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岬めぐりのバスを降りて

’70年代フォーク・ニューミュージックの鉄板曲(あくまでも個人差はあります)からの、当時の思い出というにはどうでも良すぎる話を独断と偏見で美化して?(笑)語ります。

その①「岬めぐり」山上路夫作詞 山本コウタロー作曲 歌ウィークエンド


1度だけ、後楽園遊園地特設ステージ(仮面ライダーショーとかやる所)でのコンサートに行ったことがある。ウィークエンドのコンサートは、お客さんと一緒になって歌うフーテナニーがとても楽しい。
コウタローさんがリードを取る「岬めぐり」の大合唱は、聴いても歌っても感動的だ。
(「ウィークエンド・ビッグライブ」というライブ盤で聴けます。)


この歌が、どこの岬をめぐる歌なのかまだ知らなかった頃、
高校卒業後すぐの春休みに、私は暇だったのでひとりで京浜急行に乗ってどこまでも行ってみようと思い立った。

何故「京急」だったかには、夢の中に出て来た「雑色」という見知らぬ駅のホームに行ってみたかったという、今思うととってもどうでもいい経緯があるけど、今回は省略。
一旦「雑色」で下車して次に来た各駅電車がたまたま浦賀行きだったので、そのまま終点まで行ってみることにした。

その日は快晴のとても温かい遠足日和だった。
終点の浦賀駅から観音崎行きのバスに乗って、途中の鴨居というバス停で降りると、そこからは海沿いの道を観音崎まで歩いて行った。

終点までもう少しだったのに何故ここでバスを降りたのか?
海が見えてきたからかお腹が空いてきたからか、道沿いのお店でソフトクリームを買って、目の前に広がっている真っ青な空と海を眺めながらひとりテクテク歩いた。

今思うと、いきなり初めて来た場所なのに地図も何も持っていなかったのによく歩いたなぁと感心する。持って来たのはノートとお財布と小さい時刻表だけだった。その1週間くらい前に、友達と2人で初めて長崎旅行をして来たばかりなので、時刻表を見て旅する?楽しさに目覚めていたのかも。


観音崎にたどり着いたのはもう午後3時ころだった。

『空は春の色。海と見分けがつかない色。灯台は、本日工事中。椿の花が満開だ』
当時のノートにそう書いてあった。そうか、灯台には登れなかったんだ。

そして、灯台の近くにあった高浜虚子の句碑のメモもあるんだけど、くずし字が読めなかったのか、家に帰ってから思い出しながら書いたのか、

『家 いかに強くとも 嶺(の頁が無い字?)強くとも』虚子 昭和23年秋。

????この句が謎なので、今調べてみた。正解は、

『霧 いかに深くとも 嵐強くとも』虚子。

全然ちがうじゃん。


灯台の先のレーダーの所で会った親子連れのおとうさんが、
私が1人で散策していると、何となく話しかけてきた。
「下り道はこっちだよ。一緒に行こう?」

もう夕方に近く人もまばらだったので、女子が1人で山道みたいな所を歩いてるのを不審に思われたか!?と少し焦ったけど、、
そのご家族と一緒に無事バス停まで下りて来た。
おとうさん、ありがとうございました(笑)。

帰りはバスで横須賀中央まで出て、また京急と国鉄を乗り継いで帰ってきた。
春の一日、短い一人旅はおわった。


それから月日は流れ大人になってから「岬めぐり」の作詞の山上路夫さんが、「あの岬は三浦半島のことだった」と言っているのを知った。なんと。
それ以来、「岬めぐり」のリコーダーが聴こえてくると、ソフトクリーム食べながら歩いた海岸線を思い出す。
あの道は、観音崎通りと言うんですね。グーグルマップで今日知りました。

またバスを途中で降りて海を見ながら歩きたいな。