2012年1月8日日曜日陸前高田市 訪問 2012年1月6日

1月6日から 仕事で 陸前高田市に行きました。
一ノ関駅前で レンタカーを借り、343号線で、陸前高田に向かいました。
峠は、雪が 多いようです。凍結も心配です。
十分、注意、減速して走ることを お勧めします。
今回 多少、困惑したのは、トラック含め、速度が 早いことです。夜間(もちろん、街路灯はありません)の速度も速い。日中の走行を前提に考えたいです。夜間の峠走行は 危険です。

宿泊は、紹介された近くの鈴木旅館。素泊まり2700円(いつも同じかは、わかりません)。とても気持ち良い少し茶色のお湯ですが、温泉付きです。現状を調べる初めての陸前高田入りには、とてもよい場所でした。
鈴木旅館から、旧市街地へ向けて 約3キロ?この間に ガソリンスタンド、スーパーMAIYA,うどん屋さん、本、文具やさん、コンビニ、お弁当屋さん、等が、それぞれ仮設で営業しています。
ここ間にあるお店が 今の陸前高田市のお店の全てです。スーパーMAIYAは、住む人の食の支えになっていることが よくわかります。
このスーパー建設に 農地を使うなと言って 許可しなかった政府の役人たちは、 復興の支援どころか、餓死しろとでも 言いたかったのでしょうか。救援活動の自衛隊にガソリン補給のノズルに触らせるなと 命令してきた政府の役人にも 命の救援より、縦割り行政優先とは、もう 人間では ありません。
スーパーMAIYAを過ぎて 上り坂 すぐ右手に 陸前高田の復興指揮の司令塔、仮設の市役所があります。土曜日でしたが 寄らせていただきました。ここで、どこかの馬鹿!国会議員が、Vサインして 記念撮影して お帰りになったそうですが、その馬鹿国会議員の名前、知っている人いたらどなたか、教えてください!
少し、迷ったのですが、がれきの山と、かろうじて残った、ビルの残骸の間を抜けて、復興のシンボル的存在になった、一本松を尋ねました。数万本の高田松原で 唯一残った松です。横浜ナンバーで、小学生くらいの事もを連れた家族が来ていました。
松原の面影は 何もありません。折れた幹が白く水面から顔を出していました。
港らしきものは ありません。船は ありません。湾を南に回るように下ると 小さな漁港の跡地に出ます。此処だけ、漁船が少し岸壁跡から離れて、数隻停泊していました。
陸前高田の元市街地は、本当に何もなくなった一面のがれきと 数か所残りビルの残骸だけです。その向こうに 陸前高田の街を見下ろすように、素晴らしい山が 見えます。見とれるくらいに 素晴らしい山。陸前高田の住民は毎日この山を見て平和に暮らしていたのですね。
打ち寄せる渚は、とても透明で、住んでいました。でも 生き物を見つけることは 出来ませんでした。
さて 復興です。
TV朝日が 今日の日曜の報道ステーションで、復興に明るい兆し!として、仙台のキャバレー街のバブル景気、高級時計の売れ行き、タクシーの稼ぎの向上を 報道していました。
キャバレーに勤める娘さんが 不足で 奪い合い。復興需要で設けた土建屋さんで キャバレーは、大繁盛です。これが、復興に明るい兆し!なのでしょうか。まさか!
私は、復興にとてつもない強靭な意志が 必要だと思います。並みの神経なら、崩れます。
被災地は 陸前高田だけでない、東北の太平洋側全体に及んでいるのです。
それに 絶え間ない国民の支援と、国の真面目な支援(規制解除と言っても良い)が 必要です。
僕も 自分で出来ることを考えます。

YouTube に 陸前高田の 2012年1月6日現在の状況を載せました。
随時 1時停止を 使って ご覧ください。
 2012年 1月6日 陸前高田市 」

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