2020/08/10

わたしの好きなもの。香り付きの文房具と、飼い犬のミミと、社会の勉強。それから、……それから、絵本やテレビのなかの魔法にかけられた女の子たち。

「あっ。こ、こんにちは……!」
「こんにちは。……ふふ、今日も元気いっぱいだね」
 土曜の朝。家の近所の公園。ミミの散歩コースの途中で出会ったハナコちゃんと、飼い主の凛ちゃん。私より三つ年上の高校一年生らしい。はじめて会ったときから、あまりにきれいな人で見とれちゃったのを覚えてる。今もちょっと話すのが恥ずかしい。
「凛さん、部活とかやってないんですか?」
「うん、今は忙しくて。それに、入ったらハナコの散歩できなくて拗ねられちゃうから」
 腰かけたベンチの足元で、ハナコちゃんとミミが丸くなって日向ぼっこしていた。凛ちゃんがハナコちゃんの名前を呼んだからか、ワン!と返事を返してきて、お互い顔を見合わせて笑った。
 ピピピと音が鳴った。きょろきょろとあたりを見渡すと、凛ちゃんのポケットからだった。取り出されたスマホの画面を見た凛ちゃんは、「お母さんから、買い物行ってほしいって」と申し訳なさそうに眉を下げた。
 いつもこの公園で約束しているわけじゃないけど、この時間が好き。今日はあんまり喋れなくて残念。
 公園前で別れて、家へと向かう。梅雨も明けてずいぶんと日差しが強くなった。遠くからかすかにセミの鳴き声がする。日照りを避けながら歩いていると、いつもとは一本ずれた道に入った。通った記憶のない道だけど、ミミは楽しそうに前を歩いている。どこかでまた戻ればいいかと思い進んでみると、開いているのか閉まっているのか分からない商店の前に着いた。そこで足を止めた理由は、店の前にガシャポンが設置されていたから。
わたしが小学生の時に流行っていた魔法少女のアクリルキーホルダーの絵が目に入り、スカートのポケットに入っていたお財布を思わず開けていた。

「ただいま」
 靴を脱いでいると、リビングからお母さんの声が飛んでくる。適当に生返事をしながらリードを片付けていると、手に持っていたキーホルダーが床に落ちた。拾おうとする前にミミがくわえて走り出してしまう。
「ちょっと、ミミ!」
 あわてて追いかけると、ミミはリビングのソファに飛びのって吐き出したキーホルダーと持て余すようにたわむれていた。
 先にソファに座ってテレビを見ていたお母さんがそれを見て言う。
「あんた、まだこんなの好きなの。子供ね」
 それだけ言うと、もう用はないというようにテレビのほうへ向いてしまった。見上げてくるミミにどういう顔をしたらいいのか分からず、置き去りにされたキーホルダーを掴んで部屋に戻る。
 ――こんなの、か。
 中学校に上がってから、好きだった漫画雑誌の話も、アニメの話が上がることはなくなった。メイクの話、服の話、かっこいい男子の話。この手のなかにある女の子たちの話をしようとすると、「恥ずかしい」んだ。小さい子向けだから、恥ずかしくて、つまらない。こんなもの。
 成長したら、わたしの好きなものは好きなままじゃいけないの?

