お金のこと②

3日坊主にならないようにと思っていたけれど時間が空いてしまった。でも更新はしたので3日坊主とは言わないで欲しい。

前回は私個人のお金観について書いたので、今回は社会的観点からみたお金観について書いてみたいと思う。

お金というものはもののやり取りにおいてとても便利な代物だということは間違いない。食べ物飲み物と交換でき、電車に乗るのも洋服もすべてお金で交換できる。

また、お金は価値を生み出すことができる。わかりやすさのために例を出してみよう。

A君とB君がいる。そしてA君のみが1万円を持っているとしよう。ここで2人の持っている価値の合計は1万円だ。

B君がA君に対して1万円分の仕事をする。A君は仕事の対価として1万円をB君に渡す。ここで2人が持っている価値は、A君が得た仕事の価値1万円と、B君が持っている1万円で合計2万円になる。今度はA君がB君に対し1万円分の仕事をすれば合計の価値は3万円になる。

つまりお金というものは、ぐるぐる流通させることでより価値を生み出していけるのだ。昨今のニュースでは無駄遣いを減らせ!と連呼しているが、そのお金はどこかに消えるわけではないからそんなに言わんでもなぁと思うことはある。(ただ資源の無駄遣いはダメだよ。これはなくなるからね。)

人々はこのお金を労働によって手に入れている。労働の対価としてお金を受け取るのだ。私みたく会社に勤めている人は毎月決まった額を会社から受け取るし、自営業やフリーランスの人は直接お客さんからお金を受け取ることが多いだろう。

ただこうしたお金というのは万人が平等にもらえるわけではない。たくさんもらえる人がいればその逆に少ししかもらえない人もいる。その人が1年間でどれだけのお金を受け取ることができるかというのが年収という評価になる。

年収という評価は残酷だ。すべての人が同一の数直線上で評価され、「君は社会的にこれぐらいの価値だね」というのを否が応でも表せてしまうから。分かりやすすぎるのだ。それが個人を表す一要素にすぎないとしても。

結婚相手に求める条件は年収〇〇以上という線引きや、転職で〇〇万円年収がアップ!といった甘言が世に跋扈しているのも、これが指標としてわかりやすいからであろう。

私としてはこうしたわかりやすい指標で殴り合う世界よりみんながみんなを多角的に見られる世界のほうがいいなぁって思うけど、こんなのんきなことは自身の生活が逼迫していたら言えないだろうし驕りなのかなぁって思ってしまった。

お金の話はとりあえずここでおしまい。次は何を書こうかなぁ。

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