見出し画像

犬は鈴の音を聴く

上京した日の夕方、時報を知らせる音を聞いて「東京でも鳴るのか」と驚かされた覚えがある。ノスタルジーを感じさせる切ない響きの音色。「当分はこの街で生きていくんだ」と実感させられた出来事だった。

そして上京して3ヶ月が経とうとする現在、僕はそろそろこの音色を嫌いになり始めている。毎回「休み中ずっとダラダラしてしまったな」と反省を強いられている気がするのだ。

ずっとダラダラ動画見たり読書したりして過ごすと「せっかくキャッチアップして少しでも追いつくチャンスだったのに」、丸二日永遠と勉強して過ごすと「せっかくの休日なのに」……

どういう過ごし方をしても何かしらの後悔。非常に生きにくい男だったんだなと夏目漱石ばりに物思いに耽る些末。ただそれだけ強欲になれているということは取り敢えず評価。そして明日朝には忘れ物して慌ててとりに帰る茶飯事

(こういう暮らしが、下手したらあと40年くらいは続くんだよな……。)


犬が鐘の音を聞いてよだれを垂らすように、(この街で住んでいる限りは)時報を聞くたびに反省を繰り返すことになるだろうと思う。時間に追われながらなんとかなんとかと懸命に走ることが、果たしていつかの自分のためになるのかもちょっとよく分かってはいない。

ただ突飛なイベントを重ねて人生に厚みを増していこうと考えたこともあったが、そうじゃない大多数の日々の方が実はたぶん本質的には大事な気もしている。
非日常は日常があるからこそ非日常で、しかもいざ旅先から帰ってきたら我が家が一番落ち着くという素敵な不条理が、この世にはあると思いますね。 

ので、なんというかこう、ドラマチックにやっていきたいよね、日々をね(落ちない)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?