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バカな政府はコロナより怖い

― プリンセス号 ―
 私は数年前、コロナで一躍有名になったプリンセス号に乗って、北海道カラフト一週間の旅をした。去年、そのプリンセス号で突然コロナが発生したと連日テレビで放送されたので、他人事と思えず、ついテレビに釘付けになってしまった。最初は懐かしいなぁと思い、次にあんな狭い船室に閉じ込められた人々は大変だなぁと同情し、最後にはあんなところに一週間以上も閉じ込めておくなんて、非人道的だと怒り心頭に達した。海外の報道では、日本は最悪の選択をしたと非難ごうごうだったという。
 あの船は全長二百八十八メートルで、私が乗った時は乗客約二千八百人、船員約千人だった。客室はベッドが三人分あるだけで、荷物を広げる場所すらない。が、部屋の外にはデッキがあって、海風に当たりながら太平洋を見ることができて気持ち良かった。しかし、テレビで窓のない部屋があったと知ってびっくりした。部屋にばかりいたのでは退屈なので、船内を歩き回って暇つぶしをしたが、船内には図書館・プール・劇場等があり、時には広場で音楽会があったりして、船の旅は楽しいものだった。そんなわけで、プリンセス号はいい船だった。
 それが地獄と化すとは夢にも思わなかった。テレビでは、ダンナ様の体調が日々悪化するので関係者に度々訴えたのだが、医師が来たのは三日後で、病院に搬送されたものの数日後には亡くなったと報じていた。私の記憶では、プリンセス号で亡くなった人は十七人だったと思うが、高齢夫婦の一生に一度の船の旅が悲劇的結末に終えたとは、気の毒でならない。
 ある医師が、プリンセス号の処置は日本の大失敗だったとテレビで言っていたが、厚労省、政府の対応は昔の軍部と全く同じで、独善・楽観・希望的観測・無責任だったと思えて仕方がない。ある週刊誌には、日本政府は着岸を拒否し、日本人だけは何らかの方法で救出し、あとはイギリス・アメリカにやらせるべきだったと書いてあったが、そんな方法もあったのかと思った。なぜなら、あの船は三菱重工長崎造船所で建造され、船籍はイギリス、運営はアメリカの観光会社だったからである。法律のことは知らないが、日本政府はプリンセス号事件でかかった費用の一部または全部をイギリス・アメリカに請求できないのだろうか。


― 一冊の本 ―
 その名は『日本のコロナ対策はなぜ迷走するのか』である。この本を書いたのは上昌広という人である。氏の経歴がすごい。灘高、東大医学部卒、東大第三内科、東大医科研特任教授という超エリート医師である。本の内容は、徹底的に政府(厚労省)のコロナ対策批判である。
 プリンセス号の患者が横浜市内、神奈川県下の病院に収容され始めた頃から問題は発生していた。というのは、感染症法では軽症・重症を問わず患者全員を病院等に収容しなくてはならない。となると、重症患者の治療に手が回らなくなる。それで意識的にPCR検査はせず、重症者だけを病院に収容することになり、無症状感染者や軽症者を病院以外のホテル等で隔離しなかったため、コロナウィルスを市中にバラまく結果になったという。本から引用する。
「世界の趨勢に反してクラスター一足打法になったことを問題にしているのです。この路線のおかげで、一般的な発熱患者が検査を求めてもなかなか順番が回ってこない。あるいは拒否されるという日本的悲劇が生まれました。無症状感染者からの市中感染拡大という視点をないがしろにされたのです」
このような決定を誰がしたのか、その責任は誰にあるのかを知りたいところだが、それは上氏の本に従っておいおい説明する。


 ― PCR検査は何故拡大しなかったのか ―
 コロナ感染症の対策の核心はPCR検査であったが、先日の新聞の報道によると、日本の検査率は世界の百四十数番目だそうである。開発途上国よりまだ低いのである。ノーベル賞の山中博士は、PCR検査を拡大しろとテレビで盛んに言っていた。大学民間等あらゆる機関を総動員すれば、短期間で目的は達成できると断言し、また山梨大学の島田真路学長は、PCR検査を拡大しないのは日本の恥とまで言っていた。それなのに、何故拡大しなかったのか。再び本から引用する。
 「検査数が増えれば、感染研や保健所の処理能力を超えるからです。感染研は“研究所”です。現在のPCR検査が形式上は“研究事業”の延長だからこそ、臨床医がPCR検査を必要と判断しても断ることが許容されるのです」
 「臨床医の私に言わせれば、検査拡大を事実上拒否し、感染研の権益を守ろうという専門家
会議の提案と、それに沿った厚労省の方針はまさに犯罪的である“人体実験”に近い代物ではないか」
 ここまでくれば、何故コロナが拡大したのか分かってきたと思う。要するに、感染研や厚労省、医師会のデタラメな対策、指導のためである。例えば第一波が収まった時、政府高官が第一波は場当たり的だったが、うまく収まったと言って、第三波に対する対策を怠ってしまった。独善、場当たり、楽観、希望的観測が旧日本軍の特徴だった。
それじゃどうすれば良かったのか。経済学者の金子勝氏は次のように言っている。
「危機管理の鉄則として、全員検査をして重症者から無症状感染者までリスクをしっかり確定し、データに基づいて的確に治療・隔離を実施する。これしかない。徹底検査でコロナを封じ込めているという安心感が出た段階で、経済規制と緩和、より幅の広い活動を容認する。メリハリを持ってやらないと経済はいつまでたっても復活しない。つまり全員検査が最大の経済対策になる。“医療と経済の両立”と言うが、いずれも中途半端だと両方ダメになる」
政府はこれと真逆のことをやったのである。


