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「死」との向き合い方 〜藍色の向日葵あとがき〜


『藍色の向日葵』読んで頂きありがとうございます!!!

未読の方はこちら↓からどうぞ!

https://estar.jp/novels/25164565

この作品、かんころ編集部の『好きな芸能人』というお題のために書き下ろした作品なのですが……

(私自身、好きな芸能人がいなかったので、だったら小説のネタにしちゃえと書き始めましたw)

なんかもう、想像以上に暗〜〜いお話になってしまいました😂😂😂

一応、お題である『好きな芸能人』は、藍子が青木ゆうを好き、という設定に盛り込んでいるのですが……

作中ではそれよりも断然『愛する人の死』やら『遺族』やらといった重暗いテーマが大半を占めてしまいました。はい。笑

こうして読み返してみると、私自身の死生観みたいなものがありありと伝わってきますよね。

複雑なテーマではありますが、誰もが経験することなのかと思います。そして愛する人の死というのは、きっと、一生忘れることはできないことなのかと。

また、自分なりにその受け止め方を見つけて、納得したとしても(作中ではそれを『解』と呼んでいます)、ラストシーンの青木ゆう(や藍子)みたいに、ふとした瞬間に引き戻されてしまうものなんじゃないかな、と。

だから、彼が藍子に対して「弟が隣にいる」と語っているのも、彼の本心ですし、強がりではありません。彼なりに導き出した結論に、彼自身も納得しています。ただ、そうやって、自分なりの解を見つけたとしても、やっぱりまた何度でも、苦しくなる瞬間は訪れる、ということです。そしてそれは、人として至極当然のことであり、その苦しみは、その相手を愛していた、何よりの証ではないか、と私は思います。

だから藍子が吐露していた通り、『愛する人の死』に対してのゴールなんて、そもそもないんでしょうね。なくていいし、忘れるなんてことも、決して、ない。それでいいんだと思います。

私の好きなある漫画で、妻を亡くした夫の台詞でこんなものがあります。

誰かを愛するということは
失う時の痛みも引き受けるということだと思う
この痛みは、妻を愛した証なんだ
この痛みを味わえてぼくは幸せだ

(引用:僕らの食卓 作・三田織)

もう、これに尽きると思います。

また、作風はわりとシリアスにはなってしまいましたが、蒼と藍子(姉弟)、そして青木ゆうが登場するこのお話のネタは、もうずっと前から頭の中にあって、今回の夢トレをきっかけに、ようやく一つのストーリーとしてまとめることができて、嬉しく思います。
※このストーリーを初めて思いついたのはいつだろうとメモを見返してみたらちょうど二年前でした。二年を経て出来上がりました(笑)よかったです。

特に、青木ゆうのキャラクターや人格的な部分に対しては、彼の特異性を引き立たせたくて、事前に、かなり詳細にプロフィール(彼の生い立ちや価値観や、俳優に対する姿勢やら)をノートに書き込み、自分の中でなるべく鮮明にイメージを膨らませて書きました。皆さん、彼の独特さみたいなものは感じ取っていただけましたか?笑

また、こんなに長い作品を書いたのも初めてでした。
書き始めたときは「こんなにボリューミーな内容、自分に書ききれるのだろうか?」と疑問でしたが(笑)数日かけて一気に書き上げ、無事完成できました。

もしこの作品を読んで、何か心に引っかかるものがあったり、何かしらの感情が湧き上がったり、昔のことを思い出したり――少しでも、あなたに変化が生まれれば、とても、嬉しく思います。

では、読んでいただきありがとうございました!

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