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10年後も楽しく小説を描き続けるためのマイルール3選

『何事も、継続することが大事だよ』

いわゆる「成功者」と呼ばれる人たちの口から、この言葉はよくよく出てきます。

でも「続けよう」「継続しよう」って意識すると、とたんに胃のあたりがきゅーっと縮まるのは私だけでしょうか?笑

毎日必ず〇〇しよう、とか言われるとオエーってなるのは私だけでしょうか?笑

ちなみに……

そういう私はですね。じつは小説を書くのが趣味でして、はじめて小説を書いたのが高校3年生のときで、今年でちょうど10年目になるんですね。

まさか10年後も自分が小説を書いているとは思わなかったですし、自分自身も「続けている」「継続している」みたいは意識は全くなくて、むしろ「あれ、気づいたら10年経ってた」みたいな感覚なんです。

ただ、じゃあまじで何も考えてなかったかと言われると、すこし違います。

小説を書くというのが、自分にとって楽しい趣味になりそうだ、となんとなく自覚してから、自分なりにルール……というと堅苦しいのですが、「行動指針」みたいなものを決めたんですね。その「行動指針」に沿って小説を書いていたからこそ、10年も続いたんだと思っています。

で、今日はその「行動指針」=マイルールをお話しようと思うのですが、そもそも気楽な「趣味」であるはずの小説執筆に、なぜそんな「行動指針」みたいなものを自分自身で設定したのか、まずそのことをお話させてください。

私には小説を書くことともうひとつ、自分にとっての大切な趣味があります。

それがダンスです。ダンスは、小学生のときからスクールに通い始めて、高校はダンス部、大学でもダンスサークルに所属していて、ダンスとのお付き合いはもうすぐ20年になります。とはいっても、今、現在進行形で習っていたり踊ったりしているわけでもないのですが。まあとにかく、ダンスっていうのは、私の人生において切っても切り離せないものなんですね。

ただ、私はひとつ失敗したな、と思ったことがありまして。

中学生の頃、もっとダンスがうまくなりたい、と思っていた時期に、私は「自分にダメだし」することで、技術の上達をはかろうとしたんです。ここの動きがダサい、ここのステップが変、だから直す。だから変えていく。
そんなかんじで徐々にうまくなっていたんです。だけど、私は自分の踊りに自分でダメだしするたび、心の中でどこか傷ついてました。そして、そのことに気づかないふりをしました。

ダメだしを客観的にできればよかったんですけど、当時の私はなにせ中学生ですから、そもそもダメだしをすることぐらいしか、自分がもっとうまくなる方法なんてないと思っていたし(ここらへんも視野が狭いですよね)、「ダメだし=自分の自尊心や自信が削られていく」とメンタルに直撃するような方程式が出来上がっていたんですね。

で、そういう苦い記憶があったので、私は小説を書くことが楽しい趣味になりそうだな、と予感したとき、「絶対に、小説を嫌いにならないようにしたい」と思いました。

一生ものの趣味というのはなかなか見つかるものではありません。
だからこそ、私は「小説執筆」を「自分自身が好きで居続ける」ことが、何よりも、何よりも大事だ、と思いました。というか、ここだけは絶対にブレちゃいかん、と確信しました。

好きで居続ける、ということって、意外と難しいんですよね。恋人とかもそうじゃないですか。放置していくとすこしずつ崩れていってしまったり、すれ違いが起こったりして。だから好きで居続けるためには、こまめな「手入れ」とか「ルール」って、絶対必要だな、と私は思っています。

ということで、私が、小説執筆を好きで居続けるための行動指針=マイルールを、3つお伝えします。

①書きたいときに書く。書きたくないときは書かない。

はい。ものすごくシンプルです。が、私にとってはめちゃくちゃ大事。
このルールっていうのは、いわゆる「義務感」を自分に背負わせないってことなんです。
好きになって、どんどん好きになって、いっぱい頑張っていくと、どこかのタイミングで「〇〇しなきゃ」みたいな義務感や正義感が生まれてしまいがちです。
これって、好きだからこそゆえの葛藤なんですが、私としては、「小説に義務感はいらん! 気楽に楽しみたいんじゃ!」という願望が強かった。だから、こういう義務感とは無縁でいるために、「書きたいときに書く。書きたくないときは書かない。」と設定しました。