― コロナ騒動の責任者は誰か ―
 またまた上昌広氏の本から引用する。
「専門家会議も政治家も、すべて振付けは厚労省である。当時の任に当たったのは、鈴木俊彦事務次官、鈴木康裕医務技監、コロナ対策課の日下英司結核感染症課長、加藤勝信厚労相の四人」
「科学に背を向けた対策で大きな弊害・被害を残しました。ラッキーだったのは、日本のウィルスが米欧に比べて弱毒性だったということです。日下課長は初動の判断を間違えました。ランセット情報も知らず、感染症の政令指定をしてしまいました」
 彼らは医系技官として厚労省では絶大な権力を持っているそうである。医系技官とは、医学部を出て医師免許を持てば誰でもなれるそうである。つまり十分な臨床・研究の経験がなくともなれるのである。ということはペーパードライバーならぬペーパー医師が医系技官であるということだ。その彼らが、感染症のことを分からないくせに各機に指示を出したり命令したりするのだから、現場は混乱するばかりである。過去に彼らは何度もサリドマイド薬害事件等を起こしているのに反省もせず、同じ誤りを繰り返している。厚労省の上には政府がある。その政府は高度の専門性のためか、医系技官に丸投げしているのである。安倍前首相が彼らにPCR検査を拡大するように指示しても、あれこれ理由をつけて彼らはサボタージュしたという。こんな医系技官は即座に全員クビにすべきである。こんな医系技官に注意もしなければ処分もできない安倍前首相とは一体何者だったのだ。こんな話はやめよう。馬鹿相手に物を言ってもしかたがない。


― 岩盤規制 ―
 元通産省のエリート官僚が書いた『岩盤規制』という本がある。内容は、霞が関の官僚のジレンマと苦悩が書いてあるのだが、要するに「政官業」三位一体の岩盤は、総理大臣といえども容易には崩せないということである。政とは、官僚と結びつく自民党の利権しか頭にない族議員であり、官とは彼らと結びついて自分達の権益を守ろうとする官僚であり、業とは日本を代表する一流企業のことである。もちろん、彼らはただで結びついて動いているわけではない。業は政界にカネをばらまき、官は業を支配し、政は業からカネをもらい、見返りに官を支配するという構図である。例えば、GoToキャンペーンという巨額の予算の数パーセントは、菅・二階等のポケットに巧妙な手口を使って入っているのは政界の常識である。不況にあえぐホテル・観光業界、地域の中小企業を救うためと、まぁよくも言えるものである。国民が納めた税金の大部分は彼らの私利私欲のために使われているのだ。馬鹿を見るのは多くの国民である。それもこれも岩盤規制を壊さない限り、日本の発展はあり得ないというのが、原英史の主張である。興味のある方は読んで下さい。
 『岩盤規制』 著者 原英史  新潮新書  定価 七四〇円


