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酒飲み父さん酔っぱらい母さん(本編)

前回の前置きが長過ぎて、たぶんこれから書く本編の方が短いような気がしたけれど、そうでもなかった。長いです。

【母とお酒】

母のお酒はピッチが速い。
あまり強くもないくせに、飲む時はクイクイいってた。
若いころから曾祖母の店で働いていたためかお酒は好きで、しかも少しでも飲むとすぐに「あ、飲んだな」とわかりやすかった。

大人になってからも私は自分が飲まないので母と飲み交わすこともなく、結局母のお酒はどんなんだったのか実のところわからない。
でも私は子供のころ、
母がお酒を飲むのがあまり好きじゃなかった。

私が小中学生のころ、母はまだ曾祖母の店の手伝いにたびたび行かされていた。
1度だけどういう経緯かわからないけどひどく悪酔いして帰って来れなくなり、翌日帰って来て祖母にしこたま怒られていたことがある。
それに、祖母のお供で行く小唄の新年会のあとには、お弟子さんの有閑マダム達に誘われ二次会へ連れ出されて、朝帰りしていたし。
母が外で飲むのはそういう祖母公認(というか使命)のタイミングばかりで、だからこそ堂々と?飲んでしまったのか知らないけれど、
帰れなくなるほどっていったいどんだけ飲んだんだか?いや、弱かったのか…?

ただ、母がいない朝に祖母ではなく父が台所でひっそりとお味噌汁を作ってる姿を見たときは、子供心になんとも言えずウラガナシかった。
父よ、母が帰って来ないのは母が悪いのでもあなたのせいでもないのに…
…たぶんそんな気持ちが表に出せなくて、小学生の私はたったひと晩帰って来なかった母が恨めしく恋しかった。
でも母の名誉のため言いたいが、
きっと祖母の「あんたも皆さんと一緒に連れて行ってもらいなさいよ。」のひと声で母は行ったんだし、この『有閑マダム達に誘われ夜遊び朝帰り事件』はたった2度だけだったと私は記憶してる。

とは言うものの、どうも母が酔っぱらうとロクなことにならないと悟ったのか、
私は母が家でも少しでも飲むと「あ、飲んだな」とすぐわかるようになった。
子供は親をよく見てる。

ある夜、私が体調崩して寝ていたら、そういう時はだいたい祖母が寝床にご飯を運んでくれたり、大した病気じゃないのに大袈裟に面倒みてくれるのだけど、それを見た母が普段は見せたこともない弱気で完全に自己否定的な表情で
「あんたは幸せ、ほんとに幸せよね~」
と、しみじみ絡んできた。

なんか変、顔赤いし、、飲んでるな。。
母にいきなりそんなこと言われても、当時祖母から可愛がられ放題のおめでたい私は戸惑った。
いつもは明るくて元気で頑張り屋でそそっかしく「サザエさん」と言われていた母の知られざる姿を見ても、その気持ちの奥底にまで心が届かない。
なんかよくわからないけれど、飲んで変貌する母がイヤだった。

でも、一晩明けると何もなかったように母は母に戻っている。
誰なんだよ、昨日のは…?

母のお酒って、どんなお酒だったんだろう。

時は流れて祖母も亡くなり一時代が終わり、父と母二人暮しになったころには、のんびりふたりで晩酌などしていたみたいだけど、
私は大人になっても父とも母ともお祝い事の乾杯くらいしかしたことがなかったし、母が酔っぱらった様子も子供の時以来見ていない。

だから、母のお酒はどんなお酒だったのか未だにわからない。
晩年の母は、毎月父の命日には小さな紙パックの日本酒を2本買って仏壇に上げていた。
そして、寝る前に自分で飲んでいたようだ。その姿も見ていないけど。
もしや2合一気に?!!
いい気持ちで寝てたのかな。
それとももっと飲みたかったのかな。

今頃は父とふたりでまた飲んでいるのかしらん。
しがらみも何もなく楽しいことだけで酔っぱらっているといい。
もう誰も文句は言わない。


【父とお酒】

父はのんびりおっとりしているので、お酒の飲み方ものんびりマイペースだった。
どこにいてもお酒が出てくればしめしめと嗜むし、
ひとりでちびちびと飲むのも嬉しそう。
楽しい良いお酒だと思う。

