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ブォォォォォォン!!!ブォォォォォォン!!!!ブォ/固有名詞

ーーーしろたんの美貌は橋本環奈と並んでも引けを取らないぞ…!!!


色白美少女を愛するあまりチョークに結婚を申し込んだ経験を持つ筆者の友人は、動画再生開始後30秒でそう評した。

みなさんは

"しろたん"

をご存知ですか???????

https://sirotan.fun/character/


1. 予備知識

”しろたん”に関して全く明るくなかった筆者は、まずそのプロフィールを見て驚愕した。

しろたんは氷の国で生まれたたてごとアザラシの赤ちゃん。

???????
不明な点が多すぎる…氷の国ってどこだ? なにか明かせない事情でもあるのか???

とってもおおらかでふわふわ。誰とでもすぐに仲良くなれるよ♪

どうやら”しろたん”は包容力に満ち溢れた人物らしい。

いろいろなものに変身するのが得意!

………なるほど、わかったぞ。


しろたんは、しろたんはメタモンだ!!!!

変身が得意。この特徴が当てはまるのはこの世にただ一種、メタモンしか有り得ない。

しかし、これは思い過ごしであるようだった。「羽田空港しろたんタウン」のLINE公式アカウント。どうやら返信が得意ではないらしく、しろたんはメタモンではない事が発覚した。

気を取り直してもう一度、プロフィールを確認する。

アイスやミルク、お菓子が大好きだよ♪

…筆者となかなか趣味が合うらしい。しろたんは相当な甘党であるようだ。

のんびりまったりお昼寝するのが大好き。

ここで、ひとつの疑惑が浮上した。


しろたんは、しろたんは自分自身じゃなかろか???
現に自分は甘いものに目がないし、三度の飯より昼寝が好きだ。大がつくほど好きだ。もし許されるのならば一日中昼寝を続けるだろう。”昼”という概念を破壊してまでも昼寝をするだけの覚悟と矜恃を持っている。
つまり自分こそが”しろたん”だ…


ただ、これもまた思い過ごしであることが分かった。

しろたんのそばにいるとほっと癒されちゃうよ♪

根っからの陰キャ、陰の者、日陰、暗闇そのもの、歩く夜 etc…である自分は、生憎そばにいる人間をほっと癒す力を持ち合わせていない。というかそもそも自分はアザラシの赤ちゃんではないし、変身が得意な訳でもない。しろたんはおそらく山盛りの課題に追われていないし、花粉症ではないし、性欲も強くない。
”しろたん”は自分ではない…


しかし残念ながら、筆者はここで諦めるようなクリーンな思考を持っていなかった。



しろたんは自分ではない、しかし部分的に「しろたんは自分自身である」という事が言えはしないだろうか?
なにせ自分は「アイスやミルク、お菓子が大好き」で、「お昼寝するのが大好き」なのである。これはもう半分くらい”しろたん”なのではないか? 「はいいろたん」くらいなら名乗っても許されるのではないだろうか???


だがこの暴論も、どうしても打ち破れない壁「ほっと癒されちゃうよ♪」の一文の前にただただたじろぐばかりであった。
そばにいるだけで癒される???
そんな能力を持つものなんてこの世に………


あった。アロマオイルだ。しろたんは、アロマオイルだ。

2. 動画視聴

「しろたんは氷の国で生まれたたてごとアザラシの赤ちゃんで」

「アイスやミルク、お菓子が大好きで」

「いろいろなものに変身するのが得意で」

「アロマオイルである。あと多分性欲が弱い。」


入念な予備調査の結果、以上の情報を手に入れることが出来た。
さぁ、あとは動画を観るだけだ。
使い慣れないYouTubeを開き、かわいらしいサムネイルをクリック。

https://m.youtube.com/watch?v=1ksT7i6d67w



全24話を視聴した感想だが、まず

アニメーション作品としての思想が強い

という印象を持った。

しろたんを見ていると、決してその笑顔を絶やさないというある種信念のようなものを感じる。
そう、しろたんは揺らぎない信念に基づいて笑っている。この白い生き物は、ひとすじの揺らぎもなく、突き抜けるような無垢でただただ優しく微笑みかけてくる。
これがどれほど恐ろしいことか、一度想像してみて欲しい。

初対面の蝶に向かって、目を細める。
満面の笑みでかき氷を、頬張る。
宇宙空間でヘルメットを脱ぎ、ズボンを下ろす。
露わになった下半身を、(んふふ)(自主規制)(自主規制)。
このような芸当が、果たして生身の人間に出来ようか?そもそもしろたんは人間なのか?どうなんだ?オイ!答えろ!!!オイオイ答えてくれぇ〜〜〜!!!!はぢャペたゃmよ66nysさすaaaァ!、、!!!!

