそう言った。
 ううん。違うんだ。僕は本当はとっても弱くて、だからなんとか強がって見せて、そうやって自分もだまして。ただ、ただ真似っこをしてるだけなんだ。
 怖くて、怖くて、それでも、逃げる事の方がもっと恐ろしくて、だから怖いのを全部見ないように、他の人の仮面を被って。
 また、次の日がやってきた。
 僕はとうとう、傷をほとんど受けずに召喚獣を一匹倒すことが出来るようになった。うれしかった。強くなっているというのがどうしようもなくうれしくて。
 剣を持って、向かい合う。
 暗闇の中で頼りになるのは微かに浮かぶ陰、音、風、そして殺意。
 赤い目を、じっと見つめ、クシュージャさんの息遣いに耳を潜める。
 空中に、赤い線が浮かび上がった。ソレは囲うように円を描いて、目の前から陰が消えた。咄嗟に後ろを向いて、それでもどこにいるか捉えきれなかった。
 ボトリと音がして、足下に腕が落ちたのが分かった。
 滝のように漏れ続ける血。これは戦える時間を示す僕の砂時計。垂れて行くたびに視界がぼやけて考えられなくなってしまう。
 はやる気持ちを抑えて、それでも、必死にクシュージャさんを目で探す。あの特徴的な赤い瞳はどこにも見えない。
 どこにいる、どこにいる。考えろ。思考を止めるな。考え続けろ。
 頬を風が撫でた。冷たくて、気持ちの良い風だった。
 なぜ、なぜ今まで忘れていたんだろう。僕にも使える武器があることを。僕だけの、たった一つの魔法。この世界で、一人一人に与えられる武器。
 クシュージャさんを強く頭で思い描く。ガンと音がして、ワインのコルクを外したような、強い衝撃に脳が揺れる。
 暗闇の中で、何一つ見えなくても気配で分かった。僕はそこにいる。
 駆けて、駆けて、剣を振るう体制を整える。
 ああ、そこか。
 つながった感覚の中、不思議と意識は澄んでいて、空の上から自分ともう一人を見下ろしているみたいで。
 片手でなんとかバランスを取りながら剣を持ち上げる。
 呼吸を整え、そのときを待って止める。
 緊張の中、想像が何度も失敗を繰り返し、それでも成功を思い描く。
 未だつながった意識の中、少しの殺意を持って、自然と剣を動かしていく。
 僕はここにいる。
 僕はあそこにいる。
 僕は迎え撃つ。
 僕は走って行く。
 グッと向かい風が吹いて汗を全て吹き飛ばす。
 腕が意外なほど自然に押し出されていく。
 空を切る高い音がして、僕の体が地面へと押さえつけられる。
 月の光がクシュージャさんを今頃になって映し出して、笑っていた。上がった口角に、目はもう既に赤くはなかった。
 振り上げられた剣に、痛みを覚悟し、目を瞑った。いつまでたっても鋭い痛みが喉に走ることはなくて、剣は、首の横の地面に刺さっていた。
 クシュージャさんは僕の頭をガッと撫でると立ち上がり、何も言わずにテントへと戻っていく。
「笑ってた……?」
 月光に映ったクシュージャさんの頬には確かに一本の細い線が引かれていて、それは赤く濡れていた。
 初めて一太刀浴びせたことに気が付いたら少し笑っていて、僕は腕で目を押さえて必死に涙を隠した。
 ただ、うれしくて。
 ああ。僕はきっと役に立つ。僕ならきっとララメも守れる。そう思った
 そう、うぬぼれた。

「ボンタッッッ」
 叫び声が聞こえた。呼び声はまるで合図のようで、音が耳に入った瞬間、どうするべきか感覚で分かった。
 僕は、自らの後ろにボンタの存在を認識していた。そしてもう一つの殺意を確かに感じ取っていた。考えるより先に新しい殺意が構築されていく。ただまっすぐと、その喉元を貫くために。魔力を研ぎ澄まし、一振りの剣にする。
 ただ、殺せと。殺せ、殺せ、殺せと頭の中をその感情で埋め尽くす。
 形を成して、剣が走り出したのを感じれば、自らの手も同時に振るう。目の前の敵を切るために。首を落としてやるために。
 目の前が血の赤から一転、茶色の毛むくじゃらへと移される。混濁した意識のなか、奥で戦うのが自分か、それとも僕こそが自分なのか、その判断はもはやつけられない。唯一つ、すべき事だけがはっきりと分かる。
 腕の筋肉にグッと血を送り、勢いよく爪を弾く。そのまま横っ飛びで回避すると、高い泣き声が聞こえた。受身を取り損ねて、地面へ勢いのままに激突したころ、狼と熊の首に、一振りの剣が突き刺さったのを直感で理解する。
 体を起こし、半身についた土を叩き落とし、転がった剣を持ち直す。ずいぶんとアンバランスな串焼きの種を見据える。肉の隙間から下品に空気が漏れている。痙攣した手足、憎悪の瞳。ああ、そうだ。終わらせなくちゃいけない。
 あの時と同じように、ああ、簡単だ。心臓を突けばすぐにケリがつく。
「ボンタ君っ……?」
 ふと、自分を呼ぶ声に振り返る。「ううん、なんでもない」とリダはいった。向きなおすと、召還獣たちは全て煙になって消えてゆく。いつも変わらない嫌な光景。灰を思わせる曇った魔力は空へ溶けていってすぐに消えてしまう。
 一緒になって剣が消えて、また、歩こうとしたら足が上がらない。急に重くなって、何かと思って見下ろすと、ララメが抱きついていた。体がぽかぽかと暖かくなって、抉れ、プツプツとした肉が覗いていた傷口が見る見るうちに塞がっていく。
「ありがと、ララメ」
 ワシワシと、頭をなでてやると「エヘへ」とかわいらしく笑う。そうしてすぐに「おじちゃんも」とクシュージャさんにも抱きつきに行く。
「最近ちょっと、傷。多くない?」
リダが僕のほうまで歩いてきた。どこか申し訳なさそうで。とても心配してくれていた。
「ううん、大丈夫。最近ね、なんだか調子がいいんだ」
 強がりなんかじゃなくて、本心だった。僕は前よりはるかに戦えるようになった。役に立てるのが嬉しかった。少しずつ、共有魔法もつかえるようになって、一人でも敵を殺せるようにもなった。次はもっとうまくやれる。次はもっとうまく殺せる。次はもっと多く殺せる。
 それからも幾度となく召還獣と戦った。何度も傷ついて、何度も傷つけた。腕がもげる事もあった。足が千切れる事もあった。それでも僕は生きていた。それでも僕は戦えた。腕がなくなれば蹴ってやろう。足がなくなれば噛んでやろう。頭がなくなれば……
「ねぇ、ボンタ君はさ、なんで……なんでそんなにがんばれるの」
 焚き火の前で三角座りになって、リダが聞いた。それは、夜の襲撃の後だった。
 夜目の聞かない僕は、真っ先に狙われた。始めに右肩が食いちぎられて抉れた。。それでも左腕で剣を持って、召喚獣と感覚の共有を行う。
獣じみた殺意と食欲。剣を持つ左腕に噛みついて、骨ごと咀嚼する。
 僕は、足下にあった、大きめの石を拾って、噛みついて、肩から腕を引きちぎろうとする召喚獣の頭を、何度も何度も打ち付ける。
 シンクにお湯を流したみたいな大きな音がして、頭蓋骨がヘコんだ。叩くたびに頭が潰れて、毛がハゲて、肉がハゲて、脳みそが飛び散って引っかかる。
 それでも、足りない。こんなのじゃ満たされない。何度も何度も殴って、殴って。
 …………んっ! ぼん……んっ!
「ボンタくんっっっ!」
 急に、大きな声が耳に飛び込んで、ようやく辺りが見えるようになる。
 見るとしゃぶり尽くされた僕の左手はもうほとんど残ってなくって、力任せに何度も石を打ち付けた。右腕の抉れた肩から止めどなく血があふれた。
「僕も、守りたいから……?」
 言葉にして、ストンと落ちる。ああ、やっぱりそうだ。僕はずっと守りたかった。
 欠損部位が残っていない僕に、ララメが回復魔法を念入りにかけてくれる。こんなに小さいのに、健気で、優しくて。
 やっぱり、僕はこの子を守るためにこの世界にきたんだって。改めて、そう思う。
「ボンタ君はさ、まだまだやっぱり弱くって、怖くないの?」
「それでも、やっぱり、諦めたくないからさ」
 僕がそう答えると、リダは顔を埋めた。その後で、また空を見上げて、月を見た。
「諦めたくない……か」
 リダは一人、静かにそうやって呟いた。
 風邪を引いた夜に、布団の中で飲んだ生姜湯みたいに、体がぽかぽかと暖かくて、ララメの体温が伝わってきて。ゆっくりと、僕の傷は塞がっていった。
 その夜、夢を見た。
 いっぱい兄弟、みんなのおじいちゃん、大好きな家族。そこはまるで陽だまりのなかみたいで。きっと、誰かが見たら、可愛そうだと笑うような生活だけど、それでもとっても幸せで。
 朝、襲撃があった。僕たちは傷つきながら戦った。それでも、いつもよりずっと簡単に倒せて、僕は、やっぱり強くなっている。そう思った。
 その日の夜。
 また、襲撃があった。不意を突かれた奇襲だった。思えば、当然だったのだろう。それが一番効率的だ。まだ離れている状況で、リダの脚を一匹の斥候によって止める。後は、もう簡単だ。一番力がないくせに、一番厄介な子供を殺すだけ。
 どこか吹き飛ばすだけでもいい。どこか砕くだけでもいい。きっとすぐに壊れてしまう。
 無意識に、僕は共有していた。やわらかくて、実においしそうな肉だと思った。だから僕は思いっきり飛び込んだ。
 手の先から左肩までが綺麗に抉り取られて、僕の目の前に粒子が集まっていく。僕はそれでも右手で剣をつかんで、ああ、確かにうまそうだよ。獣の首に剣を突き刺した。吹き出す血にぬれないようにララメに覆いかぶさった。暖かくて、ちっさくて、とても震えていて。
意識が薄れていくなか、ああ、僕はきっと、この子を守るために、この世界にきたんだって、確かにそう思った。
 夢の中ではやっぱりみんながいとおしかった。ちっちゃくて、それでも元気いっぱいで、抱きしめるとかわいく笑って。ずっと一緒にいられたらいいなって思った。だから、みんなが傷ついちゃったら直してあげるって。そうしたらいつまでも一緒にいられるからって。
 みんな笑ってくれた。みんなが褒めてくれた。頭をなでられるととても幸せな気分で満たされて、もっとって。優しい笑顔が好きだった。ガサガソのおっきな手が大好きだった。お兄ちゃん、お姉ちゃんはいつも守ってくれた。妹、弟はいつも元気にしてくれた。とってもとっても大切な場所だった。
 ある日、新しい子がきた。
 ちっちゃな男の子で、ずっと、下を向いていたの。
「どうしたの」って聞くと「お父さんとお母さんが死んじゃったって」
 だから、お父さんもお母さんもいなくたって、「みんなで一緒なら寂しくないよ」って。そしたら男の子が泣いちゃって。きっとどこかすりむいちゃったんだって。だから直してあげるんだって。
 いつだってうまく出来たのに。みんな泣き止んでくれたのに。そんなのいやだって言われて。どうすればいいか分からなくって。いっしょにかなしくなっちゃって。泣いても泣いても痛いのが直らなくって。嘘じゃないのに。お父さんもお母さんもいなくたって、みんながいれば寂しくなかったのに。
 頬をなぞる冷たい感触に目が覚めた。
 とっても悲しくて。とっても寂しくて。
 ああ。僕は。どうしようもなく優しくて、どうしようもなく強くて、どうしようもなく弱いこの子のために、きっとこの世界に来たんだ。
 傷の一つも付けさせないと、付けさせてたまるかと。ただ、傷を負って、戦った。
「道へ出る。これからは、人と戦う事も、覚悟しておけ」
 ある晩、戦いが終わって、いつもみたいに回復してもらっている時に、クシュージャさんが言った。ララメの体が、びくりと震えた。
「大丈夫。きっと、きっと守るから」
 その小さな体をそっと抱きしめた。ララメはにっと笑った。僕は、ああ、大丈夫だ。とそう思った。きっとやれる。きっと守れる。それが僕の使命だから。
「私は、やっぱり殺したくない……です。それに、殺させたくない」
「俺は、端からそのつもりできている。嫌ならとめればいい。それでも俺はやる」
 すごく、辛そうな顔だった。苦しくて、苦しくて。
「リダおねえちゃん、どこかいたいの?」
 ララメがリダをぎゅっとして、傷を治そうとした。「大丈夫、ありがと」ってリダがいった。
 僕は、どうするんだろうか。今までの召還獣じゃない。町が近づけば、あの町であったのと同じような、きっと生きている人に襲われる。自分とおんなじ人に。でも、うん。きっと大丈夫だ。僕ならやれる。きっとうまく殺せる。
 その日の夜、ふと、目が覚めた。もう一度寝ようとして、うまくできなくて、僕はテントの外に出た。焚き火のあとの白色になった灰の横に座って、空を見た。綺麗な、三日月が浮かんでいた。ただ、何も考えず、それを見つめていた。少し冷たい風が体を包んで、心地よかった。夜の静かさの中で、優しくなく虫の声が、鳥の声が、嫌に寂しくて、心にぽかんと、穴が開いてしまったような気がした。
「ボンタ?」
 不意に声がして、ララメが、眠たげに目をこすってテントから出てきた。僕が、どうしたのって聞くと、ララメは「なんでもない」っていって、僕の背中に抱きついて、顔をうずめた。
「ボンタも……独りぼっちになっちゃったの……?」
 ララメは泣いていて。震えていて。
「うん」
 僕は短く、そう答えた。
 とっても、とっても幸せな夢を見たんだ。
 暖かくて、その日はみんなが大好きなシチューだった。誕生日だった。六歳の誕生日。ハッピーバースデーって歌が聞こえて、笑い声が重なって。とっても幸せな日だった。
 なんだかちょって照れくさくて、シチューを食べたらあったかくて。
 遠くで、大きな音がしたの。だれかの、叫び声が聞こえた。シンとして、みんなで、怖いねっていって。おじいちゃんが、外に様子を見に行った。震える子達をお姉ちゃんが、お兄ちゃんが抱きしめてくれた。大丈夫っていってくれた。
 玄関のドアが開いて、おじいちゃんが帰ってきた。おじいちゃんは血で真っ赤になってて、どうしたのって聞いても何もいわなかった。おじいちゃんはそのまま台所まで歩いて、包丁を持った。お姉ちゃんがどうしたの、どうしたのって聞いて、おなかが、じんわり赤くなった。
 高い音がして、みんなの叫び声で、おじいちゃんは包丁を抜くと、向き直った。
 今度は、弟の首から血が吹き出した。真っ赤で、熱くて、冷たくて、なんで、なんでって。お兄ちゃんがおじいちゃんの前に飛び出して、逃げろって叫んだ。
 みんな泣いて、泣いて。他のお兄ちゃんがみんなをひっぱたいて、逃げろって言った。
 その時、誰か一人が魔法を使ったの。
 苦しみもだえて、泣き喚く声がして、消し炭になった子がいた。もう誰だったのかもわからなくって。直れって、直ってって。私にはどうにも出来なかった。それから、みんなが魔法を使った。自制のない魔力が飛び交って、みんなで傷つけあって。怖くて、怖くて、どうしたらいいかわからなくって。
 おじいちゃんに抱きついた。元に戻ってって、いつもの優しいおじいちゃんに戻ってよって。
 おじいちゃんが覆いかぶさってきて、暗くなって、重くって、何も見えなくて、何も聞こえなくて。
 怖くて、怖くて、怖くって。
 ようやく明かりが見えて、頭にいつもの優しい感触が伝わってきたの。ごわごわのおっきな手で、撫でてくれて。ごめんねって声がして。おじいちゃんの背中は傷でいっぱいで。
 外を見たら、いっぱいいっぱい燃えていた。
 どうしたらいいのって。なんでみんな倒れてるのって。何で直ってくれないのって。
 痛くて。辛くて。何にも分からなくって。何にも出来なくって。
 泣いて、泣いて。顔を上げたとき、フードを被った男の人が笑ってた。
「ボンタも、怖い夢見たの?」
 声がして、気がついたら泣いていて、月の明かりがまぶしくって、僕はうんって答えた。
 ララメが、僕の頭をぎゅっと抱きしめて「だいじょうぶだよ、だいじょうぶだよ」って撫でてくれて。ちっちゃな手は暖かくて、優しくて。
 僕は、ララメを抱きしめた。
「寂しいね……寂しいね」
ララメが言って。二人でいっぱい泣いて。怖くって。辛くって。
僕は、いつの間にかララメをテントに戻して、また、空を見た。
涙で光がぼやけて見えて、月光がやっぱり眩しかった。

