【番外:前】ヤクザのせいで結婚できない!
いつも「ヤクザのせいで結婚できない!」を読んでいただき、ありがとうございます!
これは大体本編27~35話くらいまでの朱虎視点での番外編になります。
時機を逸した感ハンパないのですが、せっかく書いたので夏休み特別編とでも思ってください。変なところで挟んでしまってすみません。
番外編なので、もちろん読まなくても本編にまったく支障はありません。
また、朱虎に対するイメージが激変する可能性があります。すみません。
ちなみに今回も前後編に分かれてます(長すぎた)!
病院の玄関へ車を回しながら、俺は妙にざわつく気持ちを持て余していた。
お嬢は朝から妙にそわそわしていた。ふと顔を赤らめたかと思えば慌てて首を振ったり、いつもは俺に手伝わせる身支度を自分でやると言い張ったり。
よっぽど獅子神蓮司とのデートが楽しみだったようだ。昨日は遅くまで文芸部の二人とあれこれ盛り上がっていたらしく、寝不足の目をこすりながら家を出ていった。
あれほど被って行けと言った帽子を忘れていったので、病院から電話がかかってきた時にはまさか倒れたのかとヒヤリとした。
結局、お嬢に妙なガキの身元引受人に指定されていただけだったが。
「つうか、早瀬巳影って確かお嬢をさらったガキの一人じゃなかったか……?」
反省していたし、お嬢を助けようとしたと聞いて見逃してやった奴だ。何で今頃お嬢の傍をうろついてやがったのか、後できっちり問いただす必要がありそうだ。
コンコン、と窓を叩かれて俺はハッとした。女みたいに整った顔の男が覗き込んでいる。
俺は舌打ちしかけるのをギリでこらえて窓を開けた。
「志麻さんは今、トイレに行ってますよ。待ってて、とのことです」
「そうですか。わざわざありがとうございます」
つい、「わざわざ」のあたりに力が入ってしまう。獅子神蓮司は閃くように小さく笑むと、軽く会釈した。
「申し訳ありませんが、私は少々急ぎの用がありますのでここで失礼いたします。志麻さんによろしくお伝えください」
「どこかお急ぎでしたら送りましょうか。さっきから雨が強くなってきていますし」
完全な社交辞令で言った俺の雰囲気が伝わったのか、獅子神蓮司は首を振った。
「いえ、結構です。それより、志麻さんを早く連れて帰って休ませて差し上げてください。昼間、軽い熱中症で倒れかけましたので」
やっぱりだ、畜生。だから帽子被れって言ったのに。
「それはご迷惑をおかけいたしました」
「いえ――今日はこんなことになりましたが、また改めてご連絡いたしますね」
獅子神蓮司は完璧な礼をして見せると、すいと滑るように離れていった。
いけ好かねえ野郎だ。何がどう気に入らないのか自分でもはっきりと分からないが、ちょっとした仕草や雰囲気がどうも鼻につく。
あの男が所属する東雲会はオヤジと折り合いが悪い。頭の東雲錦は強引でのし上がるためには手段を選ばない、「今どきのヤクザ」だ。昔ながらの仁義を大事にするオヤジとぶつかるのは当たり前で、向こうからしても雲竜組は煙たくてたまらない存在らしい。
今回の見合い話で異常なまでに獅子神蓮司がお嬢の振舞いを許すのも、東雲会が懐柔策に出たんじゃないかとすら思う。
そう考えると、獅子神蓮司はどこからどう見ても胡散臭い男だった。お嬢はかなり気に入っているようだが、正直なところ、俺は反対だ。だから――
「……俺がどうこう言えたことじゃねえか」
ついため息が漏れた。結局はお嬢自身が決めることだ。そしてお嬢が結婚したら、俺もとうとうお役御免になるだろう。
