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「米」を見ると。

あまりにも奥歯が痛むので、10年来通っている歯医者に予約を入れたのは月曜日のこと。

3回引っ越しをしているので、そこの歯医者に行くのは徐々にハードルが高くなりました。はい。治療終了、次は、クリーニング、メンテナンスね、って言われると、安心してと、まあ、コロナ禍だからね。なんてこんな時こそのコロナでの言い訳ができるこのご時世、ほったらかしにしていたツケがやってまいりました。あれ?痛い。

ジクジク、噛むと飛び上がるほど痛む。歯間ブラシで痛むところを突いていたら、手でわかるくらいに片顎が腫れている。ああ。痛い。まだ、痛い。

そんなわけで昨日、ちょっと遠くなった浮気をしていない歯医者に「来れなくてごめんなさい」と、もうこれも10回くらい言ったであろう言葉を下を向きながら扉を開けると、ホッとするいつもの歯医者。私、ここに10年以上通っていて、この女性の名前も知らない先生にお世話になっているんだなあ。と、毎回しみじみします。

そのしみじみの時間は、ほんの僅かで、すぐに治療の椅子に案内され、奥歯なので、入念にレントゲンを撮り直し、3年前の私の歯のデーターと比べ、「うーん」と先生は、唸りました。そして、「疲れていませんか?」と。私泣きそうになりました。

「とりあえず腫れが治ってから、抜くか、神経をどうにかするか考えましょう」と、被せていた金属を剥がされた状態で痛み止めや腫れどめの注射を打ってもらい、ああ、またこれからこの距離を通わなければならないと、少し絶望しながら、それでも、滅多におなじ市内なのに行かない場所なので、次はあのお店に行ってみようとか、という付属(おまけ)を考え、帰路に着くまでに歯医者の近くのスーパーに入りました。

2階は婦人服、セリア、などがあって、暫くぶりにいくとレイアウトが変わっていました。半額になっているであろう夏服を物色するも、いいな。と思ったものが見つからず、そうだ、本屋もあったんだと、本屋に向かいました。

その本屋の横は、もはや珍しくなったCDが売られていました。良かった。ここは変わっていない。買うことは滅多にないけれど、安心しました。
その前を通ると大きく「米津玄師」の文字が飛び込んできました。

私の中で正確にいうと、「米津玄師」の「米」だけが、目に入り、その後に、
「ああ、米津玄師ね。」といった流れになります。

「1997年のラストライブが、今見るとやっぱり最高で。」

というアメリカに住む友と電話で話したのは先週のこと。
歯医者に入る前に、ちょっとキーボードなんて広げてフードコートでメールを返信しようと思っていたけれど、喉も乾くし、心が落ち着かない。書く気になれない。
ああ、どうしよう。と、思った時の「米」です。

私からしたら、「米」という文字には、とても敏感に反応するのです。
私のティーンエイジャーの時の色濃く残っている思い出、
「米米CLUB」が、大事な要素の一つになっているからです。

私より彼女の方が、「米米CLUB」に関しては、かなり勉強されました。
「浪漫飛行」「君がいるだけで」で、一躍メジャーになった彼らのその前も後も、夢中で追っていましたし、復活ライブも行きましたが、10代の時の熱いものとは、
確実に違和感がありました。いい歳した私と同年代であろう女の人が、まるで学園祭のようにコスプレをし、踊っている姿を見かけて残念に思っていました。
まあ、そういう、そうしたい気持ちもよくわかる。でも、私にはできない。

ずっと頭に彼女の「1997年のラストライブは最高!」が、残っていたので、
もう見てもいい時期に来たんだと思い、ヤフオクでDVDとCDを買いました。

流石にCDまで買うのは、、、と躊躇っていて、ワンチャン、スポティファイで検索したら出てきました。「ラストライブ シンポジウム」って英語で書かれた文字にうわっとなってそのまま帰り道聞いていました。帰り道がライブになりました。

家に帰っても終わらないライブ、一気にあの頃に戻れる感覚を、この年代の誰しも持っているのでしょう。しかしながら、息子はまだライブ童貞。この先もそんなに行きたいとは思わないのかと思うと、寂しくなりましたが、それは、息子の人生であって私の人生とはなんの関係もありませんから、私は私で楽しむことに徹しました。
夕飯を作りながらライブ、お風呂に入りながらライブ、
ライブ!ライブ!ライブ!

石井竜也ことてっぺいちゃんは、もう還暦を過ぎた。先日「モニタリング」でおじいちゃんの仮装をしてサプライズ出演されていた時には、息子の手前、泣けませんでしたが、心の中で大号泣でした。息子がいない間に、こっそりちょくちょくと昔の映像をYouTubeで見ていました。

もう息子は覚えていないのだろうか。赤ちゃんだったからなあ。

私はおんぶして米米CLUBの復活ライブに行きました。もちろん彼女と。
ちなみにですが、嘉門達夫のライブにも息子を連れて行きました。笑

息子16歳。私が米米CLUBに出会った年齢です。

今ではTikTokにすっかりハマって、私にドヤ顔して流行りの歌を「知らんやろ」とマウントしてくる息子。く、くやしい。と思いながら、
「米」と書かれたケースから米を取り出し米米CLUBのライブを聴きながら米を研いでいました。もちろん夕飯で米を食べ、息子はお茶漬けにしていました。

息子と共感する時期は、もう永遠に来ないのかもしれません。
いや、そのうちわかるさ。
私が父や母の好きな歌を知りたかったと想うように。

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