朝になって、二人して目を赤くして、リダに心配された。「なんでもない」って強がって、歩き出す。
空には暗雲が立ち込めて、何か、不安が募った。
ホラー映画を見た後、何度も振り返るみたいに、そわそわして。
「道だ。」
 唾を飲み込む音が、嫌に鮮明に耳につく。あと、少しもしないうちに町につくだろう。召還獣との戦闘が幾度となく繰り返されている今、おそらく敵もまだ町に辿り着いてはいないのだろう。計画が完遂してないからこそ不安の種を潰そうとする。そして、これから町へ近づけば近づくほどに、きっと、人を使ってくる可能性が増す。
 でも、止まる事は出来ない。奴らが町の中心部に辿り着いてしまう前に、召還に成功してしまう前に、殺さなければいけない。
 その日の昼ごろ、召還獣がいつものように襲いかかってきた。
 僕は、安堵していた。人と戦わないでよかった事を。きっと明日も大丈夫だと、根拠のない言葉で、自分を安心させた。
 傷ついても、傷つけないですんだこと。何か、不可解な感情を振り払うように、早足で歩いた。
 整備された道は歩きやすくて、今までとは比較にならないほど早く進んだ。
 太陽の覗かない空は、いつもよりずっと暗い。細かな閃光が走って、大きな音が鳴る。
 雷はまるで僕を囃し立てているようで、振動が肌に伝わるたびに、鼓動が速くなっていく。
 逃げ出すように、歩いて、歩いて、額からたれる汗を拭って。青色の魔石を掲げて、視界がぼやぼやとして。たまらず青色の魔石を取って魔力を注ぐ。僕は、湧き出た水を啜った。
「ボンタ君っっ!!!」
 リダの声が聞こえた。
 手から魔石が零れ落ちて、はらはらと髪の毛が散った。
 尻餅をついて、頬を撫でると手が真っ赤に染まった。
 空が光って、影が落ちた。
 見慣れた、赤い瞳が、僕を見下ろしていた。焚き火に薪を放り込んだみたいに、炎が強く燃えて、振り上げられた剣が、まっすぐに僕を見据えていた。
「嫌だ。嫌だ……嫌だよ……」
 必死に後ずさって、怖くって。
「立てッッッ」
 クシュージャさんの声が脳に響いた。
 また、暗雲に光が走って、目の前が紫色に光って、耳鳴りがして、また、首がずれて、斜めに切れた断面に滑り落ちていく。
 恐ろしくなって、無理やり立ち上がっても脚が震えて、それでも剣を取って。
「冒険者だ」
 クシュージャさんはそういって、森の中から現れた、複数の敵に向き直った。
 みんな、みんな、目が爛々と燃えていた。
 クシュージャさんが走り出して、二振りの剣を持って、踊るように振るう。一人で四人の剣を全て捌いて、それでも、敵はまだ残ってて。
 投げつけられたナイフを剣で弾く。振り下ろされた、僕の体ぐらいある大きな剣を横に交わす。完全に避けたのに、地面が揺れて、体制を崩す。何とかこらえたと思えば、体が無意識のうちに倒れて、脚に激痛が走る。
 すぐに矢を引き抜いて、痛みに歯を食いしばって、立ち上がる。すぐさま、巨大な剣の横薙ぎが襲ってきて、くぐる様に交わす。
 胴ががら空きで。ああ、なんども、なんども練習した。
 クシュージャさんと何度も戦って、僕が大振りで攻撃をはずすと、腕が切られて、胴が二つに分かれた。
 剣を持つ手が自然と動いて、視界に一本の道が引かれる。半ば自動的に剣の先が道を通って、目の前の、大柄な敵の腕へ向かってゆく。
 切れる。大丈夫、大丈夫だ。僕なら……
「殺せる」
 言葉がするりと喉から漏れて、道がいつの間にか消えていた。
 僕はどうやって剣を振ればいいのか分からなくなった。
 ためらって、剣を止めて、どうすればいいんだって、いろんな感情が脳であっちこっち飛び回って、視界が独りでに走り始める。
 体が地面に打ち付けられる感触がして、小柄な男が僕のほうへ走ってくる。
 横っ腹に鈍痛が残っている。それでも、ぐらつきながら立ち上がる。僕は剣を何とか構えて、勢いのままに振られるショートソードを受け止める。
「避けてっ!」
 聞きなれた声がして、目の前の小柄な男が吹き飛ばされる。ひんやりと冷たい風が吹いて、また、空が光った。
 僕はただ、何も考えず、横に飛ぶ。大きな音がなって、一緒になって、土ぼこりが舞った。横にまた、巨大な剣が振り下ろされていた。
 また、空が光った。
 辺りが照らされて、遠くで、氷漬けになった女が見えた。横に、弓が落ちていた。近くで、氷漬けになった小柄な男が見えた。目の前の、大柄な男の、肩が凍り付いている。僕が逃げている間に、リダが、三人を無力化していた。
 すぐに、大きな音がやってきた。雷がゆっくりと近くに迫ってくる。
 大柄な男が、力任せに氷を砕いて、腰のポーチから小振りの赤い魔石を取り出して、氷漬けの二人に投げつける。陶器のグラスを落としたみたいに、高い音が何重にも重なって、赤い結晶が氷を包んで、二人の体を炎が包んだ。
 低い叫び声。再び投げつけたのは青い魔石。ぶつかって、大きな水の塊が二人を包んで、土にしみこんで、爛れた皮膚がドロリと垂れていた。
 女が、弓を拾って、矢を番えた。鮮明に映る光景に、頭を傾けて、また頬が切れた。小柄な男が走ってきて、飛び掛って、振り下ろされる剣を受け止める。
 勢いを殺しきれず、倒れこんで。
「ボンタッッッッッ」
 遠くで、合図が聞こえた。
 頭を、金槌で殴られたかと錯覚するような、鈍い痛みが走る。
 目の前に憎い男が倒れている。ああ、そうだ。僕は、僕を殺そうとしているんだった。
 ただ、我武者羅に横に転がって、避けた。立ち上がると、男が剣を振り下ろして、重さに引っ張られて、お辞儀をするような体制になっている。
「だめっっっっっ!!!」
 確かに、遠くで叫び声が聞こえた。
 助けを求めるような、泣き喚くような、そんな悲鳴。
 でも、また目の前が真っ白に光って。音が全て掻き消えて。
 ああ、殺したい。殺したい。憎い。こいつが、こいつらが憎い。
 ようやく、視界が開けて、吹き出した血が、顔にかかった。
 なんだよ。簡単じゃないか。何も怖いことなんてない。最初からこうすればよかったんだ。
 雷が落ちて、脳が揺れる。
 弓を構えていて、仲間を殺した憎い男に狙いを定める。ああ、絶対に殺してやる。
 僕は、足元に転がる頭を引っ掴んで、振りかぶった。思ったより重くて、狙っていた位置より少し下。女の腹にぶつかった。
 また、合図が聞こえる。視界が真っ白になった。
 物凄い速さで憎い憎い敵に近づいて行く。飛び掛って、首にショートソードを突き刺してやるイメージが脳に走った。
 僕は、飛び掛ってくる小柄な男に思いっきり剣を振る。火花が飛んで、剣が弾かれて、少しあとずさる。小柄な男は弾き飛ばされて、少し遠くで受身を取っている。
「クシュージャさんッッッ」
 戦っているはずなのに、的確に、僕と小柄な男の間に、魔力が収束していく。僕は走り出して、剣を左手で持って、日本の剣を構える。
 また、合図が鳴る。視界が真っ白に染まって何も見えなくなる。
 タイミングよく目を閉じて、視界が塞がるのを防いだら飛び込んでくる男の攻撃を予測する。大振りに振られるであろう右の剣を弾いて、喉元に剣を突き刺してやる。
 僕は、右の剣を振り上げる。目の前の小柄な敵は目を瞬かせている。(しばたかせている)ああ、そうだ。これは共有だ。閃光に潰された僕の視界もお前に伝わる。
 終わらせてやる。殺してやる。殺してやる。
 後、数歩。右手の剣を振り下ろし、そのまま剣を投げ飛ばす。小柄な男はとっさに後ろに弾き、体制を崩す。開いた右手で左手の剣を握り、両手で剣を振り下ろす。ようやく殺せる。しねっ。シネッ。死ねッッッ。
 耳につく、高い音がして、剣が弾かれる。
 また、合図がして、鼓膜が震える。
 近づいてくる雷音。焦りが鼓動を早める。張り詰めた意識の中、ただ燃え上がる憎悪だけが膨れ上がる。細かく吐き出される息、頭の中を埋め尽くす、殺せという感情。ああ、早く矢を番えなければ。一刻も早く、殺さなくちゃ。早く、早く。ねぇ早く。
 横っ腹に、鋭い痛みが走った。思わず、転んで、尻餅をつく。空が光って、覆いかぶさる男の口がにぃっと歪んで。剣がまっすぐと落ちてくる。
 ああ、そうだ。合図が鳴ったじゃないか。
 殺す。殺す。殺してやるっ。この剣を突き刺して、首を貫いて、ぐりぐりとかき回して、この憎悪を晴らしてやろう。
 僕は横に転がって、何とかかわして。腹に突き刺さっている矢が、折れて食い込んだ。歯を食いしばって、引き抜くと、一緒に血が吹き出す。
 立ち上がろうとすると、血でぬるぬるの手が滑って体制を崩す。
 雷が落ちた。
 ああ、ようやく殺せる。間違いなくこれで死ぬ。この矢が脳天に突き刺さって、脳味噌が滝みたいに吹き出してくれるわ。ああ、はやく、はやく、死んでよね。
 止めろ。殺してやる。止めろ。止めろ。
 遠くで、矢を番えて、今まさに弓を射ろうとしていた女が、凍りついた。
 細身の男が、ナイフを投げた。僕の左手が地面に釘付けにされる。
 雷がまたなって、さっきより近づいていて。
 大きな音とともに殺意が、怒りが、激しい怒りが湧き上がる。こいつを、一刻も早く殺さなくちゃ。
 僕はナイフの刺さった左手を強引に引きちぎって、また地面を転がる。
 土と鉄の味が口に広がる。思考がグチャグチャでわけが分からない。ただ、どうしようもないほど胸が締め付けられて、瞳孔が開いて、呼吸が苦しくて、ひたすらに目の前の小柄な男が憎くて、殺したくて。
 急いで立ち上がって剣を振るう。弾かれる。
 また雷が鳴る。
 体を真っ二つに切り裂くイメージが見えて、剣で受け止めて、剣を振るって、止められて。
 雷が鳴って、剣を振って、受け止められて、受け止めて。
 雷の音が次第に迫ってくる。感覚がどんどんと短くなって。音がすぐそこまで走って来てて。
 早くしなくちゃ。早く殺さなくちゃ。早く殺さなくちゃ。
 死ねよ。死んでくれよ。何で死なないんだよ。
「さっさと死ねって行ってるだろッッッ」
ショートソードが僕の両足を切り落とす。僕の剣は、何かにぶつかって、力任せに押し込んで砕くと、喉を貫通する。
 ああ、ようやく殺せた。
 まだ、まだだ。まだもう一人いる。
 殺してやる。終わらしてやる。
 僕は這いずって、氷漬けの女の下へ向かう。そうだよ。殺さなくちゃいけない。ちぎれた足の断面と地面が凍りついて、動けなくなる。邪魔だ。早く殺さなくちゃいけないのに。剣を振って、強引に氷を叩き割る。足が切れたけど、どうでもいいや。
 すぐに、女の下まで辿り着いて、女は氷の中でこちらを睨み付けた。
 うざい。むかつく。生意気だ。早く死ねばいいのに。剣を何度も首の氷にたたきつけて、たたきつけて、首が見えて、血が吹き出して。
 タッタッタと向かって走ってくる音が聞こえた。
 なんだ。まだいたのか。殺さなくちゃ。殺さなくちゃ。
 僕は振り返って、剣を足に思い切り突き刺す。
 倒れてきたら、そのまま喉を食い破って殺してやる。
 雷が落ちた。
 今までで一番大きな音がして、近くの木が燃え上がる。
 足元に剣を突き刺したはずなのに、剣はあまりにすんなり通って、骨にぶつからない。
 だいじょうぶ。だいじょうぶだよ。今、直してあげるから。痛いのはいやだもん。怖いのはいやだもん。
「だいじょうぶだよ、ボンタっ。いまね、ララメが直してあげるから」
 敵は、思って頼りずっと背が低くって、僕の剣はお腹に突き刺さっていて、ララメが僕の体に倒れこんできた。
 暖かくて、暖かくて、足がまたつながって、頬の傷が塞がっていくのが分かる。
「ずっといっしょだからね、さびしくないよっ。ぼんたっ」
 弱々しくて、今にも消えてしまいそうな声が、耳に残る。
 ララメの小さな口から赤い液体が噴出して、どうすればいいかわからなくって。
 真っ黒の雲から、一粒の水が落ちてきた。それは、僕の頬を伝って血を拭う。ぽたぽたと、雨が降り出して、ララメはそのまま動かなくなって、雨に熱を奪われ、やがて冷たくなっていった。