だから、ネタが思いつかなくて悩む、みたいなことは少なかったです。というか、ほとんどなかったですね。だって、「ネタが思いつかない=書きたいことがない=書かない」なので。そもそもネタが思いつかないときは、自分にとって「書く」タイミングじゃないので。

だから、10年続いたといっても、そのなかで不定期だった時期もけっこうあります。ニートで暇だったときは一ヶ月に何作品も投稿していたし、逆に勉強や仕事で忙しい時期はまったく書かず。半年〜1年以上書いてない期間だってあります。
でも、10年という長〜いスパンで見たときに、たとえ書いてない時期があろうと、それはちゃんと続いてるんです。

だから、ここでいう「続けてる」というのは、いわゆる「ずっと書いてる」ということじゃなくて、書いてる時期と書いてない時期を繰り返してるって感じなんです。

毎日書くとか、コンスタントに何か発表していこうという意識はなかった。私の場合、逆にそれがよかったんですね。

思いついたら書く。書きたいときに書く。
思いつかないときは書かない。書きたくないときは書かない。

めっちゃ自由そうな文言ではありますが、私にとってはすっごく大事なことだったので、まずひとつめとして書かせていただきました。

では、ふたつめ。

②「小説」に近づきすぎない。

これ、どういうことかというとですね。
小説執筆という趣味に対して、一定の距離を保つ、ということです。

もうちょっと掘り下げて説明させていただくと。
①にも通ずることなのですが、好きなことって好きであればあるほど、悩みとか葛藤って生まれてきやすいです。
最初は書くだけで楽しかったのに、いつのまにかランキングやアクセス数にちらちら目がいって、落ち込んだり、今まで気にならなかったことが気になりだしたり。

人間関係でもそうじゃないですか。近づいていくと、距離を詰めていくと、その人の良いところだけじゃなくて、人間臭くて面倒な部分だったり、自分とは反りが合わない部分が垣間見えたり。

で、じゃあこの距離感をどうすればいいかっつーと、私はどーでもいいことでうじうじ悩むぐらいなら「近づきすぎないようにしよう」と思ったんです。

ランキングやアクセス数を気にし始めたら、一旦、書くのをやめる。しばらく小説サイトはアクセスしない。そうやって丁寧にインターバルをおくと、また純粋に「書きたい!」という気持ちがむくむく自分の中で湧いてくるので、そういうタイミングになったときにまた書く。そういうことを繰り返していました。

これが正しいのかは知らんです。ただ、私は前述したとおり、「小説を好きで居続ける」ことが第一条件だったので、純粋に「小説を書く」以外の部分で、悩みや苦しみが生まれるくらいなら、それが生まれないぐらいの一定の距離を保とう、と思った。だって別に、それで飯を食ってくわけでもないんです。(当時はね。今はプロを目指していますが)ただの「趣味」なんだから、純粋に楽しめなくなったら本末転倒です。

ちょっと辛くなりかける→離れる(休む)→書きたくなる→書く→たのしい!→もっと書きたい!→書く→(真剣になりすぎて)ちょっと辛くなりかける→離れる……以後、ループ

このサイクルのおかげで私は10年楽しく書き続けられました。

では、最後にみっつめ。

③書きたい気持ち>技術の向上

これはもう書いたまんま。スキルアップとかそーゆーのは、とりあえずどうでもいい。何より、「書きたい気持ち」を優先させるってことです。

私は10年書きながら、その間に誰かに教わった経験はありません。独学、というか、見様見真似で書いていたら今に至る、みたいな感じです。

誰かに教わったり、習ったりすることを考えなかったわけではないのですが、「習う」とか「教わる」ってなると、これまた自分の中に「義務感」が生じる予感がしたんですね。本当、私ってくそ真面目なので、何かきっかけがあるとすぐ「頑張らねば」って方向にアクセルを踏んでしまうんです。で、そうなるとどんどん自分がしんどくなるってことを知ってるので。そしてしんどくなったその先には、「小説を書く」ことが自分にとって暗くて苦しいものになってしまう未来がある。