しろたんは氷の国で生まれたたてごとアザラシの赤ちゃん。

………そうだった。
しろたんは、アザラシの赤ちゃん。


え〜と、話が逸れてしまったので取り敢えずいくつかの動画をピックアップしてそれぞれの作品の裏に潜む重要な思想表現を紹介していきたいと思います。


3. 思想の代弁者、しろたん

大人気アニメーション「しろたんがいっぱい!」であるが、本作品群の内容は大きく2つの性質に分けられる。筆者はこれを”物理的メッセージ”と”概念的メッセージ”と呼称し、作品に隠されたテーマを読み解いていきたい。


第1話 ぼく しろたん

24話にも及ぶ超大作を語るにあたって、まず外せないのは第1話だろう。

草原の中ひとり寝転ぶは主人公の少年、しろたん。
のっけから「いいおてんき〜」などと気の抜けた挨拶をした彼が眺めているのは広大な空、始まりを予感させるその空にはいくらか雲が浮かんでいる。雲量で言えば「2割」といったところだろうか。気象庁の区分では「晴れ」にあたる好天気である。

寝転んだ彼はその後なにをするでもなく、傾斜角約30°の急斜面をゴロゴロと転がっていき、勢いもそのままに崖から転落死する。
落下中の経過時間から考えてその落下距離hは約44m、落下速度vは105km/hにも及び(重力加速度gを9.8m/s²とした場合)、視聴者からすれば大変心臓に悪い。
というか地上45m以上からの転落に関してはほとんど生還例がなく、誰もが目を覆ってもおかしくないシーンである。

事実、目を覚ましたしろたんの周りには大量の花、花。あまりにも美しいその花畑は誰の目に映っても天国そのものである。
そして起き上がったしろたんの元に現れた一匹の蝶。戦死者をこの世から運び去るというワルキューレを表現しているのだろうか。生きづらいこの世界を惜しまれながら去った少年に永遠の救済を。ああ、しろたん、可哀想なしろたん。


とか思ってたら蝶は普通に飛び立ったし、しろたんは自己紹介を始めた。
あ゙〜〜〜癒されるァ〜〜〜♡♡♡

テーマ:特売


第7話 温泉しろたん

物質的なテーマは「交通事故」。
ほのぼのとした雰囲気漂う本作品群において、初めて明確に社会問題を取り扱った、ある意味”転換点”とも言える一作だ。

遠くに見える泡風呂を目指し、しろたんはなんと両の手だけを使った擬似的な匍匐前進を披露する。しかし、赤ん坊である故の視野の狭さ、注意力の散漫さが災いし、何故か地面に放置されていた石鹸に足を、いや腹を滑らせてしまう。これについては

・しろたんはまだ赤ん坊であり責任能力を問える年齢にないこと

・単純に石鹸を落とした何者かの過失であること

・しろたんは包茎であること

などの観点からしろたんが罪に問われることは無かった。

………そんなことはどうでもよくて、問題とするべきはしろたんが滑っていく描写である。コントロールを失った巨体(仮にもアザラシ)が真っ直ぐに突き進み、温泉もろとも吹き飛ばす。
筆者(仮にも人間)はここに、近年増加しつつあった交通事故への間接的なアプローチを見た。衝突の瞬間をあえて描かないという制作側の配慮がいよいよである。

また、もうひとつ、この第7話には「自意識の制御」という概念的なメッセージが存在する。

石鹸に乗り行動の自由を失ったしろたん。彼はこの後罪も無い温泉に激突するという未曾有の大事故を引き起こす訳だが、これは自我からの離脱を通し新境地に達することへの恐れを取り払うという行為に対し作為を大きく包含した、非常に思想表現の色濃いワンシーンとなっている。
この場面に置ける「石鹸」はフロイトが提唱した人間の精神機能のうち「エス」であろうか。心的領域において独占的な立場にある無意識下の衝動に支配されたしろたんは留まるところを知らない。

恐らく制作側の意図としては「視聴者の深層心理に訴えかける内容の作品を公開し、混迷の一途を辿る我が大日本帝国、いやこの世界を!この世界を変えてみせるのだ!ィ!!!」


