ヤクザのせいで結婚できない! ep.91
特別製、かつ改良版ペンダントの威力は絶大だった。小さなモチーフのどこに仕込まれていたのか不思議なほどの催涙ガスが勢いよく噴き出し、レオの顔面を襲う。
「がっ……うぁああぁっ!?」
レオは言葉にならないわめき声をあげながらのけぞった。首を絞めていた手が外れて、あたしはその場に転がった。
「アハハッ、ざまーみろっ! ……うっ、ゲホゲホッ」
思わず笑った拍子に少し吸い込んでしまって涙目になりながら、あたしは手を伸ばした。
同じくうつむいて咳き込んでいるサンドラの手を探り当てて掴む。
「う、ううっ……何これっ」
「しっかり!」
あたしはサンドラの手を引いて、うっすらガスが残る部屋から飛び出した。怒号とそこらじゅうのものを蹴飛ばす音を断ち切るように、ドアを思いっきり閉める。
「急いで逃げよう!」
「待って」
サンドラが懐を探り、鍵を取り出した。手早くドアの鍵を閉める。
「これで……少しは、時間、が稼げるわ」
「鍵かかるんだ!?」
「当たり前、でしょ。私の部屋なの、よ」
サンドラはボロボロと涙をこぼしながら胸を張った。鼻の頭が赤い。
「それより……何よ、さっきのは。あなた、何したの」
「えーと、説明すると長くなるんだけど……」
ドォン! とドアがきしんだ。内側からものすごい力で蹴られたらしい。
「やってくれたな、ジャップが! 殺してやるっ!」
憤怒の色が塗りこめられた怒号が響き、続けざまにみしっ、メキッ! とドアが揺れた。
「ヤバッ、とにかく行こう! このドア、あんまりもたないかも!」
「ええ」
サンドラは多少ふらつきながら、さっと走り出した。あたしも慌ててあとに続く。
「殺すっ! 絶対に殺してやるからなっ!!」
わめき声を背に、あたし達は階段を駆け下りた。おりきったところでサンドラがよろめき、がくりと座り込む。
「大丈夫、サンドラ? 辛かったらどこかに隠れて休んでなよ」
「冗談……言わないで。あなたなんかに、ジーノを任せられるわけ……ないでしょ」
「さっき任せたじゃん」
「他に、選択肢がなかったから……最後の、手段よ」
サンドラは悪態をつきながら、壁に手をついて立ち上がろうとした。
その時、不意にズン、と足元から何か低い音が響いて船が大きく揺れた。
「――きゃあっ!」
今度はサンドラだけじゃなくてあたしもこけた。ごろごろ転がって壁にぶつかって止まる。
慌てて立ち上がろうとしたけど、何だかうまくいかなかった。
平衡感覚が狂ったみたいで、身体が勝手に壁に引っ張られる。
「な、なに?」
同じく壁に手をついたサンドラが舌打ちした。
「――船が傾いてる」
「えっ!?」
言われてみると確かに、廊下は全体的に斜めに傾いでいた。照明も傾いているし、さっきの揺れで転がった花瓶もあたし達がくっついている壁際に転がってきている。
「な、何で傾いてるの? 嵐?」
「そんなわけないでしょ、馬鹿ね」
「いちいち一言多いな、もう! じゃあ何で傾いてんのよ!」
「爆破されたからじゃない」
あまりにサラッとサンドラが言うので、あたしは一瞬意味が分からなくて瞬いた。
「は? ばく……え? えええ!?」
「あなた、さっきクローゼットの中で何を聞いてたの? あいつが言ってたでしょ、『船を爆破させて海に沈める』って」
「い、言ってた……っけ?」
あたしが首をかしげていると、サンドラは壁に手をついて立ち上がった。
「焦らなくてもすぐには沈まないわ」
「えっ、何で」
「レオ自身がまだ乗ってるもの。自分ごと沈むはずがないから、脱出するまでの時間は残してるはず」
「あ……そっか、確かに」
頷くあたしをサンドラはじろりと一瞥した。
「やっぱりあなたにジーノの救出を任せなくてよかったわ」
「う、うるさいな。慧介さんが捕まってる場所はちゃんと覚えてるよ、機関室でしょ」
「慧介さんって呼ぶのやめて、腹が立つから。行くわよ」
歩き出したサンドラの後ろ頭をはたいてやろうかと思ったけど何とか我慢した。あたしだってサンドラが『アケトラ』って呼ぶたびにムカッとするのは事実だ。
「ねえ、待ってよ。あたしも……」
その時、不意にサンドラが通りかかった部屋のドアがさっと開いた。
「えっ――」
ぎょっとのけぞったサンドラを中から伸びた手が掴み、一気に中へと引きずり込んだ。
あまりの早業に、あたしは一瞬動けなかった。
「……えっ、ウソ!?」
一拍遅れて、すごい勢いで脳が動き始める。
レオの手先がまだ何人かこの船に乗っているはずだ。
まさか、待ち伏せされた!?