 ― 青年、日本の力だ意気だ ―
 明治の初年、一人の日本人留学生がロンドンにいた。下宿のオバさんが彼に言ったという。
「そんなに朝から夜まで勉強していたのでは健康にも良くないし、たまには酒を飲むなり、山を歩いたりしてはどうか」と。留学生が答えて言うには、「私が一日勉強を怠れば、それだけ日本の近代化は遅れるのです」 当時の留学生の意気込みが聞こえてくるようである。留学生の中には酒を飲んで遊びほうけていた奴もいたであろうが、大部分の留学生はヨーロッパ諸国に追いつき追い越せの意気込みのもとに、一生懸命勉強したのだ。彼らは日本に帰って、医学・法学・工学等の分野で活躍し、日本の近代化の礎石を作ったのだった。一つの例を挙げると、琵琶湖から京都までの水路を切り開いたのは、留学帰りの二七才の青年技師だった。彼らの活躍のおかげで、ヨーロッパ諸国が驚くほどのスピードで、日本は近代化を遂げていったのである。
 しかし、日露戦争(明治二十七年~三十六年)後から日本はおかしくなっていった。夏目漱石の『それから』だったと思うが、熊本から一人の学生が上京する途中、車内で一人の老人と出会った。学生は日露戦争に勝って日本はいよいよ一等国の仲間入りだとはしゃいでいると、老人は「滅びるね」とひとこと言った。まさに老人の言葉通り、約五十年後には日本は太平洋戦争をやって破滅したのである。日露戦争後は、軍人がでかい顔して世にはびこるようになった。軍人教育の基本となる士官学校は、天下の秀才をバカにする教育であり、陸軍大学の卒業生は戦後一様に陸大の教育は間違っていたと言っている。これじゃ戦争に勝てる訳がない。
 明治の初年、陸軍大学にドイツ参謀本部のメッケル少佐を招いて授業を行ったが、二年間の教育期間といってもドイツ語でメッケル少佐が話し、その後通訳が話したというから、正味一年間の授業だったろう。フランスとの戦争に勝利して意気上がるドイツから来た軍人が、いい加減な教育をするはずがない。メッケル少佐が日本を去る時、時間がなくて彼らに歴史哲学を教えられなかったことが心残りだと言ったそうだが、ヒントはその辺にあるのかもしれない。太平洋戦争は明治の頭で戦ったとはよく言われるが、日露戦争後、日本人の軍人の頭は停止してしまったのである。


 ― バカの見本 ―
 歴史家の保坂正康の「東条秀樹の信条」とは、次のようなものである。
一、 軍事は国家の主体であり、この動きに意見をはさむことは許されない
一、 国益は戦争によって拡大され、戦争によって守られる
一、 妥協は敗北であり、敗北は国家の衰退の源である

私はこの文章を読んでふき出してしまった。こんなバカが陸軍大臣となり総理大臣となっていたのかと。東条が特異な人間ではなく、当時の陸軍の首脳陣は似たり寄ったりだったろう。私が彼らをバカと言っているのではない。東京裁判で死刑の判決を受け、執行直前の家族との最後の面会で元首相、外相だった広田弘毅は「バカども引きづられてここまで来た。ワッハッハ」と言ったという。また同じかA級戦犯として獄死した元外相の東郷茂徳の一句は
 「この人等 国を指導せしかと思う時、肩の小さきに驚き果てぬ」
である。要するに、こんなバカどもが戦争を指導したのかということである。彼らは生まれた時からバカだったわけではない。いや、むしろ幼少の頃から神童と言われ、幼年・学校・士官学校・陸軍大学と進み、順調に出世していった連中である。それが陸軍大学、長年の陸軍勤務の過程でバカになっていったのである。ということは、陸軍大学の教育、陸軍の在り方に大いに問題があったのではないか。バカな政府・指導者を持つと、国民は言語を絶する悲惨な目に遭うことは、太平洋戦争で日本国民も経験した。何しろ戦争で約三百十万の人々が死んだのだから。


 ― バカは拡大再生産される ―
 終戦後から三十年の中頃までは、社会党国会議員には、外交・経済・防衛・教育等の専門家がいて、自民党や官僚に鋭い質問を浴びせ、彼らをタジタジとさせたものだった。しかし、今の立憲民主党の質問は、スキャンダルの追求やどうでも良いことばかり。今度はやるなと思うと次の質問に移ります、である。要するに、彼らはやる気がないのである。自民党は多数にあぐらをかいて昼寝していれば、野党が自滅してくれるからのんきなものである。先日の新聞にある評論家が書いていたが、最近の国会議員の質の低下には目に余るものがあるという。今の国会議員は与野党を問わず、高校生・大学生が会社へ就職するかのように、給料をもらうために国会へ行っているのだろう。そんな奴らのために税金を払っていると思うと、バカバカしい限りである。そんな連中の代表者が、首相や閣僚となって政府を構成するのだから、信頼できるはずがない。


 ― 今後どうなるのだろう ―
 明治維新から昭和二十年の敗戦まで七十七年、敗戦からアメリカを主とした占領軍に支配され、その後の半占領下から現在で七十五年、ロシア革命からソ連崩壊まで七十四年。どうやら一国の体制の賞味期限は七十五年前後らしい。となれば、日米同盟の名のもとにアメリカの半占領下の政治に甘んじてきた自民党政治も終わる頃である。自民党のみならず、官僚体制も自壊作用を起こしつつある。とすれば、次には何が来るのだろう。ヒットラーのような狂人か、大塩平八郎のような破壊者か、それとも二宮尊徳のような道徳者か、日蓮宗のような宗教者か。未来のことは誰にも予想がつかない。いずれにせよ、バカな政府を持った国民は苦しむのである。

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