第三章 否定
 振り下ろされた剣を、両腕の剣をクロスさせ、受け止める。そのまま両腕を開くようにして、剣を上に弾くと、二振りの剣を斜めに振り下ろし、女の体にバツ印を刻む。
 倒れていく女を踏み台にして、その奥に立つ耳の長い男を目指し、走る。男は左腕を添え、右腕をまっすぐと伸ばし、親指を立て、小指と薬指を握り、中指と人差し指を僕に向ける。片目を閉じ、外さないようにと、男は狙い澄ます。
「イマダッッッ!!!」
 叫び声を上げ、目をまっすぐと見て、感覚を繋げる。血が、体から全て飛び出して、目の前の男に流れていくようだ。空っぽになった体に、目の前の男の血が満たされていくようだ。頭の中で、殺せと赤い文字が踊り狂う。できるだけ苦しめて、憎しみの全てをぶつけてやろう。
 ああ、なんてうるさい。なんてうるさいんだ。人を殺すのに、そんな余計な物はいらないはずだろう。
 僕はただ、右の剣を振り上げる。男の指から飛び出た電撃が、後を追うように剣へ飛び込んで行く。ああ、当たり前だ、指示は僕が出した。狙いは僕がつけた。
 あと三歩、二歩、一歩。
 バチリバチリと音がして、剣を差し込んだ肉が焼け焦げている。酷い匂いだ。刺した剣ごと蹴飛ばして、辺りを見渡す。ああ、あと数秒、全くの同時にあの四人はクシュージャさんに首を飛ばされる。
 あの大男も、リダに氷漬けにされるだろう。
 不意に、視線が落ちた。視界に残った不確かな違和感。酷い貧血みたいに、意識がふらっと飛んで、倒れた体に入っていく。
 ああ、気づいていない。首元にナイフを投げつけて、その後で拘束を完全に解いて、残り二人も、滅多刺しにして、惨たらしく殺してやる。
 体に引き寄せられるように、感覚が戻っていく。氷漬けにされた骨張った細身の男。
 思考より先に体が動いて、ただ走る。息が切れて、肺が、心臓が痛い。男の左腕、氷漬けにされて、動けないはずなのに、確かにそこだけ氷が溶けている。リダはそれに気がついていない。
 細身の男が、僕の存在に気がついて、焦ってナイフをぬいた。この距離ではまだ殺せない。間に合うか……間に合うか……
 僕が左の剣を氷漬けの男に投げつけたのと同時に、ナイフが投げられる。
 ああ、駄目だ。間に合わなかった。あの軌道じゃ間違いなくリダの体に刺さるだろう。致命傷になる必要はない、ただ一瞬隙が出来れば、もう一人の男がとどめを刺せば良いんだから。
 何かを投げて軌道を変える、無理だ。そんな正確に投げれる訳がない。叫んで危険を知らせる。無理だ。声が届いた頃には刺さっている頃だろう。
 ああ。良かった。なんだよ。意外と足も速くなってるじゃないか。
 僕はただ、地面を蹴って飛んだ。そして、まっすぐ右手を伸ばした。
 鋭いナイフの先が、右手のひらを押して、静かに食い込んでいく。勢いに負けて、右手が引っ張られて、そのままナイフが甲から飛び出して、柄で止まる。
 着地も何も考えずに飛んだから、上手く受け身をとれず、地面に打ち付けられる。一緒に右手を打って、柄が押されて、手のひらを貫通する。
 ナイアガラの滝みたいに、手のひらに開いた穴から血が噴き出して、左手で、炎の魔石を取り出して、右手に押しつける。
 奥歯を噛みつけて、砂利の入った口に、歯のかけらと、鉄の匂いがごちゃ混ぜになる。鼻に、さっきと同じ、肉の焦げた匂いが付いた。
 ジンジンと、熱と痛みが腕に残って力が入らない。それでも、立ち上がらなくちゃいけない。まだ仕事が残っている。
 氷漬けの細身の男の元まで歩く。剣は横っ腹に突き刺さっている。赤い、血混じりの涙を流しながら、男は俺を睨み付ける。何かを叫んで、氷の中で閉じ込められた声が反響して、ブルブルと振動し、低い音を鳴らす。左手で剣を抜く。
 そうだ、僕は殺さなくちゃいけない。
 喉元に剣先を当てて、体重を乗せる、氷が削れる音がして、低い音が大きくなって、氷を貫通して、叫び声が漏れる。その後で、皮を断ち切る感触がして、叫び声が止まった。
 大きな音を聞いて、リダが振り向いた。似合わない、獣耳をつけた男が、氷漬けで倒れている。
「な……んでっ」
 血に濡れた僕を見て、口を押さえ、言葉を漏らす。
 まだだ。まだ戦いは終わっちゃいない。また、こいつみたいに氷を破られるかもしれない。僕は獣耳の男を目指して歩く。リダを手で横に押しのけて、剣をまた、喉元に押し当てる。
「やめてっっっっ」
 また、パイプが繋がっていく。
僕は、どうやって殺してやろうかと考えている。爪と指の間に、針を突き刺して、叫び声を聞くのはどうだろうか。何度も何度も繰り返して、いつかショック死するのを待つ。それとも、足の先からゆっくり皮を剥ぐのはどうだ。腹を割いて、内臓を生きたまま抜いて、それを見せてやるのは。
今日は……すこし魔法を使いすぎた。すぐに共有は途切れる。ああ、まったく、やかましい。頭の中では、憎しみがパレードを開催している。
腕に、ぷつりと皮を断ち切る感触が腕に伝わって男は静かに死んだ。
戦いがようやく終わった。いつの間にか、空が暗くなっていた。
「なんで、なんで殺すの……」
 リダがポツポツと零すように話し始めた。
「人、なんだよ。生きてる、人。ただの召喚獣じゃないんだよ」
 クシュージャさんは何も言わず肉の塊を一カ所にまとめて山を作っていた。
「僕だって、生きている」
 息をするように、起伏のない声で、僕は喋った。
「僕は召喚獣だ。」
「ちがっ、ボンタ君は……人だよ」
「違わない。どこかで生きて、勝手に呼ばれて、惨たらしく殺される」
 そう言うと、リダは申し訳なさそうに俯いた。リダが、悪いわけじゃない。呼んだのは別にいる。それに、人を殺すなって言うのは分かる。上手く言葉に出来なくても、そういう感情はまだ覚えている。それに……リダは、守りたいって言っていた。
「僕が、殺してきた召喚獣みたいに、僕も殺せばきっと消えていく。どこに消えていくのか、召喚された僕にだって分からない。でも、なんだか、元の世界に帰れるような、そんな気がする。ただの願望かもしれないけどね」
 ただ、言葉が流れ出て行く。川の水のように、ただ当然そうあるべきだというように、話すたびに思考が澄んで、透明になって、頭で考えるんじゃなくて、ただ、口から流れ出る。
「そうなったら、きっと、僕の死体は燃やしてもらえる。だから、僕はただ、死ぬその時まで、殺して、殺して、それが僕の役割だ。呼ばれた理由だ」
 暗い夜に、赤い光が灯った。光は、僕らを照らし、影を落とす。肉の焦げる匂いが鼻について、僕の目に、大きな炎が焼き付いて、静かに揺れて離れることはなかった。
 次の日になった。
 襲ってくる召喚獣と人。そのどちらをも殺す。戦いの最中、千切られた左の耳を、炎にくべる。やっぱり、人の焼ける匂いは臭い。
 少しずつ焦げて、真っ黒になって、やがて骨だけになる肉塊を、ただ見つめた。
 また、次の日になった。
 襲ってくる召喚獣と人、そのどちらをも殺す。戦いの最中、右目が潰されて、上手く距離感が掴めない。死体を集めようとして、何度も空を切る。
 耳がなくなって、目もなくなって、今、どこにいるのかさえよく分からない。宙に浮いているみたいで、水の中に沈んで行くみたいで、立っていることが、かえって不思議だった。
「フザケルナッ! 死んだ程度で、詫びになるだなんて思うなよっっっ!」
 戦いが終わった後、クシュージャさんが僕を地面に叩き付け、いった。
「仕方がないじゃないですか。間に合わないこともある。狙いが変わることもある。感覚の共有は完全じゃないです。」
 言い訳をするみたいに取り繕った。こんな口も、なくなってしまえば良いのに。そう思った。
「仕方なくなんかないっ!誰かを傷つけるために、自分まで傷つけて……」
 リダは弱々しく、僕の胸を叩いて「諦めないでよ」と泣いていた。
「元の世界に帰るんでしょっ……」
 その夜、目を閉じて考えた。ゆっくりと落ちていく意識の中で、元の世界なんてどうでもいい、そう思った。
 次の日も、また召喚獣と人とが、一緒になって襲いかかってきた。
 圧倒的に手数が足りなくて、体のあちこちに傷が出来ていく。切り傷から流れる血が、思考を奪って、また一つ、また一つと傷を作る。
 半ば自動的に、感覚の共有を行使して、強引に体を動かす。交わしきれない攻撃が通って、血を滲ませる。
 それでも、剣を喉元に突き刺して、一匹、一人ずつ殺していく。残り五匹、残り四人、残り三匹、残り二人。
 霞がかった視界が、ピンク色に染まる。ようやく残り一匹になって、足が動かなくなった。力が入らない。
 また、感覚が繋がって、僕の顔が明確に映る。ああ、きっとこのまま行けば殺せるだろう。人の脳みそっておいしいのかな。頭丸かじり、顎に良さそうだ。
 思考は楽観的で、それでもどうすれば殺せるかを機械的に思考し続ける。あっさりと答えは出る。頭を捧げて首を刺す。齧り付かれて、首からもがれる寸前に、ちょうどこの剣が届いてくれる。文字通り死ぬ気でやるわけだから、多分、力も十分伝わるだろう。
 ゆっくり、ゆっくりと時間が動いて、ぼやけていた視界がより一層白くなって。剣を持つ腕をなんとか持ち上げて、あと少し、あと少し。自分が死ぬその瞬間をカウントダウンしながら、首元へ剣を走らせていく。ああ、ようやく。
 とうとう、頭に痛みが届くことはなかった。剣が、首の骨を砕き、神経を断ち切ったのが分かった。
 ぼやけた視界が灰色になって、誰かが覆い被さっていて、頬に冷たい滴が垂れて、赤い液体が零れるその断面を見て。
 リダの右腕が、肩から綺麗になくなっていた。
 悲しいのか、悔いているのか。もう何にも分からなくて、僕はそこで意識を手放した。

 小さい頃、パパが悪い奴を捕まえているところを見た。町のみんなのことを守って、とってもかっこよくて、私もいつかパパみたいになりたいって思った。
 やった、やった、やった。「ガキは駄目だ」と「女の仕事じゃねぇ」とか、ずっと認めてもらえなかった。それでも、今日、やっと、やっと。
「あら、お帰り」
 勢いよく玄関を開けて、大きな音を家に響かせる。料理を作っているお母さんと、それを座って待っているお父さん。二人がいるのを確認する。
「町の警備の仕事ね、ようやく力が認められて、見習いにしてもらえたの!」
 堪えきれないで、家の外にまで聞こえる大きな声で報告する。
「ほ、ほんとうか!? ど、どうしようママ。うちの子やっぱり天才だ!」
「え、ええ。どうしましょう。世界一可愛いくて、賢いとは思っていたけど、その上、とっても強いなんて……」
 二人は本当に驚いた顔をして、頭をいっぱい撫でてくれた。私は、二人がとっても喜んでくれたことがうれしくて、かっこいい二人に近づけたことがうれしくて。
 その日の晩ご飯はとびっきりおいしいシチューだった。ぽかぽかと幸せな気持ちになって、ベッドに入るとすぐに眠っちゃった。
 でも、外がうるさくて、まだ夜中の家に目が覚めた。お父さんもお母さんも、異変に気がついて起きていた。まだ、日が昇るには早すぎるのに、外が明るすぎた。
 物が壊れるような音がして、お父さんは足早に着替えて、外へ出て行った。すぐに、お母さんを呼ぶ声がした。
 私も何か役に立ちたくて、一緒に付いていった。外に出ると、あちこちの家が燃えていた。辺りを見渡すと、ドーム状の光の壁がいくつも張られている。お父さんの結界魔法だ。その中の人はみんなどこかおかしくて、結界を何度も殴りつけて、怒鳴り声を上げていた。
 あまりに異常だった。
 私とお母さんは、お父さんが座り込んでいる場所まで走って行った。そこには、お腹を滅多差しにされた、私と同じくらいの男の子が倒れていた。
 思わず目をそらしそうになって、グッと堪える。
「お父さんっ、一体何があったのっ!」
 何も分からなくて、ただ、この異様な状況に答えがほしかった。
「ママ、治療を頼む。……分からない。ただ、みんな様子がおかしい。お前は家に戻っていろ。まだ手に余る」
「でもっっ」
 怖かった。それでも、自分も役に立ちたかった。お父さんのように誰かを守りたかった。お母さんのように誰かを救いたかった。
「さっさと行けッッッ!」
 初めて聞く、本気の怒声。私はどうすれば良いのか分からなくて、足がすくんで、お父さんの口から、血が噴き出した。
「なっんでっ」
 横を見ると、お母さんが倒れていた。生気の籠もらない瞳は、大好きだった優しい緑色じゃなかった。お母さんは、死んでいた。
「やだぁ……こんなのやだよぉ」
 怖くて、どうしたら良いか分からなくて、ただ涙ばっかりでて、男の子が、私を見た。
「お前もぶっ殺してやるッッッ!!!」
 低い声でそう言って、包丁を振り上げた。私はただ後ずさって、転けて、尻餅をついた。ああ、死ぬんだなって、そう思った。
 何かがぶつかる音がして、見慣れた壁があって、男の子が叫びながら、壁に何度も包丁を打ち付けていた。
 倒れたお父さんが、口をパクパクと動かしていた。ドロドロとした血が漏らしながら、確かに、に・げ・ろとそう言っていた。
 そんなの、嫌だって。そう言いたかった。これからだったのに。みんなを守って、お父さんみたいにかっこよくなって、みんなを救って、お母さんみたいに優しくなって。
 私には何も出来ない。
 走って、走って、何も見ないようにして逃げた。
 お父さんも、お母さんも何も悪くないのに。なんで死ななくちゃいけないんだ。頭の中が憎しみの感情でぐちゃぐちゃになった。
 悲しくって、辛くって、憎くって、殺してやりたいと思った。
 お父さんはみんなを守ったのに。お母さんはみんなを救ったのに。全部全部壊されて、裏切られて、殺された。
 私も、全部壊してしまいたいと思った。お腹の中に黒いヘドロが溜まって行くのが分かる。ただ、それでもどうしても捨てられなくて、辛くって。
 私は……

 「二人の生き方を、否定したくない」
 目が覚めて、そう、言葉を発していた。
 どうしようもなく、胸が痛かった。頬に、涙が走った後があって、僕は、眠りながら泣いていた。
 どうして、どうしてなんだ。そんなに辛いのに、どうしてそんなに頑張れるんだ。
 二人が守った人を、みんな守ろうだなんて、そんな信念、苦しいだけじゃないか。
 僕には、そんなの無理だ。やれっこない。僕にはもう、殺すことしか出来ないんだ。
「ボンタッッッ」
 クシュージャさんの声が届く。それはいつもの合図。魔力を込めて、ただ機械的に目の前の敵と共有すれば良いだけ。ただそれだけで。
「っっっ」
 上手く、繋がらなかった。咄嗟に地面を蹴って、横にステップして、攻撃を躱す。剣が服を切って、脇腹に赤い線を引く。
 そして、また合図が掛かる。確かな殺気を感じて、魔力を操り、トンネルを繋げようとする。それなのに、上手く、開かない。
「なんでっっっ」
 助けを求めるような、弱々しい悲鳴だった。視界に敵は映らず、咄嗟に左へ避ける。視界のない右側から、熱が伝わって、目の前を炎が通過していく。
 駄目だ。無理だ。守れっこない。僕は、殺すしかない。殺すことしか出来ないんだ。
 頭の中で、何度も繰り返し叫ぶ。そうやって強引に感覚を繋げて、攻撃を躱し、切る。落ちた頭を蹴飛ばして、敵にぶつけて、確認する。ああ、やっぱり。僕は殺さなくちゃいけないんだ。
 また、もう一人。ああ、殺してやる。証明してやる。
 感覚を繋げようとして、目の前が真っ赤な鮮血に包まれる。どんな風だっただろうか。今となっては男か女か、それも分からない。
 敵は、無数の剣に体を貫かれ、死んだ。
 真っ赤な瞳に、白い息。クシュージャさんが静かに僕を見下ろしていた。
「迷いのある奴は足手纏いだ。」
 凍り付くような声で言った。僕は答えることが出来ず、ただ目をそらした。
「お前はもう、戦うな」
 続けて言って、背中を向け、死体を集めに向かう。
 クシュージャさんが、赤い魔石に魔力を注ぐと、火柱が立った。死体の山に火が移って、いつもよりさらに早く肉が焼け焦げていく。
 そのうち熱が伝わって、僕の身を焦がす。熱風が吹いて、灰が空へ飛び散って、僕はただそれを見つめていた。頭の奥の方がちっと音を立てて、燃えているような気がした。
 
