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勉強が、嫌いだった。

私は勉強が嫌いだ。大嫌いだ。

学校の勉強が嫌いだった。テストも嫌いだった。テスト前はなんでこんな勉強しなきゃいけないんだと叫び出したい気持ちがいつもあった。

私は薬学部に通っていた。薬剤師になるためだった。

入った大学は、一番下の滑り止めの学校だった。第一志望も第二志望も第三志望も受からなかった。

悔しかった。

せめてこの学校ではトップでいなければ、と思った。

奮起した。猛勉強した。

一年前期の試験で学年三位になった。

これなら本当に一位を取れるかもしれない。
夏休み明けからよりがむしゃらになった。

後期の試験では一位になった。

生まれて初めての一位だった。だけど、全然嬉しくなかった。

疲れた、と思った。それだけだった。

受験で失敗した悔しさをバネに頑張ったのに、心の穴はぜんぜん埋まらなかった。


大学には、天才がいた。

なんでそんなにたくさんのことを一瞬で覚えられるんだろう。なんでそんなにすぐにこの問題が解けるんだろう。

惨めになった。私にはただ頑張ることしかできなかった。

疲れた。

なんでこんなに頑張らなくちゃいけないの? もうわけがわかんないよ。

私の頭が悪いせい? 凡人のせい?
記憶力がよくないせい?

だから、人一倍頑張らなきゃいけない。

――なんで? 