などということはなく、単純にかわいらしいアニメーションを作り、人々を元気づけたかったのであろう。

テーマ:交通事故、自意識


第10話 しろたんのお絵かき

ここで、ついにとんでもないテーマが浮かび上がった。

顔面をクレヨンと思しき画具で汚しながら、デフォルメ調の独特なタッチで魚を描いていくしろたん。
と、突然彼は衝撃的な一言を口にする。



「おさかなさんがおよいでる〜♪♪♪」


聴こえただろうか。
筆者はこの動画の初見時、衝撃のあまり両耳の聴力を完全に失ってしまった。

描いた魚が泳ぐ???
そんなワケがない。あってはならない。
画面を見た。



画用紙の中を悠然と
魚が、泳いでいた。

目を疑った。気が狂れたのか。
何度も自分の正気を疑った。

しかし、魚は確かに泳いでいる。
なんならエラ呼吸までしっかりしている。

あまりの出来事に私は気を失いかけた。
失ったはずの聴力がウサギ並みにまで回復した。


………回復したばかりの聴覚が、また信じられない発言を拾ってきた。


「もしかしてそとにでたいの???」

そんなワケがない。あってはならない。
絵の中の魚が、外出したいという素振りを見せるはずがないのだ。


「じゃあ、いっしょにおそとにいこう♪」

立ち上がった。出掛ける支度をした。
もはや私に思考など存在しなかった。
しろたんが魚と出掛けるのだから、自分は付き添う必要がある。本能がそう訴えかけていた。

第10話のテーマ、それは「麻薬の危険性」だ。
間違いない。

違法麻薬に脳内を犯されたしろたんには幻覚が見えている。泳ぐはずのない絵の中の魚が泳いでいるように見えている。
そしてしろたんは絵の中から出ることが出来ない魚を哀れみ、外へ出掛ける提案をするのだ。

川へ到着したしろたんは、あろうことか自らの絵画を躊躇いなく水中に沈める。そして。

絵の中の存在、しろたんと我々視聴者が生み出した”偶像”にしか過ぎなかったはずの魚は、「画用紙」という束縛の象徴から見事逃げ出し、実態を持つ。まさに水を得た魚、といったところか。

それを見たしろたんは自らの拘束を振り切った著作物を「うれしそう」と形容。明らかに常人の思考回路ではない。いくらアザラシだからといって、この発言は許されないだろう。


狂気は、得てして伝播する。

完全に狂ってしまったしろたんを見た我々の反応といえばどうだろうか。
魚が泳ぎ出したその時。
しろたんが川に著作物を放ったその瞬間。

我々は確かに手を叩き、嬌声を上げ、熱狂と興奮の渦に包み込まれていたことだろう。
拳を突き上げ、白目を剥き、下半身を露出したに違いない。


これが薬物汚染。引き返せない苛烈。
薬物乱用へ警鐘を鳴らす内容のアニメーション作品は過去にも存在が確認されているが、このようなテイストのものは地球上のどこを探してもこのしろたんンンンァッだけであろう。


また、この第10話からは概念的なメッセージも感じられる。

「抑圧と解放」

先程も述べたように、この「しろたんのお絵かき」では「画用紙」という限定的なトポスを用い、得体の知れない恐怖を表出させることなくサブテーマを描き切っている。そのサブテーマこそがそう、「抑圧と解放」だと私は思う。

画用紙の中満足に泳ぐことを許されない魚は、息苦しい現代社会に生きる若者達の苦悩だろうか。解き放たれんとする内在的なエネルギーがそのまま「画用紙を抜け出し、川を下っていく」という狂気的な表現に繋がっているように思われる。そうこれは、縛り制限の多い日本社会に対するしろたん精一杯の皮肉なのだ。もっと自由に生きてみろ。クスリでもやってみたラドウダ??ドゥフだ。グフフフフ???!😇😇😇😇😇

もはや気概すら感じさせるしろたん。
しかしその目はどこまでも純情なのであった。

テーマ:薬物乱用、自由


第11話 みんなでほっこりクリスマス

第11話では、<しろたん>という生命体が人類の文化圏とそう遠くない位置に存在する根拠が提示される。

それは。
人類のみに許された祭典、クリスマス。
これをアザラシの赤ん坊が我々に無断で楽しんでいる。クリスマスという文化の起源であるはずの我々人類を差し置いて、アザラシたるものがリアルを充実させている🦭🦭🦭🦭🦭