 戦いが終わっても、クシュージャさんの、荒れ狂うような戦意は収まらなかった。ただ静かに燃え続けていた。暗闇の中でどこまでも赤い瞳は残る。
 僕は、どうすれば良いのか分からなくて、自分がどうしたいのかさえ分からなくて、リダの右肩をみて、自分の弱さがどうしようもなく嫌になる。
 次の日が来て、道を歩く。
 昨日にまして、クシュージャさんの放つ気がつらつらとして獣じみていた。吐き出される言葉、息。至って普通なのに、どこか鬼気迫る物を感じる。
 いつ、襲撃が来るんだろう。昨日のように感覚の共有が上手くいかなければどうしよう。そんな思考ばかりが脳を巡り、張り詰めた緊張の中、刻々と時間だけが過ぎていった。体力が削れ、すぐに息が上がる。
 胸を押さえつけながら、それでも必死に歩いて、夜になった。
 どこか遠くで、嫌な鳴き声が聞こえた。
 背の低い男が飛び出して、クシュージャさんが、剣を作り、投げつけた。弾かれた、そう思った瞬間、別の剣が足を地面に釘付けにする。
 クシュージャさんが剣を振り上げて、いつの間にか既に振り終えている。ゆったりと断面がずれて、くす玉みたいに体が割れる。
 僕も、戦おうとして、剣を頼む。それなのに、一向に剣は作られず、クシュージャさんは乱暴に戦い続ける。
 いつの間にか、僕を挟んで、リダとクシュージャさんが戦っていて、僕は何も出来ず、立ち尽くしていた。
 メリーゴーランドみたいに、ぐるぐると景色が回る。僕の周りでいっぱいの人と召喚獣が死んでいく。僕だけがただ止まっていて、ぐるぐるぐるぐるみんな死ぬ。
 身長が腰ほどしかない男を横半分に両断する。刃に油が付いて、そのまま、爬虫類のような鱗をまとう人を叩き、叩き、頭蓋骨をハート型に変形させる。
 その横で何十本物剣を一度に召喚して、たった一人を滅多差しにして殺す。
 いつもと違って、魔力の温存も考えず、力を振るう。その暴力で、敵を屠って、屠って、返り血で体を丁寧に染め上げる。
 そして、最後の一人と向き合う。
 地面を思い切り蹴飛ばして、空を飛ぶ。僕の体ほどある剣を空中で作り、握る。剣身が恐ろしく太いその剣に、自重も重ね、鯨のような、のっぺりとした顔の男に振り下ろす。
 その巨躯の男は、剣を横に構え、受け止めようとして、ぶつかり合って、剣が砕け散る。
 ぐちゃりとおおよそ切ったとは思えないような音がして、男の体は潰される。
 そうして、僕が呆然と立ち尽くしている間に敵が全て死んだ。
 そのとき、草陰が動いた。風が吹いただけだったかもしれない。それでも、確かに嫌な予感がした。
 狼が、飛び出した。クシュージャさんは咄嗟に魔力を収束し、握る。しかし、足りない。表面だけが剣の形を取って、すぐに砕け散って霧散する。狼の牙が、まっすぐクシュージャさんを目指す。
 僕は、体当たりした。クシュージャさんが驚いた顔をして、何かを叫んで、吹き飛んだ。僕の体だけが残って、狼の牙が当たって、そのまま、通り過ぎていく。横っ腹が綺麗な歯形が付いて削り取られた。
 脳内麻薬が噴き出して、視界がグルンと回って白目をむく。
「*******っっ」
 何か、叫び声が聞こえた。それは僕の声とよく似ていたように思う。だんだんと気持ちよくなって、僕の意識は静かに沈み込んでいく。
 ああ、そうだ。前にもこんなことがあった。あれはいつだっただろう。
 そうだ僕は……僕は……俺は……

