ジェンダー批評って一度興味持ったら職業病みたいにならん?って話をしようとしたけど書き始めたらそうでもなくなりました

◾︎はじめに

こんにちは、すずこです。鍵垢のくせに色んな人に身バレしてるのでもう恐れることは何もないかな。多分。
Note初投稿なので見づらかったり何なり多々あると思いますがご容赦を…
 
さて、一応卒論でジェンダー系の研究をしようと思っているのでそれっぽい話を書こうとは思いますが、まともな勉強など何一つしていないカス大学生ですので大した話はできんです。ごめんちゃい。
 
「一度ジェンダー表象を持ったが最後、作品見る時批評フィルターを通すようになってしまった」と言うお話をしようと思ったら、ちょっと作品語りした程度になってしまったので期待せずにご覧ください。

◾︎なぜジェンダー批評?

正直どこから興味を持ち始めたのか記憶はないんですが、とりあえず高校時代から関心があったのは間違いないです。ただその頃は特にLGBTQに対する関心が強かったかもしれない。
まず、私はほとんどボカロばっかり聞いているオタクであることを述べておきます。2020年、「ヴィラン」と「テレキャスタービーボーイ(long_ver.)(※以降テレキャスLと略します)」というLGBTQ表現に切り込んだ楽曲が投稿されて話題になりました。当時の私は高校二〜三年生、なんとなく既にそういう概念に興味があって、この二曲をきっかけに確信に変わったという感じでしょうかね。曲を知っている人なら理解してくれるのではないかと思います。聞いたことない人はリンク置いとくのでぜひ。動画もちゃんと見てほしい。
 
・ヴィラン ( https://youtu.be/p9FJXfGHtDA?si=8UScwKgSbNz4KdU9
・テレキャスタービーボーイ ( https://youtu.be/i-DZukWFR64?si=9JL4xO0mnkwbEl5S
 
特にテレキャスLの公開後には、この分野の勉強などしていなかったなりに自分の考えを走り書きなどしていました。
でも面白いことに受験の時にはジェンダー研究をしたいとは少しも思ってなかったんですよね。高校から思想の片鱗が見えていて、結局それが現在の関心に繋がっているというのは運命的なものを感じないでもない……かも。
 
もうひとつ背景として、身バレしてるのであんまり大きな声じゃ言えませんが(今更)、自分が腐女子なのもブーストをかけてる部分があるとは思います。腐女子、よく言えば同性愛に抵抗全くないですからね。一番LGBTQに理解あるんじゃない?(クソデカ主語をやめろ)
もちろん、現実のLGBTQと嗜好品として消費している創作上のBLGLを完全に同一視するのはよくないと思っていますが、一般の人(ほらまたクソデカ主語!)に比べて理解へのハードルは圧倒的に低いと思うんですよね。"恋愛"というワードから連想されるものが異性愛に限定されない視野を既に持っているわけなので。
 
そういう意味で、オタクの視点って学問において重要な部分もあるんじゃないかと思わないでもない。ボーカロイド楽曲として「ヴィラン」と「テレキャスL」が発表されたことはそのような文脈で捉えることもできるんじゃないかと思います。今やゲーム「プロジェクトセカイ カラフルステージ」のおかげもありボカロの大衆文化化がかなり進んでいる印象を受けますが、前述の2曲がどちらもゲームに収録されていることには、単純な楽曲の人気に留まらない別の見方もできるのではないでしょうか(でも人気商売になっていないかと言われればそれは…)。

◾︎職業病ジェンダー批評(タイトル詐欺)

比文を受験した理由として、「とにかくサブカルで研究がしたい!!」という非常にオタクらしい目的がありました。そのため領域やコースも早いうちに絞って、テクスト文化学系統の授業ばかりひたすら受講していました。
テクスト文化学研究/演習に始まる講義を受けた人ならわかるかと思いますが、ジェンダー批評の視点はこれらの授業を重ねるごとにどんどん培われていきました。
 
そんな時に見始めた作品が『ジョジョの奇妙な冒険』でした。今更?いや、6部がアニメ化したのが去年なのでタイミングとしてはまあ今更ってこともないんですよ一応。(だがその6部はまだ見きれていない)
仲のいい友人がそれはそれは沼っていたので興味を持ちはしたものの、初めは絵柄に躊躇して渋っていたんですがいざ見始めたらいや面白い。ネットスラングで知ったる名言の嵐とOPの美しさでのめり込み、その後は普通にストーリーの面白さにハマりました。今やズブズブです。ビバ・パッショーネ。4年前にアニメ終わったのに今度新しくぬいが出るんですって。そんなジャンルある?(遅れてハマりがちオタク歓喜)
 
オタク語りはほどほどに本題に入ると、ジョジョを見始めた頃には既にジェンダー批評の視点が芽生えてきていて、ただ物語を見ると言うよりも、気づいたらジェンダーに注目しながら作品を見ていました。本当に"気づいたら"でした。
 
例えば…(ネタバレ含みますので自己責任でご覧下さい)
・第1部
主人公ジョナサンに対するヒロインのエリナ。悪ガキに虐められていたところをジョナサンに助けられる。傷ついたジョナサンを献身的に介抱し、最終的に結婚して子を宿す。死に行くジョナサンと運命を共にしようとする(結局は生き延びるが)。もうこれでもかといういかにも〜なヒロイン像。もちろん連載30年以上前の作品であることは留意しないといけないですが。
ただこれが第2部に続いていくにつれ、母、ひいては祖母として強い女の部分も描かれていく。
 
