稽留流産した時の話
こんにちは、ぺろよしです。
今回はたまに書く社会保険でも保育士試験でもない私個人の話です。
流産の事は親にも伝えていないし、リアルの友達もいないので話せる相手はほぼいません。時々Twitterのスペースでこぼしたくらい。夫に話しても100%共感は難しい。
でも流産してなかったら不妊治療を受けていなかった。第二子について真剣に考えたりしなかった。
それくらい私にとっては結構大きな転換期なのでちゃんと書き残したいなと思ったのです。
内容が内容なので興味がある方は読んでみてください。
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2022年2月半ば頃、自然妊娠がわかりました。
第一子の育児と仕事と家事で毎日必死だった私は二人目についてはなるべく考えないようにしていた矢先の出来事でした。夫は喜んでくれましたが私は妊娠検査薬を手に「また仕事干されるのかな」と思ってしまったんですよね。スピリチュアルな事はあんまり信じませんが後から思えばこんな事一瞬でも考えたから流産しちゃったのかな、なんて思ったり。
もともと子供という存在が私の中で希薄だったのと、環境だったり心身だったり「変化」という事がとにかくしんどいタイプなので妊娠出産育児についてはなかなかポジティブに考えられなかったのです。
娘が産まれてからは保育士資格取るくらい「子供って素敵な存在だな」と思えるようになれたけど、それでも陽性が分かって一番に感じたのが嬉しいより不安でした。
翌日第一子を出産した病院を受診するとエコーで胎嚢が確認できる状態でした。少し気になったのが内診の時に下着にうっすら血が混じったおりものがついていた事。出血があったりなんかはこの時期よくある事と知っていたものの、一応先生にも伝えると「よくある事だから気にしなくていいからね」なんて薬が処方されました。
診察中は実感がわかなかったものの、帰宅して夫とエコーの写真を見ると「二人目が出来たんだ」とやっと思えたのでした。
処方された薬を飲むと出血は止まりました。「ああ、よかったよかった」と安心した数日後、再度出血。腹痛はないにも関わらず茶おりからだんだん鮮血に変わって量もほんの少しずつ増えていきました。
これは変だと思って再度受診すると「胎嚢は大きくなってるんだけどね、とりあえず切迫流産になりかかってるから一週間は安静にしよう」との事。週数が浅いのでこの時期には何も出来ないらしい。
渡されたエコー写真に写っていたのは台形みたいな形の胎嚢でした。
「娘の時はきれいな丸形だったのにこの形って…」
「切迫流産」と書かれた診断書と子宮収縮を抑える薬や止血剤をもらってその日は帰宅。先生はまだわからないからと言っていたけど歪な胎嚢と止まらない出血に不安感が増します。仕事は翌日から一週間休むように指示が出たので会社に連絡しないといけません。でもどうしても「妊娠したけど切迫流産になった」とパワハラ上司に直に伝える気になれず、仕事の相棒であるお兄さんに相談しました。「何とかするからとにかくゆっくりして」とすぐに返事をくれて有難く思いました。おりしもコロナが増えていた時期だったので濃厚接触者になってしまったという理由で休む事になりました。
「安静にする」というのは食事・洗面・トイレ以外は横になっていなければならないという事。家事や娘のお世話は夫にお願いしてずっとベッドの上にいました。余計な事を考えてしまいそうなので検索魔はほどほどにしてYouTubeでひたすらRTA動画を見て過ごしました。
薬を飲んでじっとしていても出血は止まるどころが増えるばかり。もう茶おりというシロモノではなくて完全に生理三日目レベルの量になっていました。トイレに行ってそんな現実を目にするのが本当に憂鬱でしたが、だんだんと「もう駄目なのでは」という覚悟も出来つつありました。
もともと「不妊治療」や「出産」のブログやレポを読むのが好きだった私。そこからの知識で初期流産は決して珍しくない事を知っていました。加えて私は38歳になったばかり。もう十分高齢なんだから流産率も高い。だからもしそうなってしまってもおかしくないのです。
結局一週間安静にしたところで出血は止まらず3月初旬次の受診日を迎えました。この日の内診で流産かどうかがわかります。
「ああ…前からほとんど成長してない。ぺろよしさん、残念だけど…流産やわ」と先生。ここで心拍確認できればよかったのですが結果はやはり流産でした。
初期流産のほとんどは染色体異常が原因。母体が悪い訳じゃない。
先生にそう言われたし、私も覚悟完了していたのもあってそこまでショックはありませんでした。「やっぱりか…」そんな気持ち。