 小さい頃の事は、あまり覚えていない。ハッキリしているのは、両親というのにあったことがない事と、暖かい暖炉も、優しくしてくれる人もなくて、色が黒と白しかない、クソみてぇな世界だけだった。いつもゴミ溜めで起きて、眠った。俺はきっとゴミから生まれて、だから誰にも必要とされないんだと思っていた。
 いつもお腹がすいていた。自分の腕を食ったら、少しは腹が膨れるだろうか。そう思って腕をみたら、皮と骨しかなくて、足しにもならなそうだった。
 ゴミ袋みたいな薄くて、あちこち破れたシャツは、夏だというのに体を冷やして、どこまでも寒かった。いつだって、目の前に死があって、死なないために、ゴミの中を這いずって、食べ物を探した。
 ネズミもゴキブリもごちそうだった。火にかけていると、殴られて奪われた。そしたらまた飯を探す。ドブに浮いてる腐った魚は意外とうまかった。
 子供って言うのは意外と需要があった。汚いおっさんと臭いおばさんに体を舐められて、棒と穴を使われる。終わった後に、カビの生えたパンをもらって、ガサガサだけど死ぬほど上手かった。
 もちろん、優しい奴もいた。エロい事をしないで、飯をくれた。ただ、優しい奴はみんな殴るのが上手かった。「ごめん」という言葉を上手く使って、腹を何度も殴って、俺が飯を吐くのを見て、恍惚として口を歪ませた。
 ゲロを啜るってのは、なかなか惨めだった。それでも、何も食わないよりかは多少ましだった。
 俺にとって、生きるってのは、死なないって事だった。生まれて、生きてんだから死んじゃ駄目なんだと思っていた。人としてじゃなくて、もっと生物的な欲求だったと思う。ただ、いつも死なないように過ごした。楽しいという感情は、存在すら知らなかった。
 体が大きくなってくると、とうとう需要も落ちてきた。俺が小さかった頃と同じように、その辺のガキを蹴飛ばして、飯を奪った。結局また、殴られてもっとでかい奴に奪われた。それでも前寄りかは回数も減った。
 いつものようにゴミを漁って、飯を探して、ふと、目に付いた。下卑た男がよだれを垂らしながら、腐った女の人形に腰を振っていた。蛆が沸いた穴に突っ込んで、喜んでいた。その時、ふと思った。あの男も、あの人形みたいにすれば、食えるかもな。
 胸に突き刺さる剣。口から漏れ出す血。気がついたとき、男は人形になっていた。俺は久しぶりに嬉しくなった。口の中に隠してた、火の魔石を吐き出して、男を燃やした。焦って、右手が軽く焦げたけど、気にならなかった。
 久しぶりの肉は、クソほど臭かった。クソほど旨かった。
 それから俺は、飯を探して、ゴミ溜めをあさって、どうしても見つからないときは、暗い場所を探すようになった。そうすると決まって汗を撒き散らす汚い大人に会う。その度に人形に変えて、焼いて、食った。太っている奴は最高に臭いが甘くて旨かった。骨張った奴は食うところがほとんどなくて、仕方なく骨をしゃぶった。
 それを繰り返して、気がついてしまった。ああ、殺す方がよっぽど楽なんだと。最初から、倫理観なんて物は持ち合わせちゃいなかった。あれはもっと綺麗な場所で生きる奴が、自分の身を守るために、みんなに言って聞かせる物だ。そんなことをしてる暇があったら、みんな、殴った方が楽だ。ここではそれが普通だった。
 そういう意味では、生まれたそのときから、たがが外れちまっていた。ただ、そんな獣じみた場所でもルールはあった。ガキと遊ぶようなクソを狙ってはいたが、仲間がいたらしい。救ってやったどっかのガキが、俺のことを言いふらした。足一本やった程度じゃ、満足出来なかったのだろう。ガキの頃から欲張りやがって、長生きは出来ないだろう。
 襲ってきた奴も燃やしてやった。しかし、それも限界があった。とうとうゴミ溜めの中でさえ居場所のなくなった俺は、町へ、入っていった。
 なぜ、今までそこへ行かなかったのだろうか。それは分からない。不気味な、忌避感があった。そこに行けば、生きていられなくなるという、そんな気がしていた。
 綺麗な町で、ハエのたかる俺だけが異質だった。すれ違う人が鼻を塞いで、石ころを投げつけてきた。俺は代わりに剣を投げつけてやろうとして、やめた。大勢が俺を見ていたから。夜の猫のように、ギラギラと光る瞳が、俺に集まって、どうやって遊んでやろうと、舌舐めずりしている、そんな気がした。
 俺は冒険者になった。いらなくなったガキや仕事のないろくでなしが最後に行き着く、くだらない仕事だ。俺には、そこが天国のように思えた。外の世界へ出て、緑を見た。黒色しかなかった俺の世界が色鮮やかに彩られていくのを感じた。
 森へ入って、狩りをして、金をもらう。夢のような生活だった。性に合ってたんだろうと思う。町へ戻ると、嫌な顔をされて、ギルドへ入ると、唾を吐きかけられた。そんなことは気にならなかった。居場所なんて最初からなかった。
 初めて、川の綺麗な水で身体を洗った。初めて、臭くない食べ物を食べた。全てが楽しくて、俺は初めて、生きていたいと思った。
 ギルドへ行って、クエストを受ける。ボードに貼られた依頼書は、文字が読めなくて、受付に直接聞く。その度に嫌な顔をされて、危険な依頼を押しつけられて、他の冒険者に足を引っかけられたこともあった。喜びの中で、明確な苛立ちも生まれて、ぶん殴ってやった。黄ばんだ歯が抜け落ちて、小便を漏らす大の大人、あれほど見ていて痛快の物は他にない。
 旨い肉を食って、酒を飲んで、ベッドで寝て、絶頂だった。あんなに楽しい日々はなかった。
 だから、うぬぼれた。幸福を知って、もっともっとと欲して、深みにはまっていく。欲求は止めどなくあふれて、より危険な依頼をこなす。
 町の外へ出て、森の奥にまで入り込んで、魔物を狩る。あっけなく仕留め終わって、俺は、酷く油断していた。
 森の奥は誰にも荒らされていなかった。貴重な薬草が生い茂っていた。仕留めた獲物をつるして、そのまま俺は金になる物を夢中で集めた。
 そうして、近づく巨大な魔物に気がつかなかった。紫色の身体に、巨大な二本の巻き角。牛によく似た体躯をしていて、鼻息を激しく吹き出す。
 何度も土を踏みならして、こちらを睨み付ける。瞬間、死を悟った。すぐさま俺は逃げ出した。死にたくないと思った。俺は、それが普通だと思って、ただ生きてきた。そこに何の疑問もなかった。でも、今は違う。生きていたいから、死にたくない。
 初めて、死を実感して、恐怖が身体を満たしていく。
 不意に、頭をよぎったのは、俺が今まで殺してきた人間達だった。何が人形か。俺は同じ人を殺して、肉塊に変えてきた。これは、罪なんだと思った。生きたい誰かを殺して、生きたい俺は殺される。ああ、なんだ、そうか。
 フザケルナ。
 何が罪だ。俺はただ、生きてきただけだ。町の連中が、暖炉のある家で、ぬくぬくと育つ中、俺はヘドロさえ喜んで頬張った。どこにも優しさなんて存在しなかった。あったのは死ぬか殺すか、それだけだった。
 今さらになって、悪だとか、罪だとかふざけた物を持ち出しやがって、そんなら最初から俺を救ってくれれば良かったじゃないか。
 嫌だ。絶対に死んでやるもんか。どんなに汚くたって良い。どんなに見にくくたって良い。死んでなんかやるもんか。俺が死ぬときは、俺が自分で決める。
 顔を涙と鼻水、汗でぐちゃぐちゃにしながら走り回った。足に木の枝が刺さって血が出ていたけど、気にしている余裕なんてなかった。
 後ろで、木が倒れる音が聞こえて、だんだんと近づいて来る。走りながら、後ろに何本も剣を生み出して飛ばす。それでも、音は鈍ることなく近づいてくる。
「くそっくそっくそっっっ来るなよ、どっか行けよっっ」
 一本、また一本と剣を作っては後ろへ飛ばす。勢いは収まるどころか、次第に加速していく。
 一際大きな音がして、後ろを振り向いて、どす黒い瞳が見えた。
「あっ」
 気がついたとき、視界がぐるぐる回っていた。どっちが地面か分からなくなって、身体が吸い寄せられて、ようやく叩き付けられて、口から血を吐き出した。
 なんだよ、なんだよ。クソみてぇだ。ようやく幸せに慣れたと思ったのに、ああ、だからか。
 ふと、小さな頃、町に抱いていた忌避感を思い出した。そうだ。俺が恐れていたのは幸福だった。知ってしまえば戻れない。この麻薬は身体を蝕んで、やがて殺す。
 俺はそれを知っていたはずなのに。
 全身が痛くて、立ち上がれない。なんとか目を開けて、また、紫色の肌が見えた。悪魔。その言葉が頭に浮かんだ。
 次に体当たりをされたら、俺は間違いなく死ぬだろう。
 逃げなくちゃ、逃げなくちゃ、逃げなくちゃ。地面を這って、指が切れて、血が滲んで、どうでもよくて、ただ死にたくなかった。
「誰か……助けてくれよっ」
 向かってくる牛野郎を見ながら俺は祈った。何を今さら。俺は今までその祈りを何度無視してきたんだろうか。
 ああ、死にたくない。その感情を抱いて、ゆっくりと瞼を閉じた。
 次に目を覚ましたとき、天国とはなんて素晴らしい場所なんだと感動した。一度開けた瞼を閉じて、布団を被る。
 なんだ、死ぬのも悪くないじゃないか。これならさっさと死んどけば良かった。俺は今まで案外良いことをしてきたんだな。
 暖炉の炎がパチパチと弾ける音が心地よくて、オレンジ色の優しい明かりが綺麗で、うっとりして二度寝につこうとした。
「カイン、きてっ! 目を覚ました見たい!」
 声がして、ベッドの横を見ると、男と女が俺を見ていた。
「なんだ、天使って案外、人みたいなんだな」
 俺がそう言うと、二人は顔を見合わせて、笑った。
 男の名前はカインといった。黒髪のぼんやりとした人で、とっても優しくて、魔法が下手くそだった。その割に、自分の身体より大きな剣を振り回して、軽快に動く。熟練の冒険者。
 女の方は、ロベ。暖炉と同じ、オレンジ色の髪で、気が強い人だった。芯があって、優しくて、とっても強い。起用で、魔法や薬草、様々な武器を使い分けて、雑なカインの良い相棒だった。
「カインが助けてって、声が聞こえたって言ってね、まさかと思ったんだけど、大きな音のする方に行ったら、君が倒れててびっくりしたよ」
「魔物はっっ」
「倒したよ」
 カインさんはそう言った。俺は、まさかと思った。こんな、おっとりとした人が、あの化け物を倒しただなんて、見せてもらって、目を疑った。
 あのでかい体が、半ばまで、半分に裂けていた。俺はやっぱり死んでいて、夢でも見ているんじゃないか。そう思った。
 初めて人にお礼を言った。まだ、生きていることが心の底から嬉しかった。だから、無理をしないように、最低限のクエストを受けて、暮らした。食べ物は森で取ればいい。人が少ない場所を探して、身体を丸めて寝れば良い。なんて幸せな日々だ。
 そんな風に暮らして、度々、二人に冒険者ギルドで合うようになった。俺の顔を見ると、手を振ってくれた。
 二人は、誰にもこなさないような依頼ばかり受けていた。割に合わない報酬だったり、払いが良くてもあまりに危険すぎたりと。
 俺は、いつの間にかギルドへ行くと二人を目で探すようになっていた。何日も見ないと不安になって、その姿を見つけると安心した。
 自分でも、そんな感情を抱いていることが心底不思議だった。
 そんな風に、毎日を過ごして、いつの間にか、冬がやってきた。森にも雪が積もって、あまり良い成果をあげられない日々が続く。身を暖める服や、道具を買う余裕はない。だから、いつもより、町の中で眠った。多少暖かかったから、光を見ると安心したから。このまま、死んでしまうようなことはないだろうと。
 指先が赤くなって、息を吐くと白くなる。吸い込むたびに、肺がきゅっと痛くなって、身体が小さく震えていた。でも、昔よりよっぽど肉がついた。きっと死ぬことはない。そう思って、ゆっくりと目を閉じる。
 寒くて、眠れるだろうか。そう思ったけど、以外とすぐに意識が薄れていく。いつの間にか、身体が横に倒れていて、頬が冷たくなった。ものすごく眠かった。
 誰かが俺の名前を何度も呼んで、身体を揺すった。眠いのに、静かに寝かせてくれ。うっすらあいた瞼の隙間から、黒い色が映った。何度も目で追った、あの色だ。
「なんでこんなとこで寝てるんだよっ、死んじゃうだろっっっ」
 誰よりも強いその人は泣いていた。何で泣いてるのか、俺には分からなかった。ただ、抱きしめてくれて、その身体が暖かくて、嬉しかった。
 それから、俺はカインさんとロベと暮らしはじめた。やっぱり俺は、死んでたんだなとそう思った。
 暖かい家の中で、文字を教えてもらった。ぐにゃぐにゃの、ミミズみたいな文字を見て、笑わずに、根気よく、丁寧に教えてくれた。
 手づかみで飯を食う俺に、スプーンの使い方を教えてくれた。食材を全部一緒に焼く以外の料理を教えてくれた。
 全部、不器用で、うまく出来ない俺を、決して馬鹿にせず、優しく見守ってくれた。きっと、兄や姉がいたら、こんな風だったんだろうと思った。
「右、左、上、そこ飛んでッ!」
 ただ乱暴に剣を振るって、投げて、それを見かねてロベが指導してくれた。最初は、カインが教えてくれようとしたんだが、調整の出来ない身体強化の魔法を使って、力任せに大剣を振る戦い方は、参考にならなかった。というか、殺されるところだった。
 ロベは、木刀を振って、どうすれば良いか指示をしてくれて、考えるより先に動けと身体に教え込んだ。剣を弾いて、首を、胸を、頭をトンと叩く。
「また、死んだ。頑張りたまえ、少年」
 そう言って笑う。綺麗な剣じゃなくて、冒険者らしい何でも使う戦い方。毎度、違う方法で俺を殺して、幾千、幾万と繰り返して、戦いながら次を予測して、どんな攻撃にも考えるより先に対処出来るようになった。
 汗を掻いて、風呂にも入った。お湯を被るなんて未知の体験だった。しっかりと汚れを落として、髪を乾かして、布団で眠る。
 幸せで、幸せで、夜になると、不安になった。
 なぜ、この人達は、俺にこんな優しくしてくれるんだろう。理解出来なくて、誰かに対してここまで優しく出来るなんて、そんな感情は知らなくて。
 暖かい家の中で、俺はいつの間にか弱くなっていた。いつの間にか、涙が流れていた。カインは、そんな俺を見て、大丈夫だって行ってくれた。眠りにつくまでそばにいてくれて「愛してる」そう言って額にキスをしてくれた。
 答えの見つからない感情に、すっと言葉が収まって、俺は安心して眠れた。深い、深い眠りだった。気持ちが良かった。ふわふわと浮いているみたいで、どこかに飛んで行ってしまいそうで、少し怖くて、それでも暖かくて幸せだった。
 何日、何月、何年も過ぎた。いつの間にか、俺の身長はロベと同じぐらいにまでなっていた。呆れたことに、まだ、カインはロベに告白していなかった。どう見たって両思いだというのに、相変わらず臆病だ。
 穏やかな日々が過ぎて、ある日、俺達に緊急で依頼が入った。
 ドラゴンの討伐。
 ギルドまで走って、言い渡された依頼は、絶望だった。町の近くの森の奥で、ドラゴンが確認された。町に被害が出る前に、討伐してこい。確かに、ドラゴンを殺すことが出来る冒険者は、俺達ぐらいだった。それでも、生きて帰れる可能性は万が一に等しい。
 命令だった。もし断れば、この町で生きていくことは出来なくなる。俺達は無謀な戦いに向かうことになった。
「クシュージャ、ロベ、お前達は残れ」
 家に帰って、装備を整えて、ようやく出ようという時に、カインさんが言った。
「馬鹿を言うなよっ! たった一人で、勝てるわけないだろっっ!」
  思わず、声を荒らげた。そんな俺をなだめて、ロベが「ついて行かせて」そう言った。カインは俯いて、何も言わなかった。
 森の中を歩いて、死にたくないという感情の中で、どこか、もう十分生きたと、そう思っていた。あまりに幸せな時間だった。俺が、この世で尊敬するたった二人の人と一緒に死ねるなら、それでいい。そんな事を考えていた。
 森の奥へ進めば進むほどに分かった。それが、徐々に近づいていることに。漏れ出す魔力は圧倒的で、熱くもないのに、冷や汗が止まらなかった。鳥肌が全身に広がった。
 そして、出会った。
 フシュウ
 鼻息が聞こえて、何本もの木が倒れさているのが見える。ドラゴンはそこで丸くなって眠っていた。
 緑の肌、長い首、デカい羽。傷だらけの身体。
 出来たばかりなのか、あちこちから血が吹き出ている。なぜ、こんなところにドラゴンがと不思議に思っていた。人里には滅多に近づかないドラゴン。神話級の生き物は、何かから逃げてきたのだ。
「子供ね」
 全長十メートルは軽く超えるその身体を見てロベは言った。カインは静かにうなずく。
「まず、俺が行く」
 そう言って、カインが飛び出して、戦いが始まった。
 満身創痍、しまいには子供ときて、ようやく互角の戦い。ドラゴンに傷がついて、傷つけられて、一瞬だって集中を切らすことが出来ない、戦いだった。
 カインさんが頭を目指して走る。ドラゴンが口から炎が漏れて、ブレスを吐こうとした。ロベさんが氷の魔石を投げつけて、口が凍り付いて固まる。行き場の失った炎がドラゴンの口の中で暴れて、焼ける。熱が伝わって氷が溶ける頃、ドラゴンは黒い煙を吐いて、爬虫類によく似たギョロギョロした目でカインさんを睨み付ける。噛みつこうとして、口を開けた瞬間に、ドラゴンの右前足に四方から剣を突き刺す。
 体勢を崩して、カインさんの方へ倒れ込んで、巨大な剣を、右目に突き刺す。
 ギュオオオオオオオオオオオオオオオルルルルルゥゥゥゥゥゥゥゥゥ
 低い叫び声が響いて、空気を震わせる。顔を、左右に振って、カインさんを振り払う。吹き飛んで、木に背中を打ち付けて、吐血する。
「カインさんっっ!」
 返事が返ってくるより先に、横から、巨大な尻尾が迫って、地面に叩き付けられる。土に皮膚がすれて、ズタズタになって、顔を上げると、ドラゴンがロベさんへ迫っていた。デカい口が開かれて、汚らわしい牙が、あてがわれる。
 くそっ、やめろ、やめろよ。やめてくれよ。大切な人なんだ。俺の命なら、どうなったっていい。だから……奪わないでくれ。
「なまっちょろいのよッッッ!」
 怒鳴り声が聞こえた。小さく、何かが青と黄、赤色に光って、ドラゴンの口の中に放り込まれて行くのが見えた。破裂音が響いて、ドラゴンの顔が爆ぜ、ロベさんが吹き飛ばされた。
 もう、心配している余裕すらなかった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
 いつもの叫び声。何も持っていないくせに我武者羅に走って、勇気をくれる。
 カインさんがドラゴンの顔に向かって飛び上がって、最後の魔力を全てかき集めた。
 二人の間に、巨大な剣を作り出す。やがて、柄が握られて、腕の血管が浮き出て切れる。
 ガンッッ、音とともに地面が揺れ、カインさんとドラゴンが立っていた。
 噴水のように血が吹き出て、やがて巨大な頭が二つに割れ、ドラゴンの身体が地面へ倒れた。
「ふ、ふあああ。やったぁ……」
 情けない声が聞こえてきて、戦いが終わったんだち、気が抜けた。情けないことに立ち上がることさえできなくなった。そんな俺の元に傷だらけの二人が俺の元に歩いてきた。
「帰ろっか」
 カインさんがいつもみたいに笑いかけてくれた。
 風を切る音がして、血が、俺の顔に吹きかかる。カインさんの腕に、矢が、刺さっていた。
「な、んでっ」
 森の奥の、木の陰から、見たことのある顔が何人も現れた。そのとき、全てを理解してしまった。悔しくて、唇が切れて、口の中が血の味で満たされる。幸せで、ずいぶんと忘れていた感情だ。そうだ、俺はもともとあっち側の人間だった。
「俺達は、尊い犠牲を払ってドラゴンを倒し、町を守りました。だよなぁ?」
「クソガッッッ!」
「おお怖、前見たく殴ってみるか?」
 汚らしい男は笑って、虫食いの黄ばんだ歯を覗かせた。
 残っている力で、かろうじて立ち上がって、右手に魔力を収束させる。握った柄が表面だけ形作られて、すぐに砕けて霧散していく。
 ああ、死ぬんだと思った。せめて、二人には生きていてほしい。そう思った。
「これを、持って行け」
 カインさんが、腰の剣を俺に差し出した。ふと、思い出していた。
 いつだったか、なぜ背中と腰で二本も剣を持っているのか、と訊ねたことがあった。カインさんは、誰かを守るためだと言った。魔力が切れて、殺すために剣が振るえなくなった時、せめて誰かを守れるようにって。
「フザケンナッッ! あんたが守るのはロベだろうがっっっ! 俺なんかさっさと捨てて逃げろよっっっ!」
 ロベさんが、カインさんの胸ぐらをひっつかんで、キスをした。
「愛してる。だから、一緒に死んで」
 その言葉を聞いて、少し困ったみたいな顔をして「ああ」とカインさんが頷いた。カインさんが、俺の目を指でなぞって、涙を払った。その後で、抱きしめて、額にキスをしてくれた。暖かくて、優しくて、嬉しくて、どうしようもないぐらい辛かった。
「愛してる。だから、生きろ」
 そんなことを言うなよ。ふざけんなよ。俺はこれからどうやって生きれば良いんだよ。あなた達のいない世界でどうやって生きていけばいいんだよ
 そんな言葉をかけられて、涙が止まるわけがないだろ。あんた達がいなくなったら、誰が俺の涙を拭って、暖めてくれるんだよ。
 悔しくて、悔しくて、走った。俺は怖くって、振り向くことが出来なかった。逃げて、逃げて、ようやく空が暗くなって、叫ぶことも出来ず、奥歯を噛んで、泣き続けた。
 朝がきて、目を開けたら、いつもと同じ布団の中であることを願った。世界は優しくて、本当は愛に満ちているんだと、そう思いかけていた。
 やっぱり、クソほど汚くて、この世界は相変わらずどうしようもなかった。森の中で、ウサギやらリスやらを狩って、食らった。教えてもらった、傷に効く薬草を葉って、何日も過ごす。やがて、何もなかったみたいに傷が全てなくなって、魔力が全開に戻って、思い通りに身体を動かせるようになった。
 俺は、久しぶりにスラムへと戻った。相変わらずドブみたいな匂いがして、みんな死んだような目をしていた。そこら辺の痩せこけたガキに飯をやって、仕事を頼む。ある男のよく行く店を探ってほしいと。
 髪がボサボサになって、肌が汚れて黒ずんだ。ヒゲが生えて、ボロい服を身にまとう。聞き慣れた、下卑た笑い声が聞こえる酒場に入って、酒をあおる。
 豚の小便みたいな匂いがして、もう一杯、また、もう一杯と飲み干す。耳を澄ませて、感情を抑えて、そして、やってきた。
「おい、いつもの奴を瓶ごともっでごい」
「あぁら、ラッドちゃん、最近やけに羽振りが良いじゃない」
 赤い口紅をベタベタに塗った、ガタイの良い男が言う。渡されて、酒瓶を受け取った、肥満の男はラッパ飲みで半分まで一気に飲み干し、机に瓶を叩き付けて中身を周りに飛び散らせた。
「ぷはぁっ、クソまずいな相変わらずっ! なぁに、ちょいと楽な仕事があってな」
 男は顔を真っ赤にして楽しそうに話した。ガタイのいい男が小指を唇に当てて「教えて」と続ける。
「生意気な女をお仕置きするだけの簡単な仕事でなぁ、なんつったっけな、ロゲ?」
 その言葉を聞いて周りで酒を飲んでいた別の男が「ロベだよロベ」と言った。
「あぁ、それそれ。最後まで抵抗してな、可愛げのねぇ女だったな。穴だけは使い勝手が良かったな、好きな男の死体の横で犯されて、ありゃあ傑作だった。男の方なんて、最後まで誰も殺せねぇあまちゃんでよぉ」
 ああ、良かった。わざわざ、一人一人捜さねぇと行けないところだった。よく見れば、確かに見たことのある顔だ。どいつもこいつもそろって汚ぇ、俺とおんなじ人殺しの顔だ。
「どうしたおめぇ、急に立ち上がって……おっ、おめぇはっっっ!」
 肥満の男は目を丸くして、そのまま喉から血を噴き出して死んだ。周りで飲んでいた連中も立ち上がって「何しやがると」唾を撒き散らしている。
 その日、一軒の酒場が燃え上がった。立ち上る火は収まることを知らず、全てを灰へと変えた。そうして、白い骨だけが残った。
 あの人達は、生きろと言った。俺には、あの人達を殺した奴が、のうのうと生きているのが許せなかった。忘れたふりをすることなど出来ない。この憎しみまで押し殺してしまえば、死んでいないだけだったあの頃と同じだ。そんなの生きているだなんて言えない。
 だけど、こいつらが死んだ今、この憎しみは誰にぶつければ良いのだろうか。俺は、どうやって生きていけば良いんだろうか。
 冒険者として、ただ目的もなく暮らした。三人で暮らした家に帰ると、荒らされていて、俺はそれを直すのが怖くて、散らかった部屋で、丸まって眠った。
 二人のいない日々は無機質に過ぎていった。どうすることも出来ないまま、無茶なクエストを受けて、怒りを全て魔物にぶつけた。どれだけ血を流しても、生の実感が沸かない。それでも、このモヤを晴らすために、戦って戦って……俺は……何のために戦っているんだったか。
 答えの出ない疑問。それに気がつかない振りをした。生きなければいけない。そうやって自分を追い詰めて、焦って。気がつくと、足下に死体の山が出来ていた。既に空は暗く、今から町に帰ることも出来ないだろう。
 一晩、森の中で過ごす覚悟を決めて、寝る支度を整えている時、魔物の鳴き声が聞こえた。俺はなぜだかそれが気になって、鳴き声の元を辿った。
 一匹ではない、魔物の群れの気配を感じた。ようやく、木の隙間から見えたのは小さな女だった。その隣に一メートルほどのトカゲの魔物が倒れている。
 三匹のトカゲの魔物が、それを囲うようにして、ガキを見つめていた。
「だれかっ……助けてっ」
 気まぐれだった。どうしてか、助けてやろうと思った。俺は、手間にもならないから気がのったのだろう、とそう考えた。
 トカゲの上で、魔力を収束させる。キラキラと光って、それは月光を反射する剣へと変わる。勢いをつけて、胴体を貫き、地面に釘付けにする。
 もう一振り、剣を目の前に作って握る。その剣を三度振れば、それだけで終わった。
 目をつぶって、手を祈るように組むガキはやがて目を開け「助かった……の?」と言葉を漏らす。よっぽど安心したんだろう。少女は、そのまま意識を手放して、無防備に地面に倒れた。白い髪と色白な肌が土で汚れて、茶色くなっていた。
 結局、ガキは朝になっても目が覚めなかった。
「クソッ」
 依頼のモンスターを回収用の魔石に詰め込んで、ガキを肩に担いで町へ向かう。ギルドで納品して、報酬を受け取って、ガキを預ける。それで良かったはずだった。受け付けの男に押しつけようとすると、むかつく顔をしやがって、無理だとほざいた。
 別の冒険者が個人的に預かってもいい何て抜かしやがって、俺は仕方なく家に連れて帰って、ベッドの上に放り投げた。
 それでも起きなくて、町まで買い物へ行った。必要な魔石などの道具、飯を買って帰る。大体昼頃だったと思う。家に戻ると、目を覚ましたガキがビクッと身体を震わした。その後で、大きく腹の音を鳴らす。ずいぶんと図々しいガキだ。
「あ、あの、えと……ありがとうございます」
 安いパンを投げてよこすと、ガキは顔を真っ赤にして、礼を言った。どうやら昨日のことは覚えているらしかった。飯を食って、道具を整備する。一つ一つ点検をしながら、暇つぶし程度に、ガキの話を聞いた。
 口減らし、といっていた。病気になった母のために、家を追い出された。そう言ってガキは笑った。そうして、冒険者になった。なるほど。どこにでも転がっている、面白くもない話だ。ギルドへ小さなガキが入って、すぐに消えるのは何度も見た。力もなくて知識もない。そんな奴に務まるほど、楽な仕事じゃない。実際、俺が偶然通らなければ、こいつも今ここにはいなかっただろう。
 俺だって、そうだった。
 暇つぶし、そうだ、暇つぶしだ。気がノっただけ。別にたいした意味なんてない。俺は、ガキを家においてやることにした。
 俺は、ガキを残して依頼を受けた。その日は、雲がかかっていて、一段と冷え込んでいた。息が白くなって、簡単な依頼をすぐにこなして家へ向かった。帰り際に、雪が降っていた。綿みたいな大きな雪の塊が、顔に当たって、すぐに溶けた。水となって頬を流れる。なんだか、胸くそ悪くて、早足で家へ帰った。
 窓から、オレンジ色の明かりが見えて。
「なに……をっっ」
 パチパチと、薪を燃やして炎が弾けていた。散らかっていた部屋が、綺麗にかたずけれらていて、あの頃と同じままだった。
「せめてお礼をっておもって、ごめんなさい」
「ああ、あああ……」
 今日は、カインさんとロベさんと暮らし始めた日だった。すっかり元通りになった家は残酷にその事実を突きつけてくる。
 そうだ、俺はずっと怖かった。こんなに変わらないのに、二人だけがいない。それが、浮き彫りになって、胸がどうしようもなく痛む。どうして、耐えられるって言うんだ。俺の全てだった。ようやく見つけたのに。幸せだったのに。
 俺は崩れ落ちて、ボロボロと涙をこぼした。
 辛くって、悲しくって、堪えていた感情が全て、止めどなくあふれて、暖炉の炎に優しく映った。
 そんな俺を見て、ガキがオロオロしていて、ああ、俺は、こいつを守りたいんだ、と思った。あの人達みたいに、誰かを傷つけるだけじゃなくって、救いたいんだと。
 俺が教えてもらったことを、みんな教えてやった。といっても、あの頃の俺よりずっといろんな事を知っていて、たいしたことは教えられなかった。
 戦いを教えて、あまりにセンスがなく、その癖、火事は天才的だった。
 依頼を受けて、魔物を殺して、家に帰ると暖かくて、旨い飯があった。いつの間にか、俺はまた、生きていた。確かに、幸せだった。誰かを守れている事が。暖かい家が。
 また、何日も穏やかに過ぎて。
 ある日、俺が寝ていると枕元までガキが歩いてきた。
「なんでっ……優しくしてくれるんですか」
 自分の枕を抱きしめて、震えていた。ああ、同じだ。人の優しさが嬉しくて、いつ消えてしまうのだろうかと怖くてたまらない。
「愛している」
 俺はガキの頭をそっと寄せて、白い髪を避けると、額に唇を当てた。ガキは静かに涙を流していた。
 抱きしめて、なんども、大丈夫といって背中を叩いてやった。いつの間にか泣き疲れて、眠っていた。
 何年も過ぎた頃、いつの間にか身長の伸びも止まって、多分カインさんと同じぐらいの年になった。うまい言葉は思いつかなかった。もう、ヘタレって馬鹿に出来ないなと思った。ただ、愛してると言って唇にキスをした。
「もう、そればっか」
 マゼアはそう言って、頬を朱色に染め、笑った。白い透き通るような肌にピンク色が綺麗だった。そうして、もう一度。今度はマゼアの方から口づけを交わした。
 驚くほど、時間は穏やかに過ぎていった。マゼアのお腹が大きくなって、人並みに心配もした。俺が誰かの身を案じるだなんて、自分でも信じられなかった。似合わねぇと思った。
 生まれたのはマゼアのように澄んだ瞳で、白い肌の男の子だった。髪の毛は俺に似て黒色だった。こんな奴に似ないで良いのにな。
 俺達の子供は、天才だった。瞬く間にハイハイを覚えた。気づいた頃には俺のことをパパと呼んでいた。その度に大騒ぎして、マゼアに呆れられた。
 俺は、あの世ってのがあれば良いな。そんな風に思えるようになった。カインさんとロゼさんが幸せに二人で暮らしてて、見守っていてくれれば嬉しい。そんな風に、頭の中にお花畑を作った。
「まだまだ遅いぞっ! そんなんじゃウサギにだって馬鹿にされる」
 子供ってのは驚くほど早く大きくなる。喋れるようになったと思えば、次は「パパみたいに強くなりたい」と言った。こんな風になるもんじゃないのに、俺なんかとっくに勝てっこないのに、嬉しかった。
 人並みに、父親になった。
 この世界の汚い部分なんて何も見えなくて、最初からそんなものはなかったかのように振る舞う。そのうち、それが自分の中で本物になっていくのを感じた。
 マゼアの飯を食って、イネスの頭を撫でるのが、ただ幸福で、それだけあれば良かった。
 その日、少し難しい依頼をこなして、町へ帰った。とっくのとうに太陽は落ちていて、それなのに、胸騒ぎがして、町へ走った。
 今、帰らなければいけないんだと、なぜかそう思った。
 町へ近づけば近づくほど、明かりが強くなる。赤い光に照らされて、天に昇る黒い煙が見えた。嗅ぎ慣れた匂いが、強くなって、強くなって。
 町へ入ると、人が人を殺していた。全部全部しまい込んでいたはずなのに、どうして今さらになって漏れ出した。どうしてこうも、醜いんだ。まるで、映し鏡のように、ゆらゆらと揺れる炎に俺の姿が映った。
 家まで必死に走った。祈って、祈って、ドアを開けて。
 イネスには、傷一つついちゃいなかった。ただ、血だらけで、家にあった剣を持って、マゼアの腹に穴が開いていた。
「生きろ」
 その言葉が頭をかけた。結局俺は何も変わってなかった。ただ、無様に父親ごっこに興じていただけだ。たった一太刀。それだけで幸福が全て崩れ落ちて行く。
 マゼアが俺を見た。瞳に俺が反射して、真っ赤に光る。ああ、良かった。まだ生きていた。
 人殺しは、俺だけで良い。
 そうして、剣を振って、身体と頭で二つに分ける。
 二人の死体を並べて、手を繋げた。俺は家を出て、火をつける。その光景が、あの日、カインさんとロゼさんの仇を殺した日と重なって見えた。
 胸が痛くて、痛くて、どうすれば収まるんだって、心臓を押さえつけようとして、爪が胸に食い込んで血が滲む。
 「愛してる……」
 その言葉を呟いて、剣を腰に刺す。俺は、生きなくちゃいけない。
 薄汚れた俺には、守る事なんてできやしなかった。ならばせめて、この感情のために、復讐を果たしてみせる。
 必ず、二人を苦しめた奴を見つけ出して、殺してみせる。

