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「2020年12月15日のこと:生きて、生き続けてさえいれば」 (スウィング・木ノ戸)

「公園」という定点ではなく、東九条の路上を京都ダルクの皆さん、多文化交流ネットワークセンターのスタッフさんらとゴミ退治して歩く。すれ違う子どもたちの反応はおおむね落ち着いていて、即ち僕たち(=ゴミブルー)が景色になってきていることを肌で感じる。いい感じだ。

一方で僕たちの試みを好ましく感じておられない人たちの存在をはじめて伝え聞く。
これは元より覚悟の上のこと。これまで好意的な反応にばかり触れすぎてきたのだ。上賀茂でも僕たちよりもずっと長く地道な清掃活動をし続けている方々はいて、不快感を露骨に示されたこともある。ひとつの歴史ある地域や文化、そこで暮らし、生きる方々の心に土足で踏み込んでいるんじゃないか……という意識と緊張感はいつも持っているし、なくしてはいけないものだと思う。けれど同時に、こうしたハレーションの中にこそ対話のチャンスがあると信じたい。

ゴミコロリ後、東九条で「多文化共生」をテーマに研究をしている学生からのインタビューを受ける。立命館大学の、まあ、いわば後輩だ。愛校心なんか欠片もないけど、でもやっぱりどこか嬉しい。

そういえば立命館大学(京都市北区)の近くに「無限洞」というカフェがあって、ひとりが許される空間だったから居心地が良くって学生の頃によく行ってて、こないだ20年振りくらいに訪ねてマスターと昔を懐かしみあって、スウィングのフリーペーパーを置いてもらうことになった。

こんなこともある。
なんとかかんとか生きて、生き続けてさえいれば。

多文化交流ネットワークセンター内にある「にこにこや」で、お昼をムシャムシャ食べながら、ストレートで真剣な問いに、ストレートに真剣に答える。「多文化共生について考えれば考えるほどワケが分からなくなる」と正直に語る彼女に、「分かるほうが危ないよ」と返すと少しホッとしたような表情を浮かべる。
何もかも白黒、クソ性急に、クソ答えを求めすぎなのだ。

その彼女にプロジェクトの映像化を進める片山達貴さんが逆インタビュー(といっても質問はひとつだけだけど)。彼女が僕にインタビューしたからではない。そうとは知らず、なぜか彼女にインタビューしたいと思ったのだと言う。

目に見えないもので、僕たちは繋がり合っている。
それを信じるか否かで、まるで世界の見え方は変わる。

2020年12月28日
木ノ戸昌幸

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