つまり、あの我がままお嬢の面倒を見るのはあと二ヶ月ちょっとというわけだ。
「お待たせ!」
唐突にドアが開いて、俺は考えるのをやめた。雨のしぶきと共にお嬢が助手席に滑り込んでくる。
「もー、何で今頃雨? 涼しいのは良いけど……」
「……出しますよ、シートベルトしてください」
自分の声が妙にぶっきらぼうに響いたが、俺は構わず車を発進させた。
「病院から電話が来ましてね。早瀬巳影とかいうガキの身元引受人ですね、と言われまして」
ちらりとミラー越しに見ると、お嬢はうつむいて膝のぬいぐるみをいじっている。
いつもと違って、話しかけて欲しいというよりは何だか気まずそうだった。
「……邪魔してすみませんでしたね」
「別に……邪魔なんて」
手の動きが早くなった。獅子神蓮司のことを思い出しているのだろうか。
胸の中に黒い靄が広がるのが分かった。
「良い雰囲気でしたよ」
「そ、そんなんじゃないってば」
照れくさそうな響きは、決して嫌がっている雰囲気はない。むしろ、逆だ。
「うまくいきそうじゃないですか。見合いってな、三度会ったら答えを出すのがセオリーらしいですよ」
「答え……」
お嬢はどこかぼんやりしたように呟いた。頬が赤い。
そうか。そういうことか。
苦い味が口の中に広がった。
「良かったですね。あんな男前が旦那になるんですよ」
「……うるさい」
ぬいぐるみを抱きしめる腕に力がこもった。声が尖っている。
煽りすぎただろうか。分かっているのに口が止まらない。
「また拗ねてる。今度は何ですか」
「……拗ねてないもん」
ああ、やっぱり言い過ぎた。
こうなるのが分かっていたのに、今日の俺はどうかしている。
雨がひときわ激しくなってきて、俺は運転に集中することにした。
散々な一日は夜からが本番だった。風間を家まで送り届けて帰る途中に斯波のアニキから事務所に看板が突っ込んでガラスが大破した、と連絡が入った。
「分かりました、すぐに行きます」
「いや、部屋住みの若い子たちを全員呼んだから大丈夫。けど、皆来ちゃったから、今、志麻ちゃんが一人なんだ」
まずいよね、というアニキの声の後ろで雷鳴が鳴り響く。
「ホラ、すごい音だ。だから朱虎はなるべく早めに帰ってあげて」
「……分かりました」
お嬢は昔から、筋金入りの雷嫌いだ。いっそ恐怖症と言ってもいい。ゴロゴロと音がするだけで青ざめ、空が光ると悲鳴を上げ、雷鳴が鳴り響くと我を忘れて逃げ出してしまう。
いっそ、獅子神蓮司でも呼び出して家に送り込んでやろうか。
「……クソッ」
俺は馬鹿な考えをひねり出した自分に舌打ちしてハンドルを切った。
帰りつく前に、家が停電になっているのは分かっていた。近所一帯が暗く沈んでいたからだ。街灯まで真っ暗で、雨の音が余計に響いている。
おそらく自室のベッドで震えているだろうと思ったが、お嬢はいなかった。リビング、風呂、オヤジの部屋、トイレまで探したが見つからない。もしかして外に走り出てしまったのかと思って近所をうろつくうちに、すっかりずぶぬれになってしまった。
一度着替えようと戻って、自分の部屋のベッドの上でお嬢を発見した時は脱力した。散々探しまわったこっちの気も知らず、お嬢は枕を抱きしめるようにしてすっかり眠りこけてている。いい気なものだ。
「……酒でも飲むか」
誰のものか知らないがそこそこ良いウイスキーがリビングにあったので、頂くことにした。すっかり空けてもまだ足りなかったので、ビールを買ってきて、また濡れた。
シャワーは途中から湯が出なくなったが、構わずに冷水をたっぷり浴びて自分の部屋に戻る。ベッドに背を預けてひたすらビールをあおっていると、背後で身じろぐ音がした。
