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どこにも行けないな~って話

最近、「高校生のとき、自分はどこにも行けないんだよな~と諦めていたよな~」ってことを、よく思い返す。

ぐるぐるさんは高知県に生まれ育った女オタクである。
だからって別に子供の頃からド田舎たる地元(いうても高知市内に実家があるので全然マシ)のことを憎んだり嫌ったり都会にひどく憧れたりはしてこなかった。GALS読んで渋谷に憧れたりしていたが、「なんで自分は高知なんかにいるんだろう」とかは考えたりしなかった。
当時は単に憧れより諦念が強かっただけだと、今ならわかる。
子供の頃は、というかだいぶ大人になるまでずっと、高知の外側にあるものすべて、「私には行けない場所だ」と諦めていた。
ぐるぐるさんは92年度生まれのオタクなので、高校のときにはもう普通にインターネットが普及していた。ガンガンにあった。めっちゃニコニコ動画とか見てた。つうか高3のときからツイッターしてるし小4からSNSしてる。
それに、田舎者とはいえ、いわゆる“太い”家庭だったので、県外に旅行に行くことがなかったわけじゃない。GALSへの憧れが強かったときに渋谷109連れてってもらって109限定のメゾピアノのTシャツ買ってもらったりしてる。(具体的な事例)
“外”にアクセスする環境は充分整っていたし、実際足を運んでもいるのに、それでも憧れより諦念が強かった。
オタクのくせに、好きな漫画がアニメ化しても全然うれしくないというか、概ね“無”だった。だって高知では見れないし。当時はまだネット配信も盛んじゃない。だから「うれしくない」とかじゃなくてほとんど“無”。よっぽど好きな作品じゃない限り、悔しいとさえ思わなかった。「どこかでアニメになっていても私には関係ないや。まあ原作があるし」という感じ。
まあ悔しいときは普通にめちゃくちゃ悔しかったが。銀魂の時だけはマジで悔しくて祖母の家に毎週通ってリアタイで見るという力業に出ていたくらいです。(当時はケーブルテレビを契約してればテレ東系列が見れたので…)(実家はケーブルテレビ繋がらなかったけど祖母宅はつながってた)
今も昔も大体のオタクムーブメントはアニメが基準なので、当然いわゆる“覇権ジャンル”とはやや距離があるオタク生活になった。ヘタリアのアニメがウェブ配信前提だったのはマジでありがたかったね…
でも、メディアミックス絡みで一番ショックだったのは最遊記歌劇伝の初演(08年)の告知を見たときだった。
大好きな最遊記がミュージカルになるなんてという驚きと、「でも自分は絶対にこれを見れないんだ」という絶望があった。だって東京でしかやってないもん。アニメはいつか円盤になるし、配信も全くないわけじゃないし、最悪(本当に最悪だけど)違法アップロードで見ようと思えば見れる。でもミュージカルはダメじゃん。たとえ円盤になっても、それはナマで観劇するのとは全然別の体験だってわかっていた。だから見れないアニメ化の話より何倍もショックを受けた。
言うてもう高校生だったし、東京に親戚もいたし、もしかすると親にめちゃくちゃねだれば連れて行ってもらえたりお金を出してくれたりしたのかもしれないけど、そういう発想すら出てこなかった。「自分はこれを絶対に見れない」という絶望と諦念だけがあった。一周回って無になってすぐ存在を忘れた。忘れることにした。
翌年舞台戦国BASARAが始まって、もう一度全く同じことをやるハメになる。「私はこれを絶対に見れない」。そした即座に存在を忘れる。そんなんばっかり。