 目が覚めて、リダが僕を見下ろしていた。
「起きたっっっ……よかったっ」
 なんだか柔らかくて、良い匂いがして、リダが膝枕をしてくれていた。一言お礼を言って、身体を起こす。木により掛かって、座っていたクシュージャさんが立ち上がって、近づいてきた。
「クソッ、クソッ、クソッ」
 クシュージャさんが、悪態をつきながら近づいてきた。胸ぐらを掴んで、怒鳴る。
「お前は、まだ残ってるじゃねぇかっっっ!耳を塞ぐな、口を塞ぐな。自分から目をそらすなッッッ」
 そう言って、地面に放り投げて「話せ」と言った。そうだ、共有だ。僕の夢と同じように、クシュージャさんにも見えたんだ。
「だって、だって……」
 結局、僕には何も出来なかった。守りたいって思って何になる。僕にはあの人達みたいになれなかった。思うことさえおこがましかった。殺したくないだなんて、僕が思って言い分けないじゃないか。憎くて、どうしようもなく殺してやりたくって、それでも、殺したくなんかないんだ。
「もう、諦めるしかないじゃないですかぁ……」
 涙が漏れて、止まらない。抑えの効かない駄々っ子みたいに、いつの間にか、思いが勝手に流れ出した。
「ララメは……僕のことを治してくれたんです。身体がぽかぽか暖かくて、最後、僕は繋がった」
 必死に取り繕って、ぐちゃぐちゃの顔を上げて、笑って見せた。
 まだ小さくて、弱くて、とっても臆病。それなのに優しくて誰よりも強かったララメ。
「あの子はねっ、死ぬその時さえ、僕の、僕たちの為に泣いていたんだっ」
 口から血を垂らしながら、それでもあの子は笑っていた。自分が死んじゃうんだって言うのに、大丈夫だって言った。
「あの子はね、いつもみんなを治してあげたいって、それでも、自分の魔法じゃ、心まで治せない事を知っていて。ララメはいつだって、人のために泣いていた。それを。それをっっっ! 僕が殺したんですよ」
 リダが、口を押さえて泣いていた。ラブロイッヒさんは決して目をそらさず、僕のことを見ていた。
 頭の中を、もう戻らない日々が駆け巡った。お父さんとお母さんと手をつないで動物園に行った。お母さんと結婚すると言った。お父さんみたいかっこよくなるっていった。ちょっと大きくなって、心配性な二人を鬱陶しく思うこともあった。それでも、いつも一緒にいて、一緒に笑った。それなのに、僕なんかを守って、簡単に死んじゃって。
ララメと一緒に笑って、柔らかいほっぺを合わせて抱きしめた。短い間だったのに、妹が出来たみたいで、幸せだった。とっても強くて、それなのにもろくて、ガラス細工みたいに可愛い子。だから、僕も守りたいと思ったんだ。
最後のそのとき、ララメの思いが全部流れ込んできた。思い出していたんだ。幸せな時間を。お兄ちゃんに呼んでもらったおとぎ話。どんな願いも叶えてしまうゆうしゃんお話。ララメは、死ぬそのときでさえ、自分が勇者でないことを悲しんでいた。
たったそれだけのことさえ、僕には出来なかったんだ。二人みたいになれなくって、辛くって、悲しくって、憎い。
それなのに、殺したくなかった。まだ、守っていたかった。
「どうしろって言うんだよ……僕には、あんたみたいに感情の為に生きること何て出来ないっ! リダみたいに、信念の為に生きること何て出来っこない!」
 そうだ。僕はずっと、辛かったんだ。責め立てるように、みんなの感情が流れ込んできて、嬉しくって、幸福で、だから、その倍悲しくって、寂しい。裏切ってしまった誰かが、何も出来なかった自分が憎くて憎くて仕方がない。
僕は、ララメを殺したあの日から、一歩も動けちゃいないんだ。
立ち上がろうとすると、周りが真っ黒になって、暗闇の奥で一杯の瞳が僕を見つめている。みんなが、殺してやる、殺してやるって言って、辛くて、耳を塞いで座り込んだ。
 そうすると、いろんな光景が目に映りだす。それは、いろんな人の人生だ。みんなだれかを思っていて、守りたいと思っていた。みんなみんな、優しくって、人を殺すのは嫌だって言っていた。だから、ああ、僕も。そう言おうとする。途端に、映っていた人達が血を吐き出した。みんな、憎しみに満ちた目をしていて、僕を睨み付けるんだ。それは、僕が共有した人達だ。僕が殺した人達だ。
 僕に、何が言える。もう、何も聞きたくないって、見たくないって、塞ぎ込む。それなのに、まだ、終わらない。償えと、そう言うように、何度も何度も感情が流れ込んでくる。
「もぉ、見たくないよぉ。嫌だよお、誰かを思うのも、何かを信じるのも、辛いんだもん。これいじょお、くるしめないでよっっっ」
 手を握って、何度も涙を拭う。それでも、涙は止まってくれなかった。
 子供みたいに泣き疲れて、いつの間にか眠っていた。目が覚めて、テントから出ると朝の光が目にしみた。

