大・東方展から考える展示会のあり方

この文章には大・東方展のネタバレや個人の見解、偏見、僻みなどもありますので、苦手な方は読まないでね。あと、勘違いされないために先に言っておくと、神主を始めとするクリエイターが出された作品は全部良かったです。作家さんの画集や展示画集も買いました。今回は展示会としての視点で記載しますが、一種のアトラクションとしては素敵な作品と企画だと思います。ありがとうございました。

大・東方展は遅れて入ったほうが良い

前の予定が長引き、チケットで購入していた17時10分開場のところ、17時半に会場入りをした私であるが、入る前には物販の行列、土日もあってSNSの情報通り会場の中も密になってるのだろうと展示の撮影を諦めながら入ったところ愕然とした。会場内は誰もいないのである。物販ではあんなに行列が出来ているのにも関わらずだ。10分開場なので、既に全てを見終えて、最後の物販コーナーを見ている方々なのだろう。

展示数が少ないわけでもない、作品自体のクオリティは非常に高い、また神主によるキャプションもあるのにも関わらず20分も満たず、会場から出られる展示設計に対して私は物申したい気持ちになった。

展示設計

大・東方展の展示設計としてテーマが主に2つあると思っており、神主の作品展と紅魔郷展示の2つに分けられる。

神主の作品展に関して、これは既に神主が持っている資産を展示する形となっているため、展示としてはコレクション展という立ち位置となる。一方で、紅魔郷展示に関しては、運営側が企画を検討し、その企画に対して合いそうなイラストレーターを選定する、キュレーターによる企画展。

コレクション展に関しては、東方projectにおける財産であり唯一無二で変わることのない作品となる。今回が初公開だったため、作品そのものの衝撃が大きく、あまり気になることもなかったが、本来であれば作家の軸を崩さず、常にどのように相手に新しい知見を与え、毎回見ても飽きさせず伝えるかのコンセントを考えなくてはならない。もしこのコレクションが見慣れてしまったら、コンセプトも感じられないただ並べただけの展示会となってしまいかねない構成であった。

舞台装置としての作品たち

紅魔郷の企画展に関して、どのようなやり取りがあって、あのような展示になったのかの背景は何も知らないが、私は作品が「展示作品」ではなく、「空間の小道具」として感じられてしまう設計となっており、キュレーターとしてもう少し作品ファーストで考えて欲しかった気持ちがある。

展示会というのは空間構成は非常に大事なことである。大・東方展においてもイラストの順番を霊夢魔理沙から始まり、ルーミアから最後フランドール・スカーレットという並べ方や紅魔館のジオラマの前にルーミアとチルノ、ジオラマ中間に紅美鈴、ジオラマより奥にパチュリー、咲夜、角を変えてレミフラという、小さい空間ながら原作に合わせて構成を意識しているのは伝わった。

ただあくまで、展示会の空間は作品としてのクオリティの向上や見る人に伝えるための補助であるべきであって、空間そのものが主体であってはならない。料理とお皿のような関係性に近い。料理を美味しく食すというのが目的であって、お皿は料理をより良く見せるための補助でしかないのである。「このお店というテーマの中で、この料理にはこのお皿が合うな」といった具合で、展示会の空間を作っていく。

ライティングや展示の高さ、額の選定、音楽などの空間構成の部分から、「展示作品」として見続けるのが難しい空間になっている。ただ、お化け屋敷やディズニーのような1種のアトラクションと見れば全く悪くもなく、素敵な企画だとは思っている。雰囲気は抜群だったので。

来場者が20分足らずで出ていくのは展示物をしっかり味わえず、SNSでイラストを見るレベルで終わってしまうところが大きく起因しているのだと思う。雰囲気が感じられたらOK、作家さんは誰でも良かったんだとそう感じられてしまうほどであった。

大日本印刷とは何だったのか

かくいう私も同人や写真趣味の延長から新卒として大手印刷会社に入社した人間だったので、協賛としての印刷会社が展示企画やギャラリーへのスポンサー、美術印刷(複製画)などを商材として取り扱うことはよく知っている。また、美術印刷というのは技術的にも難易度が高いと言われており、一般の印刷会社では出来ない専門技術の習得が必要となる。そのため、美術印刷は会社の威信をかけた印刷技術の顔でもあると言われ、総合印刷でもとりわけ大日本や凸版、共同、日写の4社は印刷事業を縮小しても、残し続けている分野である。