まあでも、そんな「絶対」なんてないわけですよ。
もちろん08年や09年の当時の公演は観に行けてないのだけれど、その後ぐるぐるさんは最遊記歌劇伝も舞台戦国BASARAもフツーに観劇できている。舞バサとか何回観たかわからん。最遊記歌劇伝に関してはマジでちょっと「“あの”最遊記歌劇伝をナマで観れる日が来るなんて」って感動して泣きそうになったよね。そもそも2014年の時に5年ぶりの新作公演だったし…マジで一生観れんと思ってたから…。
それはそれとしてなぜ観劇できているのか。単純に2011年に神戸で大学生を始めたからである。
バスでもJRでも約4時間かければ神戸には行けるのだという実感を初めて得た。バスで寝てれば4時間なんてすぐだし、神戸まで着けば大阪だってものすごく近い。大学の最寄りから梅田まで阪急電車で約30分。1時間以内で隣の県に行けるのが衝撃的だった。京都とか滋賀から通学してる友達がいるのもびっくりした。高知から徳島や愛媛に通学するなんてまず無理だし…。意外と県境のハードルって低い。というかたぶん四国山地の壁が高すぎただけだった。梅田や河原町にホイホイ遊びに行って、ライブも観劇もいろいろ行った。初めて行った京セラドームがラルクのライブで、これもすごい嬉しかった。2階席の最後列だったけど、ラルクのライブもずっと諦めていたものだったから、その場にいるってだけですごく嬉しかった。
それでも何年かは京阪神の区間でしか動いていなかった。一回だけおもてなし武将隊のイベントのために名古屋に行ったけど確か日帰りだったし、割と勇気を出して行った覚えがある。
東京に行くようになったのは多分2015年辺りからだったと思う。ミステリ界隈に属してたのもあって文フリに関心が出たり、初めての企業主催ミステリ二次創作オンリーイベントが東京で開催されたりして、東京に行くようになった。新幹線使えば高知から神戸に行くのとほぼ同じ時間(というかむしろ短い時間)で神戸から東京に行けることを認識して、「なんなんだこのバグ…」って思った。新幹線が速すぎる。
その頃から、ようやく「自分はどこにでも行けるんだ」とわかってきた。つうか、高知にいたころは、「自分はどこにも行けない」と思っていたなということに自覚が出てきたのもたぶんその頃です。遅くない?大学5年目とかなんだけど。5年神戸に住んでるんだけど。(6年制薬学部生です)(1年で留年してるので2015年で4年生だったけど)
2016年は実習のために約半年高知に戻ることになったんだけど、そこでもどうしてもミステリオンリーに出たくて、朝イチの飛行機に乗って高知から東京行って同人誌頒布したりした。
「高知からでも別に東京行けるんじゃん」と初めて実感できた。つうかそのとき生まれて初めて一人で飛行機手配して一人で搭乗してる。遅えよ。もう23歳くらいなんだけど。同級生大体社会人になってる頃なんだけど。
でも本当に「どこでも行ける」って自分に定着したのは2017年と2018年の大学ラスト2年だった。2015年に4年生なのに計算が合わない。恐ろしいことに2017年にもう1回留年してるのだ。
2016年終わりにハイローにハマってそのままLDHにハマって、でも2017年にはもう大学6年で、就職は地元に帰るつもりだったから割と焦っていた。「神戸に住んでる間に行けるものには全部行っておかなきゃ」と必死だった。ハイローザランドのために繰り返しよみうりランドに行き、舞台のために繰り返し東京に行き、なんかしらんがライブのために三重にも行った。誤解しないでほしいけどそのせいでもう一度留年したわけじゃないです。別にLDHハマってなくても留年してたと思う。何の言い訳だ。
三重行ったとき(じぇねのライブだった)はもう留年決まってて、マジでめちゃくちゃメンタルの具合が悪かったんだけど、ライブまでの空き時間に伊勢神宮に行っていよいよはっきり「私ってどこにでも行けるんじゃん」と目が覚めてすっきりした。伊勢神宮とかマジで三重県営サンアリーナに行く用事がなければ絶対一生行ってない自信がある。(三重県営サンアリーナの最寄りはほぼ伊勢神宮の最寄りなのだ)つうかまずライブがなければ三重にも行ってねえ。
でも行けるんだよな。行こうと思いさえすればどこにでも行けるんですよ。国試受ける資格どころかそもそも大学の卒試受ける資格すら得られず6年前期で留年決まっててもどこにでも行けるんです。
何なら三重でライブ見てそのあと名古屋に行って名古屋で泊まって翌日名古屋で遊んで新幹線で神戸まで帰ってる。すげえじゃん。県境越えまくりじゃん。そのとき連れが実家名古屋の人だったから名古屋に泊まったんだけど、三重とか普通に大阪から日帰りも可能だし。
ライブ遠征で神戸からガチの地方行ったのは三重と福井だけなんだけど(高知は地元なのでノーカン)、別に行こうと思えば仙台とか北海道とか広島とか福岡とかもっと遠いとこにも全然行けたんだよな。名古屋と東京は新幹線一本だからマジで楽。夜行バスも私鉄も何でも使った。
結果、大学卒業する頃には「高知に帰ると行けなくなるから今のうちに行かなきゃ」という気持ちはかなり薄らいで、「働き出したら時間的余裕がなくなるから今のうちに行かなきゃ」が強くなってたと思う。
別に高知からだって、行こうと思えばどこにだって行けるんだもん。お金と時間はかかるけど、「どこにも行けない」なんてことはない。
実際2019年は日帰りで神戸に観劇しに行ったり氣志團万博のために千葉行ったりなんやかんや東京行ったり徳島行ったりしてる。
高校のころみたいに「行けないから…」って諦めることはほとんどなかった。「どこでも行けるじゃん」と思っていた。だから福井や広島のライブチケットも取っていた。

