途方に暮れる~入居1日で解体された新居~

前述の工場建設のとん挫からさらに途方に暮れるお話しです。

ちょうど1年前、2019年7月にカンボジアの自分のファーム内に自宅の建設を始めました。そして、1年後の2020年7月(先月です)、そのお家は解体されました。カンボジアで家を建てました!という日本人は結構いるかもしれませんが、家を建ててその家を全部解体することになるという経験はなかなかないかと思うので記録に残しておこうと思います。

2014年にシェムリアップでファーム運営をスタートした時から、マンゴーからスパークリングワインを作る!というのが私の夢でした。1次産業から2次産業をつくり、そこから3次産業を生み出すことで持続可能な農業ビジネスを確立しよう、農業でちゃんと儲けられる仕組みを作り、それを後世までカンボジアに残る事業にしたい、そんな思いでした。2014年に植えたマンゴーの木がやっと4年たって実をつけ始め(マンゴーは植えてから実がなるまで4年かかります)、安定して収穫が見込めるとわかった2019年、ワイン工場の建設を決めました。何社か建設会社に見積もりを取る中、色々な事業を展開しているシェムリアップ在住の日本人の方が建設会社も経営しているとのことで、2019年5月、その方の会社に工場の建設を依頼しました。その時点での工場の完成予定は8か月後の2020年1月。

工場が2020年1月に完成したら、2月には製造機械設備を搬入。3月4月にはマンゴーの収穫の季節がやってくるので、その頃の工場稼働を予定していました。それまでもファーム内にある小さな部屋で寸胴鍋を使ってマンゴーワインの試作をしていましたが、工場が完成すれば整った設備の中でお酒造りをすることができる!ととても楽しみにしていました。そして、工場の建設にあわせて、ファーム内に自分の家をつくることも決め、同じ建設会社に依頼しました。それまではシェムリアップ市内のアパートに暮らしていて、ファームへは片道約1時間ほど車で通っていましたが、2020年4月の本格的なお酒づくりのスタートのためには、自分が朝から晩まで醸造作業に没頭する必要があり、往復2時間近くを移動に使うのはもったいない、これを機にファームで暮らそうと思ったからです。

初めての自分の家。カンボジアに来て21年、ずっと賃貸暮らしでした。ファームを始める前に13年くらいシェムリアップで事業をしていましたが、その時も店舗も工場もオフィスも全部賃貸でした。『賃貸は自分のものにならないしお金を無駄にしている、何年もカンボジアにいるのだから買ったほうがいい』と何度も色々なカンボジアの人に言われましたが、何かを所有するというのが面倒で、スーツケース1個(多くて2個 w )で好きな時に好きなところへ行ける暮らしが一番いいじゃない?と思っているので自分の家を持ちたいなどと考えたことはありませんでした。そんな私が、なぜ自宅建設!?それは、農業の事業は数年でなんとかなるものではないと思ったからです。農業の経験もないわたしがその道に入るのですから、土とともに自然とともに動物とともに生きることから始めようと思いました。そして何よりもシェムリアップが好きで、生きる理由のあるこの土地で死ぬまで暮らしたい、それならファームに家を作ろうと。

そして工場と同じ建設会社に自宅と宿泊コテージ3棟(訪問者がファームステイできるようのゲストハウス)を依頼しました。
世界中から来るゲストと村の人たちが交流できるようなそんな場を作りたいと思っていました。こちらの費用は4棟で総額約200,000ドル。
将来的には日本にいる母親も呼べたらと思い、わたしの自宅には母の部屋もつくりました。

工場と宿泊施設に関しては100%支払済、自宅は90%支払い済という状況で建設業者は資金ショートを理由に建設途中で撤退していきました。2020年3月のことです。

自宅の建物は彼ら曰く完成したらしいのですが、できあがりはひどい状態でした。修繕をお願いしましたが、お金がないからできないと言われてそのまま。

自分で直して住むしかないと覚悟を決めて引っ越した日の夜に指を損傷し、通院のためにシェムリアップ市内に戻ることになりました。

(右手前が解体した自宅。左奥の建物は建設途中で放置されたゲスト棟)

(解体前の自宅)

この怪我が不幸中の幸いとでも言うのでしょうか、わたしがシェムリアップに戻ってから雨季が始まり家の中が池状態になりました。。。雨漏りどころか水浸し、ベッドの上までもです。感電も怖いので本当にあのままあの家に住んでいなくてよかった、周りの友達からはあの家に住んではいけないって守られてるんだよと言われました。本当にそうだと思います。

(解体されていく自宅)

その家を解体するまでに至ったお話は長くなるのでまた次に。

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