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#宮崎鈴子と2018年3月11日

『宮崎鈴子と2018年3月11日』

この日は、7年前とまるっきり違って晴れていた☀
海散歩もしてきた🌊☀


…カラフルピン
…黄色アイシャドー
…緑ライナー
…コーラルピンクチーク



…黒ジャケット
…マルチボーダータートル
…ミッキーTシャツ
…黒ズボン
…黄緑靴
➡今月のテーマでもある黄緑をふんだんに古着とシンプルMix\(^_^)(^_^)/


2014年からと比べれば地味になったわたし😁笑😁



そして、今日で東北の地震&津波があって7年目。
”3.11”というほど衝撃だったあの日。 
誰もが想像しなかった忘れられない社会現象で自然災害とも言える。
縁起は良くないけれど…。
そうそう。
7年前の3.11…わたしは、福祉大学3年生で障害者施設の実習真っ只だったのよね。
未だに2018年の現在でさえも地震や津波の速報が続いているようだ。
とは言え、身を構えてばかりいてもキリが無いと思ふ。
こればかりは、残念だけれども前もって対策・準備をしたとしても…なってしまったものはなってしまったという現実を知らなければならない。
最初の衝撃だから急に知らなければならないというのが難しいのもわからないでもない。
しかし、なってしまったに変わりは無い。
それで予報してからすぐに対策だの準備だとあおるのもどうかと感じる。
わたしは、その時はその時という覚悟を持っている。
こればかりは受け入れざるを得ない現実ではないかな。
正直、自然現象からくるものはどう考えても我々人間でさえ勝てないのが現実。
戦争という闘いで武器や銃器などによる物を使うのとは全くもって別だろう。
自然現象からくる災害は残念ながら誰にも勝てないのが現実。
やはり自然vs生物だと…我々生物はどう考えたって負ける。
決してわたしが指してるのは、諦めで言っていない。
たとえ、自然現象から様々失ったとしてもゼロからどのように始めて生きていくか。
だからこそ、今日の写メ詩でも
「我々は2018311の今も活かされているということ 」と書いた。
※写メ詩:今の自撮りという瞬間=写メを詩にそえて記事にする。



「#身を構えてでも災害対策と準備をしても無意味」
「#準備や対策よりも起こってしまったという現実を知りその時の覚悟を持つ」
「#自然vs我我人間という生物」
「#人間という生物は自然現象には勝てない」
「#ゼロからの修復まで時間はかかるけれども時間をかけていく中で見える気付きが出てくる」と思うけどね。


※このようにわたしが意見を書いているなかで「地震の体感をしたこと無いくせに」と感じるだろうが…ある。
忘れも出来ない2005年の3月20日にあった福岡西方沖地震。わたしが高校入学をする前にね。
「#宮崎鈴子は2005年3月20日に福岡西方沖地震を体感している」

では長くなりすぎたけど😁笑😁
#我々は2018311の今も活かされているということ
➡2018.3.11 #宮崎鈴子の写メ詩

#宮崎鈴子と2018年3月11日
#東北大震災
#東北津波
#2018年3月11日
#宮崎鈴子を生きる
#天才宮崎鈴子

ついでに去年の写メ詩😁笑😁

#全てを失ったとしてもゼロから始める生かし方こそが我命にもかかっている
(2017.3.11)

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