ヤクザのせいで結婚できない! ep.56
「うううう~、世界がガタンガタンなってる、世界がああ……!」
「しっかりしろって、もう着いたから! ん? なんか車止まってる」
倉庫の前に停まっていた車を見て、バイク酔いは吹っ飛んだ。パステルピンクのミニクーパー。
間違いない、朱虎だ。
「ありがと、ミカ。ここまででいいよ。あとはあたし一人で行くから」
「行くって、何なんだよ。オレついてくぜ、中に誰かいんのか?」
「朱虎がいるはずなの」
ミカがぎょっとした顔になった。
「げ、あのターミネーターみてーな人? お、オレ、外で待ってる」
「うん、じゃあ……」
その時、倉庫のなかからタンッ、と乾いた音が小さく聞こえた。
全身がざわっ、と震える。
「ん? なんか中で音したな。何の音だ、今の」
「ミカ、絶対ここで待ってて。中に入ってこないでね」
「お、おう? 分かった」
呑気な顔をしていたミカは、あたしの顔を見て慌てて頷いた。
あたしは倉庫のドアを掴むと、そっと開いた。意外にも音もなくドアが開く。
中には大きなコンテナがいくつか置かれていた。どうやら手前側に荷物が集められていて、奥が開けているらしい。
中に滑り込みながら、心臓がバクバク鳴るのが分かった。
何度か聞いたことがある、乾いた音。
あれは拳銃の発砲音だ。
本当は怒鳴りながら飛び込むつもりだった。それなのに、ついこそこそと滑り込んでしまったのは、中の様子に思わず最悪の想像をしてしまったからだ。
まさか、朱虎、蓮司さんを――
「……の前で発砲とは、度胸がありますね」
奥から小さく声が聞こえた。蓮司さんのものだ。
良かった、どうやら無事らしい。思わずほーっ、と息が漏れる。
「別に、しょっぴきたいならそうしたらいい」
「今はそういった余裕がありませんので」
朱虎の声もする。二人とも、けっこう落ち着いているようだ。
あたしはこそこそとコンテナの影に隠れて移動すると、そーっと様子を窺った。
奥はちょっとした集会所みたいになっていた。大きなソファがいくつか置かれ、低いテーブルもある。ミカの言った通り、たまり場だったんだろう。
その手前で、朱虎と蓮司さんが向かい合って立っていた。朱虎がまっすぐに腕を伸ばして銃を構えている。
「こんなことをされたって何の意味もないですよ」
「分かんねえ奴だな、あんたも」
朱虎が苛立った声を上げた。ビリビリとした空気が張り詰めているのが分かる。
「お嬢はアンタと結婚しねえと言ってます。どっちにしろ、ヤクザの家の娘がポリ公と結婚なんざ正気の沙汰じゃねえですよ。あんたはとっとと自分の巣に帰んな」
拳銃の先を軽く揺らしながら、朱虎は鋭い視線を蓮司さんに突き刺した。
「ホントなら俺らにとっちゃ、あんたみてェなネズミは見つけ次第ブチ殺してェんですよ。東雲会は気に食わねえが、そいつらを騙してカタにハメた野郎はもっと気に入らねえ」
「どこからその情報を得たのか、今は聞かないでおきますよ。僕も緩んでいたことは事実だ」
朱虎の殺気を一身に浴びているにもかかわらず、蓮司さんは落ち着いていた。
「一つ確認させてください。この件は雲竜組長のご指示ですか? 組長も僕のバックボーンについて、既にご存知なのでしょうか」
「オヤジは何も知らねえ。組で知ってるのは俺だけですよ」
朱虎は銃先を軽く揺らした。
「オヤジに余計な心配はさせたくねえ。今、あんたが大人しく消えるなら、何もかもに目ェつぶって俺の腹ン中に収めます。……あんたにも損のねえ話だろうが、とっとと飲め」
「……そうですか、つまりここでこうしているのは不破さんご自身の独断ということですね」
蓮司さんは小さく頷いた。顔をあげて朱虎を見つめる。
その視線は朱虎のものに負けず劣らず鋭かった。
「あいにくですが、それならばご提案に従うことは出来かねます」
「……てめえ、ふざけるのもいい加減にしろよ。俺がマジで撃たねェとでも思ってんのか」
「いえ、あなたは撃つでしょうね。それは分かります。でも、こちらもそれだけ覚悟を決めてきているんですよ」
物理的な重さすら感じる威圧感をまともに浴びているはずなのに、蓮司さんは全く動じる気配もなく朱虎を睨み返している。
「僕は、志麻さんご自身の口から返事を聞かなければ引き下がりません」
全然朱虎に負けてない。さすがエリート刑事さん……っていうか、さすが環のお兄さんだ。
思わず見入ってしまったあたしはハッと我に返った。
「いけない、早く止めなきゃ……!」
「それとも、あなたは志麻さんと付き合っているんですか?」
飛び出そうとした瞬間に聞こえてきた蓮司さんの言葉に、あたしは思わず固まった。
「……何だと?」
「あなたは志麻さんが幼い頃から専属で世話をされていたそうですね。兄代わりだそうですが……本当にそれだけですか」
朱虎の目が更に剣呑さを増した。
「どういう意味だ、下衆野郎」
「下衆な好奇心などではありません、真剣に聞いているんです。もし、志麻さんにどなたか決まった方がいて、それがあなただというなら僕は引き下がります。でもそうでないなら、僕と志麻さんの間の話にあなたが首を突っ込むのはやめていただきたい」
朱虎がわずかに眼を見開いた。
「……ふざけるなよ。何がお嬢とお前の問題だ、ポリ公だろうがてめェ」
「僕が警察であることを彼女は知っている。その上で僕は彼女にプロポーズしました。ですから――僕が警察のスパイであることと、彼女との結婚話とは無関係です。話を混ぜないでください」
銃口を見据えたまま、蓮司さんは冷静に、だけど力強くきっぱりと言った。
「僕は彼女が受け入れてくれるなら、雲竜組長の前で何もかもお話するつもりです。その上で組長が僕に対してどうしても気に食わない、ケジメをとれというならいくらでもとる。それは雲竜組長が志麻さんの保護者であり、肉親だからです。けれど、あなたは違う」
朱虎が何か言おうとして口を開いたけれど、声は出なかった。
蓮司さんは叩きつけるような口調で続けた。
「あなたには口をはさむ権利なんてない。志麻さんの家族でも恋人でもないんですから」
ざわっ、と空気が一気に変わった。
見た目は何も変わらない。銃口もぶれてない。
だけどあたしには分かった。
朱虎が怒ってる。ものすごく。
「やっぱりてめぇは気に食わねえ」
紺色の瞳の奥が冷たく燃えながら沈んでいく。
深いところまで落ちて、ふっと感情が消え失せた。
「覚悟は決まってんだよな。――じゃ、消えろ」
銃を見たことはある。
朱虎はいつも懐に銃を持っているし、すぐに取り出せるように、どんなに寒くても上着の前はあけたままだ。
だけど、撃つところを見たことはほとんどない。ましてや、目の前で知り合いを撃つところなんて。
カチリ、と銃が鳴った。蓮司さんの顔がぎゅっと引き締まる。
血を噴き出して倒れる蓮司さんが頭をよぎって、全身からざっと血の気が引いた。
「だ……ダメ、朱虎ぁっ!!」
あたしは思わず飛び出した。
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