許せない。馬鹿げている。圧倒的な知性を以てアザラシたちを屈服させなければ。これは種の闘争だ。劣等種は残らず淘汰されるべきなのだ。あばばばば

こうしている間にもアザラシたちはパーティーを楽しんでいる。食いしん坊の一面を覗かせる。顔面サイズのケーキを平らげている。ついでに乱交を楽しん………


いや待て、落ち着け。
動画序盤、主人公のアザラシは鮮やかに二度寝を決めようとしていた。そして来訪者を見て


「今日はクリスマスだったのか〜♪」


………彼は非リアである。クリスマスの日程を把握していない人間は皆非リアで童貞で処女なのだ。万葉集にも同様の記述がある。

篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告<紗>根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師<吉>名倍手 吾己曽座 我<許>背齒 告目 家呼毛名雄母

現代語訳: オイ!クリスマスに予定がない奴はなァ、みぃんな(以下略


まあそういうことです。
対戦ありがとうございました。


ところで、本来人間の文化であるはずのクリスマスが、どうしてアザラシの元へと伝わっていったのだろうか。

筆者はこれを一種の冊封関係、あるいはノブレス・オブリージュと捉えた。
他種族に比べ文明の成熟度が高い人類には、果たすべき役割があるのだ。きっとどこかの国の偉い人が「氷の国」とやらに直接出向き、稲作の始め方や井戸の掘り方なども含めて1から教え込んだのであろう。

ようやってるよ、ホントに。

テーマ:盗撮


第12話 おしるこしろたん

こたつに入りお汁粉を堪能するしろたん。その具材はなんとアザラシ。これだけでも視聴者からすれば相当ショッキングな絵面であるが、さらにしろたんは彼らが食材であることを疑いもせず口へ運ぼうとする。箸でつまみ、蹂躙した挙句、自らの胃酸で消化しようというのだ。

日本アニメーション史に残るこのシーンは、「弱肉強食」の構図をありありと示している。

逃げ延びることの叶わなかった”いのち”の最後の輝き、刹那煌めいたアザラシの彼はこの後当然捕食される。しかし。

死を迎えようという彼には未練のミの字も見当たらない。迫る死を受け入れ「ありがとう」と本気の感謝。勝者の余裕すら感じさせるこの引き際の潔さに我々視聴者は再度幻覚を見る。なんと紙吹雪が舞っているではないか。

おめでとうしろたん、お前が優勝です。

対して間接的なメッセージ、それは「多神教」である。

強大な権力を築く者、かわいいもの、便利なもの、その他様々なものを「神」と形容する近年の若者。彼らの感覚から考えればしろたんに付けられるべき渾名は当然「神」。このかわいらしさ、神格化されるに違いない。

つまり、いま、ここに

「しろたん=神」

という等式が成り立った。


これを前提に、もう一度第12話を視聴してみよう。

お汁粉の具材は???


そう、お汁粉の具材は小さなしろたんである。
先程の等式をこれに代入すると

「お汁粉の具材=神」

となる。

出来上がった。
「万物は神仏である」という思想をベースとする、これは仏教だ。

神・しろたんは、我々視聴者に仏教の宗教観を植え付けようとしている。

そして、我々もそれに応えるのだ。
毎日の食事、無意識のうちに作物の豊作をよろこび、偉大なる神仏へ感謝する、そういったサイクルを、しろたんは生み出している。

ありがとう。ありがとう、しろたん。

テーマ:食物連鎖、仏教観


第17話 しろたん一家やで!

強烈なアイロニー。「予定調和」への反発をひしひしと感じる、そんな一作。

家族で食卓を囲む3頭の関西弁アザラシ。父親と思しき個体は味噌汁から手をつけるなど、和食のマナーはきちんと修めている様である。しかし。


味噌汁を啜った父親アザラシの眉間にシワが寄る。毒でも盛られたのだろうか。否。

「ン゛〜味噌汁ガ…」


「おいしいなぁ〜(詠嘆)」


視聴者の期待を全く裏切ろうとしない、その姿勢は評価するで。ただここで

「ヴォエ!!!!ま゙っっっァっずゥ!!!殺す気か!?!?!?!!!!」

とか

「ヴァー!!!!マズ!!!!!ゲホゲホ!!!!!!rrrrrrtrrtrrree!!!!!!!」

とか言ってみて欲しいものである。それくらいの度胸が備わっていて欲しいと切に願う。


………何の話ですか???

