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#長与町と小学校6年間の宮崎鈴子

(長崎無職の旅*番外編①)
#長崎県西彼杵郡長与町
#ながよ
#小学校時代のいじめこそ宮崎鈴子が派手になる発端
➡わたしは、小学校1年生から小学校6年生の卒業まで長崎県西彼杵郡長与町に住んでいた。
通っていた小学校は、30~40分かけて行く遠い距離だった。
休み前になると重たい荷物を自力で持って帰らないといけなかったからめんどくさかった。
わたしが通っていた小学校は、生徒数が1000人ほどいくマンモス校でもあった。
あまりにも人が多すぎて、色々と出くわしたし出くわされたようなものだった。
地区が約8種類もあったり、隣町の学校とも会う機会も多く、勝負の世界も出くわされたとも言える。
見覚えや原因も無いのにいじめの対象とされる事や「顔がブスだからブス子・ドブス」と呼ばれたり、同級生内のトラブルもあり長与が大嫌いになってしまった。
案の定、小学校卒業とともに今の実家となる福岡へ戻ることとなった。
時々、父親の実家で長崎に行って長与にも行く時はカッターナイフを持ち歩いていたことだってあった。
それほど10代の頃は長与が憎かった。
12歳の中学生から今にかけて福岡の日常を過ごしているわたし。
今、27歳になったわたしはもう1度…15年ぶりに再会した知人の車で小学生時代に過ごしていた長与町に行ってみた。
中学生時代に行った以降だから、約12年振りだと思う。
久々に見渡すとあまり変わっていなかった。
よく遊んでいた長与川、通学路、長与駅…。
12年経った今。憎かった長与が懐かしいなと感じた。
22歳夏の介護時代に出会ったネットカウンセリングで憎いという感情を出して認めて許可したからとも言える。


#宮崎鈴子小学校時代の長与が大嫌いだった
#小学4年生から6年生までのいじめ
#中学時代に長与に行けばカッターナイフを持ち歩いていた
#カッターナイフを持ち歩くほど長与を憎んでいた10代
#人口が多すぎて嫌いだった長与
#ネットカウンセリングで許さなくていい許可を出し続けているから

#下高田
#東高田
#井手本
#サニータウン
#南陽台
#吉無田
#まなび野

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