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バズって嬉しく思ったいくつかのこと

 正直、あんまりこの話をするのもまるで浮かれてるみたいで恥ずかしいというか見苦しいような気もするのだけれど、そんなにない経験の中で思うところもあったので、noteに纏めることにした。
 先週の金曜の夜、ふと思い出して撮っておいた写真を添えてツイートした。ほぼほぼ平時くらいに落ち着いたが、1週間を過ぎた今日でも通知が来る。

https://twitter.com/tweetssb/status/1314565075823255552?s=21

 ちょっとした情報共有くらいの軽い気持ちだった。フォロワーの多い相互フォロワーがリツイートしたのをきっかけに、爆発的に拡散した。数度、所謂"バズった"経験はあるのだけれどここまでの反応は初めてだった。内容はそう大した事ではない。本当にちょっと思ったこと、だったし、唯の"Pay it forward"だった。普段沢山のアイデアやライフハックが流れているTwitterへ、そのひとつを返す動き。
 因みに以前反響を多くいただいたのはこれ。

https://twitter.com/tweetssb/status/1021953332967964672?s=21

 この時も「そんなに…?」という気持ちで鳴り続けるスマホを見つめていたが、今回も「そんなに…?」という気持ちだった。驚きと不思議が1番最初だった。

 画面を前にして考える。この流れの中、その沢山の思ったところの中で何が1番大きかったか。ふと香る金木犀に顔を綻ばせながら、似たような嬉しい気持ち、かなと思った。

 日々には小さな困りごとが沢山ある。例えばニットに引っかかってしまうささくれとか、毎回何故か躓いてしまう段差とか。そういう"無視することも可能だし些末だけれど、度々顔を出して小さなストレスを与える"ような困りごと。それを取り除けて嬉しくて伝えて、そのちょっとした事がとても多くの人にも同じように作用して、喜んでもらえた事がとても嬉しいなあと振り返る。
 独り善がりで行ったことに対して、電車の中で席を譲ったり落としたものを拾ったりした時と同じように、人々は不思議と私にお礼を言った。ただの思いつきなのでお礼を受け取る資格など本当に微塵もないのだけれど、その可視化された「嬉しい」は単純に私を喜ばせた。

 あと、リプライ欄で展開される話もとても興味深く、嬉しかった。普段の使用状況、販売状況、他のアイデア、元々の困りごとに応用できそうだという話…。有意義に展開されていく会話は個々人の持つよいものを少しずつお互いに分け与えるような、そんな印象を受けた。敢えて大仰に言うなら、ひとつの「良い社会」を見たような。…流石に言い過ぎか。

 知らない人たちからの謝意も嬉しかったけれど、もうひとつ嬉しかったのは普段懇意にしている人たちからのリプライだった。知らないところに来てしまった時、知っている人に会ったような気持ち。通知欄に見慣れたアイコンがぽこんと浮かぶと、思わず「わあ」と声を上げてしまった。(ありがとうございました…!)
 ついでに言うとこの方々は、直接お会いした事がある方もいらっしゃるけれど、アイコンとツイートがそのまま私の中のその人、という人も多い。それでも「知人だ!」という気持ちになるのだから面白い。

 私はすぐ話を大袈裟にしてしまうけれど、こういう社会がいいな、と思った。ありがとうやアイデアの応酬。ポジティブな相互作用。波及する一点になるのは悪くないな。なれるかは…別として。

 さて、今日も雨が降っている。マメな方は「買ってきました!」と購入報告や使用感まで私に下さった。試してみる人もいるのかもしれないな、と思うとちょっと愉快な気持ちになる。ちょっと大変で困りごとの多い雨の日、少しでも憂鬱が晴れたならこんな嬉しいことはない、です。

もし心に届くものがあったならお願いします。頂いたお心は自分の成長に充てられるものに使わせていただきます