 第四章 覚悟
 二人とも何も言わなかった。僕らはただ、町へ歩き出した。
 その日は、どこまでも住んだ快晴で、気持ちの良い風が吹いていた。不気味なほど順調に進んだ。
 遠くに、うっすらと影が見えた。歩くたびにその陰は鮮明になっていく。王都が近づく中で、いろんな考えがぐるぐる回って気持ち悪くなった。
 旅の果て、たどり着いた場所。そこはあまりに拍子抜けするようなものだった。平和だったのだ。どこまでも。何も問題なく中には入れてしまった。そこでは、人々が変わらずに生きていた。
「リンゴを三つ頼む」
「まいど。 あんたら、旅行客かなんかかい」
「そんなものだ。どこか、ここで危険な場所はあるか」
 帰ってくる返事は、どれも役に立つものではなかった。ここで起きた事件、異様な事、誰に聞いてもそんなものは知らないの一点張り。
 王都は、あまりに普通すぎた。以上なんて何もなくて、皆が平和に暮らしていた。
「お前は……この先、なんの為に闘う」
 宿屋の中で、リンゴをシャクシャクとかじりながら、クシュージャさんが聞いた。今日一日、ずっと考えていた。僕はどうしたいのか。
「フードの男を殺します」
 結局、答えなんて出やしなかった。今の僕に出来るのはそれぐらいだった。
「逃げろ、足手纏いだ」
 そう言って、心を炎で包む。窓から入った風が、灰を飛ばした。僕を見つめるクシュージャさんの目は、同情、哀れみ。
 弱い僕は、必要とすらされていない。それでも、今ここで逃げること何て出来ない。なぜか、その選択が一番怖かった。
 少したった後、リダと二人で夕飯を食べに宿を出た。クシュージャさんは「俺は良いと」言って、ついてこなかった。
 入った飯屋、楽しげな声と明るい店内が嫌に恐ろしくなった。まるで今までの悲惨な現実が夢であったかのように思えてしまった。
 骨のついた肉をかじった。何度も咀嚼しても、味がしない。まるでゴムでも食っているみたいだった。そのせいか、リダはご飯に手をつけず、俯いていた。
「ボンタ君はさ……引き返しなよ。きっとまだ、幸せになれる」
 絞り出された言葉はどれだけ残酷なことか。
「リダも……同じ事言うんだね。役立たずって」
「ちがっ」
「ちがうくないよ」
 ひどく、辛そうな顔をしていた。今にも泣き出してしまいそうで。なんで、この子はこんなに優しいんだろう。
「私は、ただっ……」
「いいんだ」
 どれだけ足手纏いで、たとえ置いて行かれたとしても、僕は会いに行かなければいけないような気がしていた。そこでようやく答えが出せる。なぜかそう思った。
 喋ることもなく、ご飯を食べた。騒がしい店内で、静かな空間が生まれ、周りのがやがよく聞こえた。
「そぉれにしてもっ、あったらしい王様とはねぇ」
「っ。その話、ちょっと聞かせてくれませんか」
 ホールデン。それが新たに即位される王の名前。ただのホールデンだそうだ。あまりに馬鹿馬鹿しい。でも、町の人をそのことについて何一つ疑問を抱いていなかった。
「罠、だろうな」
 戻った宿で、クシュージャさんが言った。明後日、王都の中心に位置する神殿で、王位継承が行われるそうだ。正に舞台としては完璧だ。
「これが……最後なんです。僕を連れて行って下さい」
 クシュージャさんの目が、赤く紅く光っていた。彼はただ「ああ」とだけ頷いた。
 馬車に乗り、ガタリガタリと揺られただ待つ様は、まるで断頭台に向かう囚人のようだった。一日とちょっと、それだけでたどり着いてしまう。
 ふと、最後の瞬間を考えていた。僕は、ホールデンと繋がる。なぜか、それが救いのように思えた。そこへたどり着けば、ようやく楽になれるんだと思った。
 走り続けて、空が朱色に染まり始めていた。これだけ時間がたつのに、会話一つ交わされることがなかった。
 馬車が、大きく揺れて、馬の鳴き声が轟いた。すぐに動きが止まって、異変に僕たちは外へ出た。
 純白の鎧に金色の装飾。握られた剣には絢爛たる宝石がちりばめられている。
「近衛か……」
 現れた鎧の兵士は三人。明らかに、今までとは格が違った。盾を構え、様子を伺う。時間をかけ、近づく。付けいる隙がないプレッシャー。瞬きすら許されない緊張感のなかで冷や汗が垂れた。
 きっけかは些細なことだった。気圧された僕は、自分でも気づかずに一歩、足を引いてしまっていた。
 グッと、後ろ足が持ち上げられた。途端にバランスを崩した僕は前のめりに倒れていく。落ちていく景色の中で、白い鎧が近づいてくるのが見えた。
 高い音が三つ、重なって響いた。
 リダが、失った腕を氷で作り、半ばで剣を受け止めていた。クシュージャさんが、二振りの剣を持って、二本の剣を受け止めていた。
 何が起こったのか、足下を見ると土が盛り上がっていた。
 二人と三人がぶつかり合う中で、僕だけが自由だった。立ち上がると同時に、目の前に剣が現れる。僕はそのまま鎧の男に斬りかかった。クシュージャさんの、叫び声が聞こえた。咄嗟に身を傾けると横を鋭い刃が走り、腹を切った。
 三人は強引に剣を弾くと、後ろへ飛び一度距離を取る。次は、クシュージャさんが駆けだした。大ぶりで剣を振り上げながら近づき、後ろで魔力を収束させる。
 しかし、鎧の男はそれを見ることもせず身を屈め、剣を躱す。打ち出された剣が空を切り、クシュージャさんの足下に刺さる。それでも減速することなく走る。
 その後ろを追いかけた。クシュージャさんが剣を振り、盾で受け止められる。その盾を蹴飛ばそうと足を振りかけた瞬間、軸足の土がヘコみ体勢を崩す。
 ようやく追いついた僕は、クシュージャさんに振り下ろされた剣を受け止める。同時に、残りの二人の剣が僕たちに振られようとした。その瞬間、僕たちを囲うようにドーム状に氷の盾が出来る。
 氷に剣を受け止められ、胴がガラ空きの二人の兵士。その片方の腹に狙いを定め、クシュージャさんが氷を貫き鎧へ刃をぶつける。小さな傷をつけ、鎧の男は衝撃で宙を舞った。その隙にに周りを魔力で収束させる。
 その瞬間、空中で男は身をよじり、剣を回転させた。
「馬鹿なっ!」
 その声が聞こえた時、僕は剣を弾かれる。腕を振り上げて、隙だらけになった瞬間、咄嗟に共有魔法を行使する。
 頭がかち割れてしまいそうなほどの頭痛。スピリタスを押し込まれたかの不快感。脳に膨大すぎる情報が流れ込んだ。
 咄嗟に、パイプを切るが既に剣が目の前まで迫っていた。避けられない。左腕に激痛が走り、氷で覆われた。剣が氷にぶつかって、身体ごと吹き飛ばされる。
 同時に、土が大きく盛り上がり津波のように、クシュージュさんを守る氷を襲った。
 咄嗟に後ろへ飛び、躱したところを二人の男が斬りかかる。
「なんでっっっ!」
 リダの叫び声が聞こえ、鎧の男が空を切ったのが見えた。クシュージャさんはその男の方に走り、剣を横に振る。受け止めた男が吹き飛び、もう一人の男にぶつかって倒れた。
 クシュージャさんの元へ走り出そうとする男を見て、僕は立ち上がり剣を投げる。弾かれるが一瞬の隙は出来た。その間に近づき、飛び上がり、腕を振り上げる。
 きっと、剣が現れるはずだ。
 男は、空を切る。現れるはずの剣は腕を振り下ろすまで現れず、僕は優に盾で払われた。
 その攻防の間、クシュージャさんは二人の元へ走り出そうとしていた。そのとき、足が地面に凍り付く。今度は、二人の男がクシュージュさんの首を狙った。ポーチから緑色の魔石を取り出すと口に放り込み、かみ砕く。
 そして、口を細くして吐き出した。風を切る音がして、緑色の鎌が二人の男を迎え撃つ。一人の目の前に土の壁が現れた。もう一人は咄嗟に横っ飛びで躱し、距離を取る。
 土の壁がズルリとずれ、首のない男が現れた。
「合わせて下さいっ!」
 その声がした瞬間、クシュージャさんの足の氷が砕け、走り出す。僕と対峙していた男が、走り出して向かい合う。
 クシュージャさんが、大ぶりで剣を振り上げる。その瞬間、また男は空を切った。クシュージャさんはそのまま剣を振り下ろし、鎧ごと肩から身体を裂いた。
 そして、すぐにもう一人の男の元へ走る。クシュージャさんの周りを、二桁もいこうかという剣が囲った。同時に剣が打ち出され、何重にも重なって金属がぶつかる音が響いた。
 剣と剣とがぶつかり合って、彼方へ飛んでいく。
 そのまま最後の男の首は地面へ落ちることとなった。
「超感覚と模倣とはずいぶん珍しい」
 そう、最後に吐き捨てた。
 戦いに勝てたのはいい。それでも、足がなくなって間に合うのだろうか。そんなことを考えていた時だった。
「うそっ……」
 道の先で、白色の鎧が降り注ぐ光を反射していた。ざっと数えて、十はいただろう。僕は、絶望を悟った。おそらく、四人だったとしても苦戦を強いられる。少なくとも犠牲を覚悟しなければいけないだろう。でも、その比じゃない。
 後の事なんて、考えている余裕はなかった。クシュージャさんが走り出して、男達を囲うように剣を作った。同時に飛びかかって、剣を振るう。
 ガラスのようなドーム状の膜が、男達を覆った。そのガラスは剣を弾くと肥大化し、クシュージャさんを吹き飛ばす。ガラスが弾けて、内側から一本の剣が投げつけられた。
空中で身をよじり、かろうじて傷を抑え左手を失う。吹き飛ばされてきた、クシュージャさんを受け止めた時、後ろに気配を感じた。
 振り向いた時、既に剣はすぐそこで、ああ、死ぬんだと思った。僕は、また生き残った。
 立ち上がったクシュージャさんが剣を振り、その瞬間には既に男は消えていた。
「リダッッッ! なんでっ!」
 地面に倒れたリダは、腹に大きな穴が開いていた。口を覆う手から血が漏れ出した。
 僕が顔を上げると、十つの鎧が歩いてきていた。
「なんだよっ……やっぱり、諦めるしかないじゃないか」
 僕がそう発した時、青い魔石が放り投げられた。その魔石が鎧達の真上に到達した時、ナイフがぶつかり弾けて光る。
「私が……残ります」
 お腹の穴を氷で塞いで、リダがそう言った。
 鎧達に降りかかった雨が全て繋がって凍り付き、巨大な氷のドームが出来た。
「な、何を言ってるの。のこるなら、役立たずの僕だろ? ねぇっ……」
「ボンタ君じゃ……時間稼ぎにもならないよっ」
 背中に手を回して、振り向いたリダは大粒の涙を流しながら、笑った。それが苦しかった。
「なんでっ、なんでそんなに頑張れるんだよっ。なんでそんなに強いんだよっ」
 僕なんかが泣いて良いはずないのに。涙が止まらない。崩れ落ちて、もう立てない。
「諦めたくないから」
 そう言って、リダは僕の頭をそっと抱きしめてくれた。
「そう言ってくれたのは、ボンタ君。あなたなんだよ」
 リダは暖かくて、優しい声で続けた。
「私ね、ずっと諦めてたの。本当はね、大切なものを奪った世界が憎くて、殺してやりたいって思ってた。でも、誰か守って死んだ両親を否定したくなくて、だから感情をすてた。きっと、楽になりたかったんだよ」
 リダが僕に額を合わせた。幾つもの感情が流れ込んできた。
 もっとお洒落とかしてみたかった。甘いものだって食べたい。綺麗なお花だって見たいし、川で思いっきり泳いだりまだ遊び足りてないや。まだ、ずっと見守っていてほしかった。恋だってしてみたかった。生きていたかった。
「私をその気にさせた責任、ちゃんととってよね」
 リダの唇が重なった。いったいどれだけの時間がたったんだろう。あまりに短くて、彼女は立ち上がる。
「行くのか」
「はい、先に。ボンタを頼みます」
 背を向けて、そんなことを言う。勝手に決めてしまって、立ち上がることの出来ない僕を置いていく。
 なんで、何でなんだ。君はどうして立ち上がることが出来るんだ。だって、辛かったじゃないか。悲しかったじゃないか。
 ああ、怖いな。死ぬのって痛いのかな。嫌だなぁ。死にたくないなぁ。
 思いが、止めどなく流れ込んでくる。涙があふれて止まらなかった。
「生きたいって! 言ったばかりじゃないかっっっ!!!」
 たった一人、救いたいって守りたいって思ってしまった。怖がりで、寂しがり屋の臆病な男の子。とっても弱くて、とても愛おしい。
 でもね、私は知ってる。彼が本当は諦めたくないって思っていること。だって、私は彼の言葉に救われたから。
 私は知ってる。彼が辛くても立ち上がれる人だって。だって見てきたんだもん。
 だから、もう大丈夫。もう諦めたりなんかしない。
 きっと守れる。きっと殺せる。
 腕を失った右肩から、氷がパキパキと作られ、伸びていく。それはやがて鋭い剣となった。
 氷のドームが砕けて、破片が夕日を反射する。燃えるような明かりがリダを映し、炎のように髪がなびいていた。
「さっさと行ってッッッ!」
 叫び声がして、リダが走り出した。僕たちは振り返ることは許されない。ただ、涙を拭って進むことしか出来なかった。
 走って、走って。いつの間にか星が出始めていた。暗い夜空に綺麗な満月が浮かんで、僕らを照らした。
 そのとき、クシュージャさんが地面へ倒れた。失った腕から、血が垂れ続けている。こんな状態で走っていたのか。
 何一つ、弱音を吐くことなく進んだクシュージャさんは、とうとう動かなくなった。次第に呼吸が小さくなっていくのを感じる。
 僕に、一体何が出来る。何の力も持っちゃいない、僕なんかに何が出来るって言うんだ。結局こうだ。生き残ってもまだ、役立たずのまま。最後の最後まで諦めることしか出来ないとんだ無能。
でも、でもっ……諦めたくないよ。もう嫌だ、こんな思いはしたくない。それでも、立ち止まるのはもう嫌だよ。
 僕に……ララメと同じ力があればっ。
 身体が、ぽおっと暖かくなった。なんだか懐かしくて、優しい。僕は、この魔法をよく知っている。
 音が、鮮明に聞こえた。視界が一気に広がった。あちこちの傷が塞がっていく。クシュージャさんの、左腕が元に戻っていた。
 声が、聞こえた気がした。「大丈夫だよ」って。振り返ると、何もなくて。それでも。
「行くぞッ」
「はいっ!」
 また、走り出せた。
 足が重くて、息が続かない。もう既に汗すら出ず、それでも走る。僕たちは行かなければいけない。長かった旅を終わらせなければならない。
 本当は、僕には終わらせ方が分からない。どうすれば良いのかなんてどれだけ考えても答えが出なかった。それでも、諦めたくないという思いだけが残っていた。
 やがて空が藍色に変わり、次第に赤を帯び始める。太陽が昇り、朝焼けが美しく空にグラデーションを残す。
 朝の静けさに、冷たい空気がピリピリと肌を打つ。視界に広がるのは、巨大な灰混じりの白い建造物。一目で分かる、これが神殿だろう。階段の先に、何本も並ぶ支柱と屋根。そしてあまりに大きな入り口。
 入り口が、音を立てて開かれていく。現れたのは僕とそう背丈の変わらない青年。真っ白な髪、青い瞳が僕たちを貫くように見つめた。
 背筋に悪寒が走って、直感で分かった。こいつがフードの男、ホールデンだ。
 既に、多くの人が集まっていた。歓談の下で待つ住民に、ホールデンが手をかざした。その瞬間、音が消えた。
 自分の呼吸がくっきりと聞こえる。ホールデンは、仕事を終えたといった風に、身を翻し神殿の中へ戻っていく。
 そのときだった。大勢の人々が、振り返り僕らを見つめた。ギラついて、ああ、見たことがある。あの町と、あの村と同じだ。人が人を殺す目だ。
 クシュージャさんが唸り声を漏らしていた。自らの頭を押さえつけ、歯を剥き出しにして涎を零す。獣のような、鋭い瞳が輝かせる。
 途端に、ひどい頭痛に襲われた。まるで、人混みの中に放り込まれたようだった。通り過ぎる人全ての声が脳に直接響く。雑多な声の中で、自分の声がどれか分からなくなる。人の流れにのまれて、自分がどこにいるのか分からなくなる。
 苦しい。息が出来ない。僕は今、どうすれば。
 強く、ささやく声があった。殺せ。
 殺してしまえ。仕方がない。そうするのが正解なのだから。
 自分の頭を殴りつけて、痛みを抑え込もうとした。何の意味もなくて、ただ一人で倒れ込む。地面に打ち付けられて、僕の目に映ったのは大勢の血だった。
 武器も持たずに人が人を殴り殺していた。魔法で燃やして凍らして切りつけていた。叫び声の中、たしかに湧き上がる快感を感じる。
 人混みの中から抜け出して、僕たちの方へ走ってくる人達がいた。
 そうだ、僕も殺さなくちゃ。
 横を見ると、一人の男が立っていた。見たことがあるような気がする。男は、県を握っていた。
 ただ、それを何度もふり、たかる人々を切りつける。ああ、知ってる。見たことがあるぞ。その戦い方は……
「クシュージャさんっ……」
 絞り出した声に、ようやく自分の影が見えた。こみ上げる吐き気を押さえつけ、足下に目を向ける。
 そこに、赤い色は存在しなかった。ただ、もだえる人だけだった。クシュージャさんの剣には刃がなかった。
「ようやく起きたか。」
 そう言って、クシュージャさんが僕を抱えた。地面を蹴って、とんだ先で剣を作る。刃のない剣を足場にして、宙を飛び、階段を越えて神殿の前まで走る。
「ここまでだ」
 また、乱暴に放り投げて、クシュージャさんはそう言った。頭が痛くて、ひどい憎しみの感情にさいなまれているはずだというのに、彼の作った剣はやはり刃がない。
「俺は、お前のが嫌いだったよ」
 まだ、燃えているんだ。確かにその瞳には憎しみが宿っている。それなのに、彼の表情はどこまでも優しい。
「無駄に足掻いて、苦しむお前に自分を重ねていた」
片目の炎はより激しく、強く燃える。それなのに優しい、暖かい春の太陽のような赤い瞳が覗く。
「それなのに、お前は違った。繋がって、お前はまだ、守りたいって思っていた」
 ああ、そうか。僕はずっと知っていた。答えに蓋をして見て見ぬ振りを続けていた。
「俺は駄目だ。未だ憎しみが湧き上がり、殺意の感情が地獄の釜の中で煮えくり返っている。復讐してやりたいと思っている」
「ならっ!」
 クシュージャさんは、僕の額にキスをした。優しくて、辛かった。
 彼は僕に剣を渡したのだ。ずっと振るうことのなかった、腰の剣。
「愛している」
 僕は、走り出した。分かってしまった。憎悪を抱きながら、それでも尚僕を守ろうとしてくれていることを。だって、全部全部流れ込んでくるから。
 ああ、すまなかった。仇はとれなかった。それでも、思い出してしまったんだ。いつの日か、守りたいと願っていたことを。
 きっと、汚れた俺じゃ会えないかもしれない。さよならだ。
 愛していたよ。マゼア。イネス。

 見たくなかった。辛いから。知ってしまえば、胸が痛くなってどうしようもなく悲しくなってしまう。吐き出す息が痛くて、駄目になってしまいそうなんだ。
 それでも、もう決めたから。目をそらさないって。前に進むって。