「サンドラッ!」
部屋に飛び込んだあたしはもう一度固まった。
斜めに傾いた薄暗い部屋の真ん中でサンドラが倒れた人影に馬乗りになっている。かがみこんで相手の首でも絞めているのか、と一瞬思ったけど全然違った。
「ちょ……え、えええ!? なっ、なっ、何してんの!?」
後ろからだけど見えてしまった。サンドラが押し倒した相手に――キスしているのが。
えっ、襲われてるってそっち!?
いやむしろどう見てもサンドラの方が襲ってる感じだけど、これ助けるべき!?
助けるってどっちを!?
あれこれパニックになって立ち尽くしている間にも、サンドラは顔を離さない。こっちに伸びている相手の足が弱々しくバタバタしている。
「ていうか長すぎでしょ!? 息継ぎとかどうなってんの!?」
「――うるさい、シマ! あとそこ閉めて!」
ようやく顔をあげたサンドラが怒鳴ってきた。思考停止のまま慌ててドアを閉めてから、ようやく怒りがわいてきてあたしは振り向いた。
「あのねえ、あんた何してんの! いくら何でもそ、そういう攻撃方法はどうかと思う……」
「――えっ、志麻ちゃん!?」
サンドラの下敷きになって熱烈なキスを浴びせられていた人物がむくりと体を起こした。
あたしはあんぐりと口を開けた。
「……って、慧介さんっ! 何でここに!?」
「それは僕の台詞なんだが」
驚いた顔であたしをまじまじと見たのは、慧介さんだった。
「君がなぜここにいるんだ、志麻ちゃん」
「私が連れてきたの」
ぴったりと慧介さんに抱き着いたサンドラが答えた。慧介さんが目を見開いてあたしとサンドラを見比べる。
「志麻ちゃんをサンドラが?」
「そうなんです、色々あって……って、そんなことより! 朱虎はどこですかっ!?」
あたしはサンドラ越しに慧介さんに詰め寄った。
「あたし、朱虎を迎えに来たんですっ! そしたらレオが、慧介さんと一緒に捕まえた、みたいなこと言ってて」
慧介さんは眉をしかめて頷いた。
「ああ。朱虎君がそろそろ動くと教えてくれたんだが、そこに踏み込まれて……」
「待って、今のはどういう意味?」
サンドラが顔を上げた。
「アケトラが教えてくれたって、どういうこと? アケトラもレオの仲間だったってことなの?」
「そんなわけないでしょ!!」
「まさか!」
あたしと慧介さんの声が重なった。
「全然違う、逆だよ。朱虎君は……サンドラ、君のボディガードだ。君の傍にいて、何か起こった時には守ってくれるように僕が頼んだんだ」
「……慧介さんが頼んだ?」
慧介さんは少しためらってから顔を上げて、あたしをまっすぐに見た。
「そうだ、僕がこっそり朱虎君に頼んだんだ。命を助けた見返りとして、レオに狙われているサンドラのボディガードをやってほしいって」
「――いいから全部起爆させろっ!! 沈む速度なんか今更どうでもいい、片っ端から爆破しちまえ! クソ生意気なサンドラもジャップの女も、まとめて沈めてやる!! 急げ!!」
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