会社が大変だったから、あまり楽しく飲めない時期もあったかもしれないけど、根っからのお酒好きだった。
晩年、胃の手術をした時には、まだ退院も決まっていないのに主治医にニコニコしながら、
「アルコールはいつから飲めますか?!」などと聞くくらい、お酒を楽しみに入院していた。

父は養子だ。母もだけど。
私が子供のころ、父はお正月の3日くらいになるとよく父の実家の新年会に1人で出かけた。
それは父の兄や妹の家に、両親と兄弟妹とその子供達が集まるささやかな集まりだったのだけど、養子に出た父もちゃんと呼ばれていて、
ふだんはほとんど実家に出向かなかったけどこの新年会だけは行った。
いつもは会社や家族のため車の運転ばかりの父が
「今日はテクシー(昔は歩いて行くことをそう言った)と電車だよ。」と言って、心なしかウキウキと出かけて行く。

ある年のお正月、私は家の前の空き地で近所の友達と遊びながら、ひとり出かける父の背中を見送ってたが、思わず
「一緒に行くよ〜!!」と
急に追いかけた。
…みんな子供を連れて来るのに自分だけ1人だとかなんとか、、父が夕べぶつぶつ言ってたのを思い出したのだ。そしてお年玉くれる人が3人はいるよ!ということも。

結局3回くらい、父の新年会について行った。
滅多に会わない従兄弟と私は遊び、父は両親と兄弟妹とベロンベロンになるまで飲んで楽しそうだった。
よく私を連れて家まで帰れたと思う。
お祖父ちゃんと叔父さんが酔っぱらって喧嘩してちょっと険悪になったこともあったけど、そういうのも或る意味新鮮だった。
(だってウチの場合は喧嘩というよりお爺さんがひとりで怒鳴るだけだったからさ。余談・笑)

帰りに駅の売店で、売り切れで買い損なっていた「りぼん」2月号を買ってもらい喜んだのを覚えている。

それからもうひとつ、父と母と私とで母のお兄さんの家に行った時の話だ。
その伯父さんの家は京成電車の沿線にあって、私は地下鉄が途中から地上に出るのが珍しくてこの電車が好きだった。
伯父さんも父の上をいくお酒好きでしかも強くて、
母はさすがに家族連れなのでそんなに飲まなかったようだけど、父だけが伯父さんの相手をしてベロンベロンベロンになった。

伯父さんの家を出たときは外はもう真っ暗で、父は駅までの道を「こっちだよ~」とトンチンカンな方向を指し、
母が素面で「こっちよ!」と呆れながら先導して無事電車に乗れたけど、
いつもならどこでも土地勘のある父と超方向音痴の母が逆転するほど父はベロンベロンベロンだった。

帰りの京成電車はガランガランで1両に1人2人しか乗っていない。
私は楽しくなって車両の端から走って、真ん中に立っている父に飛びついて高い高いしてもらう遊びに興じた。
(良い子は絶対やってはいけません)
電車が地下に潜っても、調子にのって繰り返し続ける2人を母は呆れ顔をますますしかめて「他人ですよ」みたいにソッポを向いて座っていた。

母が怒っていてもそんなの全然平気で楽しかった。私もヨッパライみたいに。
なんとか無事家までたどり着いたら、とたんに父は布団の上に服のまま倒れ込みそのまま朝まで寝てた。

父のお酒はベロンベロンになっても何となく懐が深く、どこか安心する。

後年、父は永年お酒で満たした自分の胃袋とサヨナラするとき(胃切除術)病院のベッドで胃袋への感謝状を書いていたそうだ。
あとから看護師さんが教えて下すった。
最後まで胃袋にまで親愛の情を持っていたんだね。


父のことも母のことも、
亡くなったあとに色々気づいてくる。あんなことやこんなことが実はそんなことだったのかもしれないと。
こうやって思い出の地層をほり返して確かな記憶を運び出し、ふたりのこと、思ったことをちゃんと書き留めておきたい。
酒飲み父さんと酔っぱらい母さんの、下戸の娘はそう思う。