「なんだ、きちゃったんだ。失敗か」
 感情のこもらない、起伏のない声だった。その目は青く、しかしどこまでも色が籠もらない。
「で、何をしにきたの? 失敗作君」
「このふざけた茶番を終わらせにきたんだよ」
 左手で鞘を持ち、右手で柄を握った。キィーと金属が走る音が聞こえ、呼吸が穏やかになっていく。
 音が切れ、息を吸い、止める。
 走り出して、剣を引き、構える。ホールデンは興味がないといった様子で、剣を構える素振りも見せない。
 もらった。
 喉元に向かって、突いた。剣先が伸び、まっすぐと喉元へ吸い込まれていく。
 その瞬間だった。視界に、首を襲う剣先が広がった。そして、戻る。
 僕の剣筋はズレ、紙一重で当たっていない。疑問とともに、剣を横に薙いだ。甲高い音が響く。ホールデンが握っていたのは短いナイフ。刃渡り一五センチ程度のそれで、受け止めピクリともしない。
 たまらず後ろへ飛び、距離を取る。考えても理解出来ず、異様な状況のみが現実に残る。
 結論は出るわけもなく、もう一度確かめるように剣を振るう。それはいとも簡単に受け止められ、弾かれる。
 何度も切りつけるが、受け流され、躱される。
 それならっっ。大ぶりで剣を振る。視界に、短なナイフが首元に迫る光景が浮かぶ。それを躱し、僕は確かに剣を振り抜いた。
 確かに、身体がそこにあったはずだ。僕は空を切る。なのに、ナイフが僕の腹に突き刺さっていた。なぜ、屈んでいる。なぜ、腹へ切り替えた。
 後ろへ飛び退いて、距離を取る。ポーチから火の魔石を取り出して、腹に押し当てる。
「アグアァッッ」
 燃やし終えて、痛みのあまり炎の魔石を放り投げる。
 剣を構え直し、向き合った瞬間だった。瞬きの間に間が詰められる。反射的に、感覚の共有を行う。剣筋を読み、弾くように剣を振るう。しかし、それを受け流された。ナイフを軽く当て、剣筋を安全な方に逃がす。右肩に、痛みが走った。
 距離を取らなくちゃ。思い切り、蹴りかかった。それを肘で受け止められる。足に鈍い痛みが残り、体勢を崩す。
「こうやんだよ」
 耳にその音が入った瞬間、脳が激しく揺れる。身体が浮き上がり、時間差で下顎に痛みが訪れる。
 横っ腹に衝撃が走り、もう一度蹴られたことを認識する。背中を打ち付けられ、全身に痛みが広がった。ああ、もうやめてしまおうか。立ち上がればまた痛いだけだ。
 剣を、杖にして身体を起こした。
 震える足を押さえつけて、走り出す。水の魔石を取り出し、剣で切りつけ砕く。散らばる魔石に魔力を流し、擬似的に霧を作った。
「僕は、僕はやらなくちゃいけないんだっっっ!!!」
 どうして、感覚の共有魔法との戦い方を知っているかは知らない。でも、それなら逆に利用してやれば良い。
 背後から飛び出し、剣を振るう。咄嗟に振り向くホールデンと感覚をつなぐ。見えたのは、剣を弾く動作。ようやく分かった。これは、誘導だ。意識的に対抗するイメージを作ることで剣筋を、思いのままに運ぶ。
 でも、それならっ
「っっっっっっ!」
 鉄と鉄の打つ音がして、辺りの霧が吹き飛ぶ。赤い光が走って、押し切り、ホールデンを飛ばす。
 地面に打たれるホールデンを見下ろして立った。握りしめるナイフを踏み潰して、蹴飛ばす。
 ああ、ようやくだ。
「終わりだ」
 剣をただ一度打ち付ける。
 ホールデンの首から血が漏れて、全てが終わる。
 そのはずだった。
「グガアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッッッ!!!」
 想像を絶する痛みが全身を走った。なんだ、何が起きている? 息が出来ない。苦しい。誰か助けてくれ。
 僕は地面をのたうち回って、ホールデンが見下ろしていた。お前の魔法は、召還のはずじゃなかったのか。
 剣を打ち付けようとしたその瞬間、ホールデンの口から黒々とした炎が吹き出した。全身の肌が焼けて、熱と痛みで気が狂いそうになる。
 どれだけの時間耐えれば良い。やめろ。これ以上苦しめるな。殺せ、殺してくれ。
 そのとき、ホールデンの瞳が映った。色のないそれは、僕をただ見つめていた。何を思っているのか、わからない。それでも、諦めちゃいけないと思った。
 まだ、生きている。焼けていても四肢は動く。
 呼吸が出来ず、力が入らない。喉をかきむしりたい欲求を抑え、震える腕で剣にぎり、立ち上がる。
 ホールデンは何もせずにその様子を見ていた。
 ただ、ゆっくりと剣を振り下ろす。目の前を、黒い炎が満たしていく。
 脳で思い出のフィルムが走って行く。それは、端から燃えていき塵となっていく。まだだ、まだ駄目なんだ。僕はまだ、成し遂げていないんだ。
 走馬灯が流れていく中、まだ終わるな、まだ終わるなと願った。
 あと少しなんだ。あと少しで、真実にたどり着けそうなんだ。
 真っ黒な視界に、半透明の父と母が映った。頭をわしわしと撫でると消えて行く。リダが映った。口づけを交わそうとして、フッと透き通り風邪のようにまた消えていく。クシュージャさんが映った。彼は愛してるといって、額にキスをして消えていく。ああ、なんだ。俺に何を見せたいんだ。どうすればいいんだ。
 最後に残ったのはララメだった。ララメはまた、にへらと笑った。
「ララメはね、勇者になりたかったの。でも、もう無理だから、ボンタが代わりにかなえてよね」
 ララメはそう言って、僕に抱きつこうとして、透き通る。
 後ろを振り返っても、もう何も残っちゃいなくて……
 ああ、そうか。
「お前がっ……勇者だったのか……」

俺はどこにでもいるような平凡な中学生だった。特に何か情熱を持って行きるでもなく、日々を消費しながら生きる。
つまらない日常に飽きて、SNSなんかで愚痴をはく。自分じゃ変えられないのも知ってるし、だからといって誰かが帰られるとも思ってない。
だから適当に毎日を過ごして、友達とハンバーガーを食べたり、ボウリングに行ったりして、緩く生きていた。
でも、みんなそうだろ? これが普通だ。
それなのに、気がついた瞬間、俺がいた場所は鉄格子の中だった。夢であってくれと願い、目を覚ますたびに、舌を噛んでやろうと考えた。怖くて、出来なかった。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。日常がぶっ壊れてしまえば良いだなんて考えてしまって。漫画のような世界に行きたいと思ってしまって。
俺の世界は鉄格子の中の汚い飯と、白衣をきた白髪のじじいだけになった。じじいは訳の分からんことを言った。魔法をつかえ。
無理だと言うと、目の前に突然水が湧き出た。マジックなんかじゃなかった。
だからといって、出来るわけもない。必死に魔法を唱えようとしているのに、真面目にやれと唾を吐きかけられる。ひどく屈辱的だった。
寝ていると、足をネズミにかじられることがあった。皮膚が削れてて、とても痛かったんだ。
だから、俺はじじいがネズミに食われてしまえば良いとそう考えた。そのとき、じじいの足下にネズミの頭が現われた。
俺は期待した。大量のネズミが現われて、じじいを食い殺してくれることを。
下をだらしなく出した頭は動かず、その下の身体を見せることはなかった。
次の日、違う男がやってきた。男は指先に炎を生み出した。
やってみろと言われ、炎が生まれろと念じた。マッチほどの火が、確かに生まれた。
その日、飯が豪華になった。うれしかった。生きてる実感が沸いた。
それから、何度も繰り返し、ありとあらゆる魔法を試した。飯を期待して俺は大いに努力していた。使える魔法の種類が無数に増え、魔法の扱いが上手くなった。
そして、やってきた。
その日、俺の元に現われたのは汚らしい顔をした少年だった。ゴミ切れみたいな服を着て、両足両手が縛られている。じじいは、呪い殺せと命じた。
俺はそんなこと無理だと抗議した。出来なければ、殺すと言われた。
少年は、懇願するような目で俺を見ていた。
やめてくれ、俺を責めないでくれ。俺にはもうこうするしかないんだ。
そのとき、俺は既に諦めてしまっていた。反抗する意味なんてない。ただ、命令通りに動くしかないんだ。
死んでくれ、死んでくれと念じた。俺の身体から、黒い腕が無数に飛び出して、少年の身体に入り、心臓を握った。
少年は、呼吸が荒くなり苦しそうにして、気を失った。それでも、生きていた。命までは奪えなかった。
じじいの手が俺に伸びて、殴られるとおもった。じじいは俺の頭を撫でた。
初めて、嬉しかった。
それから、毎日その魔法を練習した。ありとあらゆる魔法を知った俺は、より明確に存在しない魔法を想像することが出来た。少年の死を願った。
日に日に弱る少年は一月もたたずに死んだ。次の少年が現われ、大人の女が現われ、大人の男が現われた。効果は、次第に薄れた。生命力のあるものに効き目が薄かった。改善する見込みさえなかった。
じじいは、イメージが足りないといった。俺は、ナイフを使って与えられた練習台を滅多刺しにして殺した。
何人も殺した。既に罪悪感はなかった。ただ、言われたとおりに動くロボットだった。人を殺すたびに感情が薄れていくのを感じ、それさえどうも思わなかった。
あまりに、変化のない俺を見てじじいは苛立ちを覚えていた。
ある日、同じ牢に少女が入ってきた。じじいは共に暮らせといった。正直、意味が分からなかった。それでも、命令だから従った。
少女は、こんな境遇なのに明るい奴だった。何も話さず素っ気ない俺に、ずっと夢を語っていた。いつかここから出て、おいしいものを食べる。可愛い花や人形に囲まれて暮らすと。
ある日、実験用に差し出された男が反抗して、俺の足を噛み千切った。じじいは消毒もせずに俺を牢に戻す。死ぬほど痛かった。
いっそ、死ねば楽なのかもなと思った。そのとき、身体がぽかぽかと暖かくなった。少女が俺の足を抱きしめていた。
回復魔法というやつらしい。
その日から、俺は度々怪我をして、少女に治してもらった。そんな事を繰り返していれば次第に少女に興味を持った。情もわいた。
「あのね、いつか勇者様が助けてくれるのっ! 勇者様はね、お願い事が魔法になるんだよ! だからね、とっても強くてかっこよくて、きっとおにいちゃんを、みんなを助けてくれるの!」
 いつの間にか俺は、そんな馬鹿げた話に救われていた。
 生きることに希望がわいた。そいつの夢を聞いて、きっといつかここから出て一緒にそれを叶えようと思っていた。
 良い出来事は続いた。
 次第に魔法の威力は高まり、ただ思うだけで人を苦しめるに至った。じじいは歓喜していた。
 その日は、簡単な実験だった。
 きっと、ちょうど良い実験体が見つからなかったんだろう。
 顔に麻袋を被せられた小さな少女。俺はその少女に呪いをかけた。一度では死ななかった。その瞬間、ガンと頭にひどい痛みが襲った。
 全身が震えた。寒くて、怖くて逃げ出してしまいたかった。俺の中の負の感情が一気に増幅されて、俺の身体から無数の手が噴き出した。
 小さな少女の身体に無数の手が入り込んでいく。そのとき、何か取り返しのつかないことをしてしまったような気がした。
 俺は、少女にかぶせられた麻袋を剥ぎ、顔を確認した。
 それは、ララメだった。
じじいは一つの仮説を立てた。人の感情のエネルギーと言われる魔力。こいつはそれが欠落している。そのために、願いを魔法に変えることに魔力を消費してしまい、実際に魔法を使う分の魔力が足りないのでは。
そんなときに、二人の感覚を共有出来る魔法の存在を知った。おもちゃを与えて感情を増幅する。そのあとで感覚を繋げて、感情を二倍にしてやろう。実験は見事に成功した。
じじいと繋がって、全てを知った。町を滅ぼし、勇者を召喚したこと。
施設を滅ぼして、俺はララメを生き返らせる方法を探した。そんなとき、娘を失って悲しむ家族に出会った。俺は感覚の共有を使った。強く、生き返ってくれと願った。
ララメは、俺のララメは生き返った。魔法が不完全なせいか、ララメは記憶を失っていた。そんなこと、気にならなかった。俺はララメの為に生きた。
人助けをしたんだ。傷ついてる人をララメと一緒に治して回った。
一緒においしいものを食べて、ほっぺを合わせて笑った。幸福な時間だったんだ。壊れて良いわけがなかったんだ。
ある夜、俺の身体から無数の腕が飛び出した。その腕がララメに吸い込まれる。ララメと感覚が繋がって、俺に助けを求めていた。
生き返れ、生き返れと何度も願った。なのにララメは動かなかった。
そして俺はまた、大切な人を失った人を探した。そうしてまたララメを生き返らせて、幸福な日々を過ごした。なのに、必ずララメは死んだ。俺がはなれていても誰かがララメを殺した。諦めきれず、何度も何度もララメを蘇生し、殺した。そのうちに、自らのてで誰かを殺して、その親族、恋人の感情を使うようになった。
より効率的に、莫大なエネルギーで。なのに……ララメが長く生きることは出来なかった。運命だったのだろう。
俺は、それが受け入れられなかった。ララメを、自らの手で殺めるたびに胸をかきむしって、悲しみと憎悪の感情で髪の色が抜けた。次第に、感情を押し殺すようになった。
思えば思うほど辛い。ならば最初から諦めていた方が良い。
殺して、殺して、殺して。
気がついたら、俺の足下には大量の死体が転がっていた。
仕方がないんだ。俺が悪いんじゃない。
だってそうだ。俺はこんなに頑張ってるんだから。俺が悪いわけないじゃないか
だから俺は……俺は……
 町で、一人殺した。その恋人の感情を別の誰かに伝えて、伝えて憎しみを感染させた。面白いもので、感情が感情を呼び起こし、莫大なエネルギーが生まれた。
 

 身体が、ぽかぽかと春の日差しに包まれているようだった。暖かかったんだ。誰か大切な人が抱きしめてくれているような気がした。
「なぜっ、死なないっ!」
 僕は、立ち上がっていた。いつの間にか炎が消え、焦げ落ちた皮膚が戻っていた。
「そうだっ! 僕はお前だっっっ!」
 魔力を収束させていく。一本一本研ぎ澄まし、全てを終わらせるために。
「グッ」
 ホールデンを囲うようにして、無数の剣を作り上げる。ホールデンの後ろに、灰色の熊が現われ、ホールデンを覆い身を挺して守る。
「僕たちは耳と目を閉じて、口を噤んだ。でも、そうじゃなかった」
 走りながら、ポーチから三つの魔石を取り出して放り投げる。その全てを砕き、青と黄、赤に発光させる。
「死ぬべきだったんだっっっ! お前も、僕もっっっ」
 激しい破裂音がして、僕は自分を覆うように氷の盾を作り、構えて走る。
「それもいやならっっっ!」
 両手で爆発を防ぎ、吹き飛んだホールデンに迫り、剣を振り下ろす。
「足掻いて生きるしかないだろッッッ」
 目の前に、剣が現われてその柄をホールデンが握る。
 剣がぶつかり合って、腕に力が伝わった。力任せに剣を弾かれ、蹴り飛ばされる。
 僕の目の前に、数百、数千の剣が広がった。
「なんで……たった一人でどうしてそんな力をっっっ!」
 その全てを、打ち落とす。剣と剣がぶつかり合い、弾かれて壁に突き刺さる。
 僕は、走り出した。剣をまっすぐと構え、その突くべき場所を見据える。
 ホールデンが剣を振り上げるのが見えた。
 グサリ
 剣が、心臓に深々と突き刺さって、その鼓動が腕に伝わった。
「これは僕の力なんかじゃない。お前の力だよ」
剣を引き抜いて、腕と足を固めていた氷を解いた。ホールデンは地面へ倒れ込む。
 すべて、全ての思いが流れ込んできた。
 ああ、そうだ。僕は、諦めて逃げ出したんだ。感情なんてなければ良いと思った。だから人を思う気持ちを否定して、殺した。信念なんて消えてしまえと思った。だから誰かを守りたいなんて願いを否定して、殺した。
「だからお前(ぼく)は死ぬんだ」
「ダマレッダマレダマレッッッッッッ! お前なんかに何が分かるっっっ!」
 辛くて、逃げ出したかった。誰かに仕方ないって言ってほしかった。だから、僕なんかを呼び出したんだ。おんなじ魔法を持つ僕を。
 でも、駄目だった。結局取り残されたのは俺だけだった。なんで、上手くいかないんだ。
 ああ、そうか。なんだ、俺は殺したくなかったんだ。
「俺は……ララメの元に行けるかっ……」
 共有が徐々に薄れていく。息が小さくなって、ああ、そうか。しぬのか。
「それが、僕たちの罪だ」
「そうだな……先に行く」
 ホールデンはそう言って笑った。
 ようやく、戦いが終わりを迎えた。

 全てが終わって、気を失った僕は気がついた時、兵士に囲まれていた。重要参考人物って奴だ。
 拘束されて、長ったらしい話を聞いたりしたりした。
 それで、なんだかやばそうな雰囲気が漂い始めたから牢屋から逃げ出した。結構な経験をしてきたから、案外どうってことなかった。
 僕は今、旅をしている。
 いろんな町にいって、いろんな人と出会う。いい人だって悪い人だっていたけど分かれる時はいつも寂しかった。
 それでも、また次の地を目指す。
 困っている人を助けて、弱い人を守ってあげたい。口ばっかで、まだまだ何も出来ない僕だけど、あの人達みたいになりたいって思うから。
 風が吹いて、木々が揺れた。微かに、声が聞こえたんだ。
 僕は走り出して、声の元を目指す。
 そこでは、女の子がトカゲに囲まれていて。
「大丈夫?」
 僕が助け出すと、女の子は気絶してしまった。

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