テーマ:自販機


第18話 正直者のおしゃれたん

ここで童話的側面を見せるしろたん。
モチーフとなっているのはもちろん「白雪姫」だろう。


……ウソ抜かせ。「金の斧」です。そう。泣く子も黙ると悪名高い、あの「金の斧」です。

少し、「金の斧」について語ろうと思う。

「金の斧」(きんのおの)あるいは「ヘルメースときこり」は、イソップ寓話のひとつで、正直であることが最善の策であるという教訓の物語である。

(Wikipediaより)


 ーーーその木こりは大変貧乏で、毎晩の食事にありつくのが精一杯の生活を送っていた。一日に二度、必ず白目を剥いてしまう奇病を患っていたため、満足に他人と会話することもままならない。人々はそんな彼を「キンタマキラキラ金曜日」と名付け、恐れ、虐げた。


物語はこのように始まる。
そして、次のように続く。

ーーー繰り返される日々に嫌気がさした木こりは、湖に身を沈めることを決意する。愛する人はもういない。生きる意味など見つからない。木こりが望んだのは幸福な死か。はたまた底抜けの希望か。疲れからか。不幸にも黒塗りの高級車に追突してしまう。後輩をかばいすべての責任を負った三浦に対し、車の主、暴力団員谷岡が言い渡した示談の条件とは…。


テーマ:寂連法師


第20話 ハチたんとテントウムシたん

大岩。いまにも押し潰されそうなテントウムシ。見かねたハチ(普通名詞)が駆け寄り、救出活動にあたる。しかしこれは罠、罠だったのだ。

九死に一生を得たテントウムシは、すかさず空腹を主張する。この隙の無さ。助けられてから物乞いをするまで、僅か5秒という速さである。

「正直者が馬鹿を見る」を描いた今作。
他人思いで素直な”ハチたん”が、怠け者で自ら糧にありつこうとしない”テントウムシたん”に搾取される様子には思わず目を覆ってしまう事であろう。


また、この20話には仏教観が色濃く反映されている。それは”ハチたん”の精神に。

空腹を訴える目の前の生き物を放っておけなかったか、ハチたんはなけなしの蜂蜜を全てこそ泥、じゃなかった、テントウムシに与える。さも当然のように享受するテントウムシについての言及はあえて避けよう。とにかくここに一切の見返りは存在しない。

ハチたんが見せたこのような漢気、これを仏教用語で「慈愛」という。また、今回のように物質を伴う慈愛の提示には「布施」という定義が与えられる。

「慈愛」の精神をまざまざと見せつけてくるハチたん。これぞ仏教、これぞ歩く宗教裁判。


テーマ:返報性


第21話 とるとるしろたん

今回の描写から想起されるのは「蜘蛛の糸」であろう。我の強さが災いし、奈落へと落ちて行く。簡単な話である。ベンサムの功利主義に真っ向から喧嘩を売るような結末。目も当てられない終焉に人は怒り狂い、下半身を露出する。

また、当アニメーションは人種差別問題に一石を投じた作品としても知られる。

たくさんの「しろたん」に囲まれる1頭の黒いアザラシ。圧倒的マイノリティに属しながらも強かさを見せるその姿に心を打たれた視聴者は多いという。終始厳しい表情を湛えながらも、僅かな光に顔をほころばせ、藁にもすがる思いで仲間の臀部に齧り付くくろたん。かわいいね。


………ところで。

誰もいないゲームセンター、ひとりクレーンゲームに興じるこのアザラシ。
去り際に「明日またくるね」などとほざいているが、果たして所持金をすべてゲームセンターにつぎ込んでしまうような人間に”明日”はあるのだろうか。


テーマ:わんぱく


第22話 なかよし しろたんファイブ

それは突然の宣告であった。

学校のような場所でしろたん達が習っているのは「フワフワの方程式」なる謎に包まれた学術。
アザラシが、人類からすれば全くの未知である領域に足を踏み入れていることが発覚したのだ。種としての敗北。我々人類は、絶対的な屈辱感を飲み込み生きてゆくほか無いのである。

授業に飽きたしろたんは、空を眺める。雲の形ひとつひとつに故郷を想い、今は亡き戦友に涙する。ここで。


クラスメイトの話題がしろたんへと移る直前の一瞬の間、これはスクールカーストの存在を暗に示している、アンタッチャブルな”しろたん”に触れた途端、笑いが止まらなくなる一同!ァ!


テーマ:トイレの水、マニアックな道路工事


4.おわりに

万が一にもこの記事をここまで読んでくださった方、大変頭がおかしいですね、じゃなくてありがとうございました。次回は文章題解説を行います。あと

こんな内容ではありますがしろたんはとてもすきウソじゃないです本当なんです信じてください!!!

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ところで全”24”話というこの数字、見覚えのある方はいないだろうか。実はこれ、西洋音楽における調号の数と一致する。ということで最後にはなるが、各話に調号のイメージを付与した。







とかやろうと思ったけどマジで意味わからんのでやめておきます。第1話:C moll

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