読書日記 想田和弘『精神病とモザイク』

映画監督・想田和弘氏が、自身の作品である映画『精神』を制作するに至った経緯、制作に際して起こったこと、映画への反響を受けての考えや、映画の舞台になった診療所の院長との対話などをまとめた本である。

映画『精神』は、岡山県にある精神科診療所を舞台にしたドキュメンタリーである。撮影前の予備的調査はほぼなし、ナレーション・音楽なしという、著者が「観察映画」と名付けた手法で制作されている。 

この著作は具体的な映画にまつわる事柄を題材にしてはいるが、この本には、著者の人生観、映画制作に対する姿勢、社会について考えていることなどがつまびらかにされている。 

この本の中ではっとさせられた箇所は、本題にはあまり関係がない部分だが、生い立ちから著者が映画監督になるまでの成り行きを記述している序盤の章に出てきた「手作りの生き方」というフレーズである。著者は栃木県で生まれ育ち、「優等生」として東京大学に進学、一旦は就職活動を試みるも、卒業後にはいわゆるエリートコースからは方向転換してニューヨークで映画の勉強を始める。その、方向転換の場面で出てくる言葉だ。「既製品でない、自分なりの手作りの生き方が、問われていた。」 

人間だれしも、毎日の様々な場面で、選択や決断を迫られる。それには「目的地までどのルートで行くか」とか「友人宅を訪問するときの手土産は何にするか」とかいう日常的な些末なことから、人生の大きな方向性に関わるようなことまで、いろいろなレベルでの選択・決断が含まれる。それらを自分自身の意思で決定しているかのように思えて、よく考えると、自分が多くのことを世の中の一般的な価値観に従って決めているのではないかと思うことがある。例えば自分は、目的地までのルートを選ぶときに、「なるべく速く、時間のロスがないようにする」ことを当たり前のように基準としているが、これは「時間をロスしないこと」を最良とする価値観に縛られているのだ、というように。

「手作りの生き方」というフレーズには、そういった、既存の価値観にとらわれて様々な事柄を決定することへの否定が含まれているように感じる。決して厳しい語感の言葉ではないが、どんな状況でもまっさらな自分自身に問いかけて答えを出していかなければ、「手作り」であるとは言えない、そういった覚悟のようなものが必要とされる言葉である気がする。 

本のタイトルにある「モザイク」というのは、テレビ番組などで、映っている人の「プライバシーに配慮して」顔のあたりにかけられるアレである。映画『精神』では、モザイク処理はいっさい用いられていない。主な被写体が精神科に通院する患者たちであることを考えると、これはとても風変わりなことであろう。 
著者は、「モザイクを使わない」ことを、大変な決意をもって貫いたようである。 

本著作の中で、モザイクは「対象に対する偏見や恐怖、タブー感をかえって助長」し、これを使うことで「被写体に対しても、観客に対しても、責任を取る必要がなくな」り、それによって表現に対する緊張感が消え、堕落がはじまるのではないか、と述べられている。私はドキュメンタリー作品のつくり方に詳しいわけではないので実感としてはわからないが、この本を読んで想像するに、モザイクを使うか使わないかということは、できあがる映像の主題を左右しかねない、重大な問題であるようである。 

慣行に従えば、映画『精神』のような題材を扱うドキュメンタリーの映像作品では、当然のようにモザイクを用いるのであろう。著者は、モザイク以外にも、上記の通りナレーション・音楽を使わないことをはじめとして、慣行に沿わない制作手段を種々取り入れているようである。そして、そのような映画制作にまつわるあらゆることについて、まっさらな自分自身に問いかけて、決断しているように見える。普通はそうするからとか、その方が効率がいいからとか、そういう基準を用いずに、あらゆることを自分自身の価値観に照らし合わせて決断する労力と精神的負担は相当なものであろう。 

しかし、そのような厳しい生き方こそが、「手作りの生き方」という言葉が表すものであろうと思う。自分の価値観で選択し、決断し、責任を取り、批判され、評価を受け、同じ思いを共有できる人々と出会い、また離れ、自分自身で道をつくり出していく。その苦労と喜び、達成感も全部ひっくるめて、「手作り」という言葉に表されているように思う。

現代の日本では、「手作りの生き方」を貫くことはとても難しい。人間までもが、工業製品のように均一で、生産性第一であることが要求され、ミスもエラーも許されず、一定の基準において評価され得なければ生産ラインからはずされて当然、という価値観がまかり通っているせいかもしれない。こんな世の中では、世間一般の評価基準を受け入れて深く考えずに生きていく方が楽なのかもしれない。でもそこには、「手作りの生き方」から得られるような喜びや達成感はないだろう。 

本題にはあまり関係がない、と書いたが、「手作りの生き方」ができる社会かどうか、自分がそれを実現できているかということは、映画『精神』の主題に関わる、精神疾患とはなにか、なぜそれが生じるのか、という問題ともリンクしているかもしれない。  

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