ツイートされなかった呟き(2015 春・夏)
乾いた糸が張り巡らされている世界の中に居るような感覚だった。それが世界だと思っていた。
どっちを選んだら良いのか、「なるようになる」では済まないこともあるから - 例えば命のこととか - 、人生って、果てしなく、難問。
「存在価値」って言葉を人に対して最初に使ったのは誰なのだろう。
そして違和感を感じなくなるほど受け入れて定着してしまったこの世の中って何なのだろう。
この言葉を人に対して使うことに何か疑問を感じて「少なくとも私は使わないでおこう」って思う人が増えてゆくと良いな。
土曜と日曜の空いている時間を、ひたすら身体を休めるために眠って眠って眠って…って使ったので、
今日は数週間ぶりに身体が楽な感じ。
単純にちょっと疲れ過ぎていたのかも。
海外展示用の作品作り&発送の翌日に犬さんが倒れてそのまま介護へと突入していたもので、実は。
「Gガンダム」のサイトを見てみたら、
「ガンダムの顔がついてさえいれば、あとは好きにデザインして良いから」って言われて自由に描いたようなへんてこな形のガンダムがいっぱい載っていて、
なんか、年配の映画監督が
「僕らの若い頃の『にっかつロマンポルノ』っていうのは、裸を出しさえすればあとは自由に撮らせてもらえたんだよね」って語っていたのを思い出した。
http://www.g-gundam.net/mf/34.html
今、写真の世界では「ポートフォリオレビュー」がとても大切なものとして認識されていますが、
そう遠くない将来、おそらく今ほどの意味は為さなくなるだろうな、と感じています。
レビュアーさんの中にはディベートのテクニックを使ってただ写真家を屈服させようとしてるふうにもとれる方まで出てきていますし、
ちょっと、飽和状態、かな、と。
個人的には、フルーツグラノーラが食べたくなったら春で、
素麺が食べたくなったら夏で、
焼いた秋刀魚が食べたくなったら秋で、
具沢山のお味噌汁が食べたくなったら冬。
ちなみにソフトクリームやアイスは1年中食べていたい派です。
今はまだ「夏の終わり」だと思いたいのですが、
昨夜唐突に焼いた秋刀魚が食べたくなり、「これは…あ、秋、なのか…?」と少しうろたえているところ。
シゲさんが入籍された9月8日は、機動戦士ガンダム 第23話『マチルダ救出作戦』が放送された日のようです。
マチルダさん…なのか…?
昔、まだ「バーチャル・リアリティ」なんて言葉がよく使われていた頃、
僕が好きな劇団の新聞で「バーチャルリアリティよりもバァタリ(場当たり)リアリティの方が大事」なんてことを面白おかしく書いてあったことを唐突に思い出す。
「その場その場で場当たり的で良いから嘘なく行動した方が良い」というような内容だっただろうか。
バーチャル・リアリティは最早死語のようになっていることだし、
今後は基本バァタリ・リアリティな感じも良いのかな。ゆるりゆるりと。
鰹節やら鯖節やらを粉末にしたやつって料理する時にすごく便利だったのだけど、この近所一帯のスーパーから最近一気に姿を消したのは、いったい何があったのだろう。このあたりだけなのかな…?
