ヤクザのせいで結婚できない! ep.44

 駅前まで戻ると、見慣れた車がロータリーに停まっているのがすぐに分かった。

「お待たせ!」

 助手席に乗り込むと、窓の外を眺めていた朱虎がちらりとこちらを見る。
 紺色の瞳が、一瞬だけ鋭くあたしを射抜いた。どきりとした瞬間、朱虎はふいと目をそらした。

「シートベルトしてください。もう遅いですから少し飛ばしますよ」
「えっ、うん……」

 車が動き出す。あたしは落ち着かない気分で朱虎をそろりと見た。
 さっきの朱虎の目、今まで見たことがない。怒ってるのとも、呆れてるのとも違う。
 なんだか、知らない男の人の隣に座ってるみたいで落ち着かない。

「どうかしましたか」
「えっ」

 前を見据えていた朱虎が、不意に口を開いた。

「ずっとこちらを見てますが、自分の顔に何かついてますか」
「ううん。えっと……、待っててくれて、あ、ありがとう?」

 ぎこちなく言うと、朱虎は軽く噴き出した。

「何で疑問形なんですか。お気遣いなく、自分が勝手に待っていただけです」
「でも、迎えに来てくれたでしょ」
「それが仕事ですから。……それにしても、お嬢から礼を言うなんてどうしました。何か悪いものでも食べましたか」
「食べてないよ! だって朱虎がこの前……あたしがちゃんとお礼言ったことないって」
「ああ。一応気にしてたんですね」
「当たり前じゃん!」

 言い返した時、ふと何かが引っかかった。
 あれ? 何だろ。今の会話、なんか……。
 よく考えようとした時、朱虎が茶化すような口調で言った。

「記念すべき一回目か。記念に何か欲しいものでもありますか」
「ないよそんなの! あ、でも宿題は手伝って」
「仕方ないですね。今日はどのくらい出てるんです」
「えっと、今日は数学と英語と……」

 指を折りながら、あたしは朱虎がまるっきりいつも通りなことにほっとしていた。
 さっき目つきが違って見えたのは気のせいだったんだろう。

「朱虎、帰り着くまであとどのくらいかかる?」
「そうですね、もうすぐですけど……眠ってても良いですよ」
「別に、眠くないし」

 と言いつつ、そう言われると何となく頭がとろんとしてきた。
 暗い窓の外を光が流れていくのを見ていると、だんだん眠気が強くなっていく。

「――そう言えば、獅子神さんはどうされました」

 規則的な振動に揺られながらとろとろと浅い眠りの中にいると、朱虎の声がした。

「んん? ……蓮司さんは、もう少し話があるって環が……」
「……環?」

 意識が一瞬で覚醒した。
 しまった! 環と会ったことは内緒だったんだった!

「何故、部長さんの名前が出るんですか」
「あ、それは、あの」

 半分寝かけてたところからのパニックで全然頭が働かない。
 何も言い訳が思いつかない。

「お嬢?」
「え……っと……」

 駄目だ。あたしは腹をくくった。

「……実は、環にも会ったの、ぐ、偶然」
「部長さんにまで?」
「そう、あの駅、環の地元だって。それで……ええと、蓮司さんに環が興味持っちゃって、ぜひお話したいって言うから、あの……一緒にお茶したの」

 しどろもどろになりながら、なんとか繋げる。
 ヘタに嘘で取り繕おうとしたら確実にぼろが出る。朱虎なら、あたしの嘘なんか余裕で見破ってくる。
 だから、いっそどうしても言っちゃ駄目なところ以外は正直に言った方が良い。
 絶対に言っちゃ駄目なのは蓮司さんの正体と、環との本当の関係だ。

「ホラ、環ってフツーの子でしょ? だから、蓮司さんと関わらせちゃったって……バレたら、朱虎に怒られるかなって、お、思って」
「……確かに、よろしくはありませんね。まあ、でも獅子神さんはわきまえてる方だから」

 朱虎は少し考えてから頷いた。

「それでずいぶん遅くなったんですね。それにしても、お嬢は先に抜けてきたんですか? 部長さんと二人きりにしたのはいかがなものかと」
「だ、大丈夫! えっと……もうお店は出てたし、環の……お兄さんが迎えに来てたから」
「……そうですか、お兄さんがね」