そういったバックボーンがあったからか、前述した通り、今回の大・東方展は印刷から額装、照明に関してはガッカリせざる得なかった。クリエイターの描くイラストや展示物が非常に良かったにも関わらず、展示作品としての昇華が出来ていないことが残念でならない。

今回イラスト展示で使われた印刷方法はおそらく「プリモアート」だと思われ、10色インキによるインクジェット印刷という手法。印刷機はSC-P20050Xあたりを使っているのだと思う。一般的にデジタルイラストは4色のオフセットインキを用いるが、展示物などの複製画については、2つの方法が主に用いられる。1つはインクジェット印刷、2つ目がデジタルシルクスクリーンだ。一般的に複製画は大ロット生産を見込むことから、後者のシルクスクリーンが使われることが多い一方で、今回は小ロットのみなので、コストの低いインクジェットを選んだと思われる。ただ、10色程度のインクジェット印刷は個人でも揃えられるくらいのレベルと思ってほしくて、私個人としては、印刷会社世界1位の大日本印刷が主催するイベントなのだから、美術印刷技術の売りとしているシルクスクリーンなどの特殊印刷に期待してしまった。まだ、私はライバー事務所ながらも、印刷や企画などに拘りを持って開催されたイラスト展「光る美少女展」の方が好感が持てる

ちなみに「全日幻想入り展」と呼ばれる東方二次創作展示イベントでは第三回開催までは12色のインクジェット印刷が可能な印刷会社に依頼、それ以降は幻想入り展で10色顔料印刷機を購入し、4KAdobeRGB対応、およびキャリブレーションも有している。また照明もJIS Z 9112:2012の演色AAA相当の校正室に近しい照明器具も使用している。A1などの大判プリンターや複製・スキャニング技術までは出来ないが、幻想入り展も技術としては印刷ラボと引けを取らない満足出来る設備は有しているので、ぜひ印刷のご要望があれば、一度幻想入り展のアカウントに相談したらいかがだろうか。

見本市の額装とデザイン

額装も気になった点の1つだ。
大・東方展ではメインとしてスチレンボードを使用しており、神主の作品と作家サインはアクリルパネルで展示してある。スチレンボードに関しては200円程度と安価が故に作家が求める場合には実施することもあるが、基本は展示会ではあまり使われない額装方法だ。一般的に企業や学会などポスターを貼る際に使われる額装であり、作品までにそれらを施していたのは残念であった。また、デザインに関しても額縁風のデザインの中にイラストを埋め込むなども、まるで企業の見本市でみるような手法が使われており、思わず感心すらもしてしまった。

世界観作りが大事なら5W1Hを入れてくれ

ここまで書いて、私が全部間違えてた。
大・東方展と名乗り、イラスト展や立体物展示等も事前にあることが予告されていたことから、私はかつて開催された「幻想少女展」や「東方芸術祭」に近しいものという認識があったが、その認識は誤っていた。展示会と見てしまったからこんなに文句が出てしまったのだ。反省したい。

そしたら雰囲気重視のアトラクションから見た展示設計はどうなのかと考えたときに、これも物足りなさはある。見終えたあとの満足感というのは少ないものと感じる

これを言語化するのに相応しい言葉があり、それが「ナラティブ」である。意味は「個人的な経験に基づいた物語(語り)のこと」、作品を見たことで記憶の中にある特定の経験、あるいは出来事がよみがえってくる鑑賞経験のことである。大・東方展と自分の経験がリンクしたときに満足感が得られる。

ナラティブを作るためには「いつ」「どこで」「誰と」「何を」「なぜ」「どのように」の要素が会場全体の中で感じられるキッカケ作りが出来ているかである。

「いつ」
何をする前に来たのか、何をした後に来たのか、夜なのか朝なのか

「どこで」
渋谷という立地である意味を見出せているか

「なにを」
今いる人は誰なのか、誰がここに来たかの周りの環境を作品に組み込めるか

「なぜ」
作品や雰囲気から「なぜ」が出せること

「どのように」
何も知らない時と作家情報や運営会社情報があるとないでは見方も変わる

雰囲気や世界観を通して、その中に没入するために自分自身の中にある体験をリンクさせ五感を刺激することが展示会やアトラクション含めエキサイティングになる要素なのではないか。自分ごと化にすることが大事

作品感想ノートを置く
卯東京から垣間見えた紅魔館
出展作家さんの情報やコメントとかも載せる
時間によってジオラマの位置や音楽が変わる


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