安静にしている間流産処置についても調べていたのですが、自然排出を待つか手術で子宮内を綺麗にするかのどちらかのようです。私の場合一週間後全身麻酔で手術となりました。自然排出はいつ出てくるかわからない不安やら結構痛みと出血で大変と聞いていたので手術と聞いてホッ。
診察室を出ると受付の方に「ぺろよしさん、こちらへ」とパーテーションで区切られた廊下の脇の待合スペースに通されました。「他の妊婦さんを見て辛い思いをしないようにっていう配慮なんだな。そっか、もう赤ちゃんダメだもんな」そう思うと無性に虚しくなりました。
その日は帰って夫にやっぱり駄目だった事を伝えて二人で泣きました。
手術までは今まで通り生活して出社して仕事をこなしました。
表向きはコロナで濃厚接触になり休んだという事になっているので、会社の人から「コロナだったんでしょ?大変だったね」なんて言われて、本当は流産なんですとは言えず「そうなんですよー」と返す自分が物凄く滑稽で。
そして時々「おなかの中にまだいるんだな」なんて考えながら離職票を書きました。
手術までに排出されたら…とやや心配もありましたが特に何もなく当日の朝を迎えました。手術は朝8時半からで全身麻酔なので絶飲食です。
手術着に着替えて待っていると看護師さんがやってきて廊下の奥の小部屋に案内されました。
そこは私が第一子の時に羊水検査を受けた部屋でした。診察室ともLDRとも違う白い殺風景な部屋。この病院で娘を生んだ幸せな思い出が淀んだものになったように感じられてまた少し虚しくなりました。
内診台みたいなベッドにあがると両足を白布でギュッと縛られます。何でマジックテープ式のベルトじゃないの、白布って…。今まであれだけ冷静だったのに急に恐怖感でいっぱいになり涙がボロボロ出ました。酸素マスクをつけられ麻酔の点滴が入ると看護師さんに「泣いてたら麻酔効かないよ!大丈夫!怖くない!!起きたら全部終わってるからね!!」と言われましたが何というスパルタ、怖いもんは怖い。先生が来て「ぺろよしさん、大丈夫やからね」と言われその後意識がなくなりました。
目が覚めたのは10時過ぎ。いつの間にかナプキンを付けたパンツをはかされてベッドに転がっていました。麻酔の影響か頭がグラグラ。痛みはないけどもう私のお腹なんもなくなったんだなーと。しばらく休んでベッドサイドに置いてあったお茶とお菓子を食べました。羊水検査の時にも出た美味しいやつです。絶飲食だったので有難い。
着替えて看護師さんに付き添われて会計。歩くと頭がまたグラグラしてまっすぐ歩けない。夫が迎えに来てくれるまで別の待合スペースで半身倒れた状態で待ちました。会社を休んでしまった分、有給がかなり減っていて術後出社しようか悩んだけど「こんなしんどい時くらい自分の事労わってあげて」という意見をネットで見て結局休みにしました。麻酔の効きがよかったのか座っていてもなんとなくしんどくて出社しても仕事にならなかっただろうから休んで本当によかった。
途中でこれから退院するママと赤ちゃんや、大きなお腹の妊婦さんが通りました。とても幸せそうに見えて自分とは別世界のように感じました。
一週間後また通院して子宮の状態をチェックすると、綺麗に回復していました。次の生理が来たらタイミングも取っていいらしい。その後は加入している共済保険に今回の保険請求をしたりしました。(後日5千円返ってきた)
全部終わったころには3月も半ばで春も間近になっていました。
6週で稽留流産になった私。
こうなってしまってショックはショックでしたけど、たくさんの気付きを得られたように思います。妊娠して無事出産できるのは本当に奇跡なんだという事、自分が知らなかっただけで実は悲しい思いをしていた人が案外少なくなった事、自分の体と年齢の事…。
それと、ちょっとびっくりするような事も人から言われました。「あなたはまだ初期流産でマシじゃないか」という内容だったのですが、モヤっとする反面それもそうだなという思いもあります。手足も動かして胎動もある状態での流産と心拍も確認出来てない初期の流産とでは命の重みが違うのも当然。でもどちらにしろ女性が悲しんで傷つくには変わりありません。
流産は自分で防げる事ではないしオープンに出来る話題ではないからこそ、一人で抱え込んでしまってしんどくなったりもしました。そんな時同じ経験をされた方の話を目にして「自分だけじゃないんだ」とどれだけ救われたことか。
同じように辛い思いをしている方へちょっとでも届けばいいなと思い今回は書いてみました。ここまで読んでくださってありがとうございました。
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