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ヨシさんはライバル

銀行の社宅が3つもあった学区の小学校で、私が会った転校生達の思い出が何となくりみっとさんと重なるのは、幅跳びが得意とかマンガを書くのが上手とかやっぱりみんなそれぞれ得意分野を発揮してたからかも..それってまんまりみっとさんじゃん(笑)。
ということで、特に転校生が多かったN銀村の友達の話その③です。


小学校6年間のうち最後にやって来た転校生、ヨシさん。
この人もまたマンガの得意な人だった。

だいたいこのお年頃、70年代初頭の小学校高学年女子で、少女漫画雑誌の「これであなたも漫画家になれる!!」という付録冊子を読んで、初めて知るケント紙やカブラペンや雲型定規といった漫画道具を、文房具屋さんでコッソリ探してみたことが1度はある人は一体何万人?居たのか、、私がそうでした。

でも実際には小学生ではノートに鉛筆で見様見真似にコマ割りをして落書きのようなマンガを描き、それを友達に見せてウケを狙うくらいがせいぜいで、、私がそうでした。

そんなある日にクラスに転校してきたヨシさんが、
「私もマンガを描いてるよ」というので早速友達になって、私はN銀村へ1人で遊びに行った。

ここの社宅は何軒ものお家に行ったことがあったから勝手知ったる..というか、どこも同じ間取りでだいたい同じような感じなので初めてお邪魔するという感じがあまりしない。
まして、趣味が同じということが嬉しくてヨシさんともう随分前から友達だったみたいに私は調子にのって、自作のマンガノートなどを持参して1人燥いでたので、
初対面のお母様には、
「なんでしょう、この子は・・」みたいな温度差が...?

ヨシさん、もしかしたらお勉強の時間だった??
ていうかN銀村のお母様達は結構厳しい。

と思ってると、
そんなことはさておきヨシさんは自分の部屋へ案内してくれて、勉強机の引き出しからはノートと付けペンと黒インクが出て来て、おもむろにペンにインクをつけると女の子の絵を描き出した。
「えっ⁉いつもペンで描いてるの?」

同級生でペンでマンガを描く人に初めて会った。
と同時に、私はライバル心がむくむくと。。(笑)

それから家に帰って、茶の間の押入れから、昔ボールペンが普及する前に母が使ってたと思われる古ぼけたピンクの軸の付けペンを出してきて(ここにある事はチェックしていた)、
それに墨汁をつけてその日からノートに女の子の絵を描きまくった。ポスターカラーのホワイトも買ってちゃんと目の中に星を描いて、だいぶ漫画の世界に近づいたような気分がした、
けれど、、
それは結局「落書き」の域を出ずに終わった。
やっぱり鉛筆でちゃんと下書きしてから、それを丁寧に清書するみたいな漫画作業が小学生には面倒くさい、、私はそうでした(笑)。

ヨシさんは?というと、やっぱりペンは落書き道具だったみたいだけど、
それでもノートに何やらストーリーマンガを描いていた。
人物が上手で、内容も
「家が貧乏で苦労する女の子が友達にいじめられながらも強く生きていく」みたいな(よく覚えてないけど)なかなかシリアスタッチの話だったと思う。

私はその頃全盛期だったバレーボール漫画を真似して描いていた。「中学校のバレー部が全国大会で優勝するお話」。
スパイクを打つポーズとか今も描ける。顔はほとんどナンチャッテ鮎原こずえ(アタックNo.1)である。

でも、ヨシさんの影響を受けて「クラスでお金持ちの子に馬鹿にされながらも明るく健気に新聞配達をしながらお母さんの看病をしている女の子の話」とかも描いた(笑)。
でも、2人ともだいたい完結しないうちに途中でやめてしまうという決定的な難点があったので、漫画家への道は遠かった。
というか、歩み始めてもいないじゃん(笑)。
ヨシさんはその後もマンガを描いていたのかな。ストーリーマンガは完結したかな...?

中学進学を期にN銀村の友達は一時代を終えたように、あちこちに散らばって行った。
そしてヨシさんのようにそのまま学区の中学に進んだ人もいたけれど、その後はほとんどの人と1度も会っていない。

子供時代の終わりと一緒に、友達も終わってしまうのは淋しい。
でも、その先にはまだ新しい世界が待っていた。
今度は私が転校生のような気分で、1人で電車で4駅ほど離れた中学校へ通い始めたら、
クラス全員が転校生みたいなもんだったのでみんな新鮮で(笑)楽しかった。

それからも私の後ろにはいつも「昨日」がお芋のようにずるずるつながって、それは干し芋のように味わい深く(笑)、今日までまだついて来る。歌のように、漫画のように、いつもそこにいた友達のように。