読書日記 川上未映子『きみは赤ちゃん』

芥川賞作家の出産・育児エッセイである。前半(出産編)はウェブ連載されていたもの、後半(一歳までの育児編)は書きおろしであるらしい。 

芥川賞を受賞したときに随分話題になったように記憶しているので、もちろん名前は知っていたし、作品の一部をどこかで引用として読んだことはあったが、著者の作品を一冊まるまる読んだのは初めてであった。 

本作を読んで一番強く思ったことは、「プロだな・・・」ということである。
もちろん「文章のプロ」である。 

本作で描かれている出産・育児にまつわるエピソードと、それに付随する著者の考えや気持ちに対しては、話題が話題なので賛否あるであろう。情報としてそれらのことに感心するか、共感するかというのは、個々人の経験や主義にもよるだろうし、著者自身が強くなにかを主張している本でもないので、「へぇ~」と受け流すのが正しい態度かと思う。 

私が感心したのは、文体である。「瑞々しい文体」とはこういうものだと思う。読みやすいのは当然のこととして、文章としての、躍動感というか跳躍感というか、そういうものを読んでいる間中ずっと噛みしめられる。単純に読んでいて楽しい文章である。 

日々接するさまざまな文章のなかで、文章のプロでない人が書いたものも少なからず読んでいるせいか、「文章を読むのは何らかの情報を得るため」という態度が染みついてしまい、いつのまにか「文章を読むことそのものの楽しみ」みたいなものを忘れていた。というか、そのことにも気づいていなかった。著者の文章は、その、忘れていたプリミティブな楽しさを思い出させてくれた。

そして、さらっと読めてしまうし、日本語として非常に「正しい」というものではないクセのある文章であるが、この一見カジュアルな文体を確立するために費やされたであろう物量のすさまじさに、ただただ圧倒された。膨大な時間、気が狂うほどの試行錯誤、絞り出すように書きつけられた文字文字文字・・・そういうものなしには、この文章は書けないと思う。文章を書くことを生業にするとはこういうことか、と感服した。 

本作は、「作品」として成立している。「作品」の定義は、ここでは、「なんらかの仕方で他人を納得させられるもの」という程度のものとしよう。言い換えれば、断片を貼り合わせただけに見えないものである。完成されている(と感じれられる)と言ってもいい。 

出産や育児というのは、わりと多くの人に訪れるが、個人的な経験である。そういうものは他にもいろいろあるだろう。初恋とか、卒業とか、結婚とか、親との死別とかが、それにあたるかもしれない。そういった経験そのものを、その具体性を失わせずに、作品として形にできる。産み落とせる。文章を書く人というのは、それができる人なのだ。 

私は自分の経験をたくさんの人と共有したいとか後世に残したいとは別に思わないので、その点はどうでもいいのだが、個人的な経験さえも、他人を納得させられる程度のクオリティを有するパッケージに落とし込めるということは、とても貴重なことであるような気がする。 

その貴重なことができる人だけが、「文章のプロ」と認められるべきなのだな。当然と言えば当然のことを、著者の力量によって改めて確認させられた読書体験であった。  

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