シャバ夫的世界の受け止め方【ブログ転載記事】

先に世界観、神話体系の構築が必要と書きました。

私はそれ以来その世界観コツコツと構築してきました。今回その世界観を皆様にお話ししましょう。敬愛する各位に、そして何より自分自身の生き方の一助になることを祈念しつつ。

神様を信じるには賢くなりすぎた

昔々の人であれば、森羅万象には神仏の意思が込められていると思ったでしょう。

いわく、「日照りが続いて田畑が干からびるのは、私たちへの罰だ」

「我が身に起こった不幸は神仏が自分に課した試練だ。神仏は乗り越えられる試練しかお与えにならない」などなど。

そう考えることで、昔の人は出来事に物語を与え、この世界に起きる出来事を受け入れてきたのでしょう。しかし現代に生きるシャバ夫にとって、それはできないやりかたです。

シャバ夫は昔々のやり方で世界を受け入れるには、あまりに賢くなりすぎてしまいました。さながら禁断の果実を口にし、楽園を追い出されたアダムとイヴのよう。シャバ夫を始めとした賢き現代人にはより適した世界の受け止め方:「世界観」があるべきです。

やはり出来事はすべて偶然だ。それに対処せよ

世界の出来事は神様の意思ではきっとありません。非常に多くの要素が複雑に影響しあった結果として偶然起こったのです。まるであたかも大きな力が作用して起こったように感じられますが、大小様々な要素を原因になった結果なのです。

そのため世界の出来事は時として、一個人には止められないようなレベルで頻繁に起こりえます。昔の人はそのレベルに圧倒され、神様や運命といった概念を発明したのでしょう。

しかし現代に生きるシャバ夫は運命を信じることができません。ただ、あるがままのその偶然を受けてめていくことがシャバ夫の世界の受け止め方、「世界観」なのです。

「出来事を受け止めた後、どう対処するかを考えて実際の行動に移していく。」シャバ夫の世界観はこの一言で表現できるのです。この世界観の実際の運用の仕方については、これからのシャバブロで皆様にお話ししていくことになるでしょう。

その出来事は自分のものだから、自分で物語って良いんですよ

ただし、出来事の受け止め方はあなたの思いのままです。

かつて生まれる前に空に帰って行った私の子供は優しい子でした。

実際にはそんなこと誰にも分かりませんが(本人は生まれてもいませんし)、でも私がそう考えれば、そうなのです。

この世界は各個人の認識の中にあり、その個人が真実だと考えることがあれば、それはその個人にとって真実です。

そうやって考え方しだいで、世界はあなたにとって冷たく身を切る風のように厳しくもなりますし、暖かい衣のように守ってくれもします。

そう、私たちは世界の受け止め方を物語る、語り部でもあるのです。願わくば、あなたが紡ぐ物語があなたにとって優しいものでありますよう。

シャバ夫はよくお参りをする

最後に神事についてお話します。上記で神様に手厳しいことを申し上げてしまったシャバ夫ですが、よくお参りをします。

上記と矛盾するようですが、神事は過去の文化遺産に敬意を示し、追体験するものだと思います。価値あるものは未来に伝えたいですよね。

また、お参りは、森羅万象への感謝を思い起こす価値ある行為です。そして、自分以上のものが存在すると、私たち、か弱き人間に認識させてくれます。

以上のようにシャバ夫は考えています。自分の考えをある程度の形にできて、今日はとりわけ嬉しいです。あなたの考えも聞かせてください。

どうか敬愛する各位に私の考えが届き、シャバさと共にあらんことを。

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