――そうなるくらいなら、ゆっくりで、いいや。マイペースに書いて、マイペースに向上すればいいや。

とにかく小説執筆ってものに対して、ネガティブだったり重たいものを乗っけたくない。もっともっと気楽でいい。
軽~いエネルギーで、わくわくどきどきを噛み締めて、純粋に楽しみたい。そういう気持ちが強かったんです。

……で、じゃあ技術の向上が本当に心の底からどうでもいいのかっていうと、そういうわけではない(笑)私も独学なりに、いろんな人のいろんなところを吸収してたくさん真似させていただきました。どれだけ「好き」に忠実であろうと、やっぱり「うまくなりたい」っていう欲求は、あるんですよ。

でも、私の場合はね、「うまくなりたい」が「書きたい(小説を好き)」を超えることはなかった。というか、なくてよかったんです。だって、一番大事なのは、小説執筆を、好きで居続けることなので。

それに、「好き」なものって、好きだから、勝手に学ぶし勝手に向上していきます。

私は10年かけて今の文章レベル、クオリティを身に着けてきました。たぶんふつうの人より、とてもゆっくりで遠回りな道のりだったと思います。本当はもっと短期間で伸びる方法もあったのかもしれない。だけど、私にとってそれはベストじゃなかった。

書く喜び、表現できる楽しさはずっと変わらず、そのままで。心底楽しみながら向上する。それをこの10年で体現できました。このことは、真面目で頑張り症の私にとって大きな成功体験になりました。

ダンスをうまくなりたいと思っていたその昔、ダメだしすることでしか向上できなかった、自分自身を厳しく審査することでしか物事の向上は見込めない、そう思い込んでいた自分に、こうやって好きなものは好きなままで、己を否定せずに、楽しく向上することもできるんだよ、と教えてあげたいです。

だから結局、「好き」って気持ちは最強だと私は思っているし、その「好き」の灯火を絶やさないことが、回り回って「長く続くこと」や「技術の向上」をもたらしてくれるんです。

最後に

――以上、私がこの10年間、自分の中で大切にしていた3つの行動指針を書かせていただきました。
このルールは、私の性格に合わせたもので、世間的なものとはちょっとずれていると思います。だけど、私にとってはこのマイルールがベストでした。だって結局、10年続いているし、ちゃーんと、小説を好きで居続けられたので。

ただ、10年経つと、人は変わります。私も、変わりました。初心者の頃の作品と、今の作品ではジャンルも内容も違うし、私自身も精神的に変化していっています。

だから、このマイルールがまたこの先の10年間の私のお供になるのか、というと、もしかしたら違うのかもしれない。

実際、私はずっと独学でやってきたけど、10年継続した今、独学の限界をうすうす感じ始めていて、誰かに習ってみようかな、そのほうがいいだろうな、という気持ちがある。

たしかに自己満足の趣味からスタートしたけど、今の自分にとって小説を書くことは、使命、みたいな感覚もある。

距離を詰め過ぎないように気をつけてきたけど、もう離れられる気がしない(笑)そんな感覚もどこかにある。

この10年、支えてきてくれたものは確かに私の土台であって、これからもずっと大切な行動指針であることに変わりはない。だけれど、それに囚われすぎなくてもいいのでは? 変化したのなら、変化した私にぴったりのマイルールを、また設定すればいい。

10年経った今は、そう思います。

ただ、その中でも変わらないこと。
それはやっぱり「小説を好きで居続ける」こと。
もし私が、小説を書くことを嫌いになってしまったら、たとえどんなに世間的な成功を手に入れたとしても、そのときの私は幸せではないんです。
だから、ちゃんと、好きで居続ける。それだけは、これからも、この先も、絶対に変わらない大切なものです。

ちなみに私の夢は
「おばあちゃんになってもにこにこしながら小説を書いていること」

誰かなんと言おうと、これが私にとって最強で最高の執筆人生です。

そんな人生を送れるよう、これからも楽しみながら、わくわくしながら、小説を書くことの悦びをこれほどかと噛み締めながら、私だけの物語を紡いでいきたいと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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