「ん~……あれ?」
平和な寝ぼけ声を聞きながら、俺は煙草に火をつけた。一瞬だけ周囲が明るくなり、ビックリした顔のお嬢が見える。
「えっ!? 何で朱虎がいるの!?」
「それは自分の台詞ですが……ここは自分の部屋です」
目が覚めたなら自分の部屋に戻れ、とオブラートに包んで言ったのだが、狙いすましたようにまた雷が鳴り始めた。
「だ、ダメッ! 雷おさまるまでここにいる―っ!」
布団にもぐりこんで叫ぶお嬢に、妙にイラっとする。
他の男のベッドにもぐりこんでるなんて、獅子神蓮司にバレても知らねえぞ。
俺はイライラしながら新たなビールを開けた。
どうしちまったってんだ、俺は。
そんな俺の心境なんざまるっきり気が付かず、お嬢は酒を飲んでるのか、だの、俺の部屋に入るのも久しぶり、だの、好き勝手喋った後でおずおずと囁いて来た。
「……朱虎、ありがとうね」
思わずビールを噴いた。
何だ今のは。まさかお嬢が感謝の言葉を口にするなんて……と思ったら、あのチャラ男からの伝言だった。
まあ、そうだよな。お嬢が俺に礼なんざ言うわけがない。
「あたしだってたまには朱虎にお礼とか……あれ? え、えーと」
真剣に考え込んでいるお嬢を見ていると、何だか笑いがこみ上げてきた。
「まあ、今さらお嬢に改まって礼なんて言われても気持ち悪いですけど」
「気持ち悪いは言い過ぎじゃない!?」
ふくれっ面が見えるようだ。俺は深く煙を吸い込んで、吐いた。
そうだ、何をイラついてるんだ俺は。いいじゃないか、この子が幸せになれるなら。
それで俺の償いは終わるんだから。
不意に、くい、と肩にかけていたタオルが引っ張られた。
「髪、ちゃんと乾かさないと。あたしが拭いてあげる」
「いいですよ」
手を払うと、お嬢が驚いたようにぱっと手を引っ込めた。
「冷たい! やだ、ホントに風邪ひいちゃう」
「平気ですよこのくらい」
「こっちおいでよ」
「は?」
呆れて振り向くと、暗闇の中でお嬢のシルエットが布団を持ち上げているのが分かった。
「あたしがあっためてあげるから」
こいつ、自分が何言ってるのかホントに分かってないのか?
「……誰かに聞かれたら深刻な誤解を生みますよ、それ」
「え? 今、家に誰もいないじゃん」
追い打ちかけてくるし。
ここまで危機感がないってのは、少し問題があるんじゃないのか?
……いや、俺だから、か。
ズキッと胸が痛んで、俺は顔をしかめた。
何だ、今の。
「気軽に男をベッドに誘わないでくださいよ」
「べっ、別にそんな意味じゃないから!」
「分かってますよ、そんなこと」
俺はたった今感じた違和感を打ち消すように新しいビールを手に取った。
雨のせいだ。そのせいで妙に感傷的になっちまっている。ただそれだけだ。
「年相応の危機感を持ってくれってんですよ。……ったく、いつまで経ってもお子様なんですから」
この子は小さな子供だ。俺が守らなきゃならない子供なんだ。
「誰がお子様だって? 朱虎こそ、自意識過剰なんじゃないの!」
思った通り、お嬢はむきになって言い返してくる。そういうところが子供だってことに気付いていない。
「朱虎なんて男としてノーカウントなだけですし!」
じゃあ誰ならカウントするんだ?
女みたいに綺麗な顔がよぎった。
「ノーカウント、ね」
ベキッ、と手の中でビール缶がひしゃげる。
ああ、やっぱり今夜の俺はどこかがおかしい。
嵐のせいだろうか。
「そこまで言うならあっためてもらいますよ」
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