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\#歌への夢を一歩つなげた崎山奨/


#SusumuSakiyama
#札幌愛の崎山奨
#寛容な崎山奨
#慎み深い崎山奨
#誠実な崎山奨
#男魂溢れる崎山奨
#崎山奨の親孝行ライブ

#挑戦をバネにして好き粘る崎山奨
#夢を叶える一歩への見守り

→皆さんは周りに夢を叶えた知人を目の前で見たことはありますか。
わたしは数少ない知人の好きなる夢を目の当たりにすることが少しずつ増えてきています。
今回、わたしの知人で同志でもある崎山奨くんの事を紹介します。
彼との繋がりが深い分…記事の内容も奥深く長いです。


\#崎山奨との出会いと印象/
始めに彼との出会いですが、あの忘れも出来ない2014年10月11日から10月13日にあった神奈川県大磯で開催されたパワーパーソンプログラム研修。
わたしも彼も参加者でした。
改めて面と向かって話したのは、11月頃のチャット・12月の東京でした。
お互い、福岡出身でプログラムトレーナーメンバーとして関わっていた同志の知人でもあります。
彼の初印象は、#かっこよく強い男として見られたいという雰囲気をかもしだしながら壁を作っていた と感じました。黒なロック魂を持ち、時にボクシングの練習でエアパンチを振り撒いていて目立っていました。
わたしの中でわ、「#崎山奨は魂のある黒」ととらえました。
観察していくうちに…彼なりの混乱なる葛藤もあったとも関わってみて感じました。
彼は、慎み深い・周りに気を配る・丁寧に接する人です。
そういう細やかな面こそ完璧すぎると言っても過言でわないです。
だからこそ、彼は彼なりの完璧な形を自分で求めすぎるあまりに追い込んで葛藤しているクセもみられました。



#崎山奨と故郷の両親
→もともと彼はわたしと同じで福岡出身です。しかし、彼は親元の福岡から離れ、東京・栃木に住んでいたことがあります。
関東で積んできたその体感や修行を軸に…現在でわ憧れの夢だった大好きな札幌に移住しています。
彼自身、憧れの夢だった場所にいれるだけで最高に幸せで恵まれていると楽しそうで喜んで話してくれました。
しかし、札幌と福岡の距離でなかなか会えない親子。
以前、彼からは「親父とやりあって揉めたことがある」「親父とは仲が良くない。向き合いたくない。」と悩んでいたことを耳にしていました。
今回、彼の夢を叶える一歩として…故郷の福岡でライブを開催し、家族も呼んで披露することになったのです。
わたしも実際、この日に彼の両親とも御会いし挨拶も交わしました。
彼のお父さんが「もう奨は35歳になるっちゃけど、僕の中ではまだ小さい赤ちゃんなんだよなー。」
「だけん、どうしても奨が心配になる」
「奨は小さい子やったとが35歳は信じられん信じられん」
手で例えながら…「あんな小さかった奨が」と何度も話してくれました。
彼のお母さんは、彼の晴れ舞台でカメラを撮影していました。
両親からすると、親元の福岡から離れ…なかなか家族で過ごせない中で札幌にいる息子が帰福し晴れ舞台を披露する。
これこそが立派なる親孝行ではないでしょうか。
彼の初舞台にお父さんもお母さんも見守っていました。
その見守る愛が非常に暖かったです。


#崎山奨と心理を読む音楽
→彼は無類の音楽を聴いたり、歌うことが大好きです。
特にGLAYのTAKUROさんを心の底から愛しています。
彼の男魂は、間違いなく音楽からきているものとすぐさま確信しました。
彼は誰か落ち込んでいるとすぐに相手の心理に合わせてコメント欄で曲を載せてくれる優しさを持っています。
以前、わたしも揉め事続きで疲れており…彼にまで当たっていたことがありました。
そしたら、彼から
「≪笑顔の多い日ばかりじゃない≫
https://www.youtube.com/watch?v=E01ACJ-7qXA
今の鈴ちゃんに一番ピンとくる歌詞と思った。」と。 その時、大号泣でした。
すかさずわたしは、
#福岡同志のざきやまちゃんから
https://note.mu/suzukomiyazaki/n/nf23c56f286f3 と書きました。
まさに… #NoMusicNoLifeSusumuSakiyama
がピッタリです。
彼が愛してやまない音楽こそ夢への一歩という形なのでわないでしょうか。


\#挑戦をバネにして好きを粘る崎山奨 /
今回、彼の晴れ舞台親孝行ライブを観て感じたのわ…彼は今までありとあらいる挑戦をしてきています。
彼の男魂にある精神がバネとなっている部分ではないでしょうか。
どこかで彼は好きな音楽で楽しい人生を送りたいという夢があったと思います。
彼は、初めて行くライブのバーで自らマスターに電話の直談判でライブの件を依頼したそうです。
「待っとるだけじゃ、動かんきさ」と。
2年前の10月に出会った当初の彼とわ、はるかに違います。
好きな音楽をずっと愛し続け、諦めきれない夢だったからこそ思いが粘って、一歩進んだと感じます。
たとえ、小さなバーでお客さんの数や成果がどうあれ…彼は夢へ一歩進んだのです。
その一歩から彼は、札幌でオファーが2件来たとのことです。
見守る側にいたわたしももうひとりの知人も非常に嬉しかったです。

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