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『アメリカン・ユートピア』を別の角度から見る(第1回:Here)

最近出たデヴィッド・バーンについての本がとても面白いので、久々にアメリカン・ユートピアのことを考えています。

以前こんなYoutubeプレイリストを作りました。内容は、Youtube上に上がっているアメリカン・ユートピアのワールドツアーおよびブロードウェイ公演の映像(公式ではなく、観客が手持ちのカメラやスマホで撮影したもの)から良いものを集めて、ほぼあの映画の通りの曲順に並べたものです。

公式映像では分からない迫力や生々しさがあってなかなかの出来だと思っているのですが、他の人もそう思ってくれたのかいつの間にか再生回数1万5千回を超えていました!アメリカン・ユートピアがまだまだ話題だった頃には数千回だった覚えがあるので、今でも根強い人気があるんだなと思わされます。(そもそもプレイリストの再生回数がどうやってカウントされてるのか不明なとこはありますが…)

いつまで続くか分かりませんが、1曲ずつ取り上げて色々思うことを書いていこうと思います。きっと打楽器隊に関する話が多くなります。

まず1曲目から。

突然ですが、あまりに見事な出だしだからスルーしがちですが、この曲の演出ってこのコンサート全体の方針と違っていないでしょうか?確か「ステージから余計なもの(アンプやスタンド、シールドなど)を排して演者だけを見せる」みたいな方針だったと思いますが、この曲だけ机やら脳の模型やら小道具を使っている点です。それと、この曲はもしかしたら生演奏ではないのかな?と思いますが、その点もコンセプトと違っている点ですね。

誰かがこの曲について「歌詞にbrainという単語が出てこない」と指摘しているのを見てふと思ったのですが、このライブでの演出で脳の模型を手に持って説明するように歌うっていうのはレコーディングの時点から考えていたんじゃないでしょうか?その後この全員が楽器を抱えて踊り叩くコンセプトに辿り着き、そうするとこのHereは冒頭に持ってくるしかなくなる、という感じで案外成り行きで決まっていったんじゃないかななんて想像しています。

いきなりどうでもいい話で、しかも紹介した映像とは直接関係ない話になりましたが、この調子で暇なときに少しずつ書き進めていきたいと思います。曲順通りじゃないかもしれません。

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