見出し画像

納豆の日の次の日

なっとう(と、平仮名で書くといかにも粘りこねくり感がある)の日の次の日の今日は、
時の記念日の丁度1か月後。

中途半端な日から突然始めた「5年日記」の1年目の1か月記念日。
(ややこしくて回りくどい)

飽きっぽい私が、1か月間は毎日3行日記を書き続けることが出来た。たとえ3行でも、毎日書くのは初めてかもしれない。

ほぼ毎日1ページくらいを書いてた頃はあったけれど、いつも「ほぼ」は気まぐれだったから、
この調子で3行を5年間びっしり書き続けたら、ホントにすごい地層になるのだな…とあらためて思った。
ま、続けられたらの話ですが。

実は、3行ではスペースが毎日全然足らないので、シャープペンのごく小さな字で詰め詰めにチマチマと書いている。

今日の3行のすぐ下には、来年の今日の3行が、
その下には2年後、次には3年後の3行が、更にその下に4年後の、、と、空白が埋まるのを待っている。
見えない未来みたいで、なんか頼りなさげに。

「一昨日と昨日と、あまりに暑くてエアコンをつけたまま寝たら、足腰…特に膝が痛い。
厚手のズボン履いて毛布しっかりかぶって寝なきゃ駄目か?
それならエアコン消して、扇風機とタオルケットの程よい夏バージョンで寝るほうがノビノビ出来るのに。
でも暑い。
今年は特に堪える。
いよいよ老化の夏か。」


…なんて日記を書くには全然足らない3行だけれど、
3行って、なんか物語かロマンか夢がある気がする。
夢とロマンは一緒か…?
(違う)ま、いっか。

昔、中学生の時に「三行広告」という言葉にロマンを感じたことがあった。素敵な詩だと思った。個人の意見です。

私の5年日記も、そんなふうに思える3行でありたいけれど、どうもチマチマ書く3行日記は3行では終わらずに、
今日も詰め詰め増し増し、無理矢理5行くらいに書くのでした。
未来を待つ空白はいかに。