ガランとした茶の間にて。
10月20日、母が亡くなりました。
この日は母の養母の母(私のひいお祖母さん)の命日なので、母は大好きだったあの『お母さん』(と母は呼んでいた)に「もうこっちにおいでよ」と呼ばれたのかもしれない。
そう思うとちょっとほっとした。
頑張り屋の母がここ数ヶ月で一気に弱り、寝たきりになって痛いとか苦しいとか言うようになった。
昼夜逆転もしてきて、いよいよ介護認定を申請してからの体制の動きも早かったけど、
認定前にケアマネさんが決まって介護ベッドを入れてもらって4日目に母は旅立ってしまった。
なんだかそんなことも決まっていた道筋だったのかな、
なんて思えてきた。
家で看取るということはこういうことなのかとかなり衝撃だったけれど、ちゃんと見届けられたのも意味があったことなのかもしれない、
…などと、確固とした?気持ちの整理もまだ全然出来てないけれども。
あとからホームドクターの先生と話したら、
みんなにまだまだ大丈夫と安心させてる間にスッと逝ってしまって、お母さんらしいね
と言われた。
何でも自分のやり方とペースで自己管理も貫いてきた母は、このまま英国の女王陛下の齢くらいまではいけるんじゃないかと私は思って覚悟?してたんだけど、、ほんとにいきなりふいっといなくなってしまった。
亡くなって10日後に通知がきた介護認定は要介護5。
私はほんの2ヶ月介護の世界に足を踏み入れただけだったのに、認定前からケアマネさんや福祉環境コーディネーターや包括支援センターの方々が次々にやって来て親身に対応して下さるのが心強かった。
介護サービスよりも先に速攻で階段に手摺りを増設してくれたりした旦那も、なかなかの心の支えになった。
実際母が1階にあるお風呂場まで行けたのはこの2ヶ月の間で3回だけだったけど。
あの手摺はこれからの老夫婦の暮らしにも大いに役立つと思うよ。
介護ベッドを置くために片付けた茶の間兼台所は、ベッドが引き取られて今はまだガランとしてる。引っ越してきた時みたいだ。
ここからまた新しい生活が始まるのかという実感もまだ全然わかないのに、日常はどんどん進んでゆく。
あとどのくらいあるのかわからない未来のためにも、
実は今のこのガランとした時間が大切なのかしらん。
う〜ん。