 あたしは息をつめたまま、うんうんと頷いた。
 朱虎はしばらく黙ったままハンドルを握っていた。

「分かりました。……眠っていたところ起こしてすみませんね、お嬢」
「えっ、ううん、別に……」

 思わず目をそらすと、窓の外に見覚えのある門が見えてきた。
 車が滑らかに門をくぐる。

「帰り着きましたよ。お疲れ様でした」

 何とか乗り切った……。
 全身の力が抜けて、どっと安心感が押し寄せてくる。
 ほっとすると、お腹が空いていることに気が付いた。
 そういえば昼から何も食べてない。非常食だったカロリーバーはあの変態医者に投げつけて来たし。

「お腹空いた~。今日のご飯何……」

 シートベルトを外そうと伸ばした手が不意に掴まれた。

「お嬢」

 朱虎が運転席からこちらに身を傾けて、あたしをじっと見ている。

「朱虎?」
「自分に何か隠していることはないですか」

 心臓が止まるかと思った。むしろちょっと止まった。
 一拍置いて動き出した心臓は止まった分を取り返す勢いでバクバク言って、ついでに頭の中もぐるぐる回転して、破裂しそうだ。
 どうしよう。黙ってたら不自然すぎる! けど、どうやってごまかしたら……もう全く言い訳が思いつかない。
 固まったあたしの手を、朱虎の大きな手が包み込んだ。ぎゅっと握られる。
 温かで力強い感触にぐらりと心が揺れた。
 いっそ、何もかも正直に言ってしまおうか。
 おじいちゃんならスパイとか警察とかの単語に反応して激怒するだろうけど、朱虎なら「そうだったんですか」で済ませてしまいそうな気もする。
 蓮司さんの事情を全部話して、その上で「黙っててほしい」ってお願いしたら……。

「雲竜銀蔵氏や不破さんにも黙っていて欲しい」

 蓮司さんの必死な顔がよぎり、あたしはハッとした。
 駄目だ。
 あたしは蓮司さんに、おじいちゃんや朱虎にも言わないって約束したんだ。
 朱虎はきっと、あたしが黙っていて欲しいと頼んだらその通りにしてくれるだろう。
 でもそれは、約束を守ったことにはならない。

「……お嬢?」
「何でもない。……病院でヘンなお医者さんに会ってさ」

 声は思ったより自然な感じで出てきた。

「いきなりナンパしてきて、あたしの身体が好みとかどうとか……それをちょっと思い出してただけ」 

 朱虎の目つきが険しくなった。

「何ですかその野郎は。名前は分かりますか」
「さあ? 聞かなかった。その代わり、ビンタしてやった」

 あたしは朱虎の手の中から自分の手を引き抜いた。

「昨日あったことはそれだけ。何にも隠してないよ」

 朱虎はしばらくあたしを見つめていたけど、やがて手を引っ込めてふっと息を吐いた。

「――お嬢らしいですね」
「え? ビンタが?」
「いえ……いや、はい。そうです」

 朱虎が少し笑った。紺色の瞳が何故かすごく寂しそうに瞬いた。

「朱虎?」
「行きましょうか、すぐに夕飯の用意をします。――ああ、そうだ」

 朱虎の指が持ち上がり、胸元を示して見せる。

「どうしました? つけていませんね」
「え? ……ああ、ここに入れてる」

 あたしは持っていた鞄のサイドポケットに手を突っ込んだ。

「先生に見つかっちゃったんだ。外して鞄に入れっぱなしだったの、忘れてた」
「ああ……なら、胸ポケットにでも入れておいてください。いざという時、手元にないと」
「そうだね、明日からそうする」

 サイドポケットから引っ張り出して目の前にかざすと、シャラリと鎖の先で黄色い花が華やかに揺れた。

「踏まれたときは壊れちゃったと思ったけど、直ってよかった! なんだかんだですごく気に入ってるんだよね、このペンダント」

 揺れるペンダントの向こう側で、朱虎が笑った。

「それは何よりです。鞄の中でも問題はないんですが……必ず、身に着けておいてください」

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