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きなこさんと羽生君とわたし

ちょっと(というか、かなり)おこがましいタイトルをつけてしまい、一体何を書くつもりなのかと自分でも早速わからなくなっている。

実は7月に上↑まで書いて、やっぱりおこがまし過ぎてなかなか続きが書けないまま、もう半年近く経ってしまった。

「きなこさん」とは、noteに数々の素敵な小説や日々のエッセイなどを朝の3時起きで綴っておられる「野生のひとり文芸部」(ご本人による自己紹介)で、最近書籍も出された三児のママであるけれど、
その「きなこさん」とあのプロアスリートになったフィギュアスケートの「羽生結弦君」(もう君づけで書くのも憚られるというか照れ臭い。)と「わたし」という、どう考えても全然繋がらないはずのものを強引に並べ連ねて題名にしてしまう、まあ自分のnoteなんだし何でもありなのかもしれないけど…ちょっと自分がこわい。
と言いつつ書きますけれど。

それは今年の2月だった。
北京オリンピックが始まった頃に、きなこさんがnoteに羽生結弦さんに宛てる手紙風の文章を書いていた。
特に届く当てもないけれど、どうしても伝えたい思いとして。

それには、その更に4年前の平昌オリンピックのフィギュア男子シングルフリープログラムを、きなこさんが当時まだ0歳児だった娘さんの入院している病棟のデイルームのテレビで見た時の出来事にまで遡り、4年越しの思いが綴られていた。

私は、きなこさんがツイッターに登場し始めた頃から偶然拝見していたのだけれど、ツイートに収まりきれない日々の思いがnoteに溢れ出るように更新される頃には、すっかり愛読者になっていた。

今年の2月、なんの気無しにテレビで北京オリンピックを見ていて、フィギュアスケートの羽生選手がクアッドナントカ(あとでわかった4回転アクセルのこと)という難しいジャンプに挑戦するらしいとのキャスターの声を耳にしても「そうなんだ、へぇー」くらいに聞き流していた私は、
本番のショートもフリーもライブで見たのか、あれは録画かニュース映像だったのか、はっきり覚えていないくらい適当に(いや、普通に)見ていた。でも演技後のキスクラもグリーンルームの映像もちゃんと覚えているので多分生で見ていたんだと思うのだが、
でもそれほどの思い入れもなくたぶん淡々と見ていた。

きなこさんが羽生君のことを「世界一、氷上にくまのプーさんを舞わせる男…」と説明するのなら、
私は「ピィョロロ~という篠笛(本当は龍笛)で始まる音楽で演技するフィギュアスケーター」くらいの認識しかそれまでは無かったから。
本当にスミマセン。

それが、北京オリンピックの競技後に現地で羽生選手が単独記者会見を行うという段になって、その時刻にきなこさんの
「娘ちゃんが『王子様がお話をするから静かにして!』と言っています云々…」(記憶があいまいでごめんなさい。こんな風でした)
というツイートが流れてきて、私は
「あ、そうだった!!」と羽生選手の会見があることを思い出して即テレビをつけたのだった。
この時、きなこさんの次女さんの言う「王子様」=羽生選手=きなこさんも会見を見ている!! とすぐに繋がったのは、私があの一連のきなこさんのnoteの記事を読んでいたく感動していたからに間違いなく、
この時が、きなこさんと羽生君とわたしが繋がった瞬間だった。
(と、まだコリもせずにおこがましい自分が恥ずかしいとも思わない自分を褒めたいくらいの域に達してるおこがましさよ。)

だからどうなんだ、と言うわけでもないけれど、この時から羽生結弦選手を見る目が変わったのは言うまでもなく、
きなこさんのnoteを読んでいたことが、羽生選手のスケートを知るきっかけとなって、それは今年1番のトピックといってもいいくらい幸せな出来事だったと思う。

今考えると、もしかしたら色々と大変だった今年の後半を乗り切りきるために、その出会いがあったのかな。
日々の合間合間に羽生君(堂々と君づけになってる…笑)関連の録画や過去映像やライブ中継をチョコチョコと見たことが息抜きにも底力にもなっていたから。

羽生君がいてよかった。
きなこさんがいてよかった。

きなこさんのnoteのあの4年越しの手紙文はあれから羽生君に伝わったのでしょうか。伝わっていたらいいですね。

      
私なんかがここで推したり語ったり『北京会見落ち』とか言うのももっとおこがましいし、ましてや上手に書けないけれど、一度は書いておきたいと思って夏から今日までかかってしまいました。
今日、書き上がってよかったな。