・第2部
主人公ジョセフと兄弟子シーザーの師匠リサリサの存在。第1部では戦いから女性が徹底して排除されていたが、リサリサは主人公たちにとって戦闘の師匠であり、戦う美少女(少女じゃないけど)の系譜で見ると面白そう。ただ彼女は師匠である以上にジョセフの母親であるという立場を持っており、この部までは作者の描く強い女性像と母親のイメージとの結びつきが見られる。
また、敵に人質に取られた女性アナウンサー(だったよね…?うろ覚え…)をジョセフが見逃そうとする回では、目の前で捕まった女を助けようとしないジョセフの性格の異質さが強調されるシーンとなっており、逆に捉えれば「女は男が助け守るもの」という概念があると言える。
 
言うて思想強めに見てたのはこの辺までです。当時視点がほんのりフェミ寄りだったので女性注目しがちですが…男らしさの方角で見ると、まあよく泣くなあって感じ?仁義の涙ってイメージですけどね。
さて、これ以降はかなりふんわりしてるメモ(言うほど考えて見てなかったかも(本末転倒))なので薄目で見てください。
 
・第3部
母親像は強さよりも優しさ、母性の面が強めに描かれるようになったかも。花京院の「恋をするならああいう女性がいい」の台詞は色々考えさせられる。
男装女子(ヒロイン未満くらい)。
戦いにさらに女性が参入してくるようになるが敵役で、醜女と老女、色黒でセクシーな美女(でも結局変顔する)。美しさは戦いに利用されるもの(主に相手を騙す)。
主人公に対応するヒロインらしいヒロインはなく3部作中では結婚まで描かれないが、その後の部でいつの間にか結婚して娘作ってたのでなんとも言い難い(そもそもジョジョが血縁の物語だからその時点で…)
 
・第4部
主人公仗助に対応するヒロインはなし。戦いに参入する女性がさらに増え、味方につくようになる。母親ではない強い女。でも男に尽くす面と異性愛の文脈(自立はしてない?):由花子⇔自立した女性の辻彩。由花子はヤンデレという言葉が生まれる前に誕生したヤンデレキャラと言われているのでそこに注目しても面白いかも。
 
・第5部
異性愛主義からの脱却の意図が見える?主人公ジョルノとヒロイントリッシュは恋愛関係にならない(でもブチャラティとはそれっぽいしなあ…)、明言された同性カップルの登場
トリッシュ:守られる女性から自ら戦う女性への成長。ジョジョだと一番戦闘美少女的な気がする。
本来主人公は女性にする予定だったが、バトル漫画で女性主人公はありえないと編集に却下され、結果的に中性的な男子となった経緯がある。
 
・6部
言うまでもなく初の女性主人公。性的な話題や荒めの話し方など序盤から"普通の女の子っぽく"描きたくなかった意図が見える。女子刑務所が舞台であることもあり中心となる登場人物は女性だが、その割に恋愛関係は異性愛に留まる。←編集の意図で描けなかったらしい?
(見終わってないのでこのくらい……)
 
・その他
DIO(作中では明言されず)や7部の大統領夫人(作中で描写あり)はバイ・セクシャル
 
……3部以降ふんわりしすぎなのは白状しますが半分付け焼き刃だからです。ごめんなさい。
それもそのはず、2部の途中から普通に沼落ちしたのでその辺から「おもしれーー」って叫ぶだけのオタクになっちゃったんです。なんだよ。タイトル詐欺じゃん。ごめんなさい。なっちゃったからにはもう…ネ…
でも「こういう見方って面白い!」と思い始めたきっかけであることは事実です。それからと言うもの、作品を見始めた時の最初にかかるのが「ジェンダー批評フィルター」になりました。これは本当。ただ沼にハマった瞬間「うるせーーーー!!「好き」でいいだろ!!!!!」とオタクの自分が殴って破壊していくんですがね。結局どんなに社会がポリコレポリコレ言おうが、面白い作品が勝ちなんだと思います。(先日のディズニーの会見とかまさに…)
…いや、誤解にならないように言っておきますが、配慮がいらないとは言ってないんですよ。多様性は認められるべきだと思います。ただ、"ボーイッシュな女の子"や"女々しい男の子"がわざわざ括られずに普通に受け入れられていくことと、従来の"男らしさ""女らしさ"であった表現を否定するのはイコールではないじゃないですか?それも全て多様性の一部"個性"として認められるものであるはずではないんでしょうか。その必要な"配慮"と創作上で表現される"個性"の境目、そう言った部分を最終的に卒論では考えたいなと思っています。ちょっと大きい展望になりますが。
 
ちなみにこんだけ話しといてなんですが、卒論で扱う作品はジョジョじゃないです。
なんでやねん!!!!!
 

◾︎おわりに

ふわふわ思想表明文でしたがここまでお付き合い頂きありがとうございました。
最後に一言言うとすれば、好きな作品を研究テーマにしても多分嫌いにならないと思うから好きなこと研究した方がいいんじゃないかな、ということです。好きでもない作品のことをひごとよごと考え続けるなんて並の精神力じゃできないと思いますし、好きな作品だからこそ深く考えて、考えるほど好きになる。そういうのがオタクってもんだと思います(比文生全員オタクだと思うなよ)

再三になりますがレポートが終わらず低クオリティになってしまいすみません。画像が1枚もないのは寂しいので5部のヒロイン貼っておきます。

トリッシュかわいいよトリッシュ( https://jojo-animation.com/story/025.php )

ジョジョ5部見てね!(やかましい)
 
それでは!

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