小松海佑さん単独公演 「蔑ろにされる魂の種類」を観させていただきました
先日、小松海佑さん単独公演 「蔑ろにされる魂の種類」を観させていただきました。終演後に春とヒコーキ土岡さん、マタンゴ高橋鉄太郎さん、町ルダさんとサイゼリヤに集まって「さっきのは一体……」と壮大な心霊体験を振り返るように話し合いました。
できるだけ多くの人が乗り込めるように、出発するときには出発しますと言って、座席や手すりや吊革に重心を預けることを誘導する場合が多いのですが、小松さんはそれを(おそらく、あえて)全くしない。いきなりトップスピードで、もうすでに走り始まっている。だから私たちは私たちの意思で、慌てて、座席や手すりや吊革を探します。その座席や手すりや吊革に当たるものが、今回で言うと「カーディガン」や「カーペットの境目」や「線香の匂い」だったのではないか。よく「つかみ」と言いますが、掴まされると言ったほうが適切かもしれません。
ビー玉のような視点。例えば私たちがラムネを認識するとき、その順番はおそらく、ラムネの瓶→中身のラムネ→その中のビー玉となるのが一般的かと思います。しかし小松さんは、まるで、ラムネをビー玉の視点から認識し始めているようでした。ビー玉の視点で見ると、ラムネは海かもしれないし、「きれいな星空」かもしれない。そしてビー玉の視線は、ラムネの瓶の外側にいる私たちをも貫きます。本当よりも本気がリアルです。
大きくて安い水