そこで、2020年からの1年ですよ。
新型感染症が流行した世界で、私は高知で病院薬剤師として勤務している。
感覚が高校の時に逆戻りしてしまった。「どこにも行けないな」と思ってる。2020年の終わりくらいからライブや演劇の公演は復活してきてるけど、それも「私には関係ないことだな」と思っている。最遊記歌劇伝の告知ページと同じだ。

なんつーか、別に「医療従事者だから県外移動は自粛して当たり前」だとか、「医療従事者は移動を自粛すべき」とか思って実行してるってわけじゃないんですよ私は。実際2020年2月に大阪のEXILEのライブ行ってるし。8月と10月にそれぞれ神戸と名古屋に用事があって行ってるし。医療従事者だって人間だし、自由が剥奪されていいわけないじゃん。
県境で判断するのも馬鹿馬鹿しいと思ってるし。兵庫から大阪への不要不急の行き来を禁じて何になるんだよと思う。
でも、やっぱり高知から外の世界は遠いんですよね。四国山地はデカい。あれを乗り越えて行くことを思うと躊躇してしまう。
医療従事者としてそうあるべきだと思ってるわけじゃないけど、医療従事者なので躊躇してしまう。
だって病院はずっと面会謝絶ですよ。
ついこの間までは入院患者さんだって毎日いつでも何時間でも家族や友人と会って話せたのに、今は余命わずかで緩和病棟順番待ちみたいな人でも面会できる人数と時間制限があるし、それすら許されず本当に全く面会謝絶のまま亡くなる人も多いのが実感としてわかるわけじゃないですか。家族が県外に住んでる人とか、海外からひとりで日本に移住してきてる人とか、そもそも独り身の人とかは、本当に病院でひとりきりで最期の時間を過ごすしかなかったりする。家族は一部面会可になっても友人は面会許可なかなか下りないですからね。県外在住の人は2週間待機してもらってからじゃないと基本面会無理だし。
それを見てるのに自分は旅行に行くぞ~とか、少なくとも、今の私個人は簡単にできないんですよね。みんながそうあるべきとかそうで当然だとは思わないけど、私にはできない。
今でも神戸に住んでたらまた違ったかもなと思うんですよね。東京までは行かなくても大阪とか京都には普通に行っただろうなと思う。高知に帰省もするかもしれない。
でも高知から外には出れない。四国山地も太平洋も、高知のほうから見るとめちゃくちゃ巨大な壁なのだ。
私はまたどこにも行けなくなってしまった。
せっかくどこにでも行けるようになってたのにね。

コロナ禍で新たに生まれた地方と都会の“文化”における断絶の話をしようと思ってたんだけど、何か関係ない普通の自分語りになった。まあたまにはこういう長文を書いてもいいよね…ということで…はい…



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