楽しみな撮影であればあるほどその前に耐えられないほどの恐怖心を覚えるのは何故だろうと考えてみた。
失敗することへの恐怖なんかではないことは分かってる。
だとしたら思い当たるのは、自分が生き続けて良いのか審判されるような部分への恐怖心なのかな、なんて結論。
納得できるだけに、苦笑い。
病院で「抗生物質出しておきますねー」とか言われることがありますが、
「抗生物質」って個別の「名前」じゃないですよね。
そこまで伝える必要が無いってことなのでしょうが、
でも例えばお店で粉末ドリンクのような、片栗粉のような、入浴剤のような謎のものが売られていて
「水溶性物質いかがですかー!」とか言われても「?」ってなりますよね。
卵かけご飯と、目玉焼きと、ゆでたまごと、卵焼きと、オムライス。自分の好きな順にランキングをつけようとしたら思いのほか難しかった。ぜんぶ同率1位。卵ってミラクル。
あ、プリンを忘れてた。
写真って本来「シャッターを押せば目の前の景色が写る」っていうそれ以上でもそれ以下でもないはずなのに、
いったい誰がこんなにも難しいものにしてしまったのだろう。
絶対的な価値基準なんて元々存在しない世界で
「これが今の写真を測るものさしです。これで測れない写真は良く無い写真です」「はーい」って、
偉い人の言葉だからといってそれが正しいとは限らないのに。
大人の世界を描いた海外文学と、児童文学と文芸書の中間のような日本の小説を両方読んでいて、バランスが良いです。
小学生の頃からただ立っているだけで腰やら膝やらが痛くなっていました。
その当時腕が良いという評判の整骨院の先生に診てもらったら「大人になれば治る」と言われたのですが、
大人になっても相変わらず何をするでもなくても腰やら膝やらが痛くなるのです。
骨格が悪いそうです。
大人とか子供とか関係ないそうです。
痛みが出ることには慣れましたが、だからといって痛みが和らぐわけではないのです。
はちがつ はちみつ はちみり いちみり いちとり いすとり ますとり
[八月 - 鱒捕り]
映画とかマンガとか音楽とかで「泣ける」っていうのを宣伝文句にしてるのは個人的にはあまり好きではありません。
それ以外の感情もあるし、
何よりそれは「結果としてそうなった」っていうものだから。
「好きな人と恋人になりたい」っていうのと「誰でもいいから彼女が欲しい」って言ってる人との違い、みたいな?
「お客様の中に充電器をお持ちの方はいらっしゃいませんかー!」
作品に対して「good」と言ってくれる人からも、「bad」と言ってくれる人からも、どちらからも学べることはあると思っています。
そして、「good」とか「bad」とかいうそれ以前のところで拒絶されてしまった時でも、
その人から学べることは、ものすごくあるものだと、今回初めて知りました。大きな収穫です。
ディベートのテクニックを駆使する人ほど、人として薄っぺらく見える。
恐怖と疲労と時間と心配と…闘っているところ。
「言葉の前に謙遜したような前置きをつければ、その後どんなに相手をバカにしたり、見下したりしても、全てセーフ」って思ってる人っていますよね。
僕のたいせつな友人がそういう人たちと接して不必要に傷つくことのないように…なんてことを思っています。
クスクスのパッケージを見たら「medium(ミディアム)」と書いてあることに気づきました。
…ってことは、「ラージ」と「スモール」もあるってことなのかな。
それとも「ハード」と「ソフト」?
もしかして「レア」と「ウェルダン」??
いや、それは調理する時の匙加減次第か。
響き合える最高の状態を作るための最大の努力を惜しまない。
写真を見る、写真集を見る、ネットで見る、スライドで見る…
それぞれ最適な方法は違う。
ちょっとしたケガをした時に塗る軟膏がなくなっていたので買って帰ってきたら、
玄関で犬さん(大型犬)に「おかえりなさい!おかえりなさい!」の大歓迎を受け、
そのもみくちゃの中で「なんかヒリヒリ痛いぞ」なんて思ったのでシャツの中を覗いてみたら
いつのまにか胸元に血が滲む爪痕が一筋…。
さっそくその買ってきた軟膏を塗りました。
軟膏を買いに行って良かった(?)。
蝿って、たぶん自分たちの出す羽音の周波数が不快に感じないような脳の作りになってるんだろうな。
でもその代わり、もしかしたら、人間が出すため息の周波数をとても不快に感じていたりするのかもしれない。
怒声の周波数をとても心地良いと感じているのかもしれない。
ネット記事を見る限り、ミュージシャンが自前楽器でステージに飛び入り参加する場合、どうやらその楽器は両手でなく片手で持っていないといけないらしい。
例)
泉谷しげるがギター片手に乱入!
泉谷しげるがコントラバス片手に乱入!
泉谷しげるがアルペンホルン片手に乱入!
泉谷しげるが手乗り文鳥片手に乱入!
