見出し画像

#宮崎一家復活


#大晦日2016年の宮崎一家
#正月2017年の宮崎一家

→忘れも出来ない #2016年11月26日に母親との1年越しの再会
わたしはおととしの10月から一人暮らしを始め、両親と絶縁をしました。
その2か月前の8月に両親の修羅場で最悪な状況で一人暮らしを決意し、連絡も拒否しました。
当時のわたしも「あんな奴ら早よ死ね」という殺意と感情が湧かなかったのです。
様々な知人たちがこの地獄な状況で連絡入れてくれることだってしょっちゅうありました。
「中には愛されている」「親は心配している」「親の育ちで真面目なんだから」とか訳のわからないことを言ってくる連中も居て、非常にムカつきました。
「うるせえよてめえら」「関係ねえだろ」と。今でもそこの部分は嬉しくないし、リアルに嫌です。
去年の大晦日も正月も初めて1人で過ごしました。
後々、いとこには「会いたい、申し訳無いとばかり泣いて言い寄る」と話していたそうです。それでもわたしは嫌で無視していました。殺意しかなかったから。許せなかったからこそ、わたしはわたしが#許せないならば許さなくて良いとOKした とも言えます。
そうやって1年が少し経った2016年11月…。
今も使っているスマートフォンの調子がおかしくて携帯屋さんに利用することが多くなりました。
ある日、料金の関係による書類で「親の印鑑と保険証が無いと出来ない」と言われたことがありました。
内心「ちっ、なんだよめんどくせーなー。」「親の証人が無いとダメ?えー
マジかよ。」と悶々状態でした。
それでも「けど携帯使えんくなっても困るけんなー」と仕方なく連絡拒否を解除せざるをえなくなりました。
その再会となった11/26の昼。まだ内心は「あーめんどくせえなー。携帯使えんとも困るきなー。」という感じでした。
#母ちゃんと1年ぶりの再会 2016.11.26
https://note.mu/suzukomiyazaki/n/n3096d6c5a248

2016.12.1 #いったん実家に戻る
http://wear.jp/szkmiyazaki/article/88896202/

#母ちゃんと祖母と天神
2016.12.16
http://wear.jp/szkmiyazaki/article/88901831/
の日記をまとめました。
時に小銭しか無かったので、「母ちゃん、今さー小銭しか無いけん…お小遣いちょうだい」とごねると「じゃ、特別に商品券3000円やるけん…そのお釣りで頑張れ」にはふざけんなとムカつきましたが(笑)

そして…2016/12/31の夕方。
わたしは改めて実家に帰り泊まって過ごしました。久々に我が家の晩飯を食しました。(かになべ、ゆずつくねと野菜鍋、年越し鍋)
長崎で理学療法士をしている年女の妹も帰って1年ぶりの再会。
こうして宮崎一家は1年ぶりに揃いました。
もともと妹とは、仲も良くないし悪くもないのでどっちでも良いですけど(笑)
我が家の大晦日と正月は家族4人でまったり過ごすことが恒例となっています。
一時期、殺意を抱くほど憎んでいた両親。
それはわたしがわたしのあらいる感情を出してOKしたから。
「死ね、許さん、ぶっ殺す、うざい、憎い、消えろ」という感情も全部OKして出しました。
これで「素直になったからだよ。」という感想があるかもしれませんが、それは本気で不愉快なので辞めてください。素直と言われるのが大嫌いです。
多少、他人にどーでも良いという感情が多くなったのもあり…両親でさえもどーでも良い部分があります。
それが許すとか恨まないとかは、本当にどーでも良い。
「#今親に殺意を抱くほど憎いのならば憎いという感情を出すことにOKすればいい」
正月のファッションでバカボン一家の靴下を勢いで選んだのも家族が揃ったのだなと改めて実感しました。
という久々に平凡を我が家で過ごしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?