自分のスペックがクソなことを、呪った。



大学には、心底勉強を楽しそうに学ぶ人たちがいた。

生薬の話を目をキラキラさせて楽しそうにする教授がいて、化学式の成り立ちを滑らかに話す教授がいて。

いいな、と思った。あんなふうに勉強が好きになれたらいいのに、と密かに思った。

楽しそうに研究に励む教授に会いに行った。

勉強を楽しむ人たちの思考回路が知りたかった。それは勉強嫌いの私にとってありえないもので、未知のものだった。

教授は楽しそうにいろんなことを話してくれた。

でも、私は、分かってしまった。

あぁ――この人たちみたいには、なれないんだ、と。

どれだけがむしゃらに頑張っても、それを『楽しむ』人には、一生勝てない。

勉強を、楽しめる人たちが、羨ましかった。


結局、大学は中退した。

己にプレッシャーをかけすぎて、心が壊れた。

その頃から、勉強に拒否反応が現れるようになった。

電車で資格の勉強をしている人を見ると、胸がぎゅっと苦しくなった。本屋では、薬学のコーナーに行けなくなった。


私は、小説を書くのが好きだった。

私にとって大好きな趣味の一つだった。小説は私をつらい現実からいつも救ってくれていた。

小説を書くのは楽しかった。
社会人になった今も楽しいし、きっとこれからも楽しい。

でも最近、今の自分の技術が頭打ちになっていることがなんとなく分かってきてしまった。

もっとうまくなりたかった。
今の自分に足りないものはたくさんあった。

その中で、最も必要なことはなんだろう。
調べたり、己の軌跡を振り返ったりした。

しばらくして、ひとつの結論にたどり着いた。

「私には取材力が足りない」

今まで書いてきた小説は、自分の経験をベースにしていたから、書きやすかった。

でも、もっとうまくなるには、自分の知らないことや経験していないことも、書けるほうがいい。そう気づいた。

書きたいネタは色々あった。その中のひとつに、SFっぽい作品があった。

設定を考えるのに、自分の知識量では足りなかった。


私は本屋に行った。

普段は絶対行かない、科学コーナーに行った。

Newtonという雑誌を手に取った。

Newtonは、私が通っていた大学の図書館にもあった、科学雑誌だった。

『人間の脳』について書かれたものを手に取り、ぱらぱらと眺めた。

眺めているうちに、「あ」と声が出そうになった。私が欲しかった情報が、そこには書かれていた。

「あーなるほど、そういうことかー」

すごく納得した。すっきりしたし、読むのも面白かった。


また別の日にも、科学コーナーに行って、Newtonを手に取った。

今度はこの前とは別の冊子を手に取った。色々知れたら小説に活かせると思った。

ぱらぱらとめくった。読んだ。

「あっ」

また、声が出そうになった。

そこに書かれていた文章を読んだとき――

カチリ。

意識が変わるのを感じた。

「あ! すごい! これってそういうことなの!?」

興奮した。どきどきして、わくわくした。


知識と知識が繋がって一本の線になる――その快感に、たぶんあの瞬間、私は目覚めた。

そして、気づいた。

「学ぶことを心底楽しんでいる自分」が、そこにいたことに。

大学時代、どうしても欲しくて、でも手に入らなかった「学ぶことを楽しむ自分」がいたことに。

テストがあるわけでもない。
国試のためでもない。

休みの日に、ただ、読みたいからと、気になるから、と、科学雑誌を手に取って、読んで、ワクワクしている自分。

それは、私が大学時代に出会ったあの教授と、きっと同じ姿だったはずだ。

あぁ――

目頭が、熱い。泣きそうに、なる。

学ぶことを、楽しめる私が、いたんだ。

ここに、いたんだ。



ずっとずっと、手に入らないと思っていたものは

もう、自分の中に、あった。



勉強が、嫌いだった。
テストが、嫌いだった。

学校の授業も、宿題も、受験勉強も、
全部全部、大っ嫌いだった。

英語は得意、それ以外の科目は全部苦手。
特に数学とか物理とかは、本当に無理。

そういう自分が、いた。


でも、時が経って

Newtonを、科学雑誌を、楽しく読む私がいる。

学ぶことを心底楽しみ、知る喜びを、素直に体感する私がいる。


奇跡だ――と、思った。


これは、私が変化したせいだろうか。
私は、別人になってしまったのか。

いや、違う。

点数を取るための勉強は、楽しくなかった。

知るために学ぶことは、楽しかった。

ただ、それだけだった。

置かれた環境が全てだと思った。


身の回りにあるちょっとした疑問や、謎は、知識さえあれば、解決できる。納得できる。

勉強を楽しめる人たちは、きっと幼い頃に、その「知る喜び」をたくさん体験した人たちなのだと思う。

私は、天才じゃない。
研究に没頭する優秀な教授でもない。

あの人たちに比べたら、「好き」のレベルは違うのかもしれない。

でも、いいじゃないか――

私は思うのだ。

私は私なりに、知ることを楽しみ、学ぶことを喜び、知識を身に纏うことを、快感に感じる。それで十分だと――

誰だって、環境さえ整えば「楽しめる」自分が生まれてくる。


天才じゃなくても、特別じゃなくても。

知る喜びは、きっと格別で、無限大だ。

学ぶ楽しさは、きっと死ぬまでなくならないだろう。

世の中には、まだまだ私の知らないことがいっぱいある。

それだけで、今まで見ていた世界の景色が、がらりと変わった気さえ、する。

まずは、ちょっと気になることから。

調べて、知って、学んで。
聞いて、学んで、覚えて。

そうして得た知識は、きっと――

私の心をどこまでも豊かにして、視野を広くしてくれる。

まだまだ、旅は終わらない。

私は、もっと小説を書きたい。
そのために、もっと色んなことを、知りたいと思う。

知らなかったことを、知っていきたい。

知れる瞬間は、またきっと楽しいはずだ。

なぜなら

それは人間誰しも持っている

『知的好奇心』というやつなのだから。




【おまけ】

後日、別の本屋に行ったとき、『化学・物理・数学』のコーナーへ自然と足が向かった。

そのお店では、Newtonは『雑誌』コーナーにあった。

今度は違う。

私の脳が、明らかに、今までとは違ったものに興味を示し始めていた。

見たこともなかったし知りたいとも思わなかった本や学問たちに、興味が湧いてきている自分がいる。

そんな些細なことが、たまらなく嬉しい。

数学が、ずっと苦手だった。
理系科目は、学生時代、私の弱点だった。

だから、好きじゃなかった。
ぜんぜん、まったく、好きじゃなかった。

でも、もしかしたら、もしかしたら――好きになれるかもしれない。

今ならば。この先ならば。

ちょっと、どきどき。けっこう、不安もある。

でもまずは

とりあえず、今は

――知る喜びを、たくさん、たくさん、噛み締めよう。

理系の本棚を眺めながら、自分の頬がゆっくりとゆるんでいく。

そっと、一冊の本に、手を伸ばす。

表紙を眺める。

中身を見てみる。

知らないことが、たくさん書いてある。

――あぁ、すごい。

自然と、口角が上がる。

まだまだ、世界は豊かになっていく。

これからも。この先も。永遠に。

興味の幅が広がるって、本当に、すごいことだと思った。

人間に、生まれてよかった。


【おわり】

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