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とりとめもない

noteの書きやすさに気持ちよくなってしまい、
文章を久しぶりに書く。
愚痴じゃないことも残したいと思った。

文章を読むことも書くことも久しくしていなかった。
私は少し前、何年か前までは自分の気持ちはすべて文章で吐き出すことができると思っていた。口で自分の気持ちを話すことの方が難しかった。
音が邪魔をするなと思った。高い音や低い音であることや、女の声男の声など、余計な情報が入りすぎると。

だけどなんか最近文章や本を読む機会が本当になくなって。
「コロナを機に本を読むことが増えました」とか言いたいんだけど。
本を読むことや文章を読むこと、戯曲を読むこともとんとなかった。

ちょっと社会人らしいことを始めてから、
ビジネス文章の無駄の多さと簡素さに、文章の楽しみがなくなっていた。
仕事だから仕方ないのだけど、けっこうその文章を読むのだけで疲れてしまって、というか文章を読んだ気になってしまってぐったりした。

だけどなんか、ちょっと自分の書きたいことを打ち始めると
わーっと書けるものなんだな。

下書きに保存してある文章が一年以上前のものでなんか頑張ってて面白かった。
頑張ってたじゃん。
頑張って文章を残そうとしていた。下書きで終わってるけど。

文章を残すという意味が、私の中で薄くなっている。
自分の言葉を残さないといけないと思っていたけど、
別に残さなくても問題ないことに気がついた。

誰のために残すのか?
誰かのために文章を残す?
電子の海に文章を流すことになんの意味があるのか。
すべては自分が救われるために残していたに過ぎないことだった。

と、意外とこの文章を書いていて楽しい自分がいるのだった。

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鈴木のすり
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