だから僕は音楽を辞めた(2024年改訂版)

※このnoteは2021年12月30日にノスタルジア合同誌企画として掲載した「だから僕は音楽を辞めた」の改訂版です。
初版と内容は9割9分一緒で、比較するほどの違いはありませんが、ぜひ最後までお読みいただければと思います。


まずそもそも、この場でこの曲を題材にして物を書くことにした時点で音楽を辞めるはずがない。
だがその中で辞めたものもある。

子供の頃、音楽を仕事にして食べていけたらと生半可に思っていた。
結果的にいち音ゲーマーでいち音楽ファンにとどまった私が考える、音楽に対する随筆と研鑽をここに記した。

家族からは音楽で食べていくのはやめておきなさいと言われていた。
それが最近になって正しいと感じる。
一層はっきりと教えてくれたのがまさか未知の感染菌だとは思いもしなかったけど。

危機に瀕しているようなものを応援したければすればいいが、それでも生きられなければそれまでだ。今でないと後悔するなどと急に言われても正直困るし、すぐにできる保証は無いし、私の知った事でもない。折角だが私にはどうでもいいことだ。たとえ自分の好きなものであったとしても。

しかしそれが売れていようがいまいが、その人の行動が決して間違っているとも思わない。

大切なのは、世の中がどうであれ今ある作品を残し伝えていくことなのだと思う。
仮に披露する場が一時的に消滅することがあっても、なんらかの形で残したその作品を見た者や聴いた者がまた新たな作品を生み、ひいては新たに披露する場も自ずと生み出されていくだろう。

私が今このノスタルジアを愛せているのは、リアルタイムで弾ける勇気が出ないまま幕を閉じたキーボードマニアがあったからで、なおかつそこに存在する音楽たちのおかげなのである。

いつもと違った観点を見つけて覗いてみれば、好めなかったものが好めるかもしれない。むしろ別角度を見つけられてこそ音楽は生きられるのかもしれない。

私の文では根拠は足りないが、そういった方々が一定数いる限り、自分達の好きなことが無くなることは決してないと思う。

残らないなら残らないなりに自分で好きに楽しむ。語れる相手がいたら語っていく。
話を聞いてくれるその一人を大切にしていったら自ずと同志は増えるだろう。
音楽で生計を立てている方々には音楽を作り続けてほしい。音楽は微力だ、だが微力でも下支えになるのならば私は支え続けたいのだ。

だから僕は(ひとつの)音楽(にばかり固執するの)を辞めた

音楽は辞めないけど固執する必要はない、むしろ固執してしまう方がこわい。
音楽を信じ続けていく術はきっとたくさんある。音楽が心を豊かにすることを私は身に染みてわかっているから。

結果私は、このノスタルジアというコンテンツを使ってずっと奏で続けていくと思う。

「一生ノスタルジアします」。



「..........盲目にならない程度に。」