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夏休みの宿題。

りみっとさんから夏休みの宿題のようなバトンが回ってきました。

え、私に?
ハードル高いな。
と、ちょっと躊躇したわりにはすぐその気になりました。
りみっとさん、ありがとう。

noteにはいつも日記の延長みたいなことしか書いてませんが、チェーンナーさんよろしくお願いします。


夏休みの作文
【人に喜んでもらったこと、してもらって嬉しかったこと】

 う〜ん…実は書く前に、
自分など誰にも喜ばれていないんじゃないかしらん?とか、誰かに何かしてもらっても素直に喜びを表したり感謝したりしてないんじゃないかしらん?とか、
えらくマイナス感覚になった。
まあ、たまたまそういう時もある。私でも。

一晩過ぎて、今日になり
何だか知らないけど神様がドヤ〜っと動いたみたいで、
午前11時過ぎにポストを覗いたら、ある友達からの暑中見舞いが届いていた。

なんと、先日noteに書いたばかりのあのKちゃんからだった。なんてタイムリーなの!!?

遥か昔の高2の夏休みに、
毎日のように手紙を書き合っては、さだまさし(及びグレープ)とNSPの違いなどを盛んに論じ?合っていた友人と最近会った。
流れた年月は多分、お互いの子供の成長が時の目盛りとなって進んで、そのずっと先の方の未来に今来ているのでしょうが、、
年とったふたりで近況を淡々と粛々と?話していても、気持ちは何だか昔の休み時間や選択美術の授業中の時のまま。
その友人(「ミルク色の朝」のKちゃん)とはクラスが違ったので選択授業の時しかゆっくりお喋り出来なかった。だから、夏休みに入ると毎日手紙を書いていた。

朝の10時半ころになると郵便屋さんがやって来てポストにポトンと手紙を入れる。
私はそれを取り出し、オシロイバナの横の門柱の上に腰掛けて読むのが好きだった。
(今思うとご近所の面前でとても恥ずかしい)

あれは多分、門柱に登るのが楽しかったんじゃなくて、
はしゃいでいる私を見た母が
「まるで離島みたい(郵便物がたまにしか来ない)だね」
と呆れるほど手紙が来たのが嬉しくて、楽しくて、
思わずそこにあった門柱の上によじ登って読んだのだと思う。
まあ、どっちでもいいけれど。高2の夏休みの1日はこうやって始まった。

こんな断片的なひとコマが何故か今でもするっと出てくる。夏が来るといつも思い出す。
手紙の内容は「さだまさし」の他は何だったのかすっかり忘れてしまったのに。

「夏はノスタルジー。」より


私の「ノスタルジーの中の住人」Kちゃんから今日届いた暑中見舞いには、
数ヶ月前に5年ぶりくらいに2人で会ってお喋りができて楽しかったことが、彼女らしい律儀な文豪みたいな文面で書いてあった。
ホントに楽しい時間だった。

そして私はそれ以上に、今日Kちゃんから葉書が来たことがすごく嬉しくて、思わず門柱の上で読みたくなった。
…うちには門柱ないけど。

1枚の暑中見舞いで、喜んでもらったことと喜んだことの両方がいっぺんに揃った。
いい夏だな。

おわり


次のバトンは、もしご無理でなければwingcatさんにお願いします。

#人生は人喜ばせ合戦