「適度な緊張感」という名の駅をあっという間に通過して
「恐怖感」という駅で下車する、
いつものこと、いつものこと。
まだ少し先のことなのに今回は恐怖感駅に来るのが早いですね。
他人事のように書けるほど、怖い、怖い。
今回は会場で1人だから、今日もらった「想像を突き抜ける味のするお菓子」をその時に食べて、せめて笑顔で臨めるようにしようかな。
笑え。その時の、自分。
僕もかつてはそういう意味でステージ衣装を使っていました。
人によって日常生活でのそれが、
サングラスだったり、
ヘッドフォンだったり、
お化粧だったり、
アクセサリーだったり、
香水だったり、
ガムや飴だったり...するのかもしれないですよね。
今の僕にとってのそれは、なんだろ?目に見えないもの…かも。
「決定したことだから」っていうことを理由にして話を進めてゆく人は
それが理由でもなんでもないということに
おそらく気づきもしていないのだろう。
そういうふうに上司から教育されてきたからなのかもしれないけれど、
そうされる側にとってはただの「イジメ」だということぐらいは
最低限、気付いてほしいものなのだが…。
数年前に話題になったドキュメンタリー映画
『世界一売れないミュージシャン KAZUYA』のクライマックスシーンを最高に演出してくれた
中島公園のボートが、
このままいくと確実に無くなってしまいます。
札幌の映画ファンの人たちはこのことを知っているのかな…?
チャットモンチーがGLAYと対バンした先日のLiveにてTERUさんが「真夜中遊園地」を歌った、ということを知って、どんな感じになるだろうと脳内再生してみたら、これはもの凄くフィットしたのではなかろうかとちょっと興奮気味な現在。
昨日はスケッチブックとストップウォッチを買ったので明日はスナップショットを撮りながらクロックムッシュを食べたいところ。ドロップキックやロケットフックをブラックミットで受け止めたならブラッドピットと明後日ずっと江戸っ子ごっごのフラッシュバック。
理由付け要らない。
在る、だけで良いのに。
理由付けをするから、実際のもの(本体)でなく、その理由付けの方の矛盾点を突かれる。
何かを言われた時、
「逆に…」とか
「それはそのことに限ったことではないですよね」とか
「その○○という言葉をあなたはどういった意味で使われているのですか」とか、
そういう言葉がすぐに出てくる人に会うと、なんか、必要以上に疲れる気がします。
「美しい」っていうことに、「それが何か」っていうことは、関係ないように思うのです。
別の何かが加味されることはあると思いますが。
…なんてことをぼんやり考えている午後です。
スマホ イヤフォン 喪服 電車の向かい 泣きそうな顔
【叫びやすいアルファベット】
Z: アニメ歌手やアイドルがよく叫んだりする。この場合「ズィー」ではなく「ゼェーット」が正しい発音。
X :かつてこのアルファベットを叫びながら手を顔の前でクロスさせて集団で跳び上がる様が日本各地で見られたという。
O :何か予想外で悲劇的なことが起きた時に叫ばれることが多い模様。
A :ライブ会場で気分が高揚した時などによく叫ばれるアルファベット。拳を突き上げて「エェーイ!」という感じに用いる。類義的に「I」を用い「アァーイ!」などと使われることもあるので注意が必要。
Q :主にTV局のディレクターが叫ぶことが多いアルファベット。番組の開始を告げるときに用いられることが多い。
P :機械的な音で発音されることの多いアルファベット。主に倫理的に不適当だと判断される言葉を発しようとする者を遮るような形で用いられることが多い。
U :特定の外国っぽい感じの人が相手を指差して叫ぶことで知られるようになったアルファベット。このアルファベットを叫んだ後「出ちゃいなよ」「歌っちゃいなよ」「やっちゃいなよ」などと付け足すとさらに効果的。
前の選挙の投票日前に「選挙に勝ったらいずれ必ずこういうことをしますよ」と書いたそっくりそのままのことを本当にやり始めていて、「うゎっ…」な心境。
https://note.mu/swaynile/n/ne902e7bda21f
95行目辺り(ブラウザによって改行位置が変わってくるので)参照。
【前の選挙の投票日前に書いたこと - 抜粋 -】
景気回復だアベノミクスだと耳に残りやすい選挙用の看板を掲げていても、
もし選挙に勝利したならばその瞬間これらのこと(秘密保護法,集団的自衛権,etc.)も全部ひっくるめての、「安倍政権のやり方を国民が支持した」
ということを声高に彼らは叫ぶはずです。
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