トレインスポッティングのレントンみたいになった話とか


自分のこと理解して貰おうだなんてもちろんとっくに諦めているけれども。

周りに合わせたり、一般社会に順応しようとすればするほど、自分のこと見失って、作り笑顔と平気なふりと涙を隠すのが上手くなって、それが本当の自分なんだと自分でも錯覚してしまうようになる。

日頃からある程度は自己主張しないと自分が壊れることもわかった。


映画トレインスポッティングの主役レントンのあの有名なポーズあるじゃん。

両腕を曲げて手を脇に挟むポーズ。

先日、自室でひとり壊れかけた時があったんだけど、その時にあのポーズの意味というか心境をちゃんと理解したと思う。多分。

その時わたしは身も心も限界で、でも誰にも言えなくて、家族に迷惑をかけないように一生懸命声を殺してボッロボロ泣きながら、音を立てないようにカーペットの上を摺り足で、自室を対角線上に何往復もし、痺れた腕を弱々しく前に伸ばし、両手は宙を掴むように掌を開いたり閉じたりして、嗚呼、前に心療内科の待合室で同じ場所をひたすら行ったり来たり繰り返している男性を見たな、その時は彼の行動の真意は予想もつかなかったけど、きっとこうしてなんとか自分を落ち着かせ、自分を保とうとしていたのだろうなと、わたしはこんなことは今回が初めてだけど、とうとうわたしもそこまできたのだなと、限界を迎えながらも冷静に分析する自分もいた。

しばらく泣きながらうろうろしていると、自然と例のポーズをつくった。

するとひたすら動いていた足がぴたりと止まった。

その瞬間ふと鏡に映る自分の姿を見て思った。


(トレインスポッティングのレントンのポーズじゃん!)


そんな時なのになんか嬉しくなった。


というわけでみんなも限界を迎えたらレントンのポーズをしよう、というか自然とそうなる、はず。

あれはギリギリのところでも、なんとか自分を保つ為に最適なポーズなんだと思った。

あ、ちなみにわたしはドラッグやってないからね!

少なくとも10年以上は。




なんか話が脱線しちゃったな。

なんの話だっけ。


……そうだ、自己主張は大切だという話だ。

最近のわたしは躁の時期で、今まで抑えていた分、度が過ぎているというのは否めないけれども。

またこれで何人かの友人、知人が離れていくんだろうなと思う。名残惜しいけど、私は引き止めないから安心してね。今までありがとう、という気持ち。


でもとやかく言ってくる人には思わずこう言いたくなってしまうのを必死で抑えてる。




「ごめんなさい!わたしってば、あなたと脳みそのつくりが違うからお話にならないの!!」


って。

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