「こんにちは。今週は私が声掛ける側だね」
「っあ……凛さん。こんにちは」
「……?」
 凛さんが怪訝そうな顔をして横に座ってくる。ミミとハナコは一週間ぶりの再会に喜び走り回っていた。変な心配をかけちゃったかな。ええと、なにか話題を振らなきゃ。
「あ、あの! 凛さん来週って時間ありますか?」
「来週?」
 ポケットからスマホを取り出して、昨日テレビでやっていた番組で特集されていた施設のページを探す。電車ですこし行ったところに、ドッグランが新しく開設されるという内容だった。来週はそのオープン記念でいろいろな催し物も企画されているようで、番組を見ながら、凛さんにいっしょに行けないか聞いてみようと考えていた。
「来週か。……ごめん、来週はちょっと」
 言葉を続けようとしていた凛さんの視線がわたしの手元――スマホのストラップに向いていた。思わず隠そうとしたが、
「それ、魔法少女のやつだよね。好きなんだ?」
「あ、の……」
 視線を下に向ける。もう中学生なんだし、そういうのやめない?と嘲笑するように言ってきた友達の顔、わたしの好きなものをこんなのと言い放つお母さんの顔が脳裏に浮かぶ。ばかにされるくらいなら、好きじゃないふりをしたほうがいいのかな。
「私もそれ、好きだったよ。なんだったかな。剣持ってて、その子がピンチになるといつも助けようとする相棒みたいなキャラ、いたよね」
「青い剣士の女の子ですよね。私はこの、ステッキ持って戦うピンクの子が好きで!……凛さんからしたら、今でもこういうの好きって、子供っぽいですかね。えへへ……」
 ぱっと顔を上げて思わず答えてしまった。凛さんのこと、なんにも知らないけど、きもちわるいって思われたらいやだ。きらわれたくない。ごまかして笑ったつもりだけど、きっとひどい表情してるんだろうな。
「そんなこと、思わないよ。好きなものを好きって言うの、すごく勇気がいることだと思う。それって、かっこいいことだよ。ね。」
 ふわっと笑みがこぼれる。花が開いたときみたいに、凛さんは笑う。慰めるわけでもなく、フォローでもなく、本心で言ってくれてるんだって分かる笑顔で、わたしにはそれだけで充分だった。
 公園の入り口から凛さんの名前を呼ぶ声がした。二人でそちらに顔を向けると、若い人が立っていた。ミミと遊んでいたハナコちゃんもその人にはなついているようで、足元にすりすりしている。
 ちょっとごめん、とベンチを離れてその人のもとへ向かっていく。家族とか親戚の人かな。二言三言話した凛さんは先週とおなじように申し訳なさそうな顔をして戻ってきて、用ができたので行かなければいけないとのことだった。
「気にしないでください。今日もありがとうございました」
「うん。……来週、遅れちゃうと思うけど、絶対行くから。ミミちゃんと待ってて」
「え……?」
 そう言うと、迎えに来たらしいその人と、走り去っていった。

 あっという間にオープン日の今日。
 広場はたくさんの犬を連れた飼い主たちで溢れかえっていた。ドッグランは予約制で、取れた時間まであと二時間くらいある。縁日のような屋台が集まっているところもあるけど、動物を連れて寄っていいのか迷って歩いていると、設営されたステージ前に着いた。屋根はないけど、日陰になっているベンチに座り込んで休憩する。なんか、親子連れとか小さい子が多いような。ヒーローショーとかかなあ。
 リュックに入っているペットボトルを取り出して飲もうとひねった瞬間、聞き覚えのある曲が流れた。何回も何回も見ていた、アニメのオープニングソングだったから。
 でも、ステージに出てきたのはスタッフのおねえさんでも、声優さんでもない――凛さんと、女の子二人だった。
「え……?」
 びっくりしてペットボトルを落とす。ミミが気づいてふんふんとにおいを嗅ぐ。落とした音は、曲に比べたら小さいのに、凛さんの視線がわたしとかち合う。あの、ふわっとした笑顔があふれた。
 わけの分からないまま、一曲が終わると、真ん中で歌っていたピンクの衣装の女の子がスタッフさんからマイクを受け取って挨拶する。
「こんにちは。私たち、ニュージェネレーションです!」
 島村卯月さん、渋谷凛さん、本田未央さんの三人でユニットを組んでいるアイドルだと理解するまで時間が掛かった。今日はオープン記念イベントで呼ばれたこと、このあと魔法少女アニメのイベントが予定されておりその前座でカバーさせてもらったことなど話していた。
「――はい、島村さんと本田さん、ありがとうございました。では、渋谷さんにお話聞きたいと思います。渋谷さんってあんまり魔法少女アニメとか見るイメージないですけど、当時ご覧になってたんですか?」
「そうですね……卯月や未央くらいハマってたわけじゃないですけど、見てましたよ。剣士の子が好きでしたね。映画の役で前やりましたけど、あういう先陣切るようなキャラが昔から好きだったのかも」
「あはは、なるほど。主人公よりは周りのキャラが好きなんですね」
「でも、私の友達には主人公のキャラが好きな子がいて、まわりの友達はもうこのキャラ好きって言わなくなっちゃったみたいで……でも、好きになったのを、ずっと好きでい続けられるのってすごいことだから。渋谷凛としても、ニュージェネとしてもずっと覚えてもらえるようにがんばりたい、かな」
 またこちらに目配せするように視線を向けてくれる。両隣の卯月さんと未央さんも凛さんに同調するように微笑んでいた。
 ああ、このひとたち好きだなあ。こころにじんわりと温かさが広がっていくのが感じられた。知らなかったアイドルの一面、凛さんの顔。

わたしの好きなもの。香り付きの文房具と、飼い犬のミミと、社会の勉強。昔見ていた魔法少女アニメ。それから、憧れている素敵なアイドルの女の子。

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