言い訳はステイホーム

去年から「ステイホームで押入れ片付けてたら..」とか「ステイホームなので写真整理してたら..」と、ステイホームが過去戻りの都合のいい言い訳になっている。

そんなのいつでもやってるのに(笑)。

中高時代の日記や友達との交換日記など、ダンボールから漁ってきて読んでると止まらなくなり、気持ちは一気にあっちに行ってしまい、
出来事と友達の顔を思い出すために卒アルまで出して来て(そう、映像が無いのでせめてスチール写真で)、
あの文化祭ではああして、運動会はこうだったから大変だった、などと40年以上も後に反省会をしても、他人が見たらきっとひく。まして同級生に聞かれたら絶対呆れて、
なんかイヤなやつ だと言われるかも(笑)。

いや、こういうことは1人で、こっそりやってるうちが花なのだと気づいているから、安心して。(誰に?)

それに、楽しいことしか覚えてないから大丈夫(笑)。
メンドクサカッタことや、ワスレテシマイタイことは、都合よくホントに覚えてない。ラッキー。

そして、記憶力がいい(昔のこと限定)と自分で思ってるわりには
大切なところがすっかり抜けていたりする。
思い出したいことが思い出せない。記憶が消されてるのか?(また時かけかよ)

何もない平凡という楽しい日常と、それなりに迷ってばかりだったとしか覚えてなくても、本当はその中に大切なことがあったかもしれない。そんなのリアルタイムで気づくわけないと、最近わかった。


森田公一さんは天才だ(そこ?)。