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箱庭の中をトコトコと

〜江ノ島電鉄線の駅名を覚える〜

東海道本線、中央本線、東北本線と覚えてきて頭ぱんぱんなので(ほんとはどんどん抜けてるけど?)ここらへんでちょっと休憩、江ノ電でゆる〜りとしたいと思います。

中高校生の頃、友達と鎌倉へ4回くらい行った。
だいたい横須賀線の北鎌倉から源氏山を越える「縁切寺」逆コースで海に出てさらに鶴岡八幡宮までえんえん歩くことが多く、江ノ電には駅名を覚えるほどは乗らなかった気がする。
ある時、お土産物屋さんで買った鎌倉絵地図(色の濃い水彩タッチのイラストマップのポスター)がたいそう気に入って部屋の壁に貼っていつも眺めていた。
そこに描かれた緑の山に囲まれてお寺があちこち散在する「箱庭」みたいな街の、海岸線のそばの人家の軒先を走る小さな電車(当時の池上線より短い2両編成)がトコトコ辿るその駅の並びが、何となくとっても地味にだけど記憶の中に残っていた。

和田塚とか腰越って駅もあったよな…とか。地味に。

その絵地図の印象がずっとあるから、私の鎌倉の心象風景みたいなものはいつも箱庭だ。箱庭と言ったら「箱根」が相当箱庭っぽいけれど「鎌倉」もかなり箱庭だと思う。


そんな街にも普通に人々が暮らし学生さんが通学し、それぞれの日々があって…という、小津映画以来の想像が膨らんだ谷川史子さんの漫画「各駅停車」とか、

このアルバムを聴きながら藤沢駅から江ノ電に乗ると、全曲聴き終わる頃にちょうど鎌倉駅に着くとか着かないとかいう謂れ?を確かめたくなるASIAN KUNG-FU GENERATIONの「サーフブンガクカマクラ」とか、

いろいろ寄り道すると長くなるので、とっとと江ノ電の駅を覚えよう。

…と思ったら覚える間もなく、10分くらいで楽々全部思い出した。

そして、住んだことも無いし行ったことも少ないし、自分には日常じゃなくて非日常な街なのに、やたらと色々空想を駆り立てるあの山や海や島や洞窟や切通しの道やお寺や、そして原節子さんが玄関の引き戸を開けて、
「あらっ…」と言って出て来そうな何気ない古民家の佇まい
(これあったんですよね、以前あさひやさんがみつけた)…

そういったものが、この電車の駅名をたどっていると、思い出と一緒にさらに浮かんでくるんですね、心の風景に。


【江ノ島電鉄線】
鎌倉、和田塚、由比ヶ浜、長谷、極楽寺、稲村ヶ崎、七里ヶ浜、鎌倉高校前、腰越、江ノ島、湘南海岸公園、鵠沼、柳小路、石上、藤沢。

以上15駅。簡単。
字面を見るだけで心の風景が見えて来るから(笑)。


スピンオフ
「わたしの鎌倉」

中3の時、新任で入ってきた先生達と友達5人くらいと一緒に鎌倉に出かけたことがあった。
都合で来れなくなった生物のK先生の代わりに、他の先生達が誘って来たのは生徒にあまり人気のない数学のA先生だったので、集合場所でちょっと微妙な空気になったけれど、ま、いっかという感じでみんなで横須賀線に乗り込んだ。
5月ごろの由比ガ浜海岸は空いていて、着いた途端に私達は無邪気に波を追いかけ出し先生達は砂の上に寝ころびながら保護者に徹し、みんなでビーチボールで遊んだりした。
お昼タイム、持ち寄ったお弁当を広げていたら雨がポツポツ風も強くなってきて、友達のお母さんが丹精こめて作ったお煮しめが砂だらけになってしまった。
友達が「これもう食べられないよね、捨てちゃおうか?」と持て余していると、無口だったA先生がいきなり
「捨てるなら貰って行く」と言って受け取った。
朴訥でちょっと不器用そうで、生徒に馴染まれなかったA先生は1学期が終わると学校を辞めてしまい、そのあと一人旅に出たと人伝に聞いた。本当は心優しくてナイーブだったのかもしれない数学のA先生。今もお元気でしょうか。


