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課題(8)戦争

ライター養成講座の課題

(ここは毎回同じ文章載せます)
こちらは2008年に半年間受講していたライター養成講座の提出課題です。
講座で提出したまま15年近く眠ったままなので掲載します。
現在とは社会情勢、私自身の価値観などだいぶ異なることを前提にお読みください。
内容的に許可が必要なもの、私自身が読まれたら恥ずかしいもの以外は掲載予定です。

本文

(タイトルなし)

 人はなぜ戦争をするのか。
 日本でいうと、卑弥呼の時代から戦争は行なわれている。最初はムラの経営を維持するため、より良い作物が獲れる場所の取り合いだった。
 西暦500年ごろになると、「権力者」が現れるようになる。政治の中枢にいて、使用人を使い、財産もある。彼らのプライドのぶつかり合いが時に戦争を引き起こしてきた。
 平安時代、平将門は自らを新皇と称して新しい国を作ろうとした。が、元々は親族同士の領土争いだったものが発展したものだ。
 坂上田村麻呂が「征夷大将軍」に任ぜられたのはどういうことだろうか。「征夷」とは「蝦夷(えみし)」を「征伐」すること。彼らは陸続きである限り、京の朝廷の下に服従させようとしたのだろうか。それなら、日本が島国でよかった。
 平安末期の平治の乱・保元の乱あたりから戦いの趣が少し変わってきている気がする。源氏も平氏も藤原氏も、そして天皇家までもが親族同士で争い、やがて源平合戦へと移行した。このあたりから「大義名分」が前面に出されるようになる。特に「錦の御旗」は朝廷直属の軍隊であることを示し、まさしく百人力の存在感があった。天皇の権威はすさまじく、壇ノ浦の合戦では源義経が、入水した幼い安徳天皇を救うように命じている。
 朝廷の実力は室町末期(戦国時代)になるとなくなってしまうが、それでも権威は十分だった。応仁の乱をきっかけに突入した戦国時代は、戦うことが職業になってしまったが(戦わないと家族や家来=従業員を養えない)、朝廷の権威は利用され、官位を自称するものも多かった(織田信長の通称「上総介」など)。生まれながらにして戦士にならざるを得なかった者たちには、戦う理由が必要だったのかもしれない。
 300年続いた江戸時代には、時折反乱が起こっている。初期の島原の乱、後期の大塩平八郎の乱など。これらは中央政府(江戸幕府)の政治に対する不満から起こっている。反乱ではないが赤穂浪士の討ち入りが評価されたのも、政治に対する鬱憤を晴らす意味もあったのではないだろうか。
 明治以降の近代における戦争は、正直なところ大義名分が感じられない。権力を持った人間のエゴにしか見えない。ブッシュ大統領がアフガニスタンでの行動を「テロとの戦い」と銘打っているのも、国民(あるいは全世界の人々)の理解を得るためのキャッチフレーズになっている。
 人間は生きている限り欲がある。ひとつひとつの事例は細かくわけると異なるが、全て人間の欲が絡んでいる。地球に人間がいる限り、戦争はなくならないのだろう。

(2008年9月13日)

2024年のひとこと

いわゆる「いくさ」を持ち出して書いたのは私だけでした…。
ほかの人の作品って全然覚えていないけど、この課題でなんで、個性が出てしまいますかね??
うっすらとした記憶では、これ確か、何の資料も見ずに書いちゃっていて、事実誤認があるかもしれません。
課題データの保存時刻がだいたい午前3時とか4時になっています。

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