高校生の最後に行った鎌倉は、進路も決まって間もない卒業間近。
友達5人で藤沢から初めて江ノ電に乗った。藤沢駅は何のへんてつもない普通の駅だったのでちょっとガッカリしてたら、次に降りた稲村ヶ崎でものすごく感動した。今でも駅を出た時に海が見えるあの景色が1番好きだ。
それから稲村ヶ崎公園という名前は知らなかったけれど、その時ギターを弾いている人や芝居の台本みたいのを読んでいる人や草の上に寝そべってる人や俳句をひねっている人や、ここから鎌倉に攻め込んだという新田義貞の石碑に見入ってる人などが点々といて絵になっているよな公園があって、何だかここだけ時間がゆっくり流れているようで夢みたいだなと思ってこんな街に住みたくなった。

そのあと砂浜に下りて、みんなで早春の富士山をバックに写真を撮ってから鶴岡八幡宮まで歩いたら、若宮大路でさだまさしさんのソックリさんをまた目撃して(甲府のさださんとは別人)しまい、さだファンの友達と2人で盛り上がり、その晩私は
「鎌倉のさださんは通りで買ったパンを食べてジュースを飲みながら、仔鹿のように段葛の人波をすり抜けて走って行った…」(注・指定券)と当時の日記に書いた。
(ちなみに大森サーティワンのさださんという人もいました。その頃は銀縁メガネでカマキリ顔でヒョロっとした人は皆さださんに見えていたのかもしれない、そおいう時代。)

八幡宮見物のあとは、かぜ耕士さんがラジオでお話を聴きに行っていた覚園寺まで行こうとまた頑張って歩き出したけれど、さすがに歩き詰めで疲れて途中ふとみつけた民家のようなわらび餅屋さんに吸い込まれるように入って休憩した。
そこがまたすごく寛げるところで、親戚の家みたいな広いお座敷のテーブルで甘い蜜のかかったわらび餅と熱いお茶を頂いてすっかり疲れを癒やされつつ、誰でも感想や俳句など書いてるノートが置いてあったので、私も真似して一句書きつけた。
「わらびもち 口にはこべば
 ぷるんぷるん」

…ついのんびり長居をして、日が暮れてきてしまった。
覚園寺はまだ先だし、道は工事中だった。
北鎌倉にもどるのにもまたひと山越えなくてはならない。
仕方ないので覚園寺はあきらめ、帰りはバスで帰ろうか〜それとも段葛を〜(いちいち心の中で歌う)じゃなくって、バスで鎌倉駅へ出ることになった。
帰りの横須賀線はもう外が真っ暗だけど、何だかまだ旅の途中のような気がして(しかもボックス席)心がウキウキとてもあったかだった、高校卒業まであと10日くらいの日。

私がそんなふうに鎌倉を愛でて?いる頃、うちの旦那はその前の夏に友達とバイクで由比ヶ浜へ泳ぎに行って、海の家に入るのが勿体ないので最寄りのケンタッキーに寄ってポリタンクに水をもらってシャワー代わりにしたそう。
鎌倉の思い出の入口は人それぞれにある。

その旦那と後に初めて鎌倉へ行った時は少し雨模様で、どこだか忘れてしまったけど高台の上に芸術家の別荘みたいな大きな家が見える野道の石の上に座って、傘をさしながら持ってきたおにぎりを2人で食べた。ははは…陸奥A子さんの漫画か。

今から思えば鎌倉の思い出は、あれは前世だったんじゃないか?と思うほど遠くぼんやりした、どうでもいいようなことばかり。でも多分みんな夢みたいに楽しかった、鎌倉という箱庭に詰まった記憶です。

今から10年くらい前に久々に稲村ヶ崎から七里ガ浜あたりまで歩いた時に、海も空も遠くの山も変わらずにあってうれしかった。ていうか自分の街でもないのにね、この愛着。
そして同じ景色が、小津さんの映画の中や谷川さんの漫画や自分の過ごした時間にもあるということがうれしくて。

富士山麓の静岡と山梨を繋ぐ国道139号沿いにある「鳴沢氷穴」の中に、江ノ島まで続いているという洞窟があるのを見て私はものすごく驚いたと同時にそれを完全に信じたことがある。
絶対につながっていると思ったし、誰も確かめようとした人はいないのか気になった。それは無理だと思っているうちもロマンだ。
実は江ノ島へは小5の遠足以来1度しか渡ったことがなくて、江ノ島側の洞窟の出口については何も知らない。いつか行ってみたい。いつかっていつだよ。